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横須賀旅13 ~海の安全を守る白亜の塔・観音埼灯台~

昨年末よりまとめて参った「横須賀旅」も、いよいよ終盤
今回も引き続き横須賀市郊外の県立観音崎公園を歩いて、
「日本初の洋式灯台」・観音埼灯台を目指します!
観音崎 24
静かに波が寄せ、子どもたちの喜声が響く
観音崎の浜辺。

海岸線に沿って歩いて行くと・・・
観音崎灯台 1

観音崎灯台 2
長い歳月の間に波に削られ、
様々な形となった堆積岩がゴロゴロ!
観音崎灯台 3
しばらく歩いて行くと、
散策路の右手にポッカリ口を開けた洞穴が現れました。
これは海蝕洞(かいしょくどう、「海食洞」とも表記)と言って、
海に面した崖(海食崖)の弱い部分を、
波が削ることによって形成された洞窟
観音崎灯台 4
洞穴内部をズーム!
(手前にフェンスが設置されているため、近付くことは出来ず)
ふむふむ。石がゴロゴロ転がっているのが
確認出来ますな・・・

手前には祠のようなものが見えますが、
その中には・・・
観音崎灯台 5
こちらの観音像が安置されています。

この地に観音像が祀られることとなったのは、
今から1200年以上遡った奈良時代、
天平13(741)年のこと。

律令制下で民衆を率いて福祉事業や土木事業をなし、
朝廷公認の下奈良・東大寺の大仏建立という
一大事業に携わることとなった伝説の高僧・
行基上人(ぎょうきしょうにん、「上人」は尊称)

彼がこの地を訪れた頃、
この海蝕洞には白い大蛇が住んでおり、
山に住む鵜(う)とともに沖を往く船に危害を加えていました。
そこで上人が鵜を退治し、この洞穴の前に自ら彫り上げた
観音像を置いたところ、海は平穏となり、
漁師たちは安全に漁が出来るようになりました。
(一羽だけ退治された鵜が、なんだかかわいそう)

このことに感謝した村人たちは
ここにお堂を建立して観音像を祀るようになり、
そのご利益から地元の村人や漁師、
さらに浦賀水道を行き交う船の乗組員からも
崇敬を受けることとなりました。

そんな観音像が置かれたこの岬を、
人々はいつからか観音崎と呼ぶように
なったのだとか。

ではこの観音像が行基上人手づからの(超貴重!な)
品かというとさにあらず

実はこの像は2度失われたことがあり、
一度目は鎌倉時代の建保元(1213)年、
鎌倉幕府内・北条氏と和田氏の間で起こった
和田義盛の乱(わだよしもりのらん)の折に
忽然と消失

この際には百年ほど後に偶然発見され事無きを得たものの、
昭和61(1986)年、横須賀市・鴨居に観音像とともに移転していた
観音寺が、火災によって消失

名僧お手製の観音像も今度こそ完全に失われてしまい、
観音崎は無観音崎となってしまいました。
(解説パネルの表現がおもしろかったので、引用)

それから32年の時が流れた平成30(2018)年、
地元有志の発起の下、
観音崎の由来であり「シンボル的存在」である
観音像を甦らせるべく、
観音崎観音像復元プロジェクトが発足。

神奈川県や横須賀市民などの理解・協力も得て、
同プロジェクトは令和元(2019)年(最近だ!)9月に
観音像の復活という形で
見事成し遂げられました!

復元された観音像は元居たこの海蝕洞前へと戻され、
天平の昔と同じ姿で沖行く船と乗組員たちを
見守っています。
観音崎灯台 6
散策路の途中に設けられた、休憩スペース。
ここからも・・・
観音崎灯台 7
こんな景色が楽しめます♪
観音崎灯台 8
一方東屋が置かれたこのスペース。
一見何の変哲もない休憩所に見えますが、
ここがかつて行基上人作の観音像を納めていた、
旧観音寺の跡
観音崎灯台 9
江戸時代の絵図では観音像を安置した「本殿」、
「般若堂」などが建ち並び、
村民や漁民、船乗りたちから篤い崇敬を集めていた
旧観音寺。

