神の住む島 3 ~竹生島詣 その2~
- 2021/08/02
- 19:46
改めまして、岡山県某所の新居よりお届けしております、
「神の住む島」編。
第3回の今回は、二つの文化財を抜けた先に鎮座する、
「竹生島一社一寺」の一つ・
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)に
参拝いたします!

極彩色が目に鮮やかな「宝厳寺唐門」と「観音堂」を巡り、
続いて差し掛かるのは・・・

重要文化財 宝厳寺渡廊(わたりろう)
「唐門」や「観音堂」とほぼ同時期の慶長8(1603)年に築造された、
宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿を繋ぐ
長さ30メートルの渡り廊下で、
幅一間(1.82メートル)の廊下部分を、桁行八間(約14.5メートル)の
低屋根と同二間(約3.6メートル)の高屋根が覆う構造となっています。
先に通った二つの建物はいずれも桃山文化を象徴する
豪奢な造りが特徴でしたが、
この「渡廊」はそれらの建物とは対照的に彫刻や天井板を廃し、
両側に連子窓(レンジ・・・れんじまど。
「連子格子」と呼ばれる細長い格子を嵌め込んだ窓の形式)を並べた
シンプルな造り。
とはいえこの「渡廊」もその由緒は確かなものであり、
豊臣秀吉の御座船・日本丸の部材を用いて建てられたという
伝承から、
舟廊下の別名が付けられています。
この「舟廊下」を抜けた先、隣り合う形で建てられているのが・・・

国宝 都久夫須麻神社本殿
竹生島内に鎮座する二社一寺の一つ・
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)の中枢となる建物。
竹生島が信仰の地となったのは
奈良時代の神亀元(724)年に行基(ぎょうき)上人が
この地に弁財天を奉斎したのが始まりであり、
ここから宝厳寺が整備されて行ったのですが、
島内には宝厳寺の堂宇とは別に「竹生島明神」、
もしくは「竹生島弁財天」と呼ばれる神社が建てられ、
宝厳寺の御本尊でもある弁財天を安置。
宝厳寺の住持が別当(本来の役職とは別の職務)として
社地の管理に当たるなど、神仏習合(仏と神道の神を同一とする思想)を象徴する
社となっていました。
明治時代になり、明治政府の下で神道と仏教を別とする
神仏分離令が公布されると、
宝厳寺から分社される形で都久夫須麻神社が分立。
「弁財天」の神名である市杵島比売命
(いちきしまひめのみこと。「宗像三女神」の次女)、
滋賀県第二の高峰・金糞岳(かなくそだけ)の守り神であり
琵琶湖の湖水を守る産土神(うぶすながみ。土地神)でもある、
浅井比売命(あざいひめのみこと)、
琵琶湖の豊かな自然と湖水の恵みを象徴する神・
竹生島龍神(ちくぶじまりゅうじん)、
財と福徳の神である宇賀福神(うがふくじん)の四柱の神を祭神として
奉斎しています。

現在に残る本殿は、宝厳寺唐門や観音堂とともに
慶長7(1602)年に豊臣秀頼より寄進されたもので、
桁行五間(9.1メートル)、梁間四間(約7.3メートル)、
檜皮葺(ひわだぶき)の屋根を持つ入母屋造(いりもやづくり)の建物で、
前後に軒唐破風(のきからはふ。「破風」は中央部を高くして両側に
緩やかな勾配を付けた飾り屋根)が付けられています。
どこか神社と言うよりはお城の御殿のような雰囲気ですが、
それもそのハズ。
元は豊臣秀吉が「隠居城」として建てた
京都・伏見城の御殿をここへ移築した建物だそうで、
柱や床、長押(なげし)といった建材には
黒漆に花鳥風月の蒔絵を施し、
両開き式の桟唐戸(さんからと)や壁などには
唐門同様彩色された菊・牡丹等の彫刻を配置。
さらに堂内の襖や格天井には桃山後期に活躍した
゛狩野派″の絵師・狩野光信(かのう みつのぶ)作と伝わる
草花図や花々の著色画が描かれており、
大層煌びやかな装いとなっているそうな。
(堂内は非公開、堂外彫刻類等も撮影禁止となっています。残念)

