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彦根城雪景4 ~国宝・彦根城天守(内部)~

彦根城 4-5

2月28日を以て6府県(大阪、兵庫、京都、愛知、岐阜、福岡)で
解除となった、緊急事態宣言
(首都圏の一都三県、すなわち東京・埼玉・千葉・神奈川では継続)

これらの府県では各種制限が解除
(ただし飲食店の時短要請は継続される模様)
されることとなるでしょうが、
引き続き三密回避等、感染予防に努めて、
徐々に取り戻されて行くであろう
日常生活を過ごして参りましょう。

・・・先週の休日、近場を散歩した折に、
以前訪れたカレー店が閉店しているのを目にしました。

長引くコロナ禍で客足が遠のき、
事業・経営の継続が困難になって
築き上げてきたものを手放さざるを得ない個人事業主・経営者が
跡を絶たない中、
未だこういった人たちへの抜本的・継続的な支援が
行われる様子は無く、
聴こえて来るのはスキャンダラスな行動や発言ばかり・・・

国民に我慢と自粛、困窮を強いながら、
自らは「権力」という見えざる壁の向こうで、
「法の外の法」でもあるかのように振舞う・・・
こんな傲慢がまかり通るおかしな世の中は、
いつまで続くのでしょうか?

・・・とまぁ思いの丈をこんなところで吐き出した訳ですが、
ここからは通常通りで参ります。
彦根城 3-11.5
二重三重の囲みを突破(?)し、
辿り着きました、彦根城天守!

雪景色の中に佇む美麗な姿をじっくり鑑賞してから・・・
彦根城 4-1
こちらの入口から、内部へと潜入!

(・・・以前は多聞櫓側の出入り口から入った記憶があるのですが、
いつから変えられたのでしょう?)
彦根城 4-2
天守へ足を踏み入れると、分厚い鉄扉がお出迎え。

本丸まで敵が侵入して来た場合、
城主が最後の拠り所とするのが、この天守。

ここまで敵が来ればもはや「落城」は決定的ですが、
少しでも敵兵がなだれ込むのを遅らせるため、
入口には矢玉を受け付けぬ、
頑丈な鉄扉が取り付けられています。
彦根城 4-3
「穴蔵」などの地階を持たない彦根城天守では、
入口から短い階段を経て、
直接天守一階へと上がります。

そこで出迎えてくれたのは、
彦根藩井伊家の開祖・
井伊直政公着用の甲冑(かっちゅう)
(翌日に控えたお正月に備え、立派な鏡餅もスタンバイ)

井伊家の軍勢の象徴である赤備え
先頭に立ち、数々の軍功を立てた直政公。

井伊の赤鬼」の二つ名を体現したの甲冑と
兜に戴く大天衝(おおてんつき)※2の脇立(わきだて)※1は、
「井伊直政」の武名を示す代名詞として、
戦場に於いてひときわ眩い輝きを放ったことでしょう。

※1 脇立・・・読みは「わきだて」。
         兜の頂部(鉢)の両脇に立てられた飾り金具で、
         戦場に於いて一軍(もしくは一隊)を率いる
         武将の存在を知らせる目印として用いられた。

※2 天衝・・・読みは「てんつき」。脇立(or前立)の一種で、
         刺股(さすまた)状の飾りで股の両刃を長くし、
         先端をとがらせたもの。

この目立つ「脇立」でお気づきの方もいらっしゃるかと
思いますが、この特徴的な形の兜、
日本有数の知名度を誇る「ゆるキャラ」・
ひこにゃんモデルの一つとなっています。
(もう一つは、東京・世田谷区の古刹・
豪徳寺(ごうとくじ。井伊家の菩提寺でもある)の門前で
彦根藩二代・直孝公を境内へと招き入れ、
雷雨から救った「招き猫」だとか)

