神の住む島 4 ~竹生島詣・その3~
- 2021/08/04
- 18:24
そろそろ競技も大詰めを迎えつつある、
東京オリンピック2020
以前も述べた通り私自身は構想当初より
大会開催の理念とビジョンに疑念を持って
これまでの日々を送って来た訳ですが
(「復興五輪」というスローガンとコロナ禍の中での
強硬開催という経緯には、いまでも疑問と反対の姿勢を崩してはいません)、
その中で唯一観戦しているのが、サッカー
(理由?好きだから!)
今大会、(メディアの間で)「史上最強」の呼び声高く、
確かなクオリティを持った完成度の高いチームで以て
4年に一度、それも母国開催となる大舞台へと乗り込んで来た、
サッカー日本代表。
並み居る強敵を倒しながら勝ち進んだ昨日の準決勝でも、
優勝候補の一角に挙げられていた強豪・
スペイン相手に堂々たる戦いぶりを見せてくれた
サムライブルーでしたが、
「PK戦」も見えていた延長後半、一瞬のスキを突かれ失点
結果0-1の敗戦となり、惜しくも準決勝にて敗退、
3位決定戦へと回ることとなりました。
訪れたチャンスを確実にモノにする「決定力」という点で、
またしても「世界の壁」に阻まれてしまった日本代表ですが、
強豪相手(実質「2軍」のフランスは除外)に
一歩も引けを取らぬ戦いぶりを見せ、
間違いなく一歩前進したと言える
大会だったのではないでしょうか。
ともあれ彼らにはもうひと試合、
代表史上52(3?)年ぶりのメダルを賭けた
メキシコ代表との3位決定戦が残されています。
ここは是非とも2012年ロンドン五輪の雪辱
(準決勝でメキシコ代表(最終的に金メダル)に3-1、
3位決定戦で韓国に2-0で敗れ、
メダル獲得ならず)を果たし、
気持ちよく大会を終えて欲しいところです!
(私は日本代表ではなく「サッカー」が好きなので、
決勝を見ま~す!
もっと他の国の試合も放送して~! ><)
さて、岡山県への「お引越し」のための中断を経ながら
書き綴って参った「神の住む島」編も、
今回で最終回
竹生島に鎮座する「二社一寺」の一つ・
宝厳寺の最高所近くに佇む本堂・弁財天堂と、
その周囲に点在している文化財たちを見物します!

国宝・宝厳寺唐門と重文・観音堂および舟廊下、
そして国宝の本殿を有する都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)を巡り、
港から山上へと続く参道・祈りの石段へと
戻って参りました。

麓から頂上まで165段という階段地獄の様相を呈している、
「祈りの石段」。
戻って来たのはだいたい中間あたりなのですが、
それでも終点までは厳しい上りが続きます(汗)

「ひいひい」言いつつ(笑)なんとか上り切ったところで
出迎えてくれたのが、宝厳寺の本堂に当たる
宝厳寺 弁財天堂
奈良時代、「日本仏教界のレジェンド」・
行基(ぎょうき)上人によって開基された、宝厳寺。
爾来千百数十年に亘って「竹生島信仰」の源として
大切に護り伝えられて来た御本尊の弁財天像でしたが、
明治新政となって公布された神仏分離令によって
それまで「弁天さま」の座所となっていた弁財天社が
「都久夫須麻神社」として分立されることが決まり、
「弁天さま」はそれまでの住み処を追い出されることに
なってしまいました。
そのため明治4(1871)年以降、「弁天さま」は宝厳寺の
塔頭(たっちゅう。大寺院の境内に建てられた末寺院。
禅寺では高僧の基所に建てられた塔、またその塔を守るための庵を指す)である
妙覚院(みょうかくいん)に仮住まいすることとなりましたが、
60年以上もの間正式な住まいが無い状態が続きます。
そこで昭和12(1937)年、弁財天社(現在の都久夫須麻神社本殿)を
追われて以来久方ぶりの住まいとなる、弁財天堂の建造に着手。
日中戦争開戦による国内および国際情勢の変化もあって
工事が中断されるという苦難の道のりとなりましたが、
滋賀県出身の実業家・滝富太郎(たき とみたろう)の
全面的な支援や広く篤志を募った甲斐もあって、
戦時中の昭和17(1942)年に弁天堂は無事完成
「弁天さま」は実に71年ぶりに
正式な住まいに移されることとなりました。
(よかったよかった~!)