この都久夫須麻神社で「目玉」と言えるのが、
本殿向かい、「竜神拝所」にて体験可能な、
かわらけ投げ
「竜神拝所」にて購入した「かわらけ」と呼ばれる土器に
願い事を記し、琵琶湖に突き出た鳥居・
宮崎鳥居目掛けて投擲(とうてき)。
見事かわらけが鳥居を潜ることが出来れば、
願い事が叶うとされており、
「絵になる」風景とも相まって、
参拝者や観光客から人気のスポットとなっています。

こちらが二枚一組・400円で入手したかわらけ
「厄除」と彫り込まれた、素焼きの土器。
その一枚目に名前を、二枚目に願い事を書き、
名前を書いた方から
宮崎鳥居に向けて投げ放つ、というルール。
(神職の方曰く「一応どちらから投げても大丈夫」、とのこと)
私も手順に従って投げてみたところ、
一枚目は失敗したものの、
入念なイメトレと修正を繰り返した二枚目のかわらけが、
ギリギリながらも鳥居を通過!
危ないながらも、私の願い事(内容は秘密♪)が叶うことが
確定しました!(やった~!)
なお「失敗して二枚とも使い切ってしまったらどうしよう?」という場合でも、
ご安心ください
追加料金(一回400円)こそ掛かってしまいますが、成功するまで
何度でも挑戦出来ます
(同じタイミングで挑戦なさっていたご家族の方は、
何度も挑んでおられました 笑)

「かわらけ投げ」成功の後は、
心願成就の祈願と神事成功のお礼を込めて、
竜神様にごあいさつ。

境内の摂末社にもお参り。
本殿右手前の宮に祀られているのは、
水(海)の神である「江島大神(えのしまおおかみ)」と
「厳島大神(いつくしまおおかみ)」。
名前こそ異なりますが、どちらもお祀りしているのは
市杵島比売命
つまりは弁天さま

こちらの宮には、最高神・天照大神(アマテラスオオカミ)の子で、
天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の父に当たる神・
天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)と、
出雲の創造神で「大国主」や「大国さま」など様々な異名を持つ、
大己貴命(オオナムチノミコト)が鎮座。

境内社で「異色」と言えるのが、こちらの白巳社(しろへびしゃ)

祠の内に祀られているのは、弁財天の神使である蛇神様・
白巳大神(シロヘビオオカミ)
中央の石に巻き付いているのが、御神体。
祠の壁面に「金寶(宝)富貴」と記された木札が掲げられていますが、
これは招福・招財の神である弁財天を表す枕詞

御神体を守護する「狛蛇」。
ちゃんと口を開き、玉を咥えた阿形(あぎょう)と・・・

口を結んだ吽形(うんぎょう)に分かれています。

なにやら御利益のありそうな玉石と、親子蛙。

「白巳社」の隣には、招福と招財の神であり「竹生島信仰」の源・
「招福弁財天」を祀った、弁財天社

祠の中には、琵琶を奏でる色鮮やかな弁財天像が鎮座。
竹生島の「弁天さま」は日本全国津々浦々に祀られている
弁天社の中でも、
・安芸国(広島県西部)厳島神社(いつくしまじんじゃ)
・大和国(奈良県)天河神社(てんかわじんじゃ)
・相模国(神奈川県)江島神社(えのしまじんじゃ)
・陸前国(宮城県・岩手県の南部)黄金山神社(こがねやまじんじゃ)
と並んで日本五大(もしくは三大)弁財天に
挙げられており、特に御利益アリとされています。

祠の横で販売されているのは、福小判
一ケ300円ナリ。

その正体は、黄金色の小判の形をした、御守り
これを買って、お財布の中に入れておけば、
持ち主に大きな財福が訪れる!・・・かも知れません(笑)

境内社の参拝も大方済ませ、「祈りの石段」方向へ。
この付近の参道は唐門→観音堂→舟廊下→
本殿から都久夫須麻神社境内へ→斜面下から祈りの石段前に戻る
というルートが取られており
(勘違いして逆回りしてしまいそうになったのは、秘密♪)、
戻りでは「舟廊下」と「観音堂」を下から見上げる形となります。

