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越前旅16 ~福井市中央公園~

2,977の命が失われた同時多発テロ事件から、
昨日で20年。

超大国・アメリカの威信が
二つのタワーとともに崩れ去ったあの日から時は過ぎ、
節目を迎えた今年には、

事件の「首班」と目された国際テロ組織・
アルカイダが潜伏していた中東・アフガニスタンから、
治安維持と武装勢力の鎮圧に当たっていた
アメリカ軍が撤退

同国は再び混迷の渦へと
巻き込まれつつあります。

゛あの日″を境に戦争の様相は一変し、
「国家vs国家」から「国家vsテロリズム」へと変化。

最新鋭の武装と圧倒的な物量で
敵対勢力を駆逐する大国の軍に対し、
地の利と信仰を拠り所とする武装勢力が盛り返すという
展開が繰り返されています。

あれほどの惨事を目の当たりにしながらなお、
広がり続ける悲しみと憎しみ

流された血失われた命の重さ
目が向けられるのは、いつのこととなるのでしょうか・・・
中央公園 1
暗めのスタートとなりましたが、
気を取り直して参りましょう!
福井城本丸跡をぐるっと一周して、
西側の「山里口」付近へ戻って来た私。

お宿(ホテルフジタ福井)に帰投する前に、
本丸西側に広がる
福井市中央公園に寄り道。
中央公園 1.5
福井市中央公園内堀を挟んで
本丸跡の西向かいに広がる
市営公園施設で、
本丸を取り巻いていた「輪郭」のうち
本丸西隣に構えられていた西二の丸と、
その隣の西三の丸跡地に相当。

平成30(2018)年に完工したリニューアル工事では
事前に行われた発掘調査の成果も踏まえ、
市が掲げる「県都デザイン戦略」の一環として
城址と中央公園の一体性を高めるというテーマを掲げて
城跡の一部という立地を生かしたデザインが行われ、

・西二の丸(山里丸)をモチーフとして、
御廊下橋との連続性を意識した
庭園ゾーン

・西二の丸・西三の丸間に存在していた掘割
スケール感を、
視覚的に体感出来る空間づくり

・西三の丸に在った「御座所」の跡地や
庭園跡を利用し、
隣接地に城や街の歴史を体験出来る
ビジターセンターを併設。

と、市民や観光客の「憩いの場としての公園」に止まらない、
「福井城を感じられる」取り組みがなされた
文化的公園施設となっています。
(一歴史好き兼城好きとしては、発掘された石垣掘割
建物跡などをそのまま見せて欲しかった気もする)
中央公園 2
そんな中央公園で福井城のスケール感
体感出来る場所の一つ、
二の丸西堀跡

西二の丸(山里丸)と西三の丸の間に在った
の跡で、
幅26メートル、深さ約2.5メートル。

廃城後、戦前の昭和14(1939)年までに
都市開発の中で埋め立てられてしまったものの、
発掘調査の結果埋められた
規模と構造、位置、形状などが判明。

その成果を元に堀の範囲(黄線で示した範囲内)を
笏谷石の石列で表示する取り組みがなされています。
(どうせなら実物を出して欲しかっt・・・)

堀が埋められた今では判然としませんが、
右側石列の向こう、内堀との間が
かつての西二の丸の跡。

別名山里丸と称され、
築城初期には「御花畑(おはなばたけ)」と呼ばれた他、
貞享(1680年代半ば)頃には
御武具土蔵(ごぶぐどぞう。つまり武器庫)」が置かれ、
時代とともに役割が変化して行った様が窺えます。
中央公園 3
中央公園がかつての城域であったことを
もっとも分かりやすく体感出来るのが、
公園南側に設けられた掘割広場

公園のリニューアルに際して新設された施設で、
この場所より発掘された二の丸西堀
(先ほどと同じ掘割)の一部を再現。

底部は石敷きとなっており、
休憩場所とイベントスペースを兼務。

底へ下りれば幅約26m、深さ約3mにも及ぶ
のスケールが実感できる、
イチオシスポット!
中央公園 4
の両側に立ち上る復元石垣は、
本丸同様足羽山から産出された
笏谷石(しゃくだにいし)を使い、

