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大津巡り1 ~堅田さんぽPart1~

桜の見ごろも駆け足をするように過ぎ去り、
季節は早や新緑の時季へ。
早送りのように過ぎ行く日々に、
「春眠」を貪ったあとのような目まいを覚えます。

今年初めの「初詣」の模様も前回までで描き切り、
今回からは新編突入!

これまた大分前の出来事となってしまいますが、
1月中頃に発生した連休を利用して訪れた大津市郊外、
中世「堅田湖賊」で知られた水運の町・
堅田の町並みや名所、
「琵琶湖一望」の絶景が楽しめる「琵琶湖テラス」、
そして大河ドラマこそ終了してしまいましたが、
明智光秀公ゆかりの寺院・
「西教寺」の様子をお届け致します!

2021.1.16 Saturday

初詣から一週間あまり。
「新年」の余韻に浸る間もなく超ハードワークに
追われていた私に土・日完全連休
吉報が舞い込んだのは、
「苗村神社」参拝から一週間後のこと。

「この機を逃すな!」とばかりに職場で再会したダチ
(二年前、北海道は利尻島で共に働いていた)にプッシュされるまま、
一泊二日の「小旅行」を企て・・・
堅田 1
出発当日。
生憎の曇り空ではあるものの、日程の変更は効かない一発勝負!
日頃の疲れを貯め込んだ身体を引き摺りながら
バスに乗り込み・・・
堅田 2
「最寄り駅」の一つである、近江八幡駅へ。
堅田 3
ここから琵琶湖線(東海道本線)・湖西線と乗り継いで・・・
堅田 4
大津京駅付近からは車窓右手に琵琶湖を望みながら・・・
堅田 5
堅田駅に到着!

昭和49(1974)年、それまで東海道本線北陸本線を経由し、
琵琶湖東岸から大きく迂回していた
京都・大津市域(および琵琶湖西岸地域)と北陸方面の鉄路を繋ぐ
短絡線として開通した、湖西線

堅田駅はその開業と同時に営業を開始。
現在では旧堅田町の玄関口として、
また大津市北部の拠点駅として、
一部の特急サンダーバード
湖西線へと乗り入れる新快速が停車し、
京阪神地区や北陸地方と直接(もしくは乗り継ぎで)結ばれる
至便な駅として、
町の発展と人々の生活に寄与し続けています。

この駅を出発点として、
「堅田散歩」、スタートです!
堅田 6
急な雨に襲われながら、
湖岸方面を目指して直進。
堅田 7
堅田駅から10分ほど。
(途中で寄り道したため、実際にはもう少し掛かっていますが)

長さ200m弱の幅広の橋・内湖大橋(ないこおおはし)に
差し掛かりました。
ここから見えるのが・・・
堅田 8
堅田内湖(かたたないこ)

言わずと知れた「日本一の湖」・琵琶湖から内陸側に入り、
堅田の町並みに囲まれるように水を湛える、内湖
(琵琶湖湖岸の内側に生じた池、沼、沢、クリーク等と
呼ばれるものの総称)
面積約71,000㎡、流域面積約3.1㎢、
平均水深約1m。

元は琵琶湖を形成する一部分であったものが、
風や波の作用、川から運ばれて来た土砂の堆積といった
自然の営みによって形成された、潟湖(ラグーン)

湖内には4つの河川が流入して
農業用水を提供するための水瓶として
機能している他、
湖内の水位を一定に調節するため、
5つの水門が設置されています。
堅田 9
満々と水を湛えた堅田内湖

水上に突き出しているのは、
淡水真珠の養殖に使われる養殖棚
堅田 10
「内湖大橋」を挟んで反対側。
自然のままに形成された堅田内湖ですが、
大津市街中心部や京都市外へと至る
「ベッドタウン」的な立地からか、湖岸では宅地化が進行中。

古くから営まれて来たであろう淡水真珠の養殖も
今や一軒のみだそうで、
養殖棚が湖上に浮かぶ光景を見られるのも、
そう長くはないのかも知れません・・・
堅田 11
堅田内湖を渡ると、趣のある通りに辿り着きました。
この辺りは本堅田と呼ばれる地区で、
隣り合う「今堅田」、「衣川(きぬがわ)」の両地区と合わせて
堅田浦と称され、
堅田の発展と繁栄の中心でした。