下から見てみると、斜面に掛かる建物を複雑な木組みが支えるという、
舞台造りの構造が良く分かります♪(奥は観音堂)

この道の途中に在るのが、
黒龍堂(こくりゅうどう)と呼ばれる小さな祠。
ここに祀られている黒龍は、
仏教界に億万居るとされている龍たちの中で、
それらを束ねる長のような存在・八大竜王の一柱で、
地上に雨を降らせる水神さまであるとともに、
釈迦を護り、その教えを尊ぶ眷属としての使命を帯びています。
(釈迦誕生時には、歓びから清めの雨・清浄水を降らせたとか。)
竜神さまは古来より日本各地で信仰され、
仏教とも密接に結び付いた存在でもあることから、
その御利益も
・商売繁盛
・富貴栄達
・出世
・勝運
・除災招福
・恋愛成就
・五穀豊穣
などとさまざまながら、多くの人たちがお参りしていることから、
その福徳は確かな様子。

お堂の隣に立つ大木は、
琵琶湖から御神体の黒龍が昇って来ると伝えられている、
ありがた~い御神木
その姿は、天へと昇らんとする竜神さまのようにも思えて来ます。

都久夫須麻神社参拝は、ここまで。
社地の境界を示す朱塗りの鳥居を潜り、
「祈りの石段」に戻ります。
参考:ニッポン旅マガジン
滋賀県観光情報 滋賀・びわ湖のすべてがわかる
神仏ネット
Wikipedia
「神の住む島」編
第1回~琵琶湖横断・快足クルーズ!~
第2回~竹生島詣 その1~
都久夫須麻神社
拝観料(宝厳寺と共通)
大人(中学生以上) 500円
小人(小学生) 300円
※団体割引アリ
アクセス
琵琶湖汽船
長浜港から 約30分
今津港から 約25分
オーミマリン
彦根港から 約45分
お問い合わせ
都久夫須麻神社
長浜市早崎町1665
TEL
0749-72-2073
FAX
0749-72-2073
「神の住む島」編。
第3回の今回は、二つの文化財を抜けた先に鎮座する、
「竹生島一社一寺」の一つ・
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)に
参拝いたします!

極彩色が目に鮮やかな「宝厳寺唐門」と「観音堂」を巡り、
続いて差し掛かるのは・・・

重要文化財 宝厳寺渡廊(わたりろう)
「唐門」や「観音堂」とほぼ同時期の慶長8(1603)年に築造された、
宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿を繋ぐ
長さ30メートルの渡り廊下で、
幅一間(1.82メートル)の廊下部分を、桁行八間(約14.5メートル)の
低屋根と同二間(約3.6メートル)の高屋根が覆う構造となっています。
先に通った二つの建物はいずれも桃山文化を象徴する
豪奢な造りが特徴でしたが、
この「渡廊」はそれらの建物とは対照的に彫刻や天井板を廃し、
両側に連子窓(レンジ・・・れんじまど。
「連子格子」と呼ばれる細長い格子を嵌め込んだ窓の形式)を並べた
シンプルな造り。
とはいえこの「渡廊」もその由緒は確かなものであり、
豊臣秀吉の御座船・日本丸の部材を用いて建てられたという
伝承から、
舟廊下の別名が付けられています。
この「舟廊下」を抜けた先、隣り合う形で建てられているのが・・・

