fc2ブログ

記事一覧

越前旅5 ~敦賀の鉄道史を学ぶ~

敦賀と鉄道の関わりは、
今から150年前の明治2(1869)年、
明治天皇を交えて新政府の政策を話し合う場として
設けられた廟議(びょうぎ)にて、

当時計画されていた東京―神戸間の鉄道路線(のちの東海道線)と連絡し、
琵琶湖南岸日本海側を直結する
鉄道路線の敷設が決定されたことから始まります。

この廟議での決定を受けて
明治13(1880)年に着工された鉄道線は、
同15(1882)年に長浜―金ケ崎(のちの敦賀港駅)間で
一部区間を除いて部分開業

17(1884)年に難航していた柳ケ瀬トンネル
(1,352m、当時国内最長のトンネル)が開通すると、
帝都・東京や関西圏と日本海側
一本の鉄路で結ばれることとなりました。

その後北陸本線と名付けられた路線が
東へ伸びる一方、
敦賀地域では鉄道需要の増大や
利便性・速達性の向上に合わせて
絶え間ない努力が続けられ、

昭和32(1957)年には余呉町以北を柳ケ瀬経由で
運行されていた路線を
近江塩津経由へ付け替えるとともに、
滋賀県田村駅以北を電化
国内2番目交流電化

同37(1962)年には敦賀~今庄間で
海側に迂回していた(急勾配緩和のため)路線を、
当時国内最長となる北陸トンネル(13,870m)を
開削することで短絡・直線化
(同時に複線電化も実施)することで、

中京・関西圏と北陸地域が
電車列車によって直結されることとなりました。

昭和49(1974)年には京都方面への短絡路となる
湖西線の開業特急雷鳥経路変更により
京阪神地域へのさらなる速達化が実現。

平成18(2006)年には北陸本線長浜―敦賀間、
さらに湖西線永原―近江塩津間の
直流電化により新快速の敦賀乗り入れ
可能となるなど、年々利便性が向上。

そして令和6(2024)年、
北陸新幹線敦賀開業によって、
北陸、および敦賀地域の鉄道体系は
次なるステージへと進むことに。

今回はそんな未来へ突き進む敦賀の鉄道の歴史に
触れるべく、
敦賀港に面したとある「鉄道施設」を訪ねます。


6.7 Monday
「越前旅」2日目は、
引き続き福井県嶺南(れいなん)地域の中心都市・
敦賀市(つるがし)から。
敦賀鉄道資料館 1
前日(6月6日)に続いての晴天の中、
敦賀駅前から市内の主要観光スポットを巡る
の観光路線・
ぐるっと敦賀周遊バスに乗り込み・・・
敦賀鉄道資料館 2
松本零士(まつもと れいじ)作品のキャラクターが出迎えてくれる、
金ケ崎緑地バス停で下車。
敦賀鉄道資料館 3
バス停の目の前は芝生の広場
気比の松原付近に在った敦賀の実業家・
大和田荘七(おおわだ しょうしち)の別邸を模した
無料休憩所などが設けられた公園施設・
金ケ崎緑地公園(かねがさきりょくちこうえん)

平成11(1999)年の敦賀港開港100周年記念事業
一環として整備され、
周囲に敦賀赤レンガ倉庫人道の港 敦賀ムゼウムなどの
観光スポットに囲まれた公園内からは
敦賀鉄道資料館 4
敦賀港の港湾施設
敦賀鉄道資料館 5
商船や海上保安庁の巡視船などの船舶を望む
「港町・敦賀」の風景を楽しむことが出来ます♪

この日最初に向かうのは、
そんな金ケ崎緑地公園の隣に建っている・・・
敦賀鉄道資料館 6
敦賀鉄道資料館

平成11(1999)年、「敦賀シンボルロード」などとともに
敦賀港開港100周年を記念して整備された施設で、
戦前日本とアジア・欧州を結んでいた国際連絡線・
欧亜国際連絡列車
(東京・新橋~敦賀港~ウラジオストク~欧州各国へ)の
中継拠点として大正2(1913)年に建てられた、
旧国鉄 敦賀港驛(駅)驛舎を模したもの。

