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名城の痕跡を探して

毎週土曜日放送、日本人皆が知るであろう
芸能人であり知識人、タモリさん。
そのタモリさんが自らの足で
街の成り立ちを紐解くテレビ番組が人気を
博しておりますが、ここ松本にも
昔の様相を感じることの出来る場所が有るのではないか・・・
という訳で、今回は松本城の公園化されていない、
「外縁部」の痕跡を辿って、そぞろ歩いてみましょう。

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駅前から伸びるあがたの森通りから左へ。
松本城へと向かう本町通りの交差点に佇むのは、
街道の分岐点を示す碑。
左に書かれているのは、塩尻市付近から中山道と
別れ、長野市・善光寺へと至る「善光寺道」、
右側は松本から発し、山越えの後、岐阜県は
飛騨地方、高山市へと向かう「野麦街道」。
二つの道が交わるこの街が、古くから
交通の要衝として機能してきた事実を示す道標。
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松本へ降りると、二回に一回は訪れる、四柱神社。
私にとって慣れ親しんだ場所ですが、
その門前にある広場、元々は松本城の一部
桝形という防御設備の跡であり、城を攻めんとする敵を
防ぐため、水堀、石垣、塀、そして屈折した路地の
奥には頑強な大手門が待ち構えていました。
いわば城の正面入り口。
防衛上とても重要な場所だったのです。
ちなみに四柱神社は明治時代創健。
現在の敷地は、江戸時代は水堀の中。
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大手門跡
かつてはここに城の玄関たる堅牢な門が
建っていたのですが、明治の廃城令の折に
解体の憂き目に遭い、消滅。
平成の現在、駐車場と化しています。
石垣はなんと、堀にポイ捨てされたとか。無惨・・・
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駐車場の端には、井戸水が湧き出ています。
快晴の下で飲む新鮮冷え冷えの水は、
効くぅ~
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続いては、大手門駐車場から一本先の通りを
西進した先、住宅街の中に在る
西総堀公園
今現在の松本城には、天守群擁する本丸を取り囲む
内堀、その外・二之丸の防壁となる外堀という
二つの水堀が現存していますが、
もう一つ、城の外縁部、武家屋敷群をも取り込む
総堀という堀が設けられていました。
その総延長は二キロ近く。その内側には3.6mの土塁、
さらにその上には高さ2mを越える塀が続いており、
まさしく敵の眼前に立ち塞がる、一つの「要塞」の体を成しておりました。
この公園は、その総堀沿いに築かれた土塁の一部を
保存し、その概要を伝えるために整備されています。
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土塁断面。本来の土塁は保存のために覆われ、
その上には植物が芽吹いています。
中央の図は、往時の寸法を表わすもの。
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土塁左側。こちらは水堀の側に当たります。
説明板によると、土塁の際には木材を削った
杭が打ち込まれ、土塁を固める土の流出と、
城内への敵の侵入を防ぐ役割を担っていました。
防御施設に於いては洋の東西、時の近遠を問わず用いられてきた、
古典的かつ効果的な方策。
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土塁の内側は武家屋敷の跡。
庭園や建物の配置が、水色の塗り分けによって再現されています。
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同じ通りに残る、武家屋敷の門。
しかし裏側は駐車場、表側はゴミ捨て場となっており、
誰にも気付かれずに柵の内へと押し込められた姿からは、
哀愁すら感じられます。
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不思議と屈折した道は、中世~近世の町ならでは。
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武家屋敷跡の発掘現場。この辺りの町名は「土居尻」。
土塁の端、の意でしょうか。
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国宝・松本城天守を遠望。
しかし今回はこちらには立ち寄らず、飽くまで外縁部を目指します。
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城の北側に鎮座する松本神社
松本城の鎮守の社でもあります。
徳川将軍家の譜代家臣・戸田光重(みつしげ)
伯父の霊を祀るため、播磨国(今の兵庫県南部)・明石城に
社を建てたのが始まり。
その後戸田氏が松本へ転封となった折、
共にこの地へ遷座となりました。
そこから戸田氏の祖先や功有る家臣たちも
祭神として列せられ、六柱(むはしら)の神を祀る
社として今に至ります。
「松本神社」の名称が定められたのは、昭和28(1953)年。
それまでは祭神ごとに異なる社名が付けられていました。
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松本神社拝殿。
神社と言うより御殿のような造りが特徴的。
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中央には徳川家の家紋・三つ葉葵。
そちらを強調する当たり、主家を信奉する譜代の
気風が現れています。
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敷地のすぐ外に在るのは、松本神社前井戸。
その歴史はとても浅く、平成22(2010)年に新たに湧出した
というのだから、驚き。
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松本神社門前。画面右側には、かつて城の搦手(からめて。裏手の意)を
固めた、北不開門(きたあかずのもん)が建っていました。
不開門の名は、裏手から敵兵が侵入することの無い様、
常日頃から開け放つことが無かったために付けられました。
こうした施設は各地の城でも見受けられます。
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住宅地を貫く通り。実はここも土塁の跡。
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北門大井戸
かつての城門付近に湧き出す井戸ですが、
ここでおもしろい発見が。
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ご覧ください!
私が歩いてきた道路と井戸(ついでに公園も)、
これだけの高低差があります。
この辺りは北門の桝形に当たり、
建っている場所が土塁の上
見下ろす井戸が堀の底
埋め立てられた堀の跡地は高低差が是正された
場所も多いですが、こうして「城」の名残を
目にすると、ちょっと嬉しい気持ちになりますね。
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この交差点は城の防御施設の一つ、馬出(うまだし)の跡。
門や桝形の外側に堀で囲った盛り土を設けることにより、
敵側から城内の動きを遮り、
敵兵の進入路を絞る、といった役割が有りました。
少し広がった路地が、それっぽい?
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ついに辿り着きました!
城の東側、市役所の近くにわずかに残る、総堀
両側を覆う土塁も、昔の姿を今に伝えます。
残念ながら橋を挟んだ短い距離が現存するのみですが、
かつてはこの様な堀が松本城の外周全体を
囲んでいたのでしょう。
数多の櫓や門、武家屋敷等によって守られた
その光景は、さぞ壮観だった筈。

