fc2ブログ

記事一覧

越前旅19 ~北ノ庄城址資料館~

温帯低気圧に化けて大陸方面へ外れるかと思いきや、
まさかのカミソリカーブを描いて列島を横断して行った、
台風14号

私が住まう岡山県ではともに大きな影響は
無かったようですが、
(元)台風に接近した地域では大雨強風などにより
大きな被害が発生した様子。

もはや「恒例行事」となってしまった自然災害
驚きの念は湧きませんが、
止まない「災害」の連鎖に、
環境の変化に伴う自然の脅威の増大
感じずにはいられない、今日この頃です。

(今回災害に遭われた地域の方々の平穏と、
一刻も早い復旧を願います)

柴田神社 13
福井市滞在2日目。
「天下統一」を目指した北陸進出の拠点として、織田氏重臣・
柴田勝家(しばた かついえ)によって築かれた
戦国時代の城・北ノ庄城(きたのしょうじょう)。

福井城の築城と市街地の拡大・開発に伴い
失われてしまった城の痕跡がわずかに残る、
柴田公園を巡った私。
続いては公園端に在る・・・
柴田神社 24
北ノ庄城址資料館へ!

勝家公を祀った「柴田神社」のスグ隣、
城の橋通りに面して建てられた小さな資料館で、
館内では福井や北ノ庄の町、
勝家公やそれに連なる人々に関する資料が展示され、
北ノ庄城や勝家公についてより深く知ることの出来る
展示施設となっています。

館内は入館料無料となっている他、
ボランティアの方から勝家公や城にまつわる
解説を聞くことも出来るそう。
(私の訪問時には、誰も居ませんでしたが 笑)
北ノ庄城址資料館 1
入口から入って真っ直ぐ進んだところで、
巨大な鎖がお出迎え。

これは舟橋という、
主要河川を幾艘も並べて
その上にを渡すことで、
常設橋の代用となった仮設橋
舟同士を繋ぐために使われていたもの。

(国内では越中国(富山県)の神通川(じんずうがわ)、
陸奥国(内の現・岩手県域)北上川
朝鮮通信使来訪時に架けられた美濃国(岐阜県南部)・
尾張国(愛知県西部)境の木曽三川小熊川(現 境川)
などが「舟橋」として知られている)

越前では北陸道九頭竜川(くずりゅうがわ)の交点に
舟橋が架けられていたそうなのですが、
この鎖は北ノ庄城着工後の天正6(1578)年、
勝家公の命によって渡された舟橋で
実際に使われていたものだとか。

当時の大きさのほどは残念ながら不明ですが、
江戸後期の文書では川幅105間(約190m)、
橋長120間(約216m)と記されています。

また勝家公による架橋の際、
架橋に用いる舟を越前海岸の浦々から徴発し、
鎖の部材には領内各地より刀さらえ(=刀狩)によって
集めた刀槍の類を溶かして使ったという
言い伝えがあるのだそう。
(展示物もそうであったのかは不明)
北ノ庄城址資料館 2
こちらの絵はお江戸の世に一世を風靡し、
世界に誇る「巨匠」となった大絵師・
葛飾北斎(かつしか ほくさい)が
全国各地の珍しい橋を画題として描いた画集・
諸国名橋奇覧(しょこくめいきょうきらん)のうちの一作、
ゑ(え)ちぜんふくゐ(い)の橋

諸国名橋奇覧
天保4(1833)年~5(1834)年に掛けて
製作された全11図の錦絵の総称で、

「山城(京都府南部)あらし山(嵐山)吐月橋(渡月橋)」、
「すほうの国(周防国。山口県東南部)きんたいはし(錦帯橋)」、
「摂州(摂津国。大阪府北中部など)天満橋
などの作品が存在。

