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越前旅14 ~福井城天守台~

お城と言えば?

・・・と聞かれたら、皆さんどういった姿を
想像されるでしょうか?

満々と水を湛え、敵兵を寄せ付けない水堀

堅牢堅固、職人たちの技と美意識が
凝縮された石垣

複雑に入り組み、誘い込んだ敵兵を殲滅せしめる
虎口(こぐち)や枡形

あるいは山地を区切り、自然の地形を生かして
敵の動きを限定させた土塁掘割

いずれも日本の「城」の構成要素として
欠かせないことと思いますが、
やはり安土城以降の近世城郭で
イメージすることと言えば、天守

今は一部の石垣水堀のみが
名残りを留める福井城ですが、
ここもかつては大名家の威光を示すシンボルとして、
天を衝かんばかりに聳え立つ天守
存在していました。

今回は築城60年ほどで姿を消した「幻の天守」、
その姿を今に伝える特別な石垣・
天守台の様子をお届けします!
福井城 12
徳川将軍家の゛親戚″・「親藩大名」の地位に在った
越前松平家の、居城であった福井城

藩政を取り仕切る「政庁」であり、
戦時の「司令部」ともなった本丸の西側入口・
山里口御門を突破すると、
その先に見えて来るのが・・・
福井城 2-1
福井城天守台

本丸北西隅、
内堀に面して積み上げられた櫓台で、
高さは約10m。

石材には山里口御門同様足羽山(あすわやま)より
産出された笏谷石(しゃくだにいし)を用い、
それを隙間なく組み合わせた切込みはぎという技法で
構築されています。
福井城天守台 1.5
現在の天守台の様子。

石垣上に直接載せるのではなく、
基礎となる石垣の上に
複数の台座や設備が整えられている、
福井城天守台。

その軸となる天守台
天守に付櫓(つけやぐら)を連結させた
複合式という形式に則って
(ただし付櫓の存在が確認されていないため、
あくまで石垣のみ「複合式」として建てられた様子)
築かれており、

正方形の土台の南側に細長く伸びた部分が
連結された格好となっています。

一方その隣には控天守台(ひかえてんしゅだい)という
櫓台が設けられ、
天守台同様建物の礎石が残されていることから、

本来の天守台が使用不能となった場合に備え、
代替を務める役割が
想定されていたのかも知れません。

一方天守台南東隅には籠城時には欠かせない
飲料水を生み出す井戸が設けられ、
福の井の名で城の人々や
街の人に親しまれて来たそう。
福井城天守台 5
ここで気になったのが、天守台表面部分。

本来切込みはぎによって整然と積まれているハズの
石垣ですが、
ご覧の通り石材の破損や石材同士の空隙
石垣が外側に向けて膨らんだ、
はらみが目立つ状態となっています。

長年の風雨によるダメージの蓄積か、
あるいは昭和23(1948)年の福井地震による
被害を受けた結果なのか・・・

福井県曰くただちに崩れる状態ではない
そうなのですが、
市街地中心部という立地や周囲に福井県庁舎など
官公庁が建ち並ぶことから人通りも多いため、

万が一の際甚大な被害が生じる
可能性も捨てきれない。
(ていうか素人目から見ても結構ヤバそう 汗)

石垣の維持・修復に膨大な費用と時間が掛かるのも
承知の上ではありますが、
安全の為、また景観維持の観点からも、
賢明な処置がなされるべきではないでしょうか?
(城郭研究の権威・千田嘉博(せんだ よしひろ)教授に、
ご意見を伺ってみたい!)
福井城天守台 6
と軽く゛脅し文句″を言わせていただきましたが、
ここでグズグズしていても話が進まないため(笑)
ともかく上って参ります。