総堀を横目に歩いた先、上土通り付近に、
東門が有ったそうです。
上土(あげつち)、という町名ですが、東門周辺の
堀を築いた際、そこから出た土を上げたことに由来するそう。
城と町造りの密接な関係を窺わせます。
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東門の馬出はこの辺り。
これまた想像力をくすぐる形をしています!
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入り組んだ路地も、まるで侵入者を阻むかのよう。
ちなみに前回の記事で紹介した想雲堂付近が東門跡に
当たるようなのですが、全く面影は有りません
礎石すらも見つからない辺り、徹底した破壊の跡を
思わせます。
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ここでも井戸水が湧いています。
これも或いは水堀の残滓でしょうか・・・
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一回りしたところで、休憩。
この建物は松本市下町会館
昭和初期の建築で、老朽化による取り壊しの運命にあった
洋風建築物を移転・補修し、
下町地区の街並み環境整備事業の一環として
保存・活用されています。
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一階はカフェスペース。
松本でも名の有る老舗洋菓子店・マサムラの
お菓子を、各種ドリンクと共に頂けます。
「ショコラ・オ・ショコラ」は、ふんわりとした口溶けと、
口いっぱいに広がるまろやかなチョコの風味が
楽しめる一品。

さて、今回は松本城の外縁部、および
武家屋敷地の痕跡を辿って歩いたわけですが、
パンフレットや観光案内によれば、
あがたの森通りを挟んで反対側は、
商人町が広がっていた様子。
次はそちらへ足を向けてみましょうか。
それでは!
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485系改造のジョイフルトレイン、彩(いろどり)


























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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。