子どもたちやファンからの歓声を浴びながら愛想を振りまく姿は、
鬼気迫る戦働きや厳しい軍律で敵味方を震え上がらせた
井伊の赤鬼」とは、
似てもにつかない(笑)
彦根城 4-5
天守一階部分の様子。

目立った装飾品も無く、
どちらかというと殺風景な内観。

実はここ彦根城天守、
江戸時代を通して歴代城主の甲冑などを収める
倉庫として使われていたそうで、
天主そのものを住み処としていた織田信長公と異なり、
居住性はほぼ無し

多くの近世城郭同様、戦時の戦闘指揮所としての役割を除けば、
もっぱら城主の権力を示す象徴として、
城下町を見下ろす彦根山に鎮座していたようです。
彦根城 4-4
壁面に開けられた射撃用の穴・狭間(さま)

武器の形状に合わせ、縦長のものを矢狭間(やざま)、
三角形のものを鉄砲狭間(てっぽうざま)と称します。

通常成形された板枠を壁にはめ込む形で設置される
狭間ですが、
彦根城天守ではさらにその外側に覆いとして板を被せ、
その上から土壁を重ねた隠し狭間とすることで、
外から見た時に「狭間」を発見出来ないように工夫されています。
(戦闘時には壁ごと覆いを突き破ることで、
「狭間」として使用出来るように設計されています)

また各地の天守では1間(約2m)おきに1つずつ
「狭間」を設置する例が一般的なのに対し、
彦根城天守では半間(約1m)ごとに「狭間」を開けることで、
より多くの場所から外部の敵を
攻撃出来るようになっていました。
彦根城 4-6
廊下(武者走り)上の天井に通された、
太い梁(はり)。
彦根城 4-7
天守内側の部屋。
こちらも「武者走り」同様殺風景

近世城郭の天守では建物中央を貫き
全体の支柱となる「心柱(しんばしら)」や、
複数の階層を貫く「通し柱」が使われていることが
多いのですが、
彦根城天守は各階層ごとに柱を積み上げ、
その上に高欄付きの望楼を上げる、
望楼型という
比較的古い形式が用いられています。
(この造りも、豊臣期に建てられた「大津城天守」からの
移築を裏付けているように思えます)
彦根城 4-8
天守一階から見た、附櫓内部。

天守とともに天守群の一角を成し、
ともに国宝指定を受けている附櫓と多聞櫓ですが、
耐震診断の結果
震度6強以上の地震が発生した際、
櫓ごと石垣下に転落する
危険性があることから、
内部の展示品ともども公開中止とされているそう。残念。
(加えて多聞櫓→附櫓→天守という本来の
「侵攻ルート」も、体験出来なくなっています。重ねて残念)
彦根城 4-9
天守一階の一角には、
彦根藩十三代藩主にして幕府大老を務めた、
井伊直弼公の木像も展示されています。
彦根城 4-10
1階をぐるっと回り、2階へ上がる階段の前へ!
各地に建てられた再建天守と異なり、
江戸時代そのままの姿で保存されている、
彦根城天守。

防衛上の観点から一度に多人数が通行出来ないように
狭く造られている他、
手摺りを取り付けることで補助こそされているものの、
バリアフリーの「バ」の字もない
構造となっているため、上り下りする際には、
くれぐれも足下にお気を付けください。
彦根城 4-11
天守二階も一階同様、
「物置き」的性格が強い、殺風景な空間。

その中でも目を引いたのは、
飾り屋根・破風の裏側。

彦根城天守では外観を華美にするために多種多様な
「破風(はふ)」が取り付けられている、というのは
前回記事でも述べた通りですが、
実はこの「破風」、ただの飾りではなく
天守防衛の一端を担う、重要な設備でもあるのです。

そのことを示すのが、写真中央やや左に見えている扉。
この扉の向こうは破風の間と呼ばれる
小部屋になっており、
内部には二つの鉄砲狭間を設置。

下層の屋根の軒先近くまで張り出した「破風」は
内部の「狭間」よりも死角が少なく
より広い射界が得られるため、
狙撃場所としてはうってつけ!