目地(石や煉瓦の継ぎ目)を横に通した
布積みで積み上げ、
石材の角を削ることで石材同士の隙間を無くす工法・
切込みはぎを採用。

石材には全て出土した石材を用いるなど、
こだわりを感じる造りとなっています。

こうして間近に立って見上げてみると、
スゴイ迫力!
中央公園 15
公園西端に設けられた、三の丸西堀水景

西三の丸と武家屋敷地を隔てていた
を再現した修景設備で、
出土石材を組み上げた石積みと合わせ、
かつての水堀石垣の姿をイメージさせる
景観づくりがなされています。
中央公園 16
福井市役所をバックに。

水辺に建っているのは、
休憩施設と福井城および城下町の
展示・解説スペースを兼ねた、
ビジターセンター御座所
中央公園 17
石垣2~3段分を打ち込みはぎで再現した石積み。

表面には石材の切り出し・加工を担当した職人が
残したと思われる刻印も、
ハッキリと確認することが出来ます!
中央公園 6
中央公園を代表する遺構の一つと
なっているのが、
藩主の住居として西三の丸に置かれていた御殿・
御座所(ござしょ)

本丸御殿に代わって藩主が居住した
いわば「公邸」の跡で、
延宝3(1675)年5代藩主・昌親(まさちか)公の頃に
それまで在った武家屋敷を取り壊して新設

(その翌年に甥の綱昌(つなまさ)公に
家督を譲っていることから、゛隠居所″という意味合いも
あったのかも知れません)

文政13(1830)年に一度本丸へと戻されましたが、
天保14(1843)年に松平慶永(まつだいら よしなが。春嶽)が
藩主就任に伴い初入国・初入城を果たした際、
再度西の丸に移転
以後幕末まで藩主の住まいとして使用されました。

歴代藩主の中では最初に御座所を設置した
5・7代藩主・昌親公(復位後吉品(よしのり)を号す)を始め
12代重富(しげとみ)、13代治好(はるよし)、
16代春嶽、17代茂昭(しげあき。最後の藩主)の5人の藩主が
御座所に居住。

ここから山里丸、さらに山里口御門を通って
本丸御殿へ向かい、そこで政務を執る、
という形が取られていました。

(また昌親公が御座所を移設したタイミングから、
藩主引退後の゛隠居所″として使用されたとも
考えられます)

明治になってから廃城令によって取り壊され、
跡地に越前松平家18代当主・
松平康荘(まつだいら やすたか)氏が
邸宅を建設。

その後昭和初期までに痕跡は
失われてしまいました。
中央公園 24
(拡大可能です!)

西三の丸の中央付近に、
南北に伸びる形で設けられていた御座所。

そこに広がる建物群は大きく2つに区分され、
正門に近い南側は接客・儀式などに用いた御書院
家老・用人が詰めた御用部屋などの
表向きの施設。

「表」に接した北側に藩主が起居した御座の間など
中奥と呼ばれるエリアと、
藩主の夫人やそれに仕える女中などが暮らした
大奥(ドラマや映画などで有名な江戸城のソレと
役割は同じ。)など奥向きの空間が置かれ、

そのさらに奥には築山が築かれた
庭園が設けられるなど、
公私両面の役割を備えた造りでありました。
中央公園 7
一度公園の外に出て、御座所跡の南側へ。

このあたりは正面入口となる正門
在った場所で、
表の通行と出入りする者を検める「番所」を備えた
長屋門形式。

そこから御殿南端に開かれた玄関まで、
笏谷石を用いた敷石が敷かれていました。
中央公園 8
御座所玄関付近を描いた絵図。

画面下、行列が向かう先に
開かれているのが正門
その奥に御座所の玄関が見えています。

正門の隣に建っているのは、
西三の丸への出入り口の一つであった、
西不明門(にしあかずのもん)。

枡形を備えた櫓門で、
本丸の北不明御門同様戦時を除いて
使われることは無かったと思われます。
中央公園 9
藩主を補佐して藩政を取り仕切った家老や、
藩主の意を家中に伝え、
身の回りの庶務を受け持った用人といった
藩の要職を担った者たちが詰めていた、
御用部屋(ごようべや)の跡。

御書院と「奥」の間に位置し、
南北に細長~く伸びた形となっています。

想像図からすると建物東側に長~く廊下が伸びており、
その西側に家老や用人たちに充てられた部屋が
続いていたものと思われます。

画面奥、玄関に接した部分には、
接客や儀礼に際して使われた広間・
御書院(ごしょいん)が置かれていました。
中央公園 10
L字形に区切られた空間は、
御台所の跡。