復元に当たって外観写真(しかも遠景)を除く資料が
戦災によって焼失してしまったことから、
外装・内装ともに当時のイメージによって構築。

内部は敦賀地域の鉄道に関する展示がなされた、
「鉄道資料館」として一般公開されています。
敦賀鉄道資料館 7
玄関部分。

資料の不足からあくまで「イメージ」で再現された建物とはいえ、
国外に開かれた゛門戸″に相応しい格調高い洋装や
戦前に使われていた「右書き」の表記が、
本物さながらに表現されています。
敦賀鉄道資料館 8
「敦賀鉄道資料館」内部も、
゛大正モダン″を表す洋風の設え。

あえて傷を付けることで年季を感じさせる床材に、
発注主(敦賀市)のこだわりを感じます。
敦賀鉄道資料館 13
天井から吊り下げられた照明器具からも、
濃厚な゛洋″の香り。

かつての「国際港・敦賀」を代表する交通拠点を模し、
敦賀の鉄道史を紹介する施設でもある、
敦賀鉄道資料館。
その一階部分を見回せば・・・
敦賀鉄道資料館 9
北陸本線の列車運行の拠点・
敦賀第一機関区夜間の作業を支援するために
使われていた投光器
敦賀鉄道資料館 10
貨物・寝台列車の牽引に使用された電気機関車
EF70形(写真の1000番台は寝台列車専用)の
ナンバープレート
敦賀鉄道資料館 11
古いレールの一部
敦賀鉄道資料館 12
乗務員や駅員、保線区の職員が着用していた制服などが
飾られており、
かな~り鉄分濃い目な展示となっています。
敦賀鉄道資料館 14
ガラスケースに収められた、鉄道模型たち。

昭和30年代後半(1960~64年)頃に北陸本線で活躍していた
列車・車両が再現されており、
手前から北陸特急「サンダーバード」の前身に当たる
電車特急・雷鳥
(大阪~富山間、使用車両は481系電車)、

大阪~新潟間で設定され、
583系寝台電車最後の定期列車として
平成25(2012)年まで運転された、
急行きたぐに
(当時は昼行列車。キハ28形気動車使用)、

金沢までの電化開業に合わせて格上げされた
急行ゆのくに
471系電車、大阪~金沢間)、

日本海側を長躯して大阪~新潟を走破していた
特急白鳥
キハ80系気動車使用。昭和47(1972)年の電車化
平成13(2001)年に廃止されるまで、
長らく日本最長距離を走る昼行特急の座を占めていた)

の名列車たちが共演を果たしています。
敦賀鉄道資料館 16
こちらの模型は、旅客・貨物列車の牽引に使われた機関車や
気動車の留置・検査・修繕を行っていた運行拠点・
敦賀第一機関区
扇形車庫を再現したもの。

敦賀第一機関区は明治17(1884)年に
米原―金ケ崎(のちの敦賀港駅)間の鉄道が全通したのを受けて
開設された機関車庫
(当初は「敦賀機関庫」、のち「敦賀機関区」に改称)で、
扇形機関庫は大正2(1913)年に落成。

当初は蒸気機関車、のちディーゼル機関車や気動車の
留置や整備などを行うための拠点として活用され、
平成6(1994)年に解体

跡地はそのまま北陸本線福井~敦賀~米原間や、
小浜線(敦賀~小浜~東舞鶴)で使用される電車の
留置やメンテナンスを請け負う敦賀地域鉄道部
(現金沢総合車両所敦賀支所)に
受け継がれましたが、

現在ではその大部分が令和6(2024)年開業に向けて工事が進む
北陸新幹線敦賀駅建設予定地とされ、
その面影はほぼ失われてしまっています。
(機関庫そのものは無くなってしまいましたが、
据え付けられていた転車台
将来的な金ケ崎地区への移設を企図して
保管されているそう)
敦賀鉄道資料館 15
こちらは昭和32(1957)年の北陸本線田村-敦賀間
電化開業に合わせて開設された、
敦賀第二機関区の復元模型。

