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神の住む島 2 ~竹生島詣 その1~

現在「神の住む島」編と題して、滋賀県長浜市は竹生島の様子を
絶賛執筆中の私ですが、
この二カ月ほどの間に自分でも驚くほどの転身ぶりを発揮して、
滋賀県→福井旅行→福岡県(帰省)、
そして岡山県へ移住という
劇的展開へと至っている訳であります。

もうお察しのこととは思いますが、
現在ネタがパンク状態と化してしまっており、
いつ追いつくのか全く見通しの効かない状態
ではありますが、
緩~いお付き合いのほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

では、本題へと移って参りましょう。
琵琶湖クルーズ 10
「神の住む島」・竹生島(ちくぶじま)を目指し、
長浜港から高速船に乗り込んだ私。
琵琶湖横断・30分の短い船旅にて辿り着きました・・・
竹生島 1
竹生島

琵琶湖の北部、
滋賀県長浜市の湖岸からおよそ6km沖合に位置する浮島で、
大きさは周囲2km、面積0.14㎢。

琵琶湖湖上の島としては
近江八幡市沖に浮かぶ沖島(周囲約6.8㎞、面積約1.53k㎡)に次いで
2番目の大きさを持ち、
島全体が花崗岩によって形成されています。

名前の由来は(神を)斎(いつ)く島
すなわち「身を浄めて神に仕える島」の意であり、
これがいつしか「つくぶすま」へと変じ、
やがて「竹生島」になったとされています。
(諸説あり)

琵琶湖八景(深緑 竹生島の沈影(ちんえい)にも選ばれた、
風光明媚な竹生島
その豊かな自然大なる湖に浮かぶ姿は
古くから信仰の対象として崇敬を集めており、

伊吹山の神と浅井岳(あざいだけ。現在の金糞岳。滋賀県第二の高峰)の神の
高さ比べを端緒とした誕生神話が存在。

奈良時代の神亀元(724)年には日の本の最高神・
天照大御神(アマテラスオオミカミ)のお告げを受けた
聖武天皇(しょうむてんのう)の命により、
行基(ぎょうき)菩薩が竹生島に弁財天を奉斎。

これが後に「竹生島信仰」の総本山たる
宝厳寺(ほうごんじ)へと発展し、
島は湖上の聖域として篤く崇敬を集めることとなりました。
竹生島 2
「琵琶湖周航の歌」に詠い込まれた、竹生島の情景。
「瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の歌 古い傳へ(伝え)の竹生島
佛(仏)の御手にいだかれて ねむれ乙女子(おとめご)
やすらけく」とあります。

また竹生島は景勝地としての知名度と神秘性から
文学作品の舞台となることも多く、

鎌倉時代に平家の栄光と衰退を描いた軍記物・
平家物語(第七巻・『竹生島詣(ちくぶじまもうで)』)や
中世(おそらく平安時代)に生み出された謡曲・
竹生島などを通して、

当時の人々の竹生島に対する思いや、
島に住まう神仏への畏敬の念が窺えます。
竹生島 3
神の島」として、
古くから厳しい制限と環境の保護・管理が行われて来た竹生島

それを表すのが、港近くに建てられたこちらの標柱。
表面には「當嶋(当島)水際八町(みずぎわはっちょう)
殺生禁断也(せっしょうきんだんなり)」と刻まれているのですが、

これは島の周囲およそ7.93ha(一町=0.99174 ha)、
79,338㎢(一町=9,917.35537 ㎡)の範囲で
一切の殺生を禁止する、という内容。

いかにこの島の自然が大切に守り伝えられて来たかが
分かります。
(といっても島内で繁殖し、深刻な糞害をもたらしている
「カワウ」の駆除は行われているそうですが)

また同様の理由により、
この島への交通手段は古より船に限定されており、
現在でもアクセス方法は近江鉄道グループの船会社・
オーミマリン運航の彦根航路、
私が乗って来た琵琶湖汽船の長浜・今津航路のみに制限され、

一般客が滞在できるのも午後4時までと、
古来よりの慣習と生活が保たれています。
(島で働く飲食店・土産物店などの従業員と、
宝厳寺・都久夫須麻神社に勤める神職の方やお坊さんなどは、
皆゛自家用船″で出退勤を行っているそう)


前置きはこのくらいにして、
島内へと踏み込んで参りましょう!

