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湖北旅3 ~「眼の仏さま」・木之本地蔵院~

木之本宿巡り3回目は、
いよいよ木之本観光のメインスポットへ!
木之本宿 3-1
それがココ、木之本地蔵院!

眼病平癒・長寿の仏さまとして、
地元・滋賀県や関西圏内はもちろん、
全国各地から参拝客が足を運ぶ、
湖北きっての名刹。

その創建は遥か昔の飛鳥時代(!)、
天武天皇(てんむてんのう)治世の頃。

難波江(なにわえ、現在の大阪湾)に
金色に輝く一体の地蔵菩薩像が流れ着き、
これを本尊として難波の地に「金光寺」を建てたのが
始まりとされています。

その後木之本に「地蔵院」が開かれるには
二通りの経緯があるそうですが、
そのうちの一つが、
奈良・薬師寺の僧、祚蓮(それん)上人によって
この地に遷されたというもの。

それによれば、天武天皇より「より縁深き場所を探すように」との
勅命を受けた祚蓮(それん)上人は、
自ら地蔵菩薩像を背負い、
遷座の地を探す旅へと出発。

近江国に入り、北国街道を下る途上、
一本の柳の木に差し掛かったところ、
背負っていたお地蔵さまが急に重くなったので、
祚蓮上人は背中の仏像を降ろし、一休み。

さて、出発!と腰を上げようとしたところ、
先ほどまで背負うことが出来ていたお地蔵さまが、
ピクリとも動かない

これを「御仏の思し召し」と考えた上人は
柳の木の下にお堂を建て、
そこにお地蔵さまを祀ることとしました。

そしていつしか「柳の下にお堂の在る地」は
木之本と呼ばれるようになり、
お堂は柳本山金光善寺
名付けられました。
これが白鳳3(675)年のことと伝わります。
木之本宿 3-2
以来1350年近い歴史を持つ古刹は
史上の人物たちの崇敬も受けて来たようで、
平安時代の弘仁3(812)年には
真言宗の開祖・弘法大師空海(こうぼうだいし くうかい)が
巡錫(しゃくじゅん。僧侶が錫杖を持って諸国を巡ること)によって
集めた寄付を以て補修した他、
昌泰元(898)年には醍醐天皇(だいごてんのう)の
勅旨を受けた菅原道真(すがわらの みちざね)公が
参拝し、山号を長祈山浄信寺
(ちょうきさんじょうしんじ)と改名。

建武2(1335)年には室町幕府の祖・
足利尊氏(あしかが たかうじ)より
使者が遣わされ、
毎年8月に法会(ほうえ)を開くことと定めました。
(この風習は現在も毎年催行される
木之本地蔵大縁日として
続けられています(2020年は中止))

地蔵堂と称される本堂は、
江戸時代の宝暦年間(1751年 – 1764年)に再建されたもの。
一度は火災で、その前はあの賤ケ岳の戦い
兵火によって焼失したとされています。
(賤ケ岳の戦いの際に、
羽柴(豊臣)秀吉が本陣を敷いたとも言われています)
木之本宿 3-3
参拝前に、手水舎で手と口を「お浄め」。
木之本宿 3-4
カエルが鎮座する、手水鉢。
(なぜ「カエル」なのかは、後述)

通常ならば鉢に溢れるを直接すくって
浄めるところですが、
コロナ禍のこのご時世、
各地の寺院や神社同様、樋から直接水を受ける形へと
改められています。
木之本宿 3-5
手水鉢の上に光る、細やかな装飾。
木之本宿 3-6
ぽっかり口を開けた、観音堂。

現在ご本尊として祀られる木造地蔵菩薩立像は、
鎌倉時代、仁治3(1242)年の作。
(祚蓮上人がはるばる背負って来た「金光地蔵像」は、
いずこへ・・・?)

脇侍として控える閻魔王立像(えんまおうりゅうぞう)、
倶生神(くしょうじん、インド神話から仏教に受け継がれた神)立像ともども
門外不出・非公開の秘仏となっており、
その姿を目にすることは叶いません
(ついでに堂内も撮影禁止)が、
後述する御戒壇巡りでご本尊とご縁を結ぶことが出来る他、
ご本尊の写しである地蔵大銅像
境内に建てられています。
木之本宿 3-7
境内各所で目に留まるのが、こちらの身代わり蛙