島内の各文化財と異なり、昭和期の建築である弁財天堂。
その経歴もあって「国宝」や「重要文化財」のような
箔は付いてはいないものの、
仏教寺院の建築様式に則った壮大な構えと優美な造りは、
千古の古刹の本堂に相応しいもの。
堂内に安置されている御本尊の弁財天像は、
奈良時代に天照大御神(アマテラスオオミカミ)の信託を受けた
聖武天皇の命により、
行基上人によって開眼されたもの。
(竹生島は当時都が置かれた各都市と同じ畿内(近畿)に在るため、
信ぴょう性はありそう)
竹生島の弁財天は神奈川県・江ノ島(江島神社)、
広島県・宮島(厳島神社)と並ぶ
日本三大(もしくは五大)弁財天の一つで、
その中でも竹生島のソレは最古のものとされており、
特別に「大」の一字を冠して大弁財天と称されています。
また堂内には明治~昭和の激動の時代に
仏教画を手掛け、法隆寺金堂の壁画模写事業にも携わった画人・
荒井寛方(あらい かんぽう)の手による
「諸天神の図」・「飛天の図」が描かれており、
壮麗な雰囲気の堂内に彩りと風格を添えています♪
(残念ながら堂内は撮影禁止)

さて、ここで本堂周辺にもご注目。
こちらに在ります五重石塔、
一見するとごくありふれた寺院の石塔のようにも思えますが、
実はコレ、重要文化財指定を受けた逸品。
台石の形状や笠石の反り具合から鎌倉時代の作と
推測されている貴重な物で、
全国で七つ在る重要文化財に指定された
五重石塔のうちの一つ。
石材には比叡山より採掘された小松石
(火成岩より採取される安山岩。すなわち火山活動によって
流出した溶岩が冷却されて出来たもの)が用いられ、
過去豪雨によって発生した土砂崩れによって失われた
相輪(そうりん。石塔上部の、輪っか状になった部分)下部を除いて、
築造当時からの石材がそのまま残されています。

台石直上、石塔の初重部分には、
四方に仏の姿が彫り込まれています。

弁財天堂の前には、燃え盛る炎をまとった
不動明王像。

こちらの石段を上って、さらに上へ!

石段の先には、鮮やかな色彩と均整の取れた姿が美しい、
宝厳寺 三重塔

宝厳寺の堂塔としては最も新しいと思われる、
平成12(2000)年築造の仏塔。
宝厳寺には元々三重塔が建てられており、
鎌倉時代末期や室町時代後期の絵図によってその存在が
確認されていますが、
江戸時代に入ってから何らかの理由により廃絶
以来約350年に亘って仏塔のない状態が続きましたが、
竹生島の宮大工を務めていた家系に残されていた設計図を基に、
6年の歳月を掛けて再建されました。
スグ隣には重要文化財に指定されている鎌倉時代の仏像・
絹本釈迦三尊像(けんぽんしゃかさんぞんぞう)が収蔵された
「宝物殿」が在るのですが、
訪問時は残念ながら工事中のため入れず。

三重塔付近は、宝厳寺でも最高所に当たる場所。
木立の間からは、青く輝く琵琶湖の眺め!
(遠くに見えているのは、゛近江富士″こと三上山でしょうか?)

「一社一寺巡り」を終え、船の時間までこちらの
野坂みやげ店にてひと休み。

頂いたのはこちら、
弁財天大判焼きと竹生島コーヒーの
セットメニュー!

