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大津巡りagain 3(終) ~゛幻の城″・大津城~

大津城 7

大津城

天正14(1586)年頃、明智光秀(あけち みつひで)の居城であった
坂本城に代わって琵琶湖の水運、
および東海道の陸上交通を押さえる拠点として、
豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の命を受けた「五奉行」の一人、
浅野長吉(あさの ながよし。長政とも)によって
築城されました。

琵琶湖を背にした最奥部に本丸を置き、
京都側に向けて奥二の丸、二の丸、三の丸、伊予丸の各郭と
三重の堀が配された水城で、

当時主要な交通路となっていた琵琶湖東海道を監視しながら、
湖上の舟運を掌握するためのとしての機能も
兼ね備えていました。

築城後は坂本城から浅野長吉が入城(坂本城は廃城)し、
増田長盛(ました ながもり)、新庄直頼(しんじょう なおより)を経て、
近江八幡2万8,000石から加増・転封となった
京極高次(きょうごく たかつぐ)が6万石で入封。

この高次が城主であった時に起こったのが、
関ヶ原の戦い

天下分け目の大戦に際し、東軍の総大将・徳川家康から
直に後方の守りを頼まれた高次は、
上方(京都・大坂)に近いことから西軍に従属する振りをしながら
大津城に籠城し、迎撃態勢を取ります。

この(西軍から見れば)「背信」と言える行動に
当然西軍も黙ってはおらず、
ただちに毛利元康(もうり もとやす。毛利120万余石の長・毛利輝元の叔父)、
立花宗茂(たちばな むねしげ。築後柳川城主)ら
1万5,000の軍勢で大津城を包囲。

対して城主・高次を始めとする籠城側の兵は攻城軍の
5分の1に過ぎない3,000人ほどであったものの
良く持ちこたえ、1週間にわたって抗戦。

最終的には豊臣秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)と
高野山の僧・木食応其(もくじき おうご)の仲介によって
降伏・開城したものの、

決戦当日まで西軍精鋭部隊を釘付けとすることに成功し、
戦後京極高次は若狭小浜8万2,000石へと加増され、
見事栄転を果たすこととなりました。

関ヶ原の戦い後、大津城には勝軍の将となった家康が入城して
戦後処理が行われたものの、間もなくして城は廃城

石垣や天守を始めとした建材は彦根城や膳所城(ぜぜじょう)へと
転用され、
激しい籠城戦を耐え抜いた大津城は゛幻の城″と化してしまいました。

今回はそんな゛知られざる名城″のわずかな痕跡を探し、
歴史の一ページに名を残した城の姿に
想いを馳せて参ります。
大津城 1
大津巡りinG・W

瀬田の地で名勝・瀬田の唐橋と「近江国一之宮」・
建部大社(たてべたいしゃ)を巡った後は、
大津市中心部へ移動!

大津市内を南北に駆ける京阪石山坂本線
小さな車両に揺られて・・・
大津城 2
大津港への最寄り駅で、京都市街へ向かう京津線(けいしんせん)との
乗り継ぎ駅である、びわ湖浜大津駅に到着!

この駅に降り立ったのは、京都居住時以来5年ぶり
駅名も改称前の「浜大津駅」だった頃。懐かしい・・・
大津城 3
お隣・高島市を起点にして琵琶湖沿岸を抜け、
京都府との境目あたりで国道1号線と合流する、
滋賀県道558号線

大きく南へターンするびわ湖浜大津駅前からは
京阪京津線と路盤を共用する併用軌道となっており、
電車(しかも「路面電車」ではない、一般的な鉄道車両!)と自動車が
並走する、珍しい光景が見られます!

