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安土城探索6(終) ~安土城天主 信長の館~

先月末から半月ほど掛けてまとめて参った
「安土城探索編」も、今回で最終回
お目当ての安土城跡(安土山)探索は
前回で終了となりましたが、
帰路に就く前にとある展示施設へとお立ち寄り!

隣接するレストランで頂いた「お昼ごはん」と合わせて
ご紹介致します!
安土城 14
素晴らしき「城跡めぐり」を終え、
安土山麓へと戻って来た私。

大手口前の駐輪場から自転車を走らせまして・・・
安土城 6-1
安土駅の東方およそ2kmのところに広がる、
安土町文芸の郷へ!

「人と文化の交流する場所」をテーマに欧風の外観を持つ建物が並ぶ、
公益財団法人管理による文化施設。

敷地内には最大380名を収容可能、
パイプオルガンを備えたバロック調の音楽ホール・
文芸セミナリヨ
スポーツやイベント等幅広い用途に使用可能な
多目的ホール・あづちマリエート
地元の食材を使った多彩なメニューの食事から
喫茶・軽食、スポーツ大会等の仕出し弁当まで対応するレストラン、
文芸の郷レストラン
平成4(1992)年開催のスペイン・セビリア万博にて展示された
原寸大の天主上層部をメインとした展示施設・
安土城天主信長の館など、
来場者の目的に合わせた様々な施設が
用意されています。

ここまでの流れで読者の皆さんは既にお察しのことと
思いますが、
今回はこのうちの「安土城天主信長の館」を訪ねます!
安土城 6-2
入館前にまずは安土城探索で抱えた空腹を満たすべく、
文芸の郷レストランへ!

大体の施設概要は既に述べてしまっていますが、
滋賀県が誇るブランド牛・近江牛を始めとする
地元食材を用いた料理、
季節に合わせたデザートの他、
「文芸の郷」内や安土町内での各種イベント向けの
仕出し弁当に対応する、
この付近の散策の際に重宝し得るレストラン。

営業情報
・営業時間・・・11:00〜14:00
・定休日・・・月曜日(祝休日を除く)
        祝日の翌日(土・日を除く)
       年末年始
・TEL・・・0748-46-6555
安土城 6-3
店内へ入ったところで目を引かれたのが、
入口近くに設置された1/60スケールの
安土城天主復元模型

平成元(1989)年に大津市にお住いの(あるいはお住まいだった?)
個人様より寄贈されたというこちらの模型、
なにやら「艶」があると思いませんか?
安土城 6-4
実はこの模型、摠見寺から望見した琵琶湖の内湖・
西の湖から採取された淡水真珠と真珠貝
によって製作されているのです!
安土城 6-5
ところどころ想像図と異なるところもありますが、
天主台や窓、破風、屋根上に戴く鬼瓦や鯱(シャチ、しゃちほこ)まで
細かく表現されており、
素晴らしい再現度に仕上がっています!
(ここまでの作品を作り上げた方に、脱帽!)

そんな「真珠の安土城天主」に見守られながら(?)
頂くのは・・・
安土城 6-6
戦国焼き定食

メインの肉野菜炒めにごはん、味噌汁、漬物、
えのきの酢の物、みかんが付いて1,100円ナリ。
安土城 6-7
戦国焼き(どこら辺が「戦国」なのか、良く分かりませんが・・・)は、
地元産豚肉と玉ねぎ・ピーマンを合わせた
鉄板焼き

ジュウジュウと音を立てて香ばしい匂いを振りまく豚肉を
口に入れると、
パッと広がる肉汁と乗りに乗った脂、肉の旨味!

これにシャキシャキのピーマンと柔らかくなるまで
焼き上げられた玉ねぎ、
「森蘭丸のふるさと」・岐阜県可児市(かにし)の懐石料理店・蘭丸亭
直伝の醤油ベースのタレが合わさり、
ごはんがススム!