竹生島コーヒーは竹生島が属する
長浜市の代表的観光スポット・黒壁スクエア近くに店を構える、
珈琲院ロマン亭監修の一杯。
仄かに香り漂うブレンドコーヒーは、
ドリップされたコーヒー豆の旨味を感じさせながらも
苦みは少なめ、むしろ優しい甘味がじわりと広がる
飲みやすい一品。
モチモチした食感に抹茶の上品な味わいが楽しめる、
きなこ餅のサービス付き♪

一方「弁天さま」の名を冠した大判焼きは、
モッチリ、ホクホクした生地の中に・・・

甘~い餡がたっぷり!
アップダウンに富んだ、竹生島。
その島内を歩いた後の糖分補給と
「ホッと一息」には、
ピッタリの組み合わせでございました♪

午後2時が過ぎ、そろそろ船の到着時刻。
船着き場と琵琶湖を眺めていると・・・

今津港からやって来た、「べんてん」号が到着!

スムーズに乗客を入れかえた「べんてん」は、
長いウェーキ(航跡)を引きながら竹生島を離脱!
出発地とは反対側の、長浜港を目指します。

次第に遠ざかる島影。
次にここを訪れるのは、いつのことになるのでしょうか・・・


長浜市に戻ってから、
長浜城跡に広がる豊公園(ほうこうえん)を散歩し・・・

涼波寄せる琵琶湖を眺めてから、帰路へ。
半年間の滋賀県滞在と県内散策は、これにておしまい
数日の間に荷物を整え、次なる旅路、
そして新天地へと向かいます。
ありがとう、滋賀県!また会う日まで!
参考:宝厳寺 公式ホームページ
アネモメトリ -風の手帖-
食べログ
コトバンク
「神の住む島」編
第1回~琵琶湖横断・快足クルーズ!~
第2回~竹生島詣・その1~
第3回~竹生島詣・その2~
宝厳寺
拝観料(都久夫須麻神社と共通)
大人(中学生以上) 500円
小人(小学生) 300円
※団体割引アリ
アクセス
琵琶湖汽船
長浜港から 約30分
今津港から 約25分
オーミマリン
彦根港から 約45分
お問い合わせ
宗教法人 宝厳寺
TEL
0749-63-4410
FAX
0749-65-2658
東京オリンピック2020
以前も述べた通り私自身は構想当初より
大会開催の理念とビジョンに疑念を持って
これまでの日々を送って来た訳ですが
(「復興五輪」というスローガンとコロナ禍の中での
強硬開催という経緯には、いまでも疑問と反対の姿勢を崩してはいません)、
その中で唯一観戦しているのが、サッカー
(理由?好きだから!)
今大会、(メディアの間で)「史上最強」の呼び声高く、
確かなクオリティを持った完成度の高いチームで以て
4年に一度、それも母国開催となる大舞台へと乗り込んで来た、
サッカー日本代表。
並み居る強敵を倒しながら勝ち進んだ昨日の準決勝でも、
優勝候補の一角に挙げられていた強豪・
スペイン相手に堂々たる戦いぶりを見せてくれた
サムライブルーでしたが、
「PK戦」も見えていた延長後半、一瞬のスキを突かれ失点
結果0-1の敗戦となり、惜しくも準決勝にて敗退、
3位決定戦へと回ることとなりました。
訪れたチャンスを確実にモノにする「決定力」という点で、
またしても「世界の壁」に阻まれてしまった日本代表ですが、
強豪相手(実質「2軍」のフランスは除外)に
一歩も引けを取らぬ戦いぶりを見せ、
間違いなく一歩前進したと言える
大会だったのではないでしょうか。
ともあれ彼らにはもうひと試合、
代表史上52(3?)年ぶりのメダルを賭けた
メキシコ代表との3位決定戦が残されています。
ここは是非とも2012年ロンドン五輪の雪辱
(準決勝でメキシコ代表(最終的に金メダル)に3-1、
3位決定戦で韓国に2-0で敗れ、
メダル獲得ならず)を果たし、
気持ちよく大会を終えて欲しいところです!
(私は日本代表ではなく「サッカー」が好きなので、
決勝を見ま~す!
もっと他の国の試合も放送して~! ><)
さて、岡山県への「お引越し」のための中断を経ながら
書き綴って参った「神の住む島」編も、
今回で最終回
竹生島に鎮座する「二社一寺」の一つ・
宝厳寺の最高所近くに佇む本堂・弁財天堂と、
その周囲に点在している文化財たちを見物します!

