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近江商人のふるさとを歩く 1 ~「旧伴家住宅」その1~

近江商人(おうみしょうにん)

江戸時代、江戸や京(京都)、大坂など主だった消費地に
店(出店)を構えて商いを行った、
近江国(滋賀県)出身の商人たちの総称。

出店先で「近江屋」の屋号を主に名乗ったことから呼び名が
定着しましたが、

・関白・豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ。豊臣秀吉の甥)が
築いた城下町・近江八幡から発展。
蚊帳(かや)や畳表、数珠、ろうそく等を扱い、
大店(おおだな)を展開。
三都(江戸・大坂・京都)を始め全国各地に出店し、
蝦夷地(北海道)開拓にも尽力した
八幡商人(はちまんしょうにん)

・蒲生郡日野(がもうぐんひの)を発祥とし、
日野椀(お椀)や漆器、薬品、煙管(きせる)といった小物を商品に
小規模店舗を展開し、
関東地方や東海道沿いを中心に組織や商圏を築いた
日野商人

・江戸時代後期、彦根藩による商いの緩和に端を発し、
農民の行商から発展して呉服や太物(綿織物・麻織物)、
編み笠などの衣類、各地の産物を扱い、
三都や畿内、関東、信濃などへ進出して行った
五個荘商人(ごかしょうしょうにん)の3つに大別され、

それぞれ異なる商圏や品物を扱うことで、
棲み分けがなされていました。

今回はこれら「近江商人発祥の地」のうち、
もっとも早くに誕生し、幅広いネットワークと大規模な
商業形態を確立した、
八幡商人のふるさとを訪ねます。

5.23 Sunday
旧伴家住宅 1
4月末から5月の第2週まで、
10日に及んだG・W(ゴールデンウィーク)
その極楽時間(ゴールデンウィーク)終了から
一週間が経過したこの日。

残り少なくなった滋賀県滞在を楽しむべく、
いつもの如く隣町・近江八幡市の玄関口である
近江八幡駅へ!

普段なら駅前で買い物をするか電車に乗るか、
といったところですが、
この日はここからバス移動!

駅から近江鉄道バスに揺られて五分ほどで・・・
近江八幡
近江商人(八幡商人)のふるさとに到着!

近江八幡駅から北に約2km、
朝鮮人街道※と交わる新町通り(写真)を中心として
碁盤の目状に整備された町並みには
江戸末期~明治に掛けて建てられた商家が状態良く並び、

旧西川庄六(にしかわ しょうろく)宅、旧伴庄右衛門(ばん しょうううえもん)宅、
重要文化財に指定されている
旧西川利右衛門(にしかわ りうえもん)宅といった豪商たちの家並み、

かつて琵琶湖と繋がる舟運の要であった八幡堀など、
歴史と情緒溢れる町並みからあたり一帯が
重要伝統的建造物保存地区に指定され、
官民一体となった保存・整備が続けられています。

※朝鮮人街道
中山道から分岐し、
野洲宿から八幡・安土・彦根を経由して彦根・鳥居本(とりいもと)で
再び合流する、彦根道(ひこねみち)、京道(きょうみち)
および八幡道(はちまんみち)の別名。

江戸時代、将軍の代替わりに合わせて朝鮮国王の親書を携え来日した
使節団・「朝鮮通信使」が往来したことから、
その名で呼ばれていた。

そんな「近江商人の町」でまず向かうのは・・・
旧伴家住宅 2
朝鮮人街道新町通りの交点に建つ、
旧伴家住宅(ばんけじゅうたく)

「扇屋」の屋号で商いを行っていた豪商・
伴庄右衛門(ばん しょううえもん)家の住居として
建てられた建築物。

伴庄右衛門家は他の八幡商人同様
畳表、蚊帳、扇子、麻織物等を商いの柱とし、
上方の大坂・京都に出店を構えていた他、

江戸・日本橋に大店(おおだな)を構え、
為替(かわせ)業務や大名貸(大名相手の貸し付け)を行うなど、
有力商人として手広く商いを行っていたようです。

そうして近江商人の旨である三方良し
(みかたよし。売り手よし、買い手よし、世間良し)に則った
質素倹約・勤勉な商いに励む一方で、

蒿蹊(こうけい)を号して和歌や国学の道を究め、
伝記文学・近世畸人伝(きんせいきじんでん)を著した
五代目庄右衛門資芳(すけよし)に代表されるように、
文化・芸術にも深い造詣を示していました。
旧伴家住宅 3
「旧伴家住宅」の主屋部分。