結局どのあたりが「戦国」なのかは最後まで分からなかった
城が炎上する様?・・・な訳ないか 笑)ものの、
隣国・美濃国とコラボレーションした味、
楽しませていただきました♪
安土城 6-8
「文芸の郷レストラン」で腹を満たし、
安土城天主 信長の館へ!

日本城郭史上でも類を見ない八角形の天主を模した
展示施設の目玉は、
何といっても原寸大復元された
安土城天主(地上)5・6階部分

城主・信長公が横死した本能寺の変後、
猛火に包まれ焼失してしまった安土城天主。

長年その存在は設計図他の資料とともに
謎のベールに包まれていましたが、
今から五十年ほど前、加賀藩前田家の作事奉行
(さくじぶぎょう、藩お抱えの御用大工)を務めていた池上家から、
天守(主)指図なる図面が発見されました。

これを「安土城天主の図面である」と見た
図面の発見者で元愛知産業大学学長、
故・内藤昌(ないとう あきら)氏が
天主台跡の遺跡調査、実測調査を行ったところ、
この図面が安土城天主の図面の写し
であることが確認され、
安土城の、そして日本の城郭の研究に一石を投じる
大発見となりました。
(その後展開された復元案については、諸説あり)
安土城 6-9
内藤昌氏の復元案を基に作製された、
五十分の一サイズの復元模型

この「天守(主)指図」の図面と内藤昌氏提唱の
復元案を基にして、
1992年にスペイン・セビリアで開催された
万国博覧会・日本館のメイン展示として、
実物大の安土城天主5階部分と6階内観
復元・展示されました。

この企画は同博覧会中最多の入場者数を記録した
大成功となり、
万博終了後、城の所在地であった安土町が
この復元天主を譲受して
この地へと解体・移築。

万博で展示された部分に青緑色の瓦金箔
装飾された5階庇部分、
天人の飛び交う様を描いた天井、
金箔貼りの6階外観を付け足し、
幻の安土城天主、その上層部が見事
現代に甦ることとなりました!

営業情報

開館時間・・・9:00~17:00(最終入館16:30)
入館料・・・一般610円(団体500円)
       学生350円(団体250円)
       小中学生170円(団体120円)
       ※障害者手帳をお持ちの方は無料。
       安土城考古博物館との共通券アリ
休館日・・・月曜日(祝日の場合は翌日。お盆期間中は無休)
       年末年始(12月28日~1月4日)

で、この「復元天主」、是非とも皆さんにお見せしたい!
・・・ところなのですが、
復元事業に関わった施行業者さん等により
著作権がガチガチに掛けられているそうで、
「復元天主」そのものの撮影は可能なものの、
SNS・インターネット等での投稿は一切NG
なのだそう。
(職員さん曰く、過去には投稿者に対し
(おそらく多額の)請求が行ったこともあるそう。くわばらくわばら)

という訳で、「メイン」となるハズの復元天主は、
文章でのご紹介とさせて頂きます!

なおど~しても写真が見たい!という方は、
「安土城天主 信長の館」公式ホームページか、
知らずにアップされているor
著作権料請求を恐れぬチャレンジャーさん
サイトやSNS等の掲載写真をご覧ください。

「安土城天主 信長の館」館内に復元された天主は、
先述の通り最上層に当たる地上5階・6階部分。
その下段となる5階は、
特徴的な正八角形の造り。

これは仏教の観念に基づくもので、
宇宙を形どった八角の段と称されるもの。
内部の柱や天井、床などは朱漆によって彩色され、
極彩色の装い。

さらに「内陣」と呼ばれる内側の襖部分、
「外陣(げじん)」と称される外側の壁面では、
当時日本画壇の第一人者として君臨していた
狩野派随一の名人・狩野永徳(かのう えいとく)筆の、
悪事をなした人々を閻魔大王(えんまだいおう)が裁き、
審判を下された者が地獄の業火へと堕ち行く様を描いた
阿鼻地獄図(あびじごくず)や、
西方浄土(さいほうじょうど)で釈尊(ブッダ)が
十大弟子に教えを説く姿を描いた
極楽浄土図(釈迦説法図)
(ごくらくじょうどず(しゃかせっぽうず))で、
地獄から清らかな極楽世界・「浄土」へ至る様を表現。