国宝・宝厳寺唐門と重文・観音堂および舟廊下、
そして国宝の本殿を有する都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)を巡り、
港から山上へと続く参道・祈りの石段へと
戻って参りました。

麓から頂上まで165段という階段地獄の様相を呈している、
「祈りの石段」。
戻って来たのはだいたい中間あたりなのですが、
それでも終点までは厳しい上りが続きます(汗)

「ひいひい」言いつつ(笑)なんとか上り切ったところで
出迎えてくれたのが、宝厳寺の本堂に当たる
宝厳寺 弁財天堂
奈良時代、「日本仏教界のレジェンド」・
行基(ぎょうき)上人によって開基された、宝厳寺。
爾来千百数十年に亘って「竹生島信仰」の源として
大切に護り伝えられて来た御本尊の弁財天像でしたが、
明治新政となって公布された神仏分離令によって
それまで「弁天さま」の座所となっていた弁財天社が
「都久夫須麻神社」として分立されることが決まり、
「弁天さま」はそれまでの住み処を追い出されることに
なってしまいました。
そのため明治4(1871)年以降、「弁天さま」は宝厳寺の
塔頭(たっちゅう。大寺院の境内に建てられた末寺院。
禅寺では高僧の基所に建てられた塔、またその塔を守るための庵を指す)である
妙覚院(みょうかくいん)に仮住まいすることとなりましたが、
60年以上もの間正式な住まいが無い状態が続きます。
そこで昭和12(1937)年、弁財天社(現在の都久夫須麻神社本殿)を
追われて以来久方ぶりの住まいとなる、弁財天堂の建造に着手。
日中戦争開戦による国内および国際情勢の変化もあって
工事が中断されるという苦難の道のりとなりましたが、
滋賀県出身の実業家・滝富太郎(たき とみたろう)の
全面的な支援や広く篤志を募った甲斐もあって、
戦時中の昭和17(1942)年に弁天堂は無事完成
「弁天さま」は実に71年ぶりに
正式な住まいに移されることとなりました。
(よかったよかった~!)

島内の各文化財と異なり、昭和期の建築である弁財天堂。
その経歴もあって「国宝」や「重要文化財」のような
箔は付いてはいないものの、
仏教寺院の建築様式に則った壮大な構えと優美な造りは、
千古の古刹の本堂に相応しいもの。
堂内に安置されている御本尊の弁財天像は、
奈良時代に天照大御神(アマテラスオオミカミ)の信託を受けた
聖武天皇の命により、
行基上人によって開眼されたもの。
(竹生島は当時都が置かれた各都市と同じ畿内(近畿)に在るため、
信ぴょう性はありそう)
竹生島の弁財天は神奈川県・江ノ島(江島神社)、
広島県・宮島(厳島神社)と並ぶ
日本三大(もしくは五大)弁財天の一つで、
その中でも竹生島のソレは最古のものとされており、
特別に「大」の一字を冠して大弁財天と称されています。
また堂内には明治~昭和の激動の時代に
仏教画を手掛け、法隆寺金堂の壁画模写事業にも携わった画人・
荒井寛方(あらい かんぽう)の手による
「諸天神の図」・「飛天の図」が描かれており、
壮麗な雰囲気の堂内に彩りと風格を添えています♪
(残念ながら堂内は撮影禁止)

さて、ここで本堂周辺にもご注目。
こちらに在ります五重石塔、
一見するとごくありふれた寺院の石塔のようにも思えますが、
実はコレ、重要文化財指定を受けた逸品。
台石の形状や笠石の反り具合から鎌倉時代の作と
推測されている貴重な物で、
全国で七つ在る重要文化財に指定された
五重石塔のうちの一つ。
石材には比叡山より採掘された小松石
(火成岩より採取される安山岩。すなわち火山活動によって
流出した溶岩が冷却されて出来たもの)が用いられ、
過去豪雨によって発生した土砂崩れによって失われた
相輪(そうりん。石塔上部の、輪っか状になった部分)下部を除いて、
築造当時からの石材がそのまま残されています。

台石直上、石塔の初重部分には、
四方に仏の姿が彫り込まれています。

弁財天堂の前には、燃え盛る炎をまとった
不動明王像。

こちらの石段を上って、さらに上へ!

