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近江商人のふるさとを歩く 6(終) ~ヴォーリズ建築・旧八幡郵便局~

ヴォーリズ建築

明治~昭和に掛けて活躍したアメリカ人建築家、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
手掛けた建築群の総称。

明治38(1905)年の来日から同40(1907)年の
ハーバード・アンドリュース記念館(YMCA会館、近江八幡市内に現存)を
皮切りとして昭和39(1964)年に亡くなるまでの間、
住宅や学校、教会、デパートメントやホテル、オフィスなど
1,500件以上の建築物の設計に携わり、

近江八幡市内だけでも彼の設計による20を超える
建物が建てられ、
多数の作品が現存しています。

その作風は奇抜なデザインによる「建築家の自己主張」を良しとせず、
当時のアメリカ建築の流れを引いた、
種々の建築様式をベースとして日本の気候や風土、
住環境・住習慣に合わせた
応用性の高いもの。

様式のない建築と言われることもある彼の作品ですが、
設計する上であくまで実用性に重きをおき、
簡潔でありながらも豊かなデザイン、
親しみやすく包容力のある空間を追求し、

「住み心地の良い、健康を護るに良い、能率的建物」という
コンセプトを貫いたものとなっています。

今回はそんなヴォーリズ建築の現存する作品の一つにスポットを当て、
アメリカ生まれの日本人」・ヴォーリズの
精神性と生涯に迫ります。
八幡堀 29
近江八幡旧市街のシンボル・八幡堀沿いの
散策を終えた私。

続いて向かうのは、新町通りから東へ街路3つ分
進んだところに伸びる、仲屋町通り

新町通りなどとともに「碁盤の目」を形成した通りの一つで、
八幡城下形成時に仲買商人の町として誕生。
沿道には新町通りほどではないながら
現存商家が点在しており、
かつての商人町の面影を感じさせてくれます。

そんな「仲屋町通り」に残るのが・・・
旧八幡郵便局 2
旧八幡郵便局

近江八幡初の郵便取り扱い施設として
開局し、今なお近江八幡市内の郵便ネットワーク
中核を成す重要施設の、旧局舎。

近江八幡郵便局は明治4(1872)年、
「八幡郵便役所」として開局。

同8(1876)年には「八幡郵便局」に名称を変更して、
41(1908)年に仲屋町へと移転
翌明治42(1909)年よりこの場所での営業を開始しました。

建物が現在の形となったのは、大正10(1921)年のこと。
初代局長・小西梅三(こにし うめぞう)氏の
滋賀県立商業高校(現 近江八幡商業高校)時代の恩師でもある
ヴォーリズ氏が設計を担当して、

スパニッシュ様式を取り入れた、
和様折衷の局舎が完成しました。
(今年でちょうど改築100周年、節目の年に当たります!)
旧八幡郵便局 3
「旧八幡郵便局」は木造2階建て、
外壁に出来たスタッコ(石灰で出来た、化粧漆喰と
呼ばれる建築材料の一種)によるデコボコと、
玄関部分のアーチ構造が特徴的な建物。

一方で屋根は日本瓦による葺き寄せ棟
(中央から屋根の端部に掛けて、4方向に勾配を付けた建築様式)
として、和洋両面の特長を
取り入れた造りとなっています。

郵便局としては昭和36(1961)年まで使用され、
その後は一般企業の事務所や倉庫、店舗となり、
玄関部分が取り壊されるなど
手が加えられていましたが、平成16(2004)年に復元

現在では「ヴォーリズ建築」の保存・活用を目的として活動する
NPO法人・一粒の会運営の下で
ギャラリーやイベント会場などの多目的スペースとして活用されている他、
ヴォーリズ氏や彼の手掛けた建築物にまつわる展示や、

コーヒーとお菓子が頂けるカフェスペース・「珈琲ひとつぶの種」など、
くつろげる施設としての充実が図られています。
旧八幡郵便局 4
美しい円弧を描く、玄関部分。
「旧八幡郵便局(右から文字を記す「右書き」になっているのが、
ポイント高い!)」の看板の上には、
お馴染み「〒」のマーク。
旧八幡郵便局 5
玄関を潜ると、正面には広々としたスペースが!

