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彦根城雪景2 ~彦根城馬屋と天秤櫓~

つい昨日のことのように思える「お正月」から時流れ、
気付けば2月ももうおしまい
忙しい日々のうちに流れるカレンダーに、
驚きの意を禁じ得ないac802tfkです。

前回よりスタートしました、「彦根城雪景編」。
二の丸入口である「佐和口(さわぐち)」を
抜けまして、
今回は彦根山(標高50m)上に築かれた
城郭中枢を目指します。
彦根城 2-1
内堀を渡る前に、ちょっと寄り道。
佐和口を抜けた先、開けた二の丸に佇む長~い建物は、
藩主の馬を飼育していた施設、馬屋(うまや)

江戸時代中期に差し掛かる元禄末期(1700年頃)に
建てられた建物で、
東西に伸びて途中で屈折したL字形の造り。

明和4(1767)年に佐和口多聞櫓が焼失した際には
一部が類焼し、一部分を縮小して建て直されている他、
明治年間にはさらに南側に伸びていた部分が
取り壊されてしまいましたが、
近世城郭では他に例の無い大規模な馬屋施設として、
国の重要文化財に指定されています。
彦根城 2-2
馬屋の門は、出入り口の横に「門番部屋」を備えた
長屋門形式

かつてはこの裏側(南側)にさらに建物が伸びていた他、
門番部屋の前には「コシカケ」が置かれ、
城中警備に当たる武士たちのたまり場となっていたようです。
(談義に花を咲かせる武士たちの姿が・・・
この天気では無いか 笑)
彦根城 2-3
建物内側。

写真奥が「佐和口多聞櫓」に接する東側、
手前が西側となります。
正面で建物が屈折しているのが分かります。
彦根城 2-4
馬屋内部。

東側末端の小部屋を除き、
彦根城馬屋はその大部分が馬を飼育し繋ぎとめるための
馬立場(うまたてば)と馬繋場(うまつなぎば)
となっており、
21頭もの馬を繋ぐことが出来ました。

彦根藩は勇猛を以て知られた初代直政(なおまさ)公以来
武芸を重視する家風となっており、
著名な兵法家や武術家を召し抱えて武道の鍛錬が
行われた他、
「新当流(しんとうりゅう)」や「大坪流」、「八条流」といった
馬術も積極的に取り入れられ、
藩士には250石の馬扶持(うまふち)が与えられて
馬の飼育と馬術の修練に励み、
藩主の馬の日常的な管理・調教から藩主やその子弟、
藩士に馬術を指南する、馬役(うまやく)という役職が
置かれていました。
(13代藩主を務めた直弼(なおすけ)公も、
馬役に愛馬たちの管理を委ね、
また教えを受けたことでしょう)
彦根城 2-6
馬屋内部の一角では、
当時の馬繋場(うまつなぎば)の様子が再現されています。
彦根城 2-7
別の馬繋場では、床下の様子も公開。

馬繋場の床面は風化した岩石に水とニガリを混ぜた
漆喰タタキ(しっくいタタキ)という
素材で固められ、その上に板が敷き詰められていました。

(※汚い話注意)

その一部分には取り外し可能な蓋が取り付けられ、
中央に見えている穴に容器を設置。
そこに馬の糞尿が流れ込む仕組みとなっており、
調教や藩主の鍛錬等で馬が不在の時に
回収・処分したと考えられています。
(回収された糞尿は、肥料にでも使われたのでしょうか)
彦根城 2-5
各馬繋場の柱に取り付けられた、
円形の金具。

設置された位置と形状から、
この金具に縄などを通すことで
馬を繋いでいたと思われます。
彦根城 2-8
「馬屋」を拝観した後は、
いよいよ城郭主要部へ!

城を取り巻く三重の堀の最後の一角・
内堀に架かる橋を渡り、表門跡を抜けて、
天守の待つ本丸への道を辿ります!
彦根城 2-9
標高50mの彦根山をまるごと取り込んだ、
彦根城主要部。
この地図では右が北、左が南となります。

彦根山上には南から鐘の丸
本丸西の丸の3つの郭が配置され、
2つの郭が天守(中央の黄色い円内)を戴く本丸を守護。

その外周に二の丸や武家屋敷地、さらにその外側に
城下町を配してそれぞれ水堀で囲むことで、
三重の備えが築かれていました。

画像左端の「佐和口多聞櫓」と「馬屋」の並びと比べると、
その広大さが分かります。

表門の先に在るチケット売り場で入城券を購入して、
城内主要部へ!
なお拝観情報ですが、

開場時間
08:30~17:00 (天守最終入場16:30まで)