国宝 都久夫須麻神社本殿
竹生島内に鎮座する二社一寺の一つ・
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)の中枢となる建物。
竹生島が信仰の地となったのは
奈良時代の神亀元(724)年に行基(ぎょうき)上人が
この地に弁財天を奉斎したのが始まりであり、
ここから宝厳寺が整備されて行ったのですが、
島内には宝厳寺の堂宇とは別に「竹生島明神」、
もしくは「竹生島弁財天」と呼ばれる神社が建てられ、
宝厳寺の御本尊でもある弁財天を安置。
宝厳寺の住持が別当(本来の役職とは別の職務)として
社地の管理に当たるなど、神仏習合(仏と神道の神を同一とする思想)を象徴する
社となっていました。
明治時代になり、明治政府の下で神道と仏教を別とする
神仏分離令が公布されると、
宝厳寺から分社される形で都久夫須麻神社が分立。
「弁財天」の神名である市杵島比売命
(いちきしまひめのみこと。「宗像三女神」の次女)、
滋賀県第二の高峰・金糞岳(かなくそだけ)の守り神であり
琵琶湖の湖水を守る産土神(うぶすながみ。土地神)でもある、
浅井比売命(あざいひめのみこと)、
琵琶湖の豊かな自然と湖水の恵みを象徴する神・
竹生島龍神(ちくぶじまりゅうじん)、
財と福徳の神である宇賀福神(うがふくじん)の四柱の神を祭神として
奉斎しています。

現在に残る本殿は、宝厳寺唐門や観音堂とともに
慶長7(1602)年に豊臣秀頼より寄進されたもので、
桁行五間(9.1メートル)、梁間四間(約7.3メートル)、
檜皮葺(ひわだぶき)の屋根を持つ入母屋造(いりもやづくり)の建物で、
前後に軒唐破風(のきからはふ。「破風」は中央部を高くして両側に
緩やかな勾配を付けた飾り屋根)が付けられています。
どこか神社と言うよりはお城の御殿のような雰囲気ですが、
それもそのハズ。
元は豊臣秀吉が「隠居城」として建てた
京都・伏見城の御殿をここへ移築した建物だそうで、
柱や床、長押(なげし)といった建材には
黒漆に花鳥風月の蒔絵を施し、
両開き式の桟唐戸(さんからと)や壁などには
唐門同様彩色された菊・牡丹等の彫刻を配置。
さらに堂内の襖や格天井には桃山後期に活躍した
゛狩野派″の絵師・狩野光信(かのう みつのぶ)作と伝わる
草花図や花々の著色画が描かれており、
大層煌びやかな装いとなっているそうな。
(堂内は非公開、堂外彫刻類等も撮影禁止となっています。残念)

この都久夫須麻神社で「目玉」と言えるのが、
本殿向かい、「竜神拝所」にて体験可能な、
かわらけ投げ
「竜神拝所」にて購入した「かわらけ」と呼ばれる土器に
願い事を記し、琵琶湖に突き出た鳥居・
宮崎鳥居目掛けて投擲(とうてき)。
見事かわらけが鳥居を潜ることが出来れば、
願い事が叶うとされており、
「絵になる」風景とも相まって、
参拝者や観光客から人気のスポットとなっています。

こちらが二枚一組・400円で入手したかわらけ
「厄除」と彫り込まれた、素焼きの土器。
その一枚目に名前を、二枚目に願い事を書き、
名前を書いた方から
宮崎鳥居に向けて投げ放つ、というルール。
(神職の方曰く「一応どちらから投げても大丈夫」、とのこと)
私も手順に従って投げてみたところ、
一枚目は失敗したものの、
入念なイメトレと修正を繰り返した二枚目のかわらけが、
ギリギリながらも鳥居を通過!
危ないながらも、私の願い事(内容は秘密♪)が叶うことが
確定しました!(やった~!)
なお「失敗して二枚とも使い切ってしまったらどうしよう?」という場合でも、
ご安心ください
追加料金(一回400円)こそ掛かってしまいますが、成功するまで
何度でも挑戦出来ます
(同じタイミングで挑戦なさっていたご家族の方は、
何度も挑んでおられました 笑)

「かわらけ投げ」成功の後は、
心願成就の祈願と神事成功のお礼を込めて、
竜神様にごあいさつ。

境内の摂末社にもお参り。
本殿右手前の宮に祀られているのは、
水(海)の神である「江島大神(えのしまおおかみ)」と
「厳島大神(いつくしまおおかみ)」。
名前こそ異なりますが、どちらもお祀りしているのは
市杵島比売命
つまりは弁天さま

こちらの宮には、最高神・天照大神(アマテラスオオカミ)の子で、
天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の父に当たる神・
天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)と、
出雲の創造神で「大国主」や「大国さま」など様々な異名を持つ、
大己貴命(オオナムチノミコト)が鎮座。