現在残る建物は伴庄右衛門家七代目当主・
能尹(よしただ)の頃に建てられたもので、
十数年に及ぶ作事を経て
天保11(1840)年に完成しました。

主屋は切妻平入の造りで、当時としては珍しい三階建て
新町通り側には、主屋新築に伴い解体された、
旧主屋の一部が残されています。
旧伴家住宅 4
「朝鮮人街道」に面した平屋建ての建物は、
後年になって増築されたもの。

「八幡商人」を代表する商家の一つとして隆盛を誇った
「伴庄右衛門家」ですが、
明治以降は家運も傾き、商家としては閉業
(さらに現在では、子孫も途絶えているそうです。
諸行無常・・・)

明治6(1873)年にはこの邸宅も手放され、
旧八幡町の管理の下小学校として再出発。

本宅部分は職員室や裁縫室(さいほうしつ)、
唱歌室(今で言うところの「音楽室」)などとして活用される一方、
児童たちの学びの場である教室として
建てられたのが、こちらの建物です。

戦後は主屋や教室棟といった建物はそのままに図書館に姿を変え、
平成9(1997)年まで活躍。

整備工事を経て市の文化財として一般公開され、
平成16(2004)年からは明治期に小学校として
使われていた頃の状態に復元・整備されています。

それでは、主屋内部へと入って参りましょう!
旧伴家住宅 5
玄関を入ってスグのところは、奥行きと高さのある土間
ここは最上階となる3階までの吹き抜け構造
なっており、開放感溢れた造り。

その要所には一辺40cmの大黒柱
柱の間を支える指物
(さしもの。釘などの接合道具を使わずに、木と木を組み合わせて作られた
建具の総称、またはその技法)が配置され、

開口部を広く取るとともに、
この部分に掛かる荷重を受け止めています。
旧伴家住宅 5.5
吹き抜け土間、天井部分の構造。

桁(けた)や梁(はり)、束(つか)、貫(ぬき)といった部材が
緻密に組み合わされているのが分かります。
旧伴家住宅 6
吹き抜け土間では、毎年3月半ばの土日に近江八幡を賑わせる
日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)の祭礼、
左義長(さぎちょう)まつりにまつわる展示が
なされています。

その起源は平安時代に宮中で行われた、毬杖・毬打(ぎっちょう・ぎちょう)
と呼ばれる道具を使用した、打毬
(だきゅう。紅白の毬を先がヘラになった毬杖で掬って、
自分の組の毬門に早く投げ入れた方を勝ちとする、大陸伝来の遊戯)と言う
正月のめでたい遊戯で、

この打毬で破損した毬杖を、清涼殿(せいりょうでん。天皇の住まい)の東庭
青竹を束ね立てたものに結び、
さらに扇子や短冊などを吊るし、陰陽師(おんみょうじ)が謡いはやしながら
これを焼く行事が起こり、

この毬杖を3つ結んだことから書物に三毬杖・三鞠打・三木張、散鬼打、などと記され、
しだいに左義長と呼ばれるようになったと考えられます。
旧伴家住宅 7
近江八幡の左義長は元来安土城下で行われていたもので、
祭礼には城主であった織田信長公自ら
踊り出たと伝えられています。
(厳格さと柔軟性を兼ね備えた、信長公らしいエピソード♪)