艶やかな衣をまとった天上の人々が舞い飛ぶ
天人動向図(てんにんえこうず)を横目に
階段を上がると、
天主最上層となる6階

外側に廻縁(まわりえん)を巡らせ、
外壁を金箔貼りとした
「天上界」を思わせる正方形の御座所では、
主(=信長公)が座する高座を室内北側に置くことで、
天子南面※1する四角の段とし、
あたかも信長公が
天上から地を見下ろし君臨する
高貴なる統治者

であるかのような演出が為されていました。

黒漆金箔で彩色された壁面には、
こちらも狩野永徳の手による孔子や老子、
周の文王や伝説上の帝王・黄帝(こうてい)・軒轅(けんえん)といった
中国の伝説・歴史上の聖人君子を描くことで、
天下人として抱くべき天道思想※2を
表現していました。

「仏教世界」を表した5階から「天上界」たる6階へと至った
信長公は、
どのような面持ちで人々が暮らし、
未だ戦雲漂う戦国の世を見下ろしていたのでしょうか・・・

※1 天子南面・・・天から統治者として認められた「天子」「皇帝」「天帝」が、
            「北を背にして南を向く」という意。
            南を向いて太陽の昇る東側を「左」(=優位な側)とし、
            北極星を背にすることで、
            統治者(ここで言うと信長公)が
            「天」に立っていることを示す。

※2 天道思想・・・この世のすべての理を「天命」として、
            それを天地の支配者である「天帝」が定め、
            人はそれに従うものであるとする考え方。
           ここで言う 「天道」は、太陽が空を通過する際に通る
           道のことを指す。

ここからは、「信長の館」館内の各種展示をご紹介。

安土城 6-12
まずはコチラ、安土城築城の様子を再現した模型

新たな居城を築くに当たり、信長公は工事の総責任者となる
総普請奉行(そうふしんぶぎょう)に
織田家重臣の丹羽長秀(にわ ながひで)を任命。

長秀監督の下、作事(建築)を指揮する大工棟梁・
岡部又右衛門(おかべ またえもん)、
石垣などの土木工事を監督し、石工集団・穴太衆(あのうしゅう)を率いる
石工頭・戸羽駿河(とば するが)、
障壁画を担当する狩野永徳・光信(みつのぶ)
父子以下狩野派一門の絵師たち、
金工を手掛ける鉢阿弥(はちあみ)・
後藤平四郎(ごとう へいしろう)ら、
当時を代表する名工たちが集結。

普請(土木工事)に当たっては、近江国(滋賀県)を始めとする
織田家支配下にあった12ヶ国もの国々から
侍たちが招集され、
のちの「天下普請」にも匹敵する大土木工事
行われました。
安土城 6-13
城内の要所に配置する巨大な石材・大石を運搬する様子。

多人数を必要とする大石の運搬では、
石材の上に乗った数人が太鼓や鐘で音頭を取り、
石材の押し牽きをするタイミングを指示。

それに合わせて前方では多人数の人々が
綱で石材を引っ張り、
後方からは手子木(てこぎ)と呼ばれるてこを持った人々が、
ころを敷いて「修羅」と呼ばれるそりに載せられた
大石を動かしていました。
安土城 6-13.5
「大石」以外の石材は、
このように牛車(ぎっしゃ)やべか車
(大坂近郊で用いられた、人力による荷車。
江戸近郊では「大八車」と称す)で運搬。

石垣の隙間に詰める小石は、
もっこや石負子(いしおいこ)と呼ばれる、
担いだり背負ったりする運搬器具で運ばれました。
安土城 6-14
石材を積み上げ、加工する様子。