「御台所」・・・というと将軍さまの「奥方」が
思い浮かびますが、
この場合は文字通り料理を作ための場所。

料理人が細心の注意で調理し
盛り付けた料理が、
藩主や奥方の元へ届けられていました。
中央公園 12
御殿の一番北側、
ちょいと出っ張りのあるこのあたりが、
藩主が起居した御座之間の跡。
中央公園 6.5
隣には、プライベート感のある
庭園も設けられていました。

国の指針を決める政務に当たり、分刻みのスケジュールに
追われていたであろう、藩主の日常。

その合間に、藩主たちは
庭木や花々を愛でたのでしょうか。
中央公園 14
御座所北東隅に置かれていたのが、
藩主の奥方が生活していた
大奥御座之間

「大奥」・・・と言えば映画やドラマで描かれているような、
華やかにしてドロドロとしたイメージ。

規模や格こそ江戸城大奥には及ばないものの、
将軍家の血縁に当たる越前松平家の「影の主」を巡り、
エゲツナイ女の戦いが展開されていたのでは・・・
と、想像してみる。

(越前松平家ではたびたびお家騒動が勃発しており、
後継争いが起こらないよう幕府から直々に
後継ぎを指名されることもあったとか。)
中央公園 13
御殿のさらに奥には、築山が配された
庭園も設けられていました。

御座所が取り壊され、月日が流れた今となっては
その形を知る術はありませんが、
ここもまた藩主にとっては安らぎの空間で
あったことでしょう。
中央公園 18
散策の最後に立ち寄ったのは、
三の丸西堀水景」に面した場所に建つ、
ビジターセンター御座所

福井市中央公園の再整備に伴い設置された
展示・休憩施設で、
福井藩主の住居・「御座所(ござしょ)」にちなんで
「ビジターセンター御座所」という施設名が付けられました。

デザインに当たっては福井市丸山に事務所を構える
ワシダ設計事務所(主宰 鷲田裕之氏)、
同じく福井市日之出にオフィスを置く
板倉満代建築設計事務所 (主宰 板倉満代氏)に
協力を依頼。

1・御座所跡、三の丸西堀水景を活かした建物配置

2・軽快で抜けのある都市的な建築

3・公園の広がりや環境を阻害しない様相

をデザインテーマに
建物を三の丸堀と御座所跡を侵すことがないよう、
その「はざま」に細長く直線的に配置。

外観は大きな水平屋根と均等スパンの列柱を用いた
シンプルな造形として、
壁面をガラス張りとすることで
開放的な造りに仕上げられています。

福井県内の優れた建築物を表彰する
ふくい建築賞では
平成30(2018)年開催の第5回大会にて
優秀賞を受賞。

名実ともに中央公園を代表する
施設となっています。
中央公園 19
デザインテーマ通り、明るく開放的な空間に
仕上げられた室内。

内部はフリースペースとなっており、
誰でも気軽に利用可能。

利用料金は設定されておらず、
散策の合間にふらっと立ち寄ることの出来る、
落ち着いた雰囲気づくりが
なされています。
中央公園 20
「ビジターセンター御座所」は、
福井城に関する資料が展示された
展示スペースも兼務。

福井城の歴史や御座所、
出土した石垣に関する解説の他、
城の復元模型
中央公園 21
江戸後期、文化3(1806)年に描かれた
福井御城下之絵図などを展示。
中央公園 22
壁面に取り付けられた大型モニターでは、
藩政期から近世、現代への城と福井の街の変遷が
分かりやすく解説された映像資料・
城下町から近代都市への移り変わり

3つのコース、放映時間から選択して
視聴することが出来ます♪
(ボタン一つで即放映♪)
中央公園 23
゛県都・福井のシンボル″を深く知ることの出来た一日。

夕陽に照らされた公園を後に、
「ホテルフジタ福井」に戻ります。
(公園のスグ横ですが 笑)

参考:福井県
    福井市 公式ホームページ
    コトバンク
    Wikipedia

「越前旅」編
1日目
第1回 第2回 第3回 第4回
2日目
第5回 第6回 第7回 第8回
3日目
第9回 第10回 第11回
4日目
第12回 第13回 第14回
第15回 ~福井城本丸、外周さんぽ~

福井市中央公園

利用料金
無料

アクセス
【車】
北陸自動車道「福井IC」より 約15分

【鉄道】
JR「福井駅」下車、徒歩7分
福井鉄道「福井城址大名町」停留所下車、徒歩約5分
福井鉄道「福井駅」下車、徒歩約7分
えちぜん鉄道「福井駅」下車、徒歩約7分

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。