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越前旅2 ~「越前国一之宮」・氣比神宮~

福井県敦賀市

福井県中部、細長~く西に向けて伸びて行く
付け根の部分に位置する街で、
東西約14km、南北約26km、面積251.41㎢の範囲に
29,074世帯、64,468人が居住。

三方をに囲まれ、
前方には日本海に繋がる敦賀湾が広がる港町で、
若狭湾に大きく張り出た敦賀半島と、54kmに及ぶ海岸線が
敦賀湾日本海から吹き込む風や険しい波浪から防ぐことで、
天然の良港を形成。

古代より大陸や沿海各都市と繋がる交易の窓口となった他、
江戸時代には蝦夷地北海道)~日本海沿岸地域
瀬戸内~大坂・江戸を結ぶ北前船(きたまえぶね)の
寄港地として発展し、この地域に豊富な資源と
物流を生み出して来ました。

現在でも港には国内外の貨物船や大型フェリーが発着し、
日本海側有数の重要な港湾としての地位を占めています。

そんな敦賀の自慢は、やはり海の幸

周辺海域から獲れた高級魚・敦賀ふぐ
冬の味覚・越前がにを始めとした新鮮で豊富な
海産物の数々や、

おぼろ昆布(職人が一枚一枚手で削り出した昆布の加工品)、
かまぼこなどの加工品まで、
さまざまな海の味覚が来訪者を楽しませてくれます♪

その他「日本三大松原」に挙げられる気比の松原
エメラルドグリーンの浅瀬が広がる水島といった自然の風景、

「けいさん」の名で親しまれる「越前国一之宮」・
氣比神宮(けひじんぐう)、
の名所で「縁結びの社」としても知られる金崎宮
南北朝や戦国の争乱の舞台となった金ケ崎城跡といった
歴史遺産の数々、

明治38(1905)年の建造以来戦災を乗り越えて
港の発展を見守って来た敦賀赤レンガ倉庫
旧敦賀港駅人道の道 敦賀ムゼウム
などの復元建築物が織りなす港の景観など、
たくさんの魅力が詰まった街となっています!

今回の旅では出発地・滋賀に程近い敦賀から越前に入り、
この街の歴史や景観、名産品にスポットを当てて
じっくり掘り下げて参ります!
気比神宮 24
敦賀駅から漫画家・松本零士(まつもと れいじ)先生の
二大作・「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」のモニュメントが並ぶ
「敦賀シンボルロード」を辿り、やって来ました・・・
気比神宮 1
氣比神宮!(けひじんぐう)

越前鎮護の要となる一之宮で、
地元ではけいさんの名で親しまれてきた、古の宮。

二千有余年昔、上古の頃に
伊奢沙別命(いざさわけのみこと。氣比大神とも)が
この地に降臨したことから長きにわたる歴史が始まり、
「北陸道の総鎮守」として早くから崇敬篤い社に。

古代天皇の頃には既にその神徳は広く知られていたようで、
皇統14代・仲哀天皇がこの宮を訪れ
国家の安泰を祈願した他、

仲哀天皇の皇妃で「三韓征伐」で知られる神功皇后(じんぐうこうごう)も
妹である玉姫命(たまひめのみこと)、
股肱の臣である武内宿禰(たけのうちの すくね)を伴い
遠く筑紫国(つくしのくに。福岡県)より行啓され参拝。

その縁で飛鳥時代末・文武天皇治世下の
大宝2(702)年に勅命により社殿を修復した際には、
仲哀天皇・神功皇后両名を本宮に合祀して、
御祭神としてお迎えしています。

後に日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇(おうじんてんのう)、
玉姫命、武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)の四柱の神を
四社之宮と呼ばれる別々の宮に祀り、
「祭神七座並名神大社」となりました。

明治28(1895)年、官幣大社に昇格し、
神宮号宣下の御沙汰を賜って「氣比神宮」と改称。

戦災によって福井藩初代藩主・
結城秀康公造営の社殿を失うなど
苦難の時代を経ながらも、
越前、そして敦賀を代表する歴史と格式を有する社地として、
敦賀市域のみならず全国からの篤い崇敬を集めています。
気比神宮 2
正面入り口に佇立する朱塗り大鳥居
平安時代に造営された初代鳥居が倒壊したのを受けて、
江戸時代前期の正保2(1645)年に移設・再建されたもの。

高さ36尺(10.9メートル)、柱間は24尺(7.3メートル)で、
全体の重量を支える太い柱は神領であった
佐渡国(さどのくに。佐渡島鳥居ヶ原より伐採・奉納された
榁樹(むろのき)一本で形成されています。