境内社で「異色」と言えるのが、こちらの白巳社(しろへびしゃ)

祠の内に祀られているのは、弁財天の神使である蛇神様・
白巳大神(シロヘビオオカミ)
中央の石に巻き付いているのが、御神体。
祠の壁面に「金寶(宝)富貴」と記された木札が掲げられていますが、
これは招福・招財の神である弁財天を表す枕詞

御神体を守護する「狛蛇」。
ちゃんと口を開き、玉を咥えた阿形(あぎょう)と・・・

口を結んだ吽形(うんぎょう)に分かれています。

なにやら御利益のありそうな玉石と、親子蛙。

「白巳社」の隣には、招福と招財の神であり「竹生島信仰」の源・
「招福弁財天」を祀った、弁財天社

祠の中には、琵琶を奏でる色鮮やかな弁財天像が鎮座。
竹生島の「弁天さま」は日本全国津々浦々に祀られている
弁天社の中でも、
・安芸国(広島県西部)厳島神社(いつくしまじんじゃ)
・大和国(奈良県)天河神社(てんかわじんじゃ)
・相模国(神奈川県)江島神社(えのしまじんじゃ)
・陸前国(宮城県・岩手県の南部)黄金山神社(こがねやまじんじゃ)
と並んで日本五大(もしくは三大)弁財天に
挙げられており、特に御利益アリとされています。

祠の横で販売されているのは、福小判
一ケ300円ナリ。

その正体は、黄金色の小判の形をした、御守り
これを買って、お財布の中に入れておけば、
持ち主に大きな財福が訪れる!・・・かも知れません(笑)

境内社の参拝も大方済ませ、「祈りの石段」方向へ。
この付近の参道は唐門→観音堂→舟廊下→
本殿から都久夫須麻神社境内へ→斜面下から祈りの石段前に戻る
というルートが取られており
(勘違いして逆回りしてしまいそうになったのは、秘密♪)、
戻りでは「舟廊下」と「観音堂」を下から見上げる形となります。

下から見てみると、斜面に掛かる建物を複雑な木組みが支えるという、
舞台造りの構造が良く分かります♪(奥は観音堂)

この道の途中に在るのが、
黒龍堂(こくりゅうどう)と呼ばれる小さな祠。
ここに祀られている黒龍は、
仏教界に億万居るとされている龍たちの中で、
それらを束ねる長のような存在・八大竜王の一柱で、
地上に雨を降らせる水神さまであるとともに、
釈迦を護り、その教えを尊ぶ眷属としての使命を帯びています。
(釈迦誕生時には、歓びから清めの雨・清浄水を降らせたとか。)
竜神さまは古来より日本各地で信仰され、
仏教とも密接に結び付いた存在でもあることから、
その御利益も
・商売繁盛
・富貴栄達
・出世
・勝運
・除災招福
・恋愛成就
・五穀豊穣
などとさまざまながら、多くの人たちがお参りしていることから、
その福徳は確かな様子。

お堂の隣に立つ大木は、
琵琶湖から御神体の黒龍が昇って来ると伝えられている、
ありがた~い御神木
その姿は、天へと昇らんとする竜神さまのようにも思えて来ます。

都久夫須麻神社参拝は、ここまで。
社地の境界を示す朱塗りの鳥居を潜り、
「祈りの石段」に戻ります。
参考:ニッポン旅マガジン
滋賀県観光情報 滋賀・びわ湖のすべてがわかる
神仏ネット
Wikipedia
「神の住む島」編
第1回~琵琶湖横断・快足クルーズ!~
第2回~竹生島詣 その1~
都久夫須麻神社
拝観料(宝厳寺と共通)
大人(中学生以上) 500円
小人(小学生) 300円
※団体割引アリ
アクセス
琵琶湖汽船
長浜港から 約30分
今津港から 約25分
オーミマリン
彦根港から 約45分
お問い合わせ
都久夫須麻神社
長浜市早崎町1665
TEL
0749-72-2073
FAX
0749-72-2073