天守台南面の石段を上った先、
左手に見えてくるのが、
かつて天守が建てられていた天守台

写真では天守を支えていた北面部分が写っていますが、
それに接した部分(付櫓用スペース)にも
石垣が伸びているのが分かります。

構築技法はもちろん切込みはぎ
(ここにも隙間が・・・)
福井城天守台 7
天守台の向かい側に並ぶように建っているのが、
゛もう一つの天守台″・控天守台

その建築目的は先に述べた通り
(あくまで私の推察ですが)ですが、
江戸時代を通して実用されることは
無かった様子。

それよりも石垣が大きく崩れているの
気になるところですが、
これは昭和23(1948)年に発生した
福井地震によるダメージなのだとか。

説明文からすると「自然の脅威を伝えるために
敢えてこの状態にしている」と取れますが、
修理費をケチっている訳ではない・・・
と、思いたい(汗)
福井城天守台 8
天守台上部。

「複合式」の名の通り、北面に正方形の、
南面に長方形の台座が残存。

現在ではが生い茂った状態となっていますが、
ベンチの向こう、赤線より先の部分に、
四重五階、越前松平家の威光を示す
壮麗な天守が立ち上っていました。
(建物を支えていた礎石も、
その一部が残されています)
福井城天守台 2
その福井城天守の想像図が、コチラ。

福井城天守は何度も触れて来た通り
外観四重、内部五階で、
高さは約30m、天守台も含めて約40mという
大規模なもの。

その外壁は江戸幕府成立後に主流となった
白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)で
姫路城天守のように白の輝きを放ち、

各層に飾り屋根である破風(はふ)を、
最上部に展望用の縁側・廻縁(まわりえん)を
巡らせた、
装飾性の高いものであったことが窺えます。
福井城天守台 3
福井城天守の図面。

外観は四重ですが、一層目を二つに区切ることで
五階分の空間を確保していました。

築城後約60年間福井藩の、また街のシンボルとして
君臨していましたが、
寛文9(1669)年の大火によって焼失

福井藩は城の復興と合わせて
天守の再建を計画しましたが、
幕府の許可を得ることが出来ず
江戸前期にして「天守の無い城」と
なってしまいました。

それから350年あまり。
各地で「お城ブーム」が盛り上がりを見せ、
天守が木造で再建される時代となりましたが、
その豪壮にして優美な姿が、
再び甦る時はあるのでしょうか・・・
福井城天守台 9
天守台からの、現代(いま)の眺め。

東南方向の視界を占めるのは、
天守に代わってかつての本丸御殿跡に君臨する、
福井県庁舎。
福井城天守台 10
足下には半ば崩落した控天守台。
福井城天守台 11
太鼓橋の向こうには、
西二の丸と西三の丸の跡地に広がる中央公園
福井城天守台 12
天守台で特筆すべき場所が、もう一つ。
それが南東隅にちょこんと残る井戸、
福の井

慶長6(1601)年の北ノ庄城(のちの福井城)
築城当時から存在する井戸で、
江戸中期の「御城下絵図」に「福井」と表記される等、
早い時期からその名で呼ばれていた様子。

(は籠城戦を戦い抜く貴重な資源となるため、
「幸運をもたらす存在」として親しみを込めて
そう呼称するようになったのかも知れません)

一説には福井の由来になったとも言われる名井ですが、
実際には福井藩三代藩主・
松平忠昌(まつだいら ただまさ)公の折に

「゛北ノ庄″の名は敗北に繋がる
(賤ケ岳の戦いに敗れた柴田勝家(しばた かついえ)が、
最終的に本拠・北ノ庄城にて自害に追い込まれたため)
として、福井に改名されたのが真相なのだとか。

とまれ゛街の名そのもの″を冠した井戸として、
廃城後も天守台とともに守り伝えられていた福の井。

しかし終戦間もない昭和23(1948)年、
戦災から立ち上がりつつあった福井市街に、
マグニチュード7.1の大地震が来襲。

のちに福井地震と呼ばれることになる
大災害によって、本丸各所の石垣が崩壊

「福の井」も崩壊こそ免れたものの
井戸枠が歪んでしまったことから
震災後に作り変えられてしまい、
往時の姿は失われてしまいました。
福井城天守台 13
そうして゛歪な″形のまま戦災・震災からの
街の復興を見守って来た「福の井」ですが、
平成になってから天守台とともに親しまれた
かつての姿を取り戻すべく、
福井県主導の下整備事業に着手。