古くから「天下無双の大華表(かひょう。中国で宮殿・廟宇・陵墓の前に
立てられる石柱。もしくは鳥居)」と称され
日本三大鳥居にも挙げられる
日本屈指の由緒と規模を有する鳥居であり、

戦前には国宝(いわゆる「旧国宝」)に指定され、
昭和20(1945)年の敦賀空襲では
境内の建築物としては唯一残存

戦後の昭和25(1950)年に文化財保護法が施行された後も
重要文化財として篤い保護を受けています。
気比神宮 3
正面に掛けられた「氣比神宮」の扁額は、
幕末~大正期の皇族・有栖川宮威仁親王
(ありすがわのみやたけひとしんのう)による
御染筆(ごせんひつ。揮毫)
気比神宮 4
清らかな水が湧き出す、氣比神宮。

画面奥の亀の口から吐き出される
長命水(ちょうめいすい)と呼ばれる、
霊験あらたかな湧水

大宝2(702)年の社殿修営中に突如として噴出した
ものだそうで、
この社と所縁を持ち、祭神でもある武内宿禰の
チート寿命(寿命がバグりがちな古代天皇の治世の中でも、
5代もの天皇に仕えたとされています)にあやかり、

神々の御神徳を受けた御神水として
近年ではパワースポットにも
挙げられているそう。

気比神宮 5
参拝前に、手水舎でお浄め。
手水を流す吐水口は、長命水に倣ってか
亀の形になっています。
気比神宮 6
手口を浄め、こちらもに塗られた
中鳥居を抜けて、神前へ!
気比神宮 7
こちらが御神体を拝むための、外拝殿

鮮やかな白地にの色彩、見事な破風を戴く大屋根が印象的な、
「越前国一之宮」・「官幣大社」に相応しい
風格と格式を備えた社殿。
気比神宮 25
元々あった社殿は慶長19(1614)年に福井藩の開祖・
結城秀康(ゆうき ひでやす)公によって造営されたもので、
中でも本殿は国宝に指定されていましたが、

戦時中の敦賀空襲によって
大鳥居を残して焼失

戦後になってから本殿を含めた社殿が再建・整備され、
今日では越前総鎮守としての威風を取り戻しています。
気比神宮 8
神前にて神事を執り行う内拝殿の内部。

この奥に伊奢沙別命(いざさわけのみこと)・仲哀天皇・
神功皇后の三柱の神々を祀る本殿が鎮座し、
その周囲を東殿宮(日本武尊)・総社宮(応神天皇)・
平殿宮(玉姫命)・西殿宮(武内宿禰命)をそれぞれ祀った
四社之宮が固めています。

御利益は伊奢沙別命が衣食住・海上安全・農漁業・交通安全、
仲哀天皇は無病息災・延命長寿・武運長久、
神功皇后の安産・農漁業・海上安全・無病息災・延命長寿・武運長久・音楽舞踊
・・・などなど、なんでもござれ状態。
(さらに「四社之宮」に祀られた神々の御利益も加わります 笑)

まるでご利益のデパートのようですが、
お願い事はほどほどに(笑)
気比神宮 9
お賽銭箱の傍には、ドキドキワクワクな
「気比の恋みくじ」が置かれています。
気比神宮 10
御神前にお参りした後は、
社殿横に祀られている摂・末社にお参り。

こちらの二つ並びの宮は、
御食津大神荒魂神(みけつおおかみあらみたまのかみ。
氣比神宮の御祭神・伊奢沙別命の荒魂)を祀った
伊佐々別神社(いざさわけじんじゃ、左側)と、

越前国造(くにのみやつこ。「大化の改新」以前、
世襲によって一国を治めた地方官職)の先祖とされる
武功狭日命(たけいさひのみこと)を奉斎する、
擬領神社(おおみやつこじんじゃ)
気比神宮 11
その奥には七つの祠がズラリと並ぶ、圧巻の光景。

ここに祀られている摂末社は九社の宮と呼ばれ、
神様も伊勢神宮の主祭神である
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)やその弟神で
勇猛を誇った素戔嗚尊(すさのおのみこと)といった
「メジャー」な神様から、土着の神々、

さらに神様として祀られるようになった宝剣や鏡など、
多種多様。
気比神宮 12
豊かな緑広がる、氣比神宮境内。
気比神宮 17
中鳥居の前にスックと立っているのは、
旗掲松(はたかけのまつ)