石垣に用いる石材は安土山の周辺地域から集められ、
石工集団・穴太衆(あのうしゅう)によって
設計・計算・構築が為されました。

ここで得られた経験や知見は
後年各地での城造りへと生かされ、
「穴太衆」の名と技術を広めるとともに
全国に石垣造りの城を生み出す端緒となりました。
安土城 6-15
ガラスケースに大切に収められているのは、
信長公から越前国(現在の福井県東部および敦賀市一帯)の
在地領主に宛てられた、直筆の文書

これは安土城築城と時を同じくした天正3(1576)年、
一向一揆(浄土真宗本願寺派の門徒たちが起こした、
権力者たちに反する闘争。)に奪われた越前国の支配権を奪還すべく
出陣した、その翌日(8月13日)に出されたもの。

書面は三門徒衆(さんもんとしゅう)と呼ばれる
越前在郷の浄土真宗の一派に向けて発せられたもので、
自ら(織田家)に付く場合、
領地の安堵を始めとする諸々の権利を保障する、という内容。

この書面を受け取ったであろう「三門徒衆」は
大坂を本拠とする本願寺派の一揆衆には組せず
越前奪還を図る戦いでもいち早く織田方に
恭順の意を示すこととなりました。

数々の逸話から、敵対する者・地域に対しては
徹底的な破壊・殺戮行為を行うイメージを
抱かれている信長公ですが、
このように可能ならば争いを避け、
降る者には寛容を以て遇する一面を持っていたようです。
(大名家の主・一武将として当然持つべき振る舞いでも
あったのでしょうが)
安土城 6-16
で縁取られた漆器に彩り豊かに載せられている、
豪勢な料理の数々。
(もちろん本物ではない)

これは本能寺の変直前の天正10(1582)年5月、
武田氏征伐を祝して、信長公が同盟者である徳川家康(とくがわ いえやす)と
その家臣らを安土に招いた際、
宴席にて提供された、天正十年安土御献立と呼ばれる
本膳料理

5月15・16日の二日間にわたって開かれたこの祝宴では、
到着後まもなく供された「おちつき膳」、
その後の「晩御膳」、
翌日の「朝御膳」、「夕膳」の4食で、
実に120品にも及ぶ料理の数々が
提供され、家康一行をもてなしたと
「続群書類従」(明治~昭和初期に刊行された書籍群。
編纂するに当たり、参考とした文書が在ったと思われます)に記録されています。
安土城 6-17
提供された料理は鯛の焼物、ウナギの丸焼き、
鴨汁、鮎(あゆ)の鮓(すし)、
エビの舟盛り、雲雀(ひばり)の丸焼き、
近江名物・鮒(ふな)ずし等、
全国各地より選りすぐられた最高級の食材
用いたものばかり。

さらに当時流通が始まったばかりの鱧(はも)や
醤油等、まだ珍しかった食材や調味料まで
惜しげもなく使った、
心よりのもてなしであったことが分かります。

この際接待役を任された明智光秀
信長公に監督不行き届きを叱責された末、
役目(饗応役)を解かれたことによる遺恨が
謀反の一因であるという怨恨説
広く知られるところですが、
後世の書物や二次資料などに記載された逸話であるため、
現在ではこの一事を疑問視する見方が
なされています。

真実がどこにあったかはさておき、
「京見物」に立った家康一行を見送った信長公は、
29日に供回りのみを連れて安土を出立。
帰ることの無い路へと踏み出すこととなりました。
安土城 6-18
安土城跡より出土した、金箔瓦

現在ではかつての輝きは失われていますが、
煌びやかな「御城」を象徴するこれらの金箔瓦
安土城の他には信長公の息子たちにのみ使用が許され、
権威と家格を示すものとして利用されていたようです。
安土城 6-19.5
※復元天主の構造物が写っているため、
モザイク処理(手作業)を掛けています