可愛らしくデフォルメされた陶器のカエルさんですが、
きちんとしたいわれあり。

地蔵院に住むカエルは、
「全ての人々の大切な眼が、お地蔵さまのご加護を
頂けるように」、また
「全ての人々が健康な生活を営むことが出来ますように」
との願いから、
自ら身代わりの願を掛け、
片目をつむって生活しているという。

この身代わり蛙のおなかに
参拝者の名前・数え年を記入して
ご本尊の身代わりたる「地蔵大銅像」の前に
ご心願とともにお供えすることで、
厄を肩代わりしてくれるのだそう。

私も志納金千円を納め、
カエル一匹をお供え。
木之本宿 3-8
そしてこちらが、ご本尊の「身代わり」として
本堂右手に佇立する、地蔵大銅像

秘仏であり衆目に晒されることのないご本尊に代わって、
明治27(1894)年に建立されたもの。

その高さはご本尊の3倍(赤いs・・・)となる約6mで、
これは地蔵菩薩立像としては日本一なのだとか。

建立に際し、県内はもとより近隣の愛知や岐阜、
福井からも銅鏡を集め、
それらを溶かして作られたそう。

国を挙げての総力戦となった第二次大戦中には、
各地で銅像梵鐘などが供出されて
武器弾薬の資材に転用される中、
時の住職や、陸軍大臣・首相を務めた東條英機(とうじょう ひでき)の妻・
かつ子夫人などの援助により
かろうじて供出を免れ、今日までその姿を留めています。

衆生の願いを聞き入れ、穏やかな
表情を浮かべた「お地蔵さま」の足下には・・・
木之本宿 3-10

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ひとびとの願いが注がれた身代わり蛙が、びっしり!
(中には押し出されて転落し、割れてしまったカエルさんも。
なんだかかわいそう)
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無事「身代わり蛙」をお供えした後は、
御戒壇巡りへ!

本堂横に設けられた入口から地下へと潜り、
ご本尊の御座す御厨子(ずし)の直下、
長さ三十一間(56.7メートル)の回廊を巡る、
精神修養の場。

回廊内へ進むと、内部は一寸先も見えない暗闇
他に「御戒壇巡り」に挑む参拝客はいないようで、
私の手が壁に触れる物音の他は、
一切の音も気配も感じられない、
正真正銘の「静寂」。

頼りとなるのは腰の高さに上げた右手で、
回廊右側の壁面を手探りで進む。

地蔵菩薩の真言(サンスクリット語由来で、
(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意)を唱えながら
階段(と言っても文字通りの「階段」では危険なので、
「スロープ」に近い)を降り、
曲がり角をいくつか曲がっていくと・・・
手に何かが触れた感触。

これは御法印※を納めた御法箱と呼ばれる
箱を封じるための、錠前

この錠前はご本尊である地蔵菩薩立像の
御手に結び付けられており、
錠前に触れることによって、
ご本尊と結願出来る、
すなわちご縁で結ばれる
というもの。

無事ご本尊との結願叶い、ひと安心。
(皆さんも、レッツ・チャレンジ♪)
木之本宿 3-12
「御戒壇巡り」の後は、本堂(地蔵堂)裏手へ。
順路に沿って、書院や庫裏が並びます。

手前の書院はちょうど本堂(ご本尊)の裏側に当たり、
裏地蔵尊と呼ばれる
ご本尊の複製を、厨子の向こうより拝めるそう。
(今回はパス)
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僧侶 の生活の場となる建物・庫裏(くり)の頂部には・・・
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細やかな彫刻と、立派な鬼瓦!
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境内最奥に建てられた仏堂・阿弥陀堂(あみだどう)

その名の通り「西方浄土の主」・
阿弥陀如来(あみだにょらい)を祀るお堂で、
ご本尊は木造阿弥陀如来立像
共に堂内に納められた木造阿弥陀如来坐像とともに
重要文化財に指定されています。

手前に建てられた「国寶(宝)阿弥陀如来」と刻まれた
石碑ですが、
ここで言う「国宝」とは、昭和25(1950)年の
文化財保護法施行以前に
国宝指定を受けていた、いわゆる旧国宝
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仏教寺院の象徴・五色幕の向こうに・・・
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厨子に納められた、
木造阿弥陀如来立像
神々しき立ち姿!
(隣(画面外)には同じく重要文化財指定を受けた、
木造阿弥陀如来坐像も控えています)
木之本宿 3-18
最後に「四天王」の一尊・毘沙門天(多聞天)を祀った
毘沙門堂にお参りしてから、
再び「宿場町巡り」へ戻ります!

参考:境内解説パネル
    Wikipedia

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。