南北朝時代の延元元(1336)年、
勢力を増す北朝の足利家に対し、南朝方として蜂起した
氣比神宮の大宮司・氣比氏治(けひ うじはる)が
戦勝祈願として気比大明神の神旗を掲げたと伝わる、
由緒正しい松の木

旗を掲げた当時の古木は既に失われてしまっているものの、
現在はその根っこから芽吹いた二代目の木が、
当時の面影を今に伝えています。
気比神宮 18
旗掲松の近くに佇むくずおれた木は、
南米・オーストラリア原産のユーカリの幹。

日中戦争勃発直前の昭和11(1936)年、
当時の陸軍関係者
武運の長久を祈って献木したと伝えられるもので、
冬は風雪に見舞われる敦賀の気候にもめげずに立ち続けていましたが、

平成29(2017)年、翌30(2018)年に来襲した台風により
幹や左半分の枝葉が折損してしまい、
ユーカリの木命の危機に瀕してしまいます。

市の天然記念物にも指定されている大切な樹木を
後世に引き継ぐため、
敦賀市は直ちに樹木医に防腐処理や添え木を依頼。

破損状況からかつての姿を取り戻すのは
難しいかと思われましたが、
しばらくすると折れた箇所から若葉が芽吹き、
樹勢も徐々に回復

いまだ一本の樹としては「再生途上」にあるように思えますが、
不屈の意思で蘇らんとするその姿からは、
自然の神秘命の力強さを感じます。
気比神宮 16
境内より湧き出す湧水に満たされた、南池
気比神宮 13
南池のほとりに建てられている銅像は、
「おくの細道」などの紀行文と名句の数々で
「俳聖」とも称される江戸時代の俳人・
松尾芭蕉(まつお ばしょう)のもの。

元禄2(1689)年3月に弟子の曾良(そら)を連れて
おくの細道の旅に出た芭蕉は、
奥羽(東北)地方を巡ったのち北陸各地を通って
同年8月に越前へ入国すると、
14日にここ敦賀に投宿しました。

そこで芭蕉は待宵(まつよい)の氣比神社に出掛けて
十五夜前を眺めながら、
時宗の二祖で「遊行(ゆぎょう)」の名を持つ
他阿(たあ)信教(しんきょう)の故事※にちなみ、

月清し 遊行のもてる 砂の上
との句を残しました。
(他にも芭蕉は敦賀の地で、
「名月や 北国日和(ほっこくびより) 定めなき」の、
合計二句を残しています)

※他阿信教の故事・・・鎌倉時代の正安3(1301)年、
他阿信教が越前に遊行(布教)に訪れた際、
氣比神宮に参詣した参拝客が参道のぬかるみに
難渋しているのを目撃し、
遊行上人自ら砂を運んで参道の修繕に努めた、という故事。

この出来事は「遊行の砂持ち」と呼ばれ、
現在でも「遊行上人」の交代時には「砂持ち」の神事が行われ、
氣比神宮の向かいには、この故事を記念した
「遊行上人のお砂持ち像」が建てられている。
気比神宮 14
足下の台座には、氣比神宮参拝の際に詠まれた
上記の句が刻まれています。
気比神宮 21
ひと通り回り終えてから、大鳥居近くにひっそりと口を開けた、
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ。末社)へ。
気比神宮 22
に囲まれた祠は、
江戸時代・安永4(1775)年の鎮座。

御祭神の猿田彦大神(サルタヒコオオカミ)は
゛天孫″瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が地上に降り立つ際に
道案内を務めたことで知られており、
御神徳も「交通安全」「家内安全」と神話に基づくものと
なっています。
気比神宮 23
緑のトンネルを抜け、大鳥居から再び敦賀の街へ!
旅はまだ始まったばかりです♪

参考:敦賀市
    氣比神宮 公式ホームページ
    日本神話の世界
    Wikipedia
    コトバンク

「越前旅」編
第1回 ~敦賀駅と「敦賀シンボルロード」~

氣比神宮

開門・閉門時間
【4月〜9月】午前5時~午後5時
【10月〜3月】午前6時~午後5時

拝観料
無料

アクセス
自家用車
北陸自動車道敦賀ICより 約10分
駐車場
無料(収容台数100台)

公共交通機関
JR北陸本線 敦賀駅より 徒歩約15分
または「福鉄バス菅浜線若狭線
松原線ぐるっと敦賀周遊バス
各線氣比神宮前停留所 下車スグ

お問い合わせ
〒914-0075 福井県敦賀市曙町11-68
TEL
(0770) 22-0794
(受付時間は9時~17時)

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。