信長公亡き後、町とともに八幡城下に移住してきた人々は、
既に4月に行われていた八幡まつりに参加を申し入れましたが、

松明の奉火場所が無く
また新参とのことで断られたため、
安土で行われていた左義長まつりを始めたことが
起源とされているとも伝えられています。

祭礼に際しては松明、ダシ(山車)と呼ばれる正面に掲げられる作り物、
十二月(赤紙)の3つの部分を一本(基)とした
左義長が入念な準備と製作期間を経て登場。

祭り前日の「みくじ祭」にて奉納順が取り決められてから、
初日となる土曜日には13基の左義長が出揃い、
神輿が町内へ出て氏子の元を訪れる渡御(とぎょ)の後、
「ダシ」の完成度を競うダシコンクールが開催されて
その年のNo.1ダシを決定。

2日目の日曜日は揃いの半纏を羽織り、
「チョウヤレ・チョウヤレ」「マッセ・マッセ」と囃し立てる
踊子(おどりこ)たちに担がれた各町の左義長が、
旧城下町を中心に自由に練り歩き、

豪快に左義長同士をぶつけ合う、組合せ
行います。

そして20時からみくじ祭での奉納順に従い左義長は
順次奉火(一番から五番までは一斉奉火)され、
最後の左義長が燃え尽きるまで、祭は続きます。

天下の奇祭とも呼ばれ、
幾度かの中止を挟みながらも
430年に渡って続けられて来た左義長は、

近江八幡に本格的な春の訪れを告げる大事な行事として、
地元や関西一円の人々に愛され、
大切に守り続けられています。
(今年はコロナ禍を鑑み、祭礼・ダシ製作ともに
中止となったそう。残念)
旧伴家住宅 19
土間の壁面に取り付けられたモニターでは、
左義長製作や祭りの様子が放映されています。

この映像のように賑やかで、活気に溢れた祭りの光景が
再び戻って来る日は訪れるのでしょうか・・・
旧伴家住宅 9
土間を挟んだ主屋の右側は、
近江八幡の名産品の展示コーナー。
(その場で購入も可!)
旧伴家住宅 10
かつて「八幡商人」が扱った蝋燭(ろうそく)を
ルーツにしたと思しき燈籠(とうろう)や
旧伴家住宅 11
押絵細工
旧伴家住宅 12
聖徳太子(厩戸王)による願成就寺(がんじょうじゅじ)開創以来
千四百年の歴史を持つとされる
近江数珠
旧伴家住宅 13
華やかにして優美な扇子などが、
重厚な和風建築に彩りを添えています♪
旧伴家住宅 14
土間を挟んで反対側、主屋左側の部屋は、
小学校時代に「女児休憩室」として使われていたところで、
近江八幡市と姉妹都市として提携している
韓国内陸部の都市にちなんだ、
密陽(ミリヤン)という名が付けられています。
旧伴家住宅 15
壁面には、絹や白絹、綿で構成された女物の
袷(あわせ。裏地のある長着)・打掛(うちかけ)や
旧伴家住宅 16
これまた並べられた、伝統工芸品の数々。
旧伴家住宅 17
引き出しの中からは、古着を再利用した小物がこんにちは。

これらの小物は近江商人の
三方良しの商い(売り手よし、買い手よし、世間良し)の精神を
表しており、

この心意気を胸に商いに励んだ彼らは、
内では質素倹約、表では儲けた金銭を世間に使って、
「社会的責任と使命」を果たすことを旨としていたそう。
(一部の私利私欲に走る現代の政治家や資産家あたりに
聞かせてやりたい心掛け!)
旧伴家住宅 18
重厚感漂う階段。
ここを上がって、「旧主屋」部分の2階へ向かいます!

参考:近江八幡観光物産協会
    滋賀県観光情報 滋賀・びわ湖のすべてがわかる
    「旧伴家住宅」館内説明書き
    Wikipedia
    コトバンク

近江商人の町並み(新町通り)

アクセス


名神高速道路 竜王ICから30分
※市営小幡観光駐車場(有料)をご利用ください
収容台数
普通車 83 台
大型車 11 台

公共交通機関
JR琵琶湖線 近江八幡駅下車
近江鉄道バス「八幡市内線」・「長命寺線」で6分
小幡町資料館前バス停下車すぐ

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。