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越前旅9 ~「恋の宮」・金崎宮~

金ケ崎(かねがさき)

敦賀市北東部、敦賀湾を一望する
標高86mの小高い。(金ヶ崎山

現在は周囲を埋め立てられたためにその姿は
変容を余儀なくされていますが、
かつては敦賀湾に大きく突き出し、
三方をに囲まれた
天然の要害であり、

南北朝期より越前に踏み入るための関門として、
また敦賀地域を押さえる要衝として機能。

戦国時代末期には越前侵攻を企む
織田信長・徳川家康連合軍
同盟を結んでいたハズの浅井長政(あざい ながまさ)の
裏切りによって窮地に陥り、

羽柴秀吉(はしば ひでよし、のちの豊臣秀吉)や
明智光秀(あけち みつひで)らの活躍によって
死地を脱したいわゆる金ケ崎の退き口(のきぐち)の
舞台となる等、
歴史の渦中にも登場する要所でありました。

今回からはそんな歴史のうねりに揉まれた地・
金ヶ崎を歩き、
城砦の跡やそこに残された武士(もののふ)たちの物語に
触れてまいります。

6.8 Tuesday

越前旅3日は、引き続き福井県嶺南地方の
中心都市・敦賀市から。
金崎宮 1
この日も敦賀駅前から敦賀市内の観光スポットを
ぐるっと巡る
ぐるっと敦賀周遊バスに乗り込み、
前日に続いて金ケ崎方面へ!

20分ほどバスに揺られ、駐車場の一角に置かれた
金崎宮口(かねがさきぐうぐち)バス停で途中下車。
金崎宮 2

金崎宮 3
盛りを迎えたアジサイを横目に
「芭蕉ゆかりの寺」、真言宗・金前寺(こんぜんじ)の前を
通り抜け・・・
金崎宮 4
金ヶ崎山腹に通じる石段へ。
金崎宮 5
「とある神社」の参道ともなっている、この石段。

手摺りのような役割も兼ねた玉垣には、
敦賀の開港と発展に大きな貢献をなした実業家・
大和田家(おおわだけ)の名も。
金崎宮 6
参道右手に小さな社を構えているのは、
京都・愛宕山を本山とするお社・
愛宕神社(あたごじんじゃ)

火伏・防火」の御利益は小登山とは
無関係ではありますが、
「金ケ崎巡り」の無事を祈って、お参り。
金崎宮 7
ここからえっちらおっちら石段を上って行くと、
前方から鳥居が見えて来ました。

ここは金崎宮(かねがさきぐう)

金ヶ崎山の中腹あたりに鎮座するお社で、
現在金ケ崎全体を境内地として管理する、
土地の所有者(オーナー)ともいえるお宮。

その始まりは785年前の南北朝時代。
鎌倉幕府を倒して天皇親政(建武の新政)を目指していた
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、
政治方針の違いから有力武家である
足利尊氏(あしかが たかうじ。室町幕府初代将軍)と対立。

新田義貞(にった よしさだ)、楠木正成(くすのき まさしげ)、
北畠顕家(きたばたけ あきいえ)ら配下の武将たちの活躍もあって
一時尊氏を九州へ放逐することに成功しますが、
それも束の間。

西国より盛り返して来た尊氏軍に京(京都)を追われ
大和国(奈良県)吉野山中に逃げ込むこととなりました。
こうして成立したのが、
後醍醐天皇を領袖とする南朝(大覚寺統)

一方京の都を掌握して光明天皇(こうみょうてんのう)を擁立
(北朝(持明院統)樹立)した尊氏勢は、

新田義貞指揮の下
氣比神宮の大宮司・気比氏治(けひ うじはる)ら南朝方諸将、
後醍醐天皇の御子である尊良親王(たかよししんのう)、
恒良親王(つねよししんのう)らが籠もる
金ケ崎城を包囲。

半年近くにおよぶ戦いの末金ケ崎城は落城し、
尊良親王と新田義貞の子・義顕(よしあき)は自害

なんとか城を脱出した恒良親王も
結局北朝方に捕らえられ、
京にて幽閉
失意のうちに亡くなりました。

それから550年あまりを経た明治26(1893)年、
敦賀の人々の請願によって創始されたのが
この金崎宮で、

後醍醐天皇とともに皇統の復権に力を尽くして
金ヶ崎に斃れた尊良親王と、
その弟で皇太子の地位に在った
恒良親王の二皇子を御祭神として奉斎。

(御祭神二柱とは無関係ながら)
戦国期の「金ケ崎の退き口」の逸話から
難関突破のお宮として、
また毎年に執り行われる神事・
花換まつりにちなんだ恋の宮として、

地元の人々や遠くより来訪する参拝客から崇敬を集める
パワースポットともなっています。
(敦賀市の゛鬼門″(北東)の方角に当たるのも、
ポイント・・・か?)