ここ「信長の館」で最新のエンターテイメントがコチラ、
平成27(2015)年に登場した、
最新技術を駆使したVR安土城シアター

「天守(天主)指図」の発見から約半世紀。
その間に蓄積された発掘調査や研究の成果を基に、
VR(バーチャルリアリティ、CG再現された仮想空間)を駆使して
安土城や「伝羽柴秀吉邸」を始めとする武家屋敷、
賑わう城下町などを200インチの大画面で
楽しむことが出来る仮想劇場。

9時40分~16時20分まで50分おきに放映され、
滞在中何度でも鑑賞することが出来ます♪
(鑑賞の際は周囲の方へのご配慮と劇場内のルールを忘れず、
正しく仮想空間に浸りましょう!)

映像は鑑賞者たちが安土城を訪れたポルトガル人宣教師・
ルイス・フロイスの立場となり、
安土城下に辿り着いたところからスタート。

大手門前では安土城築城の際に大工頭を務めた
岡部又右衛門が出迎え、
彼の案内にて安土城内へ。

大手門を抜けると幅6メートルの大手道、
左右には「伝羽柴秀吉邸」などの武家屋敷が建ち並び、
その向こうに天主を望む圧巻の光景。
見る者を圧倒するこの眺め、
訪れた者に与える心理的威圧感こそが、
信長公の狙いだったのでしょう。

中腹の「七曲がり」を抜けて、城郭主要部へ。
本丸では内裏の「清涼殿」を模した本丸御殿にも
話が及びます。

そしていよいよ絢爛豪華な「天主」へ。
ここでは信長公自ら鑑賞者たち(フロイス)を出迎え、
天主の中へ。

西洋建築を模した吹き抜けや宝塔、能舞台、
日本城郭史上唯一の「生活空間」となっていた
各層の様子を見ながら、
「信長の館」館内で復元されている天主最上層へ。

金箔、襖絵で飾られた最上層より望むのは、
「楽市楽座」で賑わう安土城下や安土盆地
伊吹山系などの近江の山々、
そして城下にまで広がる琵琶湖

この景色を目にした信長公が何を感じ、
家臣やフロイスといった来訪者たちに何を語ったかは、
今となっては定かではありません。

しかし遥かに広がるこの「天下の景」こそが、
彼の大志と大望を示す一つの「結晶」
だったのではないでしょうか。
(いつか同じ景色を見てみたい・・・)
安土城 6-20
展示物を見て回った後は、
併設のお土産コーナーへ!
一見小ぢんまりとしたスペースですが・・・
安土城 6-21
安土町や滋賀県の名産品、
信長公にまつわるグッズや銘菓
安土城 6-22
各種武将グッズなど、より取り見取り!
これらのバリエーション豊富な品々から・・・
安土城 6-24.75
有名な「天下布武」の押印を模したキーホルダー、
安土駅前に店を構える老舗菓子舗・万吾樓(まんごろう)の名物・
まけずの鍔(つば)の2点を購入!
安土城 6-24.85
帰宅後に頂いた「まけずの鍔」は、
摠見寺に伝わる信長公愛用の刀の鍔を模した最中!
安土城 6-24.95
中にはしっとりとした甘さと食感の、
上質な大納言小豆と生餡がたっぷり!
安土城 6-24
お土産も買い込んだところで、この日の散策はお終い!
城跡が横たわる安土山に別れを告げ、
安土駅へと戻ります。
彦根城
次回からは引き続き「お城ネタ」とはなりますが、
全国に12しかない現存天守、
その中でもさらに稀有な「国宝」に指定されている
5城の一つ、彦根城へ!

豪雪襲う大晦日、
雪まみれ(笑)になりながらも捉えた、
雪化粧した城の姿をとくとご覧ください!

参考:安土城天主信長の館
    御菓子司 万吾樓 公式ホームページ
    はじめての三国志
    日本神話・神社まとめ
    コトバンク
    Wikipedia

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。