しかし明治13(1880)年、
陸軍砲台(北門第一砲台・第二砲台)建設に伴い
付近が軍用地となることから、
観音寺は鴨居・亀崎地区へと移転

その後先述の通り昭和61(1986)年に
火災によって焼失してしまいました。
(現在は再建されているようです)

観音崎の緑を背に、浦賀水道の水面を前に、
観音像を奉じて建ち並ぶ堂宇たち・・・
見てみたかった
(でもそうなると前回記事でご紹介した
「観音崎北門第二砲台」は無かったことになるし・・・
なんか複雑)
観音崎灯台 10
途中で二又に分かれる散策路。
海岸線に沿ってぐるりと浦賀方面・
「観音崎通り」へ至る道と別れ、
山側へと進路を取ります。

ああ・・・また坂道。
観音崎灯台 11
やがて坂道を登り切った先、海を背にした高台に、
白亜の塔が見えて来ました!
ここがお目当ての場所・観音埼灯台

日本の近代化の一歩として明治元年(新暦1868年11月)9月に起工、
同年12月(新暦1869年2月10日)に竣工、
明治2年1月1日(新暦1861年2月11日)に
初点灯を果たした、
日本初の洋式灯台

現在の建物はその3代目に当たり、
大正14(1925)年の築。
観音崎灯台 12
灯台建設のきっかけとなったのは、
慶応2(1866)年に江戸幕府がアメリカ・イギリス・フランス・オランダの
西洋列強4カ国と結んだ関税率改定の約定・
改税約定(かいぜいやくじょう、江戸条約とも)

その中の一文に、航海の安全を保証するための
「燈明台(灯台)を備えなければならない」という項目が
添えられており、
これを受けた幕府は(半ば脅される形で)
灯台建設に着手。

横須賀製鉄所建設を担当していた
フランス人技師、レオンス・ヴェルニーに建設を依頼し、
製鉄所建設課長のルイ・フェリックス・フロラン
現場の指揮を執ることとなりました。

こうして「日本初の洋式灯台」として、
横須賀製鉄所(造船所)謹製のレンガを用いた
(外壁は白に塗装)
レンガ造り初代灯台が完成。
その起工日(11月1日)はのちに「灯台記念日」として
制定されることとなります。

しかしこの初代灯台は
大正11年(1922)4月26日に発生した地震によって
亀裂が生じたため、
翌12(1923)年3月に2代目灯台として再建

が、この2代目灯台も竣工わずか半年後の9月1日に発生した
関東大震災によって倒壊
(今も灯台直下の海岸線に、2代目灯台のものと思しき
残骸が転がっているそうな)

大正14(1925)年6月に現在の3代目灯台が
再建され、
日本に於ける灯台の導入と発展を示すとともに、
東京湾に出入りする船舶の航海の安全を
守り続けています。
観音崎灯台 13
灯台直下に並ぶ二つの句碑。

左の句は初代海上保安庁長官を務め、
のち政治家としても活動した、
大久保武雄(おおくぼ たけお)氏の作。

大久保橙青(おおくぼ とうせい)の名を持つ
俳人でもあった大久保氏は、
議員職に在った昭和43(1968)年に
全国に勤める灯台職員やその家族の労をねぎらい、
俳号である「燈青」の名で
汽笛吹けば 霧笛答ふる 
別れかな

の句を詠みました。

一方右手の句碑は、
激動の明治・大正・昭和を生きた俳人・
高浜虚子(たかはま きょし)によるもの。

大久保氏の「俳句の師匠」でもある虚子は、
海上保安庁創設、ならびに灯台80周年記念に当たる
昭和23(1948)年にこの地を訪れ、
灯台の白亜の雄姿と困難と闘いながら職務を全うする
灯台職員を思い、
霧いかに 深くとも 嵐強くとも
の句を詠みました。
観音崎灯台 14
句碑の横には、こんなものも。

皇后陛下行啓御坐石跡
(こうごうへいかぎょうけいございしあと)とありますが、
2代目灯台落成(そして倒壊)の年である
大正12(1923)年、
大正天皇妃・貞明皇后(ていめいこうごう)が
ここを訪れたことを記念して建てられた石碑。