敦賀市街を見下ろす高台に位置する金崎宮。
その境内からは・・・
金崎宮 8
臨港地域の風景が、バッチリ!
金崎宮 9
敦賀港駅敦賀赤レンガ倉庫
屋外展示されたキハ28の姿も、
ハッキリ確認できます!
金崎宮 10
緑豊かな境内には、こんな「癒しスポット」も♪
金崎宮 11

金崎宮 12
清涼感と彩りのある、
青紅葉の浮かべられた手水で手を浄め・・・
金崎宮 13
二の鳥居を潜ってご神前へ!
金崎宮 14
木立に囲まれ、静かに佇む拝殿
この奥に二皇子を祀った本殿が鎮座しています。

現在の社殿は昭和57(1982)年に改築されたもので、
建築様式はいずれも伊勢神宮と同じ
神明造(しんめいづくり)に則ったもの。
屋根は本殿は檜皮葺(ひわだぶき)、
拝殿は銅板葺(どうはんぶき)となっています。

創建当初は流造(ながれづくり)だったそうなのですが、
明治36(1903)年に金ケ崎地区からの出火によって
社殿を焼失

日露戦争後の同39(1906)年に
現在地に遷座・再建されるとともに、
建築様式も改められたそう。

ともに後醍醐帝の御子として
武家政権に回帰して行く時世に抗い、
無念の最期を遂げた二皇子の安寧を願い、
二礼二拍手一礼。
金崎宮 15
ここ金崎宮を「恋の宮」たらしめているのが、
毎年桜のシーズンに催行される神事・
花換(はなかえ)まつり

金崎宮へ桜見物に訪れた男女が「花換えましょう」と声をかけあい、
桜の小枝を交換することで思いを伝え合うという、
とってもロマンチックなお祭り。

その創始は社殿再興後の明治40年代。
当初は単純に「桜の小枝を交換して
互いの幸せを願い合う」という神事だったことでしょうが、
当時は男女間の交際のきっかけがあまりない時代。

故に花換まつりは縁を取り持つ格好の場、機会となり、
神社で花を受け取った人は
お目当ての人の前に行き花換えましょうと声を掛け、
声を掛けられた人は相手が思いに叶った人ならば
同じように「花換えましょう」と返し、

それぞれの花を交換することでお付き合いが始まった
というもの。
(不成立だったら・・・と考えると、ちょっとカワイソウ)

戦後は男女の縁を取り持つ場から縁を願う祭事へと
変容したそうですが、

友人同士や家族、恋人、また見知らぬ人同士で
幸せを願い合う
(「神様の代行者」である福娘を通して、
神様とも思いを伝え合う場ともなります)神事として、
毎年多くの参拝客で賑わうそう。
コロナ禍中にある今のご時世では、
かつての盛況は望めないことでしょうが・・・)
金崎宮 16
拝殿横には、恋の行方を占う
恋みくじが置かれています。

皆さんも「あの人」を想って、
一枚引いてみてはいかがでしょう?
金崎宮 17
御祭神にお参りした後は、
隣に鎮座する摂社・絹掛神社(きぬかけじんじゃ)へ。

ここに祀られているのは、
延元2(1337)年の金ケ崎城落城の際に
尊良親王に殉じて自刃を遂げた
新田義顕(にった よしあき。新田義貞の子)、
城将気比氏治(けひ うじはる)ら三百二十一名の忠臣たち。

名の有る将士に率いられ敦賀地域や北陸各地、
畿内(近畿)・四国などから集った勇士たちは
共に金ケ崎の地で皇室に連なる貴人を奉じて
懸命に戦い、壮烈なる最期を遂げました。
金ケ崎 1
遥かな歴史に思い馳せ、金ケ崎の奥へ。
歴史の渦に巻き込まれた史跡・
金ケ崎城址に向かいます!

参考:金崎宮 公式ホームページ
    攻城団

「越前旅」編
1日目
第一回 第二回 第三回 第四回
2日目
第五回 第六回 第七回 第八回

恋の宮」・金崎宮

拝観時間
終日

拝観料
無料(お賽銭は゛お気持ち″で♪)

アクセス
車の場合
北陸自動車道敦賀ICより 約10分

駐車場
金ケ崎公園駐車場
収容台数30台、バス5台(駐車料金無料)

公共交通機関の場合
JR敦賀駅よりぐるっと敦賀周遊バス 約18分
「金崎宮口」バス停下車、徒歩10分

お問い合わせ
金崎宮社務所
〒914-0072 福井県敦賀市金ヶ崎町1-4
TEL:(0770)22-0938

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。