営業日
年中無休

料金
入城券(彦根城の観覧料金 玄宮園を含む)
個人 一般・・・800円
小・中学生・・・200円
団体30名以上 一般・・・720円
団体30名以上 小・中学生・・・180円
団体100名以上 一般・・・640円
団体100名以上 小・中学生・・・160円
団体300名以上 一般・・・560円
団体300名以上 小・中学生・・・140円

その他玄宮園のみの観覧料金、
彦根城博物館を含めたセット券アリ。

料金減免申請
観覧料金の免除について次の方は観覧料が免除されます。

・彦根市内にお住まいの方で、個人番号カード(マイナンバーカード)、
住基カードをお持ちの方
(個人番号カード(マイナンバーカード)か、住基カードを入場時に提示してください)
・彦根市内にお住まいの65歳以上の方
(年齢を証明できる書面(老人福祉手帳、健康保険証、自動車免許証など)を入場時に提示してください)
・障害者の方など
(障害者手帳・療育手帳をお持ちの方は、入場時に提示してください)
・彦根市内の小・中学生の方
(小学生の方は、入場時に学校名を申し出てください。また、中学生は生徒手帳を提示してください)
・彦根市内の高等学校、大学(院)、特別支援学校に通学する生徒、学生の方
(生徒手帳、生徒証もしくは学生証を提示してください。)
・教職員が引率する学校行事(滋賀県内の小・中学校、高等学校)
(事前に申請書を提出していただければ免除となります。)
・ふるさと彦根たっぷり満喫!年間パスポートをお持ちの方
(年間パスポートを、入場時に提示してください。)

彦根城のみの券・料金は無い・・・何故だ!?
彦根城 2-10
チケット売り場の隣に重厚な佇まいを見せる
御殿風建築の建物は、現存御殿!・・・ではなく、
彦根藩井伊家に伝わる甲冑・刀剣、
能道具・茶道具や調度品、美術工芸品のほか、
古文書等の貴重な資料を展示する施設・
彦根城博物館

元々この場所には彦根藩主が日常の暮らしを送る場であり、
藩政を執り行う「政庁」ともなった
表御殿が置かれており、
この「彦根城博物館」は発掘調査の成果や
絵図などの資料から、
彦根市制50周年を記念する事業として
昭和62(1987)年に「表御殿」を復元したもの。

藩主が政務を執り行っていた「表向き」を展示施設として、
一方藩主の日常生活の場となっていた「奥向き」は、
藩主が座した御座の間茶室・庭園を復元し、
藩政期の藩主の暮らしを再現。

館中央には能舞台も復元され、
江戸時代さながらに能や狂言が催されることも
あるのだそう。

開館時間
8:30〜17:00(入館は16:30まで)

観覧料金
一般 500円
小・中学生 250円
彦根城 2-11
藩主の暮らしぶりを復元した、
「復元御殿の先駆け」!
大いに興を引かれるところでしたが、
こちらも年末休館中(12月25~31日)

残念!
彦根城 2-12
入城ゲートを抜け、雪を被った石段を上る。
(チケット売り場・ゲート付近では全国的に珍しい
「登り石垣」も見られるのですが、
雪の所為か、はたまた私の観察力不足か、
確認・撮影出来なかったため割愛 汗)
彦根城 2-13
えっちらおっちら上って行くと、
ドドン!
こんな絶景に出会いました♪

ここは大堀切といって、
城が置かれた山地の尾根を分断することで、
尾根伝いに敵兵が侵攻して来るのを防ぐ目的で設けられた、
平山城(ひらやまじろ。平野に突き出た小高い山や
丘陵上に築かれた城)である彦根城ならではの設備。

この場所は表門・大手門双方からの道が合流する
要所に位置しており、
攻め上って来た敵兵を拒むように高石垣が聳え、
その上には櫓門と二重櫓二基を備えた
天秤櫓(てんびんやぐら。重要文化財)が、
侵入者を迎撃。

画面左手・鐘の丸と天秤櫓を抜けた先の太鼓丸を繋ぐ橋は
廊下橋と言って、
二つの郭を繋ぐ唯一の通行路であるとともに、
戦時にはこの橋を切り落とすことで
敵の侵入路を断つことも可能であったそう。
(その場合は、天秤櫓が睨みを効かせる石垣を
登るしか無くなる・・・。まさに万全の備え!)
彦根城 2-14
廊下橋裏面。

現在は橋桁が露出した状態となっていますが、
往時は屋根が被せられ、
橋の上を行き来する城兵の動きが
見えないようにしていたとか。
(徹底している・・・!)
彦根城 2-15
大堀切からの通路はもちろん真っ直ぐではなく、
これまた石垣(と恐らく土塀跡)に囲まれた
屈曲を上って・・・
彦根城 2-16
天秤櫓と廊下橋の前に到達!