そんな゛おもしろストリート″から折れまして・・・
大津城 4
買い物客が行き交う、「丸屋町商店街」へ。
ここでのお目当ては・・・
大津城 5
国指定重要無形民俗文化財にも指定されている、
大津市京町三丁目・天孫神社の祭礼、
大津祭(おおつまつり)にまつわる展示がなされた、
大津祭曳山展示館(おおつまつり ひきやまてんじかん)

ではなく・・・
大津城 6
その隣の駐車場。

曳山展示館の公用車の向こうに、
立派な造りの石垣が出現!
大津城 7
実はコレ、廃城とともに姿を消した゛幻の城″・
大津城の石垣と言われているもの。

丸屋町商店街はちょうど大津城三の丸の東南部分に当たっており、
この石垣は城の外周を囲っていた外堀
面していたものと思われます。
(その割に、「大津城跡」の碑(後述)に描かれた
想像図と石垣の向きが異なるのが気になる)

廃城後大津宿に、現在では大津市街に取り込まれてしまって
ほとんど痕跡の残されていない大津城跡では、
身近で見ることの出来るおそらく唯一の遺構

※大津祭曳山展示館の職員さんから許可を頂いて
撮影しております
大津城 8
自然石を巧みに組み合わせた、野面積みで構築された
大津城石垣。
石材の表面には、ノミで加工された痕がハッキリ残されています。

ごく短期間の在世で遺構や資料が乏しいために
確証は持てませんが、
本拠地としていた坂本・穴太(あのう)の地に近いため、
各地の名城築城に携わった石工集団・穴太衆(あのうしゅう)との
関りもあるかも知れません。
大津城 9
駐車場と「大津祭曳山展示館」の建物の間を、チラリ。

大筒(おおづつ。大砲)まで持ち出しての、
西軍の激しい攻撃を耐え忍んだ堅城。

その姿をほんの一部とはいえ目にすることが出来る・・・
歴史の欠片に触れられたようで、とっても感激!

大津城外堀石垣

アクセス

京阪びわ湖浜大津駅から 徒歩約5分
JR大津駅から 徒歩約10分

大津城石垣の見物を終え、丸屋町商店街をぶらぶら。
その途中で・・・
大津城 10
興味深いものを発見!

お登勢さんと言えば、幕末の英傑・坂本龍馬(さかもと りょうま)が
定宿としていた、京都・伏見の旅籠・寺田屋の女将。

元々この場所は江戸時代に升屋(ますや)という公事宿
(くじやど。訴訟や裁判のために地方から江戸や大坂に出てきた人を
宿泊させた宿屋)が建っていたところで、
「お登勢さん」はその升屋を営んでいた山本重助の次女

18の時に「寺田屋」の六代目主人・寺田屋伊助の元へ嫁入りし、
放蕩癖のあった主人に代わって宿屋を切り盛り。

一方では混沌の渦中に有った京都で暗躍する
幕末志士たちの面倒を見るような女傑であり、
「国父」・島津久光(しまづ ひさみつ)の意を受けた薩摩藩士と
同藩の尊王派志士たちが「同士討ち」の斬り合いに及んだ
寺田屋騒動に居合わせ、

お登勢さんとも懇意であった坂本龍馬が
伏見奉行所の捕り方に襲撃された寺田屋事件でも
寺田屋が騒動の場となったものの、
無事明治新政の世を迎えて明治10(1877)年、
48歳で亡くなっています。
(お墓は「寺田屋」近くの伏見・松林院に遺されているそうです)
大津城 11
現在「升屋」跡は光風堂菓舗という和菓子屋さんと
なっています。
(ついでに右隣の美容室も、その跡地であるそうな)
大津城 12
折角なので、お菓子を購入。
大津城 13
一品目は、こどもの日(5月5日)前日ということで頂いた、柏餅

もち、というと一般的には杵(きね)で米の形が無くなるまでついた
「つき餅を」イメージするかと思いますが、
「光風堂」の柏餅はもち米をそのまま練り上げたような、
いわゆる練り餅のような形態。

その食感は見た目そのまま、水気を含んだもち米そのものの
もっちり感とつぶつぶ感を、どちらも残した口当たり。

中にはほんのり甘い餡が挟まれ、
「こどもの日」にピッタリの、
優しい味わいに仕上がっています♪
大津城 14
お次はコチラ、三井の晩鐘(みいのばんしょう)