北陸本線新疋田―敦賀間に上下線に挟まれる形で
広大な敷地が確保され、
機関車を収容する「収容庫」や検査・修繕を行う「検修庫」が並び、
最盛期には100両程度の機関車を管理可能な設備が
整えられていたそう。

(現在では金沢総合車両所敦賀支所の管轄となり、
福井地域で運用される電車・気動車、
寝台特急トワイライトエクスプレス(平成27(2015)年廃止)の
牽引を担当していた機関車等が所属しています)

模型では昭和37(1962)年頃の様子が再現されており、
旅客・貨物列車の牽引に充てられた
EF70ED70形電気機関車や
まだ生き残っていた蒸気機関車
急行用471系電車などの姿が確認出来ます。

敦賀鉄道資料館 17
壁面に掛けられた金属製の輪っかは
タブレットといって、
一本の線路を上下双方向の列車が共用する
単線区間に於いて、
列車の衝突事故を防ぐためのもの。

鉄道路線では駅間や駅構内での列車の追突・衝突事故を
防止するため、
駅間および駅構内を細かい区間に区分し、
そこに入る列車の本数を一本に制限する
閉塞区間(へいそくくかん)なるものが設定されています。

この閉塞区間に進入する列車の本数を管理し、
列車運行の安全を確保するために考案されたのが
タブレット閉塞式で、

運転士は走行中にこのタブレットを携行し、
閉塞区間前後の駅に設置されたタブレット閉塞機
タブレットを交換。

通信機能を備えた閉塞機より電気信号が発せられることで
発行されたタブレットを受け取ることにより、
次の区間へ進むことが可能となる仕組みになっていました。
(以後次の駅でタブレットを戻す→同様の手順で次のタブレットを
受け取る、ということを繰り返して
列車を運行していました。)
敦賀鉄道資料館 18
蒸気機関車(SL)時代のタブレット受け取り風景。

このタブレット閉塞式には
上記以外にも細かな手順が多数存在していたそうで、
その複雑さから現在では線路上の列車の有無を電気的に検知する
列車検知装置と線路上・もしくは車両内運転台に表示される
を組み合わせた自動閉塞式
主流となっており、

国内では秋田県の由利高原鉄道
青森県の津軽鉄道
熊本県のくま川鉄道(令和2年7月の豪雨災害により運休中)の
三社のみでタブレットの交換風景を
目にすることが出来るそう。
(JRでは平成24(2012)年のJR東日本只見線(ただみせん)を
最後に全面廃止

北陸本線では早い時期に複線化電化
進められたこともあり、
その過程で順次自動閉塞式へと
置き換えられて行ったものと思われます。
敦賀鉄道資料館 19
こちらがタブレット閉塞式を実行する上で欠かせない
ツールとなっていた、
タブレット閉塞機

手前の赤い箱が本体となっており、
上部引き出し口から差し込むことで
内部にタブレットを収納し、
下部引き出し口から取り出す仕組みとなっていた他、

閉塞区間末端に当たる相手駅に合図や報告を送る際に
用いた送信用ボタン
タブレットの収納・取り出しの際に操作された
解除用ボタン
相手駅に信号が発信されたことを検知する検電器を装備。

付属機器として閉塞区間の相手(駅)と直接通話するために
設置された電話機黒電話だ~!)、
送信用ボタンを解除することで鳴動するベル
備えられていました。

(使用に当たってベルを鳴らす回数も決められており、
3回は゛定通″(定時運行)などの連絡、
4回は列車が次駅に向かうための閉塞解除などの
意味があったのだそう)
敦賀鉄道資料館 21
「敦賀鉄道資料館」一階玄関左手には、
皇族や富裕層などの人々に利用されたと思われる、
特別待合室が再現されています。

ゆったりした造りのイスやソファが並べられた室内には
モニターが設置されており、
敦賀鉄道資料館 22
敦賀地域の鉄道の歴史を伝える映像作品・
敦賀鉄道物語を放映。