廊下橋の向こう、侵入者に対して壁のように立ちはだかる、
天秤櫓は、
築城初期の慶長9(1904)~同11(1906)年に掛けて
建立された櫓で、
廊下橋から繋がる中央部に櫓門を、その左右に多聞櫓と
二重の隅櫓をコの字型に配置。

表門からの「表坂」、大手門からの「大手坂」、
正面の「鐘の丸」三方の敵軍に対応した構えが
天秤の如く左右で均整の取れた姿となっていたことから、
江戸期より「天秤櫓」の名で呼ばれていたそう。

しかし実際には必ずしも左右対称ではないそうで、
・格子窓の数が左右で異なる(左側の方が多い)
・二重櫓はそれぞれ棟の向きが異なり、
左が西(京・大坂)に、右が江戸にそれぞれ正面を
向けられている

といった違いがあるのだそう。
また出入り口となる櫓門にも仕掛けがあり、
門扉には侵入者が扉の下に梃子(てこ)を差し込むのを阻む
蹴放(けはなし。門や扉の下に設けられた、
溝のない敷居)や、
門扉を押し上げるのを妨げるまくさ(幔幕。まんまく)が
仕込まれているのだとか。

彦根城 2-17
羽柴秀吉(はしば ひでよし。後の豊臣秀吉)が築き、
山内一豊(やまうち かずとよ)らが城主を務めた
長浜城大手門移築したものと伝えられる、
天秤櫓。

その外見上の特徴の一つが、
左右で異なる石垣の様式。

この天秤櫓は江戸時代だけでも宝永3(1706)年、天明4(1784)年、
嘉永7(1854)年の三度に渡る修理が行われていますが、
特に大規模だったのが、
直弼公が藩主を務めていた嘉永年間のもの。

この際櫓の西側(右側)に石垣の積み直しを伴う
大改造が施されており、
右側(東側)が築城時からの牛蒡積みであるのに対し・・・
彦根城 2-18
反対側(左手・西側)は落とし積みとなっています。

雪で大部分が隠れてしまっていますが、
石材の大きさや粗の違い、
皆さんはお分かりになりますでしょうか?
彦根城 2-19
この天秤櫓では内部の公開も行われています。
「コの字」の末端部分(東側)から上がって
念入りに雪を払い落とし、櫓内へ!
彦根城 2-20
こちらが天秤櫓内部の様子。

装飾性皆無、シンプルな、
いかにも「戦闘施設」といった趣。
彦根城 2-21
釿(ちょうな。大工道具の一つである、木材を削るための斧)で
削った痕が残る柱。

その間を埋める壁面は、防火や防弾を目的とした
分厚い土壁となっています。

その造りは竹小舞(たけこまい。竹材を縦横に組んだ壁材)を
骨組みとしてわら縄を絡め、
その上から「荒壁」、「中塗り」、「白漆喰」と三重に
建材を塗り重ねた強固なもの。

壁面の仕上げは、内面を柱を見せた真壁造り(しんかべづくり)、
外面は柱などを完全に塗り込めた大壁造りとしています。

また敵が攻め寄せて来る外側部分に対しては、
防弾性を高めるために
厚さ30cmを超える二重壁として、
戦国末期以降の主流である銃撃戦を想定した
造りとなっています。
彦根城 2-22
格子窓から見た、廊下橋と鐘の丸。

城の櫓としては珍しく、
狭間(さま)や石落としを持たない
特異な造りとなっている、天秤櫓。

その代用の役割を果たすのが、
城門部分を含めて6ヶ所に開けられた格子窓

写真では分かりづらいですが、
格子の部分が菱形に成形されており、
弓や鉄砲等で広い射界を得られるように工夫されています。
彦根城 2-23
ますます強まる雪の中を、本丸へ向かって進む。
石垣の上に見えているのは、
本丸の正面入り口・「太鼓門」の脇を固める続櫓(つづきやぐら)
彦根城 2-24
太鼓丸の一角、鐘楼の中に収まっているのは、
城の内外に時を報せる鐘の音を届けていた、
時報鐘(じほうしょう)

弘化元(1844)年、12代藩主直亮(なおあき)公(直弼公の兄)が
藩主を務めていた頃に鋳造されたもので、
当初は天秤櫓正面の郭・鐘の丸に置かれていましたが、
城下の隅まで鐘の音が行き届かなかったために
現在地へ移設されたそう。

現在は6時・9時・正午・15時・18時の
一日五回
その音色を彦根市街へと送っています。
(「雑音」の多い現代では、街の隅々まで
鐘の音が届くことは無いのでしょうが・・・)
彦根城 3-1
本丸の表門となる、太鼓門が見えて来ました!
ここまで来れば、「国宝・彦根城天守」はもう目の前!

参考:国宝 彦根城 公式ホームページ
    彦根観光ガイド
    滋賀・びわ湖 観光情報
    ぽちっと東国の城
    各所解説パネル
    コトバンク
    Wikipedia

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。