ここは元々郵便・貯金・保険などの事務作業を執り行うための
事務室として使われていた場所。

当初は電信・電話事業もここで行われていたそうですが、
途中から玄関左手奥に在る「局長室」に移され、
画面右手の窓口カウンター
新設されました。

かつては窓口の左隣に電話室
設置されていたようですが、
民間に使用されていた時期に取り壊されてしまったのか、
現存していません。
旧八幡郵便局 6
事務室の一角には、レトロな円筒形のポストが置かれています。
旧八幡郵便局 26
事務室上面に開けられた天窓は、
採光性と開放的な造りをもたらす効果的なアイテム♪
旧八幡郵便局 7
玄関左手奥に残る、局長室

現在はがらんとした空間が広がるフリースペースと
なっていますが、
かつてはここで初代局長・小西梅三氏らが執務を行った他、
事務室から移された電話・電信事業の事務も
ここで扱われていました。

右手(画面外)にはその頃の名残りである
カウンターが残されています。
旧八幡郵便局 8
局長室と一体化した応接室

こちらもフリースペースとされており、
イスとテーブルが置かれています。
旧八幡郵便局 9
局長室奥の細長いスペースは、集配室

その名の通り郵便物の集荷と配送に使われた部屋で、
開局時から昭和28(1953)年頃までは大八車で、
その後は自動車で郵便物の集配が行われました。
(写真右手の窓は、郵便物の受け渡しに使われていたもの)
旧八幡郵便局 10
細かい格子状の設備は、外から開錠することで郵便物を直接
受け取ることの出来た、私書箱(ししょばこ)
旧八幡郵便局 11
事務室の奥は、井戸が残る中庭

郵便局時代にはここに男性用の
宿直室が置かれていたそう。
旧八幡郵便局 12
ここから階段を上がって、2階へ向かいます。
旧八幡郵便局 13
「旧八幡郵便局」の改築を手掛けた、
ヴォーリズ氏に関する展示が並ぶ2階部分。

その大部分は、八幡市内の「情報センター」としての役割を果たしていた、
電話交換室

ここには常時10名あまりの女性が詰めて、
通話しようとする人の電話線を相手方の電話線に繋ぐという、
交換業務に励んでいました。

往時の室内には交換手たちが働くデスクの他、
電話交換機や関連機器などが置かれ、
床下には配線が設置可能な溝が開けられるなど、
現代のオフィスにも通じる設計がなされていました。

また左手奥は女性用の宿直室となっており、
電話交換業務を行う人たちはそこで仮眠を摂っていました。
旧八幡郵便局 14
こちらがこの「旧八幡郵便局」の改築設計を担当し、
生涯に1,500を超える作品を遺した、
戦前日本を代表する大建築家、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏。

明治13(1880)年、アメリカ・カンザス州レブンワースにて
生を受けたヴォーリズ氏は、
病弱だった幼少期を経て、明治33(1900)年にコロラドカレッジに入学。
この頃には建築家となることを志していたようです。

その後カナダ・トロントで開かれた「海外伝道学生奉仕団(SVM)」にて
宣教師・テイラー女史の講演に感銘を受けたヴォーリズ氏は、
キリスト教の伝道に身を捧げることを決意し、
一度建築家の夢を諦めることとなりました。

そんなヴォーリズ青年に転機が訪れたのは、
明治37(1904)年のこと。
彼が籍を置くキリスト教団体・海外伝道学生奉仕団から
日本・滋賀県が英語教師に適した人物を探しているという
情報を受け、単身渡日を決意。

明治38(1905)年1月、アメリカ・サンフランシスコ港から
旅客船に乗り込んだヴォーリズ氏は、
20日近い航海を経て横浜港に到着。
母国から遠く離れた日本の地に降り立ちます。
旧八幡郵便局 15
滋賀県立商業高校(現 近江八幡商業高校)教師時代の集合写真。
最前列・右から4人目、帽子を手に持ち、
俯き加減で写っているのがヴォーリズ氏。

こうして日本で活動を始めたヴォーリズ氏は
熱心に教育と伝道に打ち込み、
同年10月には日本初の中等学校・
YMCA(トゥトゥルトゥルトゥル~♪)を設立。

二年後の明治40(1907)年には氏の記念すべき第一作となる
ハーバード・アンドリュース記念館(YMCA会館)
完成し、順調な道を歩んで行く・・・かに見えましたが

学生への伝道に反発する人たちとの摩擦を危惧した
校長からの要請により、ヴォーリズ氏は退職
来日2年にして職を失ってしまいます。

しかしこれが飛躍の機会となって、
翌明治41(1908)年には京都YMCA会館の工事監督の指名を受け、
京都三条柳馬場(京都市役所付近)で
建築設計事務所を開設。
ここに「建築家・ヴォーリズ」が誕生しました。

一方で「伝道師」としての一面も保っていたヴォーリズ氏は、
ロシア、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、イギリスを経由する
帰米旅行へ赴くと、

伝道への支援として日本に於ける
メンソレータムの販売権を取得したり、
建築設計監理会社「ヴォーリズ合名会社(現在の近江セールス社)」設立に際して
母国・アメリカから建材や雑貨を輸入するなど、
実業家としての才も花開かせて行きました。
旧八幡郵便局 16
こうして、日本での地歩を固めて行ったヴォーリズ氏。