北陸本線敦賀港線の誕生の経緯、
路線・車両・沿線風景の移り変わりを知ることが出来ます。
敦賀鉄道資料館 23
「特別待合室」の一角に展示されているのは、
福井県立敦賀工業高校の学生たち(当時)によって
制作された、
二代目敦賀駅舎の復元模型。

開業当初敦賀駅は現在の気比神宮前交差点の一角
駅舎が構えられ、
金ケ崎駅に直通する形が取られていましたが、
明治29(1896)年の北陸線福井延伸によって
駅構内でのスイッチバックが必要となり、利便性が低下。

これを解消するため明治42(1909)年に駅が移転
されたことにともない新築された、
木造二階建ての洋風駅舎。

当時は北陸線でも最大規模を誇る
「国際都市・敦賀」に相応しい造りの建物でしたが、
昭和20(1945)年の敦賀空襲によって惜しくも焼失

昭和26(1951)年に現在の四代目駅舎
完成するまで、
簡素なバラック小屋での営業を余儀なくされることと
なりました。

(その優美な佇まいは、
敦賀駅併設の交流施設・オルパークに
引き継がれています。)
敦賀鉄道資料館 24
階段を上って、二階へ!
(何故か)撮影禁止であったため
文章でのご紹介となりますが、

二階部分は北陸本線をかつて走った、
あるいは現在運行されている列車や車両の鉄道写真
「欧亜国際連絡列車」運行当時の敦賀市や
敦賀駅敦賀港駅などの様子を伝える
写真や資料、

「欧亜国際連絡列車」乗客向けの切符やビザ
大陸から迫害を逃れて敦賀へ流れ着いた
ユダヤ人に発行された、
いわゆる命のビザ※の現物(!)など
貴重な資料の数々を展示。

戦災をかいくぐった資料を通して、
敦賀の街や鉄道の歴史をより深く
知ることが出来ました♪

※命のビザ・・・第二次大戦中ナチス・ドイツより迫害を受けていた
ユダヤ人難民たちに対し、
リトアニア・カナウスの日本領事館に勤務していた
日本人外交官・杉原千畝(すぎはら ちうね)が
発給したビザに、付けられた呼び名。

ユダヤ人迫害の当事者であるドイツ
ファシストに支配されたイタリアとの三国同盟締結が迫る中、
千畝は「人道主義」・「博愛主義」の観点から
外務省の意向を無視する形で
ビザを発給し続け、
約6,000人ものユダヤ人が救われたという。
敦賀赤レンガ倉庫 1
大満足の「敦賀鉄道資料館」を後にして、
道路を挟んで向かい側に建つ
敦賀赤レンガ倉庫へと向かいます!

参考:JRTT 鉄道・運輸機構
    由利高原鉄道
    敦賀市
    JR西日本 公式ホームページ
    アウシュヴィッツ強制収容所総合ガイド
    ホビコムbyデアゴスティーニ 名列車図鑑
    懐かしい駅の風景~線路配線図とともに~
    鉄道・なぜなに教室
    マイナビニュース 鉄道トリビア
    湖北地域情報誌 み~な
    Wikipedia

「越前旅」編
一日目

第1回 第2回

第3回 第4回

敦賀鉄道資料館

【開館時間】
9:00~17:00

【休館日】
水曜日(休日の場合は翌平日)、12月29日から1月3日
※その他、特別な理由(天災など)により
臨時休館する場合アリ

【入館料】
無料

アクセス
【自家用車】
北陸自動車道 敦賀ICから 約10分
【バス】
JR敦賀駅からぐるっと敦賀周遊バス「観光コース」で約10分
「金ヶ崎緑地」バス停下車
JR敦賀駅から松原線」で約8分
「金ヶ崎緑地」バス停下車
【タクシー】
JR敦賀駅から 約7分

【お問い合わせ】
住所: 〒914-0079
福井県敦賀市港町1-25

電話: 0770-21-0056
FAX: 0770-21-0056

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。