この「ゑちぜんふくゐの橋」に描かれた橋梁は、
・人通りで賑わっている(=主要な街道。北陸道?)
・常設橋である(=舟橋ではない)
半石半木であること
から、前回記事で取り上げた九十九橋(つくもばし)を
描いたものと思われます。
(残念ながら(?)勝家公の武者行列
描かれてはいないようです 笑)
北ノ庄城址資料館 3
「ゑちぜんふくゐの橋」のパネルの横に
立て掛けられているのは、
何の変哲もない柱(ワ〇ウ!)・・・ではなく、
九十九橋で使われていた石製橋脚

石材はもちろん足羽山笏谷石
北ノ庄城址資料館 4
一階はこれら三点の他はほぼほぼパネル展示だったので、
サッサと二階へ。

階段の踊り場では、
木彫りのお江さん(勝家公の養子で、お市の方の三女。
江戸幕府二代将軍・徳川秀忠(とくがわ ひでただ)正室)が
可愛らしくお出迎え♪

(実際には「将軍さま」も震え上がる、
「肝っ玉母さん」的な人物だったそうですが 笑)
北ノ庄城址資料館 5
階段上がって二階は、
パネルにて北ノ庄・福井の城や城下町、
柴田家の人々、幕末福井藩を支えた人物に関する
解説がなされている他、

北ノ庄城・福井城跡からの出土品や
勝家公の名で発給された公文書、
勝家公や北ノ庄城に付いて記された書簡などが
展示されています。
北ノ庄城址資料館 6
階段上がってスグのところで見付けたのは、
福井城跡から出土した
屋根瓦や土器、小銭など。
北ノ庄城址資料館 7
お隣には、北ノ庄城からの出土品も!

勝家公時代のものかは分かりませんが、
矢じりやかわらけ(素焼きの土器)、陶磁器など、
確かに人の暮らしがあった・・・
と思わせられる展示品たち。

なんだかウルっと来る。
北ノ庄城址資料館 8
こちらのケースに収められた文書は、
日本で布教活動を行っていたポルトガル人宣教師、
ルイス・フロイスが、
自らが属していたカトリック系修道会・
イエズス会日本年報として書き記したもの。
北ノ庄城址資料館 9
日本の文化・風習に精通し、
織田家当主・信長からの信任も獲得していたフロイス。

このページでは北ノ庄城の様子以外にも
賤ケ岳の戦いで敗れた勝家公が
領国へ退却する様子や、
本拠地・北ノ庄城が羽柴軍の包囲を受け、
勝家公・お市の方らが自害へ至る様が
克明に記録されているそう。
(ポルトガル語なんて、読めません! 笑)

このアップにした部分でも「Xibata(柴田)」や「Quitanoxo(北ノ庄)」、
「Yechigen(越前)」といった記述が見られる他、
「Quuitarondono(久太郎。のちに北ノ庄城主となる
織田家臣・堀秀政(ほり ひでまさ)」や
「Faxiba(羽柴。羽柴秀吉)」などの人物の名も確認出来ます。

北ノ庄城址資料館 10
こちらの二通は、勝家公の名で領内の商人に向けて
発行された、公文書

勝家公は領内の商いに付いては
主・信長の政策にならい、
座※の影響力を排した楽座令
推し進めたものの、

絹を商いとする軽物座(かるものざ)や
薬を扱う唐人座(とうじんざ)は
信長発行の朱印状(しゅいんじょう)や
勝家公によって出された安堵状(あんどじょう)によって
商いの権限が取り決められていた他、

北ノ庄で大きな権勢を有していた薬医商・
橘屋の場合、
支配下に置かれた「座」が楽座令の
対象外とされるような例外もありました。

座・・・Theざ。朝廷・公家・寺社の影響の下、
商人・手工業者・芸能者などによって結成された
特権的な同業者団体。

信長は統治下にある都市に於いて
独占的な商いを行う「座」の影響力を排除し、
自由な商いを奨励するという経済政策・
楽市楽座(らくいちらくざ)を推進した。
北ノ庄城址資料館 11
ガラスケース内に厳つい顔(かんばせ)を横たえているのは、
魔除けとして屋根の突端に置かれた飾り瓦・
鬼瓦(おにがわら)