大正8(1919)年には大名家の血筋で゛子爵″の位を持つ
一柳(ひとつやなぎ)家の令嬢・
一柳満喜子(まきこ)さんと結婚

当時日本の貴族が外国人と結婚することは異例であり、
この出来事は社交界を揺るがす
大事件であったそう。
(満喜子さんはのちに保育、教育分野の発展に力を尽くし、
その活動は「近江兄弟社学園」の礎となりました)

その後も建築・教育・伝道など幅広い分野で活躍を続けた
ヴォーリズ氏。
次に訪れた苦難は、日米摩擦

軍国主義」の下領土の拡張と南洋進出を狙う日本
それを抑えようとするの間で日に日に緊張が高まる中で、
日本に居住していた外国人たちは続々離日

しかしヴォーリズ氏はあえて日本に残る道を選び、
「日本人」として帰化
妻・満喜子さんより姓をもらい、
一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。

事務所も「一柳建築事務所」と改称して、
以後日本人・一柳米来留として
激動の時代を生き抜くこととなりました。
旧八幡郵便局 17
自宅にて新年の書初めを行う、ヴォーリズ氏。

戦時中は建築事務所の解散に追い込まれるなど
苦難の時を送りましたが、
終戦後の昭和21(1946)年に近江兄弟社内に
建築部門を再設立

離散していた社員たちも再集結し、
日本が戦後復興へ向かう中で、精力的な活動を続けます。

戦後には教育分野の功績から藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を、
建築業界に於ける勲功から黄綬褒章(おうじゅほうしょう)を受け取り、
近江八幡市名誉市民第一号に推挙される等
「日本人」として確固たる地位を築き上げた、
「元」・ヴォーリズ氏。

しかし寄る年波には勝てず、昭和32(1957)年に
クモ膜下出血に倒れると
以後は自宅療養となり、

日本がアジア初の近代オリンピック開催
世界初の高速鉄道・新幹線の開業に沸いた昭和39(1964)年、
83歳で死去

逝去の後に国から正五位勲三等の勲等
「国家または公共に長年の功労がある者」に送られる勲章・
瑞宝章(ずいほうしょう)が贈られ、
「日本人・米来留」の名は、近代日本史に刻まれることとなりました。
旧八幡郵便局 18

旧八幡郵便局 19
2階展示室のテーブルには、ヴォーリズ氏が手掛けた建築物を紹介した
パネルが置かれています。
旧八幡郵便局 20
こちらは設計図の写し。
旧八幡郵便局 21
窓から見下ろす、仲屋町通り
景色が歪んで見えるのは、
手作りで製作された導入初期のガラス製品の特徴。
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建物や展示物をゆっくり見て回った後は、
1階集配室に設けられた、
珈琲 ひとつぶの種へ。

郵便局時代の品と思しき、桜が彫り込まれたオシャレなテーブルで
アイスコーヒーとともに頂くのは、
ヴォーリズクッキー
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旧八幡郵便局改築100周年を記念し、
ヴォーリズ氏の顔と名前が刻まれた、オリジナルクッキー。
(食べづらい・・・)

カリっと固めに焼き上げられた生地からは、
濃厚なバターの風味。
そこからほんのりとした甘さが溢れ出し、
ほんわかした気持ちに♪
(結局食べました 笑)

この建物を設計したヴォーリズ氏も、
このクッキーのような優しい人柄だったのでしょうか・・・
旧八幡郵便局 25
ヴォーリズ氏の波乱の人生と遺した功績に思いを馳せつつ、
「近江商人の町」を離れます。

参考:近江八幡観光物産協会
    一粒社ヴォーリズ建築事務所 公式ホームページ
    写真紀行・旅おりおり
    マイフェバ 関西(大阪・京都・神戸)のおでかけ&観光情報
    外壁塗装パートナーズ
    Weblio辞書

「近江商人のふるさとを歩く」編
第1回 ~「旧伴家住宅」その1~

第2回 ~「旧伴家住宅」その2~

第3回 ~近江八幡市立資料館~

第4回 ~町のシンボル・八幡堀!~

第5回 ~八幡堀、ぶらりお写んぽ♪~

旧八幡郵便局(ヴォーリズ建築)

営業時間
10:00~16:30

入館料
無料(予約不要)

定休日
火曜日。不定休アリ

お問い合わせ
ヴォーリズ建築保存再生「一粒の会」
TEL 0748-33-6521
FAX 0748-33-6521

アクセス

JR東海道本線 近江八幡駅下車
近江鉄道バス「長命寺線」「八幡市内線」にて7分
大杉町バス停下車

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。