ここにはその際に貞明皇后がお座りになられた石!
があったそうですが、
現在石碑の下には何も残されてはいません。
(ちょっと残念)
観音崎灯台 15
海に面したところに、灯台の出入り口を発見!
観音崎灯台は
高さ 地上から構造物の頂部まで
    19メートル
    平均水面上から灯火まで
    56メートル
    地上から灯火まで
    15メートル
灯質 群せん白光
毎15秒に2せん光(同じ場所から観察していると、15秒ごとに2回光る)
光度 77,000カンデラ(カンデラ=国際単位系(SI)における光度の単位)
光達距離 19.0海里(約35km)
明弧 152度から17度まで
というスペックを持つ、コンクリート造、白色・塔形の灯台。

現在日本に16基ある登れる灯台の一つで、
灯台建築物の様式を伝えるとともに、
上部に設けられた展望台からは、
東京湾県立観音崎公園
対岸・千葉県までをも望む絶景が楽しめます♪

参観時間
3月~9月
土日等 8:30~17:00
平 日 9:00~16:30

10月~2月
土日等 8:30~16:00
平 日 9:00~16:00

定休日
不定休(荒天、工事など)

参観料
大人300円、保護者同伴の小学生以下無料

アクセス
京急浦賀駅からバス「観音崎行」(約15分)終点下車、徒歩10分
JR横須賀駅からバス「観音崎行」(約35分)終点下車、徒歩10分
(車) 横浜横須賀道路馬堀海岸ICから3km(約5分)

※現在新型コロナウイルス感染症の発生状況を踏まえ、
  灯台参観は1月8日(金)から休止中
 (再開予定は未定
観音崎灯台 16
こちらの螺旋階段を上って(写真は下り時に撮影)、
地上およそ15m付近の展望台へ!
そこからの眺めは・・・
観音崎灯台 17
ご覧の通り!
前面には東京湾浦賀水道)を一望する、
素晴らしき海景色
観音崎灯台 18
真下を見下ろすと・・・こんな感じ。

カメラを落っことさないかヒヤヒヤしながら、撮影。
ここは地上15m。
なかなかのスリル!
観音崎灯台 19
後ろには、県立観音崎公園の緑がいっぱい!
観音崎灯台 20
空港の管制塔のような、
「東京湾海上交通センター」も見えています!
観音崎灯台 21

観音崎灯台 22
海景色を別角度から。
観音崎灯台 23
浦賀水道を挟んだ対岸、
千葉県富津市(ふっつし)付近の眺め。
観音崎灯台 24

観音崎灯台 25
行き交う船舶たち
観音崎灯台 26
地上15mの高さに設置された、観音埼灯台のレンズ

直径およそ72cm、光源にはハロゲン灯の一種である
メタルハライドランプを採用し、
250kwの出力を発揮。
これにより沖合を進む船からも視認可能な、
約35kmの光達距離を誇ります。

灯質(灯台固有の光り方)は、
白く輝く群せん白光

設置当初は菜種や落花生から採れた植物油、
パラフィン(炭化水素化合物(有機化合物)の一種)や
石油等を燃料として光源を発していましたが、
2代目灯台建設後の大正12(1923)年6月より
光源として白熱電球が用いられるようになり、
現在へと至っています。
観音崎灯台 27
レンズの下には、地震の揺れを軽減するための
免震装置(めんしんそうち)が装着されています。

震災によって2度の建て替えを余儀なくされた、
観音崎灯台。
「万が一」への備えも万全!か?
観音崎灯台 28
やや急ぎ足(三笠ライトアップ同様、閉館時間ギリギリ 汗)で
景色と灯台の趣を楽しみ、地上へ無事帰還。

灯台の近くでは、見事な地層も見ることが出来ました!

10回を超えた「横須賀旅」も、
次回でいよいよ最終回!
ついに関東を離れる夜、
煌めくライトに照らされた横浜・
「みなとみらい21」を歩きます!

参考:横須賀観光情報 ここはヨコスカ
    公益社団法人 燈光会 ホームページ
    ALG ARCHITECHTUAL LIGHTING GROUP
    ホームページ内、「灯台―海の光の道しるべ」
    コトバンク
    Wikipedia
    各所解説パネル

Twitter:https://twitter.com/Nori86651955
インスタグラム:https://t.co/vjjvOaZqEn?amp=1

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詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。