石段の先には、鮮やかな色彩と均整の取れた姿が美しい、
宝厳寺 三重塔

宝厳寺の堂塔としては最も新しいと思われる、
平成12(2000)年築造の仏塔。
宝厳寺には元々三重塔が建てられており、
鎌倉時代末期や室町時代後期の絵図によってその存在が
確認されていますが、
江戸時代に入ってから何らかの理由により廃絶
以来約350年に亘って仏塔のない状態が続きましたが、
竹生島の宮大工を務めていた家系に残されていた設計図を基に、
6年の歳月を掛けて再建されました。
スグ隣には重要文化財に指定されている鎌倉時代の仏像・
絹本釈迦三尊像(けんぽんしゃかさんぞんぞう)が収蔵された
「宝物殿」が在るのですが、
訪問時は残念ながら工事中のため入れず。

三重塔付近は、宝厳寺でも最高所に当たる場所。
木立の間からは、青く輝く琵琶湖の眺め!
(遠くに見えているのは、゛近江富士″こと三上山でしょうか?)

「一社一寺巡り」を終え、船の時間までこちらの
野坂みやげ店にてひと休み。

頂いたのはこちら、
弁財天大判焼きと竹生島コーヒーの
セットメニュー!

竹生島コーヒーは竹生島が属する
長浜市の代表的観光スポット・黒壁スクエア近くに店を構える、
珈琲院ロマン亭監修の一杯。
仄かに香り漂うブレンドコーヒーは、
ドリップされたコーヒー豆の旨味を感じさせながらも
苦みは少なめ、むしろ優しい甘味がじわりと広がる
飲みやすい一品。
モチモチした食感に抹茶の上品な味わいが楽しめる、
きなこ餅のサービス付き♪

一方「弁天さま」の名を冠した大判焼きは、
モッチリ、ホクホクした生地の中に・・・

甘~い餡がたっぷり!
アップダウンに富んだ、竹生島。
その島内を歩いた後の糖分補給と
「ホッと一息」には、
ピッタリの組み合わせでございました♪

午後2時が過ぎ、そろそろ船の到着時刻。
船着き場と琵琶湖を眺めていると・・・

今津港からやって来た、「べんてん」号が到着!

スムーズに乗客を入れかえた「べんてん」は、
長いウェーキ(航跡)を引きながら竹生島を離脱!
出発地とは反対側の、長浜港を目指します。

次第に遠ざかる島影。
次にここを訪れるのは、いつのことになるのでしょうか・・・


長浜市に戻ってから、
長浜城跡に広がる豊公園(ほうこうえん)を散歩し・・・

涼波寄せる琵琶湖を眺めてから、帰路へ。
半年間の滋賀県滞在と県内散策は、これにておしまい
数日の間に荷物を整え、次なる旅路、
そして新天地へと向かいます。
ありがとう、滋賀県!また会う日まで!
参考:宝厳寺 公式ホームページ
アネモメトリ -風の手帖-
食べログ
コトバンク
「神の住む島」編
第1回~琵琶湖横断・快足クルーズ!~
第2回~竹生島詣・その1~
第3回~竹生島詣・その2~
宝厳寺
拝観料(都久夫須麻神社と共通)
大人(中学生以上) 500円
小人(小学生) 300円
※団体割引アリ
アクセス
琵琶湖汽船
長浜港から 約30分
今津港から 約25分
オーミマリン
彦根港から 約45分
お問い合わせ
宗教法人 宝厳寺
TEL
0749-63-4410
FAX
0749-65-2658