既存の石材を極力活かしながら石積みや
井戸枠を戦前の状態へと復元した他、
整備に先立って行われた発掘調査に基づき、
井戸の下層で発見された笏谷石製の石敷き
排水溝も復元。

さらに修景施設として上屋(うわや)や
鶴・・・釣瓶(つるべ)も新設され、
平成29(2019)年に落成を見ることとなりました。
福井城天守台 14
ガラス越しに、井戸の中を覗く。

現在の「福の井」は口径およそ1.6m、
深さ約5.1m、水深約2.1m。

写真では上屋裏側が反射してしまっていますが、
ちゃんとが張られているのも確認出来ます。

城の着工から今年でちょうど420年
「幸福の井戸」として、土地の潤いの象徴として
街の移ろいを見守って来た名井は、
これからもこの場所で清水を湛え続けて
くれることでしょう。
(天守の復元はまd・・・)
福井城天守台 15
「天守台巡り」を終え、
東側へと下りて参りました。
福井城天守台 16
このあたりで注目して欲しいのが、
石垣表面に付けられたハの字形の
のようなもの。

これはかつて天守台に接して取り付けられていた塀の
垂木(たるき)※、もしくは屋根板
石材に食い込んでいた痕跡。

現在では地表面から1.1メートルほどの高さにある
この痕ですが、

当時の福井城の地表面は現在より
1メートルほど下がった位置に在ったため、
高さ2メートルほどの塀が天守台に接していたものと
思われます。

※垂木・・・家屋の築造時に用いられる
小屋組構造材の部材で、
棟木(むなぎ。屋根の最上部に置かれる部材)が立ち上がり
屋根を葺く段階になると、軒(屋根の端部)へ向かって
一定間隔で打ち付けられる。
福井城天守台 17
塀痕から少し下がったところに残る十字の傷跡は、
工事の際に付けられたと見られる
目印の痕。

こういった目印(刻印と呼ばれる)は
各地の城の石垣で確認されていますが、
主に石工が石切り場から石材を切り出したり、
施行主(この場合は越前松平家)に
納入した際の目印として、

あるいは石垣を積み上げる際の目安
(一見適当に積み上げられているように見えますが、
実際には職人たちによる緻密な計算と
長年の経験から導き出される勘によって
組み上げられているため、
決められた石材を決められた場所に
当てはめる必要がありました)として、

はたまた「天下普請」などの際に
定められた箇所の工事を担当した大名家が、
将軍家やそれに累する(親藩・譜代大名など)
新城主へのアピールとして
付けた等、さまざまな謂れがあるそうな。

(゛十字″を目印とする大名家というと・・・
薩摩(鹿児島県)の島津家?)
福井城天守台 18
天守台横から数百メートルにも渡って続く石段。
この上には内堀の向こうにうごめく敵勢を
迎撃するための、
土塀が伸びていたことでしょう。
福井城 3-1
城の北側、北不明御門(きたあかずごもん)跡から
本丸の外へ。

内堀に沿って、ぐるっと歩いてみましょうか!

参考:福井県 公式ホームページ
    攻城団
    AllAbout20th 住宅・不動産

「越前旅」編
1日目
第1回 第2回 第3回 第4回
2日目
第5回 第6回 第7回 第8回
3日目
第9回 第10回 第11回
4日目
第12回
第13回 ~福井城・山里口御門~

福井城天守台

入場料
無料(石垣は直さないのだろうか・・・)

アクセス
【車】
北陸自動車道「福井IC」より 約15分

【鉄道】
JR「福井駅」下車、徒歩8分
福井鉄道「福井城址大名町」停留所下車、徒歩約6分
福井鉄道「福井駅」下車、徒歩約8分
えちぜん鉄道「福井駅」下車、徒歩約8分

【バス】
京福バスコミュニティバスすまいる
「福井駅」バス停下車、徒歩約8分

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。