竹生島では上陸自体は自由となっていますが、
港の先、各種店舗や寺社に参詣するには、
大人500円、小人300円が必要。

ゲート横の券売機でチケットを購入して
係員さんにチェックしていただいてから、゛有料ゾーン″へ!
竹生島 4
ゲートの向こうに並ぶ、飲食店や土産物店。

店舗の数は多くは有りませんが、
ここで食事や休憩、土産物の購入が可能となっています。
竹生島 5
というわけで、早速寄り道。

「近江牛まん」のちょうちんに惹かれて入ったのは、
cafe&shop ここや

数軒ならぶ土産物店のひとつで、
店内のイートイン・スペースでは名物の「近江牛まん」や
栗入り白玉ぜんざい、アイスもなか(10月まで)の他、
各種ドリンクを提供。

散策前のエネルギー補給や、
散策後、あるいは帰路の船便までのひと休みにはピッタリの、
「お立ち寄りスポット」となっています。
竹生島 6
ここで頂くのは、もちろん名物の近江牛まん!
(とセットでアイスコーヒー
竹生島 7
出来立てほかほかの表皮は、とっても柔らか♪
その中には・・・
竹生島 8
滋賀県が誇るブランド品・近江牛(おうみぎゅう/おうみうし)の
しぐれ煮がたっぷり!

肉汁染み出すしぐれ煮に甘めのタレも絡む
ボリューミーな一品は、
散策の景気づけにはもってこい!
竹生島 9
お土産店の並びを抜けた先、
「一社一寺」の鎮まる神域を前に立ちはだかるのが、
祈りの石段と呼ばれる長~い坂道。

ここから山上にある宝厳寺の本堂・弁財天堂まで
165段の石段が続いており、
かつては参拝客が祈りを捧げながら上って行ったのが
呼び名の由来だそう。

もちろんこのような所には
バリアフリーのバの字もないため、
参拝の際にはくれぐれもお足元にお気を付けくださいませ。
竹生島 10
「階段地獄」の合間の、ちょっとした癒し。
港の向こうに、琵琶湖の眺め。
竹生島 11
本来ならこのまま頂上まで上るのが正しい「順路」
なのだそうですが、
そんなことはお構いなしに横道へ逸れます

とまれ寺社にお参りすることに変わりはないので、
まずは手水でお浄め。
竹生島 12
「参詣」の準備をして進んで行った先に見えて来たのは、
国宝・宝厳寺唐門(ほうごんじ からもん)

関ヶ原の合戦から二年後の慶長7(1602)年、
豊臣家二代・豊臣秀頼(とよとみ ひでより)の命を受けた
豊臣家家臣・片桐且元(かたぎり かつもと。「賤ケ岳の七本槍」の一人)を
普請奉行として、先の天下人・豊臣秀吉の廟所である京都・東山の
豊国廟(とよくにびょう)より移築された建築物。

正面上部に唐破風
(からはふ。中央を高くして、左右になだらかな曲線を付けた飾り屋根)を付け、
屋根は檜皮葺(ひわだぶき)。

建物全面を高級感を醸し出す黒漆で風格を出し、
金鍍金(きんメッキ)の飾り金具や数々の彫刻、
鮮やかな彩色で飾り付けられた、
桃山文化を代表する絢爛豪華な唐門建築。
竹生島 14
宝厳寺では平成25(2013)年から昨年(2020年)に掛けて、
唐門と隣接する観音堂、さらにその先に繋がる舟廊下(ふなろうか)の三棟で
大々的な修復事業を実施。

檜皮屋根の前面葺き替えや彩色の塗り直し、
飾り金具の鍍金メッキ仕上げ等の作業が7年に亘って続けられ、
創建時のような美麗な佇まいが復活

こうして唐門が数百年もの間その姿を保っていられるのも、
この島が持つ歴史と神秘性、
関わる人々の技術と情熱、信仰心の為せる技なのでしょう。
(いいタイミングで来られた!)
竹生島 13
人々を惹き付けてやまない魅力を持つ宝厳寺唐門ですが、
実はその来歴には秘密があります。

豊臣秀頼によって、父である「太閤」・豊臣秀吉を葬り祀った
「豊国廟」からこの建物が移築されたというのは、
既に述べた通り。

ではこの建物が「豊国廟」創建時に新築されたものかと言うと、
さにあらず

元を正せばこの唐門、
大坂夏の陣によって焼亡した「幻の城」・
豊臣大坂城から移築されたものであるそうな。

当時本丸北方に架けられていた極楽橋と呼ばれる橋の
一部であったようで、
唐門の他に屋根や望楼を設けた、極めて豪華な造りの橋であったことが
判明しています。

唐門を含めた「極楽橋」は慶長元(1596)年に建造され、
関ヶ原の合戦が起こった慶長5(1600)年に豊国廟へと移築。

その後立地の関係から唐門部分のみが観音堂に接する形で
再度移築され、
豊臣大坂城唯一の現存建築として
その姿を今に伝えています。
竹生島 16
庇を支える虹梁(こうりょう。中央が反り上がり、弧状になっている梁)と、
その上に置かれた蟇股(かえるまた。
カエルが股を開いたような形をしているのが、その名の由来)。