そんな堅田浦にあって大きな役割を果たしたのが、
堅田衆、もしくは堅田湖賊(かたたこぞく)と呼ばれる人々。

本堅田町内の社・伊豆神社(堅田大宮)の下に
宮座として団結した彼らは、
居初(いそめ)・小月(おづき)・刀祢(とね)の有力豪族三家を中心に、
地侍階級の殿原衆、
有力農漁民からなる全人衆(まろうどしゅう)といった人々が
定期的に集会を開き、
年貢の割り当てや利益の分配を決めるといった
高度な自治を遂行。

琵琶湖対岸とわずか2kmという地理的優位を生かした
通行料(通行税)の徴取による関務権や、
船の警護・水先案内による運送権
沖ノ島を拠点として琵琶湖のほとんどを手中に収めた漁業権
さらに湖上の通行に欠かせない船を造る
造船といった権利を軸に、
衣類の染色を行う紺屋の株まで保有し、
莫大な富を獲得していました。

そんな彼らが築いた強固な自治都市は堅田千軒と呼ばれ、
集落の周囲には石垣や掘割、船入りが整備され、
武装集団である水軍まで保有。

近江国と深い関わりのある織田信長豊臣秀吉
朱印状を与える等、
彼ら「湖賊」が経済的・軍事的に強大な影響力を保持していたことが
窺えます。

江戸時代には堅田藩(石高1万~1万3000石。
のち廃藩となり、下野国(現在の栃木県)佐野藩の飛び地となる)が
立藩して「堅田千軒」は本堅田(衣川集落含む)と今堅田に
分けられますが、
湖上では共同で従来の権利の保持に当たり、
一都市による自治は近代を迎えるまで
続けられることとなりました。
堅田 12
そんな「堅田湖賊」の築いた自治都市の面影が
方々に残る、本堅田地区。
通りを歩けば昔ながらの造りの土蔵や・・・
堅田 13
間口を狭く、奥行きを広くした町家・・・
堅田 14
「湖賊」に保護され、共存して来た寺院が、
昔懐かしい町の景観作りに寄与しています。
堅田 17
そんな「湖賊の町」・本堅田でも一際存在感を放っているのが、
「湖賊」の中核・「宮座」でも主導的立場に立っていた
有力者・居初氏(いそめし)の邸宅。
堅田 18
この邸宅で著名なのが、
千家三代・千宗旦(せんの そうたん)の直弟子に当たる茶人・
藤村庸軒(ふじむら ようけん)と
そのさらに弟子で地元・近江国出身の
北村幽安(きたむら ゆうあん)が
合作で作庭に当たった庭園・天然図画亭(てんねんずえてい)。

琵琶湖、さらに湖東の山々を借景とした眺めは
大変風雅と評判だそうですが、
この日は運悪く不定休に当たってしまったようで、
拝観出来ず。残念。
堅田 15

堅田 16
路地の間からは、「湖賊の町」の面影を感じさせる、
掘割や船入り。

そしてその向こうには、琵琶湖がチラリ♪
堅田 19
ここらで「おやつタイム」にと立ち寄ったのは、
居初邸近くに店を構える、
御菓子司 金時堂

創業百年、地元産にこだわったお菓子屋さんで、
名物は「近江八景」の一つ・「堅田の落雁」の情景が
焼き入れられた、落雁(らくがん)

本堅田集落内に「とんち」で知られる名僧・
一休宗純(いっきゅう そうじゅん)ゆかりの寺(祥瑞寺)が
在ることから創られた一休せんべい
「いちご大福」や「パイン大福」も人気商品だそう。
堅田 20
チョイスに迷うこと必至!
豊富な品揃えが魅力的な店内。
堅田 21
見回してみれば、品評会等で受賞したと思われる
盾の数々に・・・
堅田 22
女優・高畑淳子(たかはた あつこ)さんや
「鉄子さん」で人気(?)のモデル・市川紗椰(いちかわ さや)さんといった、
著名人の方々のサインがズラリ!

この店・・・スゴいぞ!
堅田 23
並ぶサインの中には、昨年他界した、
故・竹内結子さんのものも・・・
堅田 2-2
「どこで食べようか?」と考えていると・・・

おっ!いいトコ見っけ!

参考:びわ湖・堅田 湖族の郷編 まち歩きマップ
    御菓子司 金時堂「古風味 堅田湖賊」添え書き
    滋賀県の大津市,高島市 湖西地域の情報サイト びわこせい
    Wikipedia

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。