展示品は北ノ庄城天守に上げられていたもので、
(推定される)他の屋根瓦同様、笏谷石製。

落城の際に倒壊する天守とともに落下したためか
欠損した部分が目立つものの、
落城前の「勝家公の城」の姿を想像させる
貴重な史料と言えるでしょう。
北ノ庄城址資料館 12
二階展示室内では、
復元された鬼瓦も展示・公開されています。
北ノ庄城址資料館 13
掛け軸に描かれた、柴田勝家公像。

精悍な表情と野性味を感じさせる豊かな髭、
がっしりとした体格などは、
やはり猛将・勝家のイメージを忠実に
なぞっているように思えます。
北ノ庄城址資料館 14
勝家公と並んで掛けられているのは、
゛最期の一年″を共に過ごした、
お市の方(おいちのかた)

戦国一のイメージ通り・・・かは皆さんが受けた印象に
よりけり、といったところでしょうが
(当時と今とでは、「美人」の基準も異なることでしょう)、
聡明さを窺わせる切れ長の目、落ち着いて凛とした佇まいは、
゛天下″に迫った兄・信長と同じ血脈
感じさせます。
北ノ庄城址資料館 15
ひと通り展示物を見終わった後は、
屋外に設けられた展望デッキへ!

公園内を見渡す好所からは、
「勝家公の夢」が詰まった北ノ庄城(+福井城)の石垣、
柴田神社の社殿などが一望の下
北ノ庄城址資料館 16
退出前に立ち寄ったのは、
一階裏手の屋外展示場

ここに数点の石材とともに並ぶのは・・・
北ノ庄城址資料館 17
勝家公とお市の方の辞世の句が刻まれた石碑

羽柴軍との最期の戦いを翌日に控えた
旧暦4月の23日夜、
今生の別れとばかりに酒宴を開いた
勝家夫妻と籠城側の将士たち。

この時ばかりは羽柴軍も攻撃を控えて
籠城軍が静かな語らいの時を送る中で、
城中に一羽のホトトギスが飛来した。

夜の静けさと束の間の安息に包まれた城中を
切り裂くように響くその鳴き声に、
感じ入った二人がこの時に詠んだのが

夏の夜の 夢路はかなき あとの名を
          雲井にあげよ 山時鳥(やまほととぎす)
                    勝家


さらぬだに うちぬるほども 夏の夜の
          夢路(ゆめじ)をさそう 時鳥かな
                       お市の方


というもので、それぞれ
「夏の夜の夢のようにはかない私の名を、
のちの世まで伝えておくれ、山ほととぎす」(勝家)

「夏の夜のほととぎすの鳴き声が、
別れの悲しさをさそっているように聞こえます」(お市の方)

という意味が込められています。

織田家伸長に力を尽くし、
覇権を望みながらも力及ばなかった゛″の無念と、
戦国の世の無常に翻弄され
悲しき運命を辿ることとなった゛落花″の悲しみ。

その末期(まつご)に、
二人は何を思ったのでしょうか。
足羽山 
次回は市街地南西、笏谷石の産地である
足羽山(あすわやま)を目指しながら、
幕末福井に名を残した人物たち、
そのゆかりの地を巡ります!

参考:福井市 公式ホームページ
    Wikipedia
    コトバンク

「越前旅」編
1日目
第1回 第2回 第3回 第4回
2日目
第5回 第6回 第7回 第8回
3日目
第9回 第10回 第11回
4日目
第12回 第13回 第14回 
第15回 第16回 第17回
5日目
第18回 ~北ノ庄城址・柴田公園~NEW!

北ノ庄城址資料館

開館時間
9:00~18:00

入館料
無料

お問い合わせ
福井市建設部 公園課
TEL 0776-20-5460
FAX 0776-20-5769
業務時間 平日8:30~17:15

アクセス

北陸自動車道福井ICから 約15分

公共交通機関
JRえちぜん鉄道福井駅から 徒歩5分

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。