湖北旅4 ~北国街道・木之本宿 その3~
- 2021/06/15
- 19:50


滋賀県長浜市郊外に広がる、
北国街道の宿場町・木之本宿(きのもとしゅく)散策。
木之本観光のメインとなる「木之本地蔵院」への
お参りを済ませ、街道筋へと戻ります。

「木之本地蔵院」を出てスグのところで見付けたのは、
札の辻跡
札の辻とはこの解説板にある通り、
藩(木之本宿の場合は彦根藩)が
宿場町や近隣地域に住まう住民たちに
禁止・通知する事項を知らせるため、
町や村の目抜きに制札を立てた場所。
(現代で例えると、都会の交差点などに設置された
大型ビジョンのようなものでしょうか)

こちらの立派な家屋は、
旧本陣 竹内五左衛門家
江戸時代、参勤交代などに際し、
大名家の藩主が滞在した、宿場町の中心
に当たる商家。
邸内には大名などが宿泊した記録が残され、
徳川将軍家第11代・徳川家斉(とくがわ いえなり)の息女・
溶姫(やすひめ/ようひめ)とその一行が
木之本宿に投宿した際には、
寝具など三千人分を
近隣の村からかき集めたのだとか。
(ここを仕切っていた竹内家の人々や
宿場町の住人たち、近隣の村人等は
さぞ大変だったことでしょう)

母屋の軒下にぶら下げられた、たくさんの看板。
玄関上に掲げられたものには
「百毒下し」と書かれていますが、
現在この商家の所有主・竹内家は
隣接地にて漢方薬を扱う本陣薬局を
営んでおり、
同家第二十一代竹内五左衛門(たけうち ござえもん)の時に、
参勤交代の廃止と明治維新を受けて、
薬舗を開業。
現当主の曽祖父に当たる二十二代五左衛門
(「五左衛門」の名は代々の襲名だったと思われる)は
明治26(1893)年に明治政府より
日本薬剤師第一号の
免許を交付された経歴を有しています。(スゴ!)

風に揺れる看板は同店で取り扱っていた薬剤を
宣伝するもので、
商品名や製造元、薬効、販売主である「竹内」の姓や、
歴代当主の名乗りである「五左衛門」の名が記されています。

散策続行。
かつて旅籠を営んでいた商家は・・・

手作り雑貨のお店に変身。

和様の商家が建ち並ぶ宿場町の中、
「異色」とも言える洋風建築が一軒。
ここはきのもと交遊館という、
木之本の伝統文化の継承とまちづくりの拠点として
活用されている、文化施設。
元は昭和10(1935)年に湖北銀行木之本支店
として建設されたRC(鉄筋コンクリート)造の建物で、
遡れば木之本宿に運ばれて来た物資の積み替え、
車馬の乗り継ぎなどの拠点となっていた、
問屋(といや)

イオニア式(古代ギリシアの建築様式)に則った柱が
神殿の如く並ぶ、建物前面。
建物は昭和17(1942)年の合併で
滋賀銀行木之本支店となり、
昭和60(1985)年まで営業。
玄関上にはその名残りの看板が残されています。
なお施設自体は一般公開はされていないようで、
滞在中いずれの日も施錠されていました。
残念。

さて、ちょっと遅め(この時13時半過ぎ)ですが、お昼ごはん。
立ち寄ったのはコチラ、お食事 お酒処 みちくさ
古民家風(というか恐らく古民家)の造りで
昼は定食、夜は居酒屋メニューという、
二つの顔を持つお店。
営業情報
営業時間
11:00~14:30
16:30~21:00
※日曜営業
定休日
火曜日・水曜日
(予約のみ営業)
お問い合わせ・予約
電話 0749-50-2622
携帯 090-7341-4141
この素朴なお店で頼んだのが・・・

長浜地域の名物・焼き鯖そうめんを
メインにした、焼き鯖そうめん定食
ごはんと味噌汁、山菜の天ぷら、小鉢2品が付いて、
お値段1,440円ナリ。

郷土料理・焼き鯖そうめんは、
近江の伝統の味である焼き鯖をドドンと
トッピング!
その下には出汁をたっぷり吸い込んだそうめんが
控えており、
鯖の身と合わせてスルスルと頂けます♪

そしてもう一つ良品だったのが、
こちらの山菜の天ぷら
パリパリ食感のほどよい揚げ加減に
絶妙な塩加減が効いていて、
ごはんがススム!
郷土の味、おいしく頂きました♪

宿場町を、さらに奥へ!

宿場町の突き当り近くで見付けたのは、
大幸(ダイコウ)醤油店
創業はペリー来航の1年前、嘉永5(1853)年。
以来150年、ここ木之本宿で
醤油を醸し続けて来た、老舗店。

これまた趣深い店内では

主力となる多様な味わいの醤油の他・・・

お食事に欠かせない醤油さし、
味付けに必須の塩、お酢、
地元のケーキ店(ファンタジア大利)や菓子舗(角屋)と
コラボレーションしたお菓子などを手広く販売。

店舗の一角には、醤油の仕込みに使う杉樽が
ドドンと鎮座しています。
(ここで購入したモノについては、改めて!)

さて、宿場町の突き当りまでやって参りました。
ここで写真の商家、その真ん中にご注目!

こちらの標柱は、
彦根・鳥居本(とりいもと)で中山道と合流し、
京都へ連絡していた北国街道と、
その短絡路として中山道・伊勢街道と関ケ原にて行合う
北国脇往還(ほっこくわきおうかん)の
分岐点であることを示すもの。
その表面には、みぎ 京いせみち
ひだり 江戸なごやみちと記されています。

標柱前の分岐点は、こんな感じ。
通常の交差点ではなくクランク状に曲げられているのは
鍵曲がり(かいまがり)と言って、
路地を敢えて曲げ、見通しを悪くすることで、
軍勢(この場合、北国街道を管理したであろう
彦根藩井伊家の仮想敵である、西国大名)の
速やかな侵攻を妨げるためのもの。

北国街道側。
この先長浜・米原を経て、京の都へと至ります。

北国脇往還側。
この道の先に、「天下分け目の合戦場」・関ケ原。

この日(4/11)の散策は、これにてオシマイ!
次回からは歴史の舞台となった重要な場所、
賤ケ岳(しずがたけ)を目指し、
レッツ・ハイキング!
参考:漢方の本陣薬局
きのもと交遊館
お食事 お酒処 みちくさ
大幸醤油店 公式ホームページ
Wikipedia