近江八景のひとつ、
大津市内、琵琶湖南西に位置する天台宗の名刹・
園城寺(おんじょうじ。別名三井寺)に吊るされた梵鐘より
インスピレーションを得た、大津の銘菓。

名前通りお寺の梵鐘に似せて焼き上げられた生地は、
砂糖とバター、卵で練り上げられたシンプルな味わい。

中には卵を用いた黄身あんがたっぷりと詰め込まれ、
素朴な味付けと相まって、
どこか懐かしい気持ちに。
大津城 18
「おやつタイム」の後は、びわ湖浜大津駅の反対側へ。

大津港スグ、子どもたちの笑い声が響くコチラの公園は・・・
大津城 16
大津城の本丸跡

琵琶湖の沖合およそ26,400㎡を埋め立てて造成された
城の中枢部であり、
かつてはここに4重5階の天守が築かれ、
城下や東海道を睥睨していました。

現在ではその痕跡は何一つ残されてはいないものの、
本丸跡で行われた発掘調査では、
本丸を固めていた石垣や建物跡(御殿か?)の他、
土器類や希少な金箔瓦が出土しているそう。

(金箔瓦の存在は、大津城が琵琶湖の舟運や
東海道の陸路を押さえる要地として、
築城を命じた豊臣秀吉に重要視されていたことを示す、
貴重な史料と言えるでしょう)
大津城 17
「大津城跡の碑」に添えられた、当時の大津城域を示した復元図。

大津城は琵琶湖(現在では湖岸が埋め立てられているため、
当時とは湖岸線が異なる)を背にした沖合に本丸を配し、

その周囲を二の丸と奥二の丸、三の丸、
本丸西方の伊予丸の各郭と、
内堀中堀外堀の三重の堀が取り囲む、
梯郭式(ていかくしき)と呼ばれる築城方式。

城の規模は東西約700メートル、南北約600メートルという大規模なもので、
現在のびわ湖浜大津駅一帯から中央一丁目、
長等二丁目および三丁目、浜大津三丁目あたりまでが
城域に取り込まれるほどの広さがありました。

琵琶湖に面した北側を薄く、南側を厚くした郭の配置は、
東海道が通過する城下からの侵攻を想定したものであり、
背後に控える琵琶湖天然の堀として城の護りとした他、

物資・兵員の運搬や湖上の警備、
いざという時の脱出口としても使える港湾施設として
活用されたことでしょう。
(良く出来てる!)

本丸に築かれた天守は、
廃城後に湖東に築かれた彦根城へと移築

三重三階に改められはしたものの、
桃山様式を取り入れた花頭窓(寺院建築で用いられる、花形の飾り窓)や
最上階の廻縁はそのまま転用され、
国宝・彦根城天守としてその姿を留めています。
大津城 19
現在本丸跡は公園や駐車場、びわ湖浜大津駅などに
姿を変え、
その面影を偲ぶことは出来ません。

しかし遠い戦国の世、ここに近世城郭が築かれ、
また戦いの舞台となったのは紛れもない事実

城跡が市街地に取り込まれてしまったことで
全容の解明は不可能に近いものの、
いつの日か、「幻の城」のヴェールが取り去られる時が
来ることを願います。
大津城 20

大津城 21
「大津城探索」を終えた後は、琵琶湖のほとりをぶらぶら。
大津城 22

大津城 23

大津城 24
1月に宿泊した、びわ湖大津プリンスホテル(画面中央やや左の高層建築)も
見えています。

この後は大津駅から新快速に乗車。

草津駅三雲駅→路線バスのルートで、竜王町へと戻りました。

参考:大津市歴史博物館
    大津祭曳山展示館 公式ホームページ
    丸屋町商店街 公式ウェブサイト
    Wikipedia

「大津巡りagain編」
第1回 ~千古の名所・瀬田の唐橋~

第2回 ~近江国一之宮・建部大社~

光風堂菓舗(寺田屋お登勢実家 升屋跡)

営業時間
9:30~18:00
定休日
日曜日
電話番号
077-522-2343

アクセス
京阪びわ湖浜大津駅から 徒歩約5分
JR大津駅から 徒歩約10分

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。