越前旅21 ~愛宕坂と足羽神社~
- 2021/09/22
- 19:13

足羽山(あすわやま)
福井市南西、足羽川の南に広がる独立した山で、
標高116.5m。
散策に適した標高と広がりを持つ低山で、
福井市民の「憩いの場」。
古より福井地域との結びつきは強く、
五世紀ごろには山麓に住まう人々の
埋葬地となって大小多数の古墳が誕生。
中世戦国時代になると福井平野を望む立地から
越前一向一揆討伐に臨む織田信長や
北ノ庄城を囲んだ羽柴秀吉(豊臣秀吉)が
この山に兵を指揮するための本陣を置いたと
伝えられています。
近世以降この山で産出される
加工に適した柔らかさと美しい色調が特徴の石材・
笏谷石(しゃくだにいし)の
採掘が本格化。
また山中に点在する古社寺を中心に
茶店が出店されるようになり、
山は次第に市民の憩いの場となって行きました。
明治以降足羽山と呼ばれるようになった山が
現在のような公園として