加えて一見防御施設に見えない飾り屋根、
おまけに「隠し狭間」としてあるため、
敵から発見される恐れはまず無かったと
思われます。

彦根城 4-12
破風の上は、こんな感じ。
たっぷり雪が積もっています(笑)
彦根城 4-13
(破風以外ほぼ同じ)二階を巡りまして、
さらに狭くなったこの階段を上がると・・・
彦根城 4-14
天守最上階・三階に到達!

彦根山の頂に立つ天守の、さらに上。
正真正銘の城内最高所。
戦闘時にはここから城主(藩主)が敵軍の動きを見極め、
城内各所で防戦に当たる城兵たちに指示を発する
指令室として機能したことでしょう。
彦根城 4-15
で、ここにも在ります、隠し部屋

内壁下部に設けられた、引き違い板戸。
その向こうは切妻破風の屋根裏となっており、
他の階同様「隠し狭間」(画面奥の四角い板がソレ)が
開けられ、
戦闘時にはここから銃撃を加えることが出来ました。
(こんなところまで防御施設を構える辺り、
築城主(直継公・直孝公)が実戦を意識して
城を築いたことが窺えます)
彦根城 4-16
最上階と言えば、期待してしまうのが「殿様の眺望!」

天守三階、4面8ヶ所に開けられた花頭窓からは・・・
彦根城 4-17

彦根城 4-18
近江(滋賀県)のシンボル・琵琶湖
彦根城 4-19
街の向こう、湖上の沖合には、
琵琶湖最大の島であり、およそ350人が暮らす
世界でも珍しい湖沼上の有人島、
沖島(おきしま)
彦根城 4-20
視界を転じれば、かつての城下町にして、
数万人が現代の暮らしを送る、彦根の街並み。
彦根城 4-21
直下には国の名勝に指定されている
かつての下屋敷※・楽々園(らくらくえん)と、
その後園として築かれた玄宮園(げんきゅうえん)。

※下屋敷・・・読みは「しもやしき」。
        藩主の住む本邸(=表御殿)とは別に営まれた、「別荘」。
        彦根城内に築かれた下屋敷は「槻御殿(けやきごてん)」と呼ばれ、
        前藩主が籠もる「隠居所」としての役割も持っていました。
        後の十三代藩主・直弼公も、
        「埋木舎(うもれぎのや)」に移るまでの16年間を
        この「槻御殿」で過ごしています。
彦根城 4-22
平地を挟んで彦根山と対する山は、
かつての石田三成(いしだ みつなり)の居城(と彦根藩最初の城)・
佐和山城が置かれていた、
佐和山(さわやま、標高233m)

家老・島左近(しま さこん)と並び「三成に 過ぎたるものが二つあり」
と称された名城でしたが、
彦根城築城時に建物や石材等を移した後、
「逆臣」・三成の面影を払しょくするため
徹底的に破壊(破城)され、
ほとんど痕跡は残されていないそう。
彦根城 4-23
彦根市街の奥、天守から見て左手に見えているのは、
関ヶ原の戦い後、石
佐和山城攻めに際して徳川家康公が本陣を置いた、
雨壺山(あまつぼやま。標高約170m)
彦根城 4-24
分厚く垂れ込めた雪雲のお蔭で琵琶湖に浮かぶ
「神の島」・竹生島(ちくぶじま)や伊吹山系
近江富士」こと三上山(みかみやま)等は
望むことが出来なかったものの、
彦根市街一帯や琵琶湖上をぐるりと一望出来る眺め、
堪能しました♪
彦根城 4-25
天守を下り、本丸北側に広がる郭・
西の丸へと向かいます!

参考:各所解説パネル
    攻城団ブログ たかまる。の「お城の基礎講座」
    山の最新情報、登山情報 - ヤマレコ

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。