虹梁は全体を黒漆で塗り固めて
花形の飾り金具を配置。

蟇股には鮮やかな彩色を施した上で
周囲に鳳凰(ほうおう)や松・兎・牡丹(ぼたん)の彫刻を配した、
極めて装飾的な造りとなっています。

加えて表からは見えない庇裏側をも彩色で囲った文様や
金鍍金で飾るなど、
「派手好み」で知られた秀吉公とその注文を受けた
職人たちの「美」へのこだわりは、
唐門を紛うこと無き芸術品の域にまで高めています。
竹生島 15
扉の横、庇を支える二本の柱の間にも、
細やかな牡丹の彫刻が。
竹生島 17
門の内側も、ご覧の通り!
竹生島 18
唐門内側に安置されているこちらの仏さまは、
賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)と言って、
仏教の開祖・釈迦(シャカ)の弟子である
十六羅漢の一員。

優れた神通力を持った人物であったものの
みだりにその力を用いたために釈迦の叱りを受けて師の下を去り、
釈迦の入滅(死)後も衆生(しゅじょう。生きとし生けるもの。生者)を
救い続ける役目を与えられた、とされています。

元々は古代中国で「聖僧」として崇敬を集めて
食堂で祀られていたのを、
日本では外陣(げじん。仏堂の外側で、参拝者が御本尊を拝むための空間)や
回廊で祀られるようになり、

病んでいる場所と同じ所をなでて治す、
と言うような風習が出来上がったそう。
竹生島 19
このような風習のためか、
賓頭盧尊者像の表面は塗料の剥離が進み、
内側の木地が剥き出しの状態。

ボロボロな上にこの木像自体古いものであるため、
像の傍には「優しくお撫で頂く」よう
お願い書きが貼り付けられています。
(皆さんも参拝の折には「賓頭盧さん」への敬意と思いやりを忘れず、
優しく丁寧に撫でて差し上げましょう。)
竹生島 19.5
唐門を抜けた先は、こちらも重要文化財
指定されている、
宝厳寺観音堂(かんのんどう)

「国宝」指定を受けているお隣・唐門と比べると
やや存在感が希薄(おっと・・・)な印象を受けますが、
西国三十三所観音霊場
第三十番札所という肩書を持った、
非常に重要な仏堂となっています。

桁行(奥行き)五間(約9.1m)、梁間(横幅)四間(約7.3m)で、
その外側に縁側を配置。

御本尊の千手千眼観世音菩薩立像
(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつりゅうぞう)は
秘仏とされているため、
内陣奥にその身代わりとなる等身の像が置かれています。

観音堂内にもさまざまな彫刻や彩色が施されているのですが、
こちらは堂内撮影禁止となっているため、
お見せ出来ないのが残念。
(上の写真は回廊より撮影したものですが、
虹梁上に突き出た部材・「木鼻」に施された彩色から、
その飾り立てた様が想像出来るかと思います)
竹生島 20
観音堂外観。

「祈りの石段」から分かるように、
山地が近接した急峻な地形となっている、竹生島

山の中腹に建てられ、立地の制限をモロに受けた観音堂は、
多数の柱を結合部材の「貫(ぬき)」で繋ぎ合わせた
懸造(かけづくり)という建築技法を用いて、
絶妙なバランスで建てられています。
竹生島 21
下から見上げると、こんな感じ。
遥か上に見えている開口部分が、先ほど写真を撮っていた回廊。
構造的には二階部分に当たります。

下部は板材で覆われていますが、
恐らくその内側には「清水の舞台」のような無数の木組みが
存在していることでしょう。
竹生島 2-1
観音堂と接続している建物、「舟廊下(ふなろうか)」。
ここを通って一社一寺のもう一つ、
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)へと向かいます!

参考:琵琶湖汽船
    宝厳寺
    cafe&shop ここや 公式ホームページ
   滋賀県観光情報 滋賀・びわ湖のすべてがわかる
   飛不動 龍光山正寶院 やさしい仏教入門
   コトバンク

「神の住む島」編
第1回 ~琵琶湖横断・快足クルーズ!~

竹生島

入島料
大人(中学生以上) 500円
小人(小学生のみ) 300円

アクセス
琵琶湖汽船 
長浜港から 約30分
今津港から 約25分
オーミマリン
彦根港から 約45分

お問い合わせ
(公社)長浜観光協会
TEL
0749-53-2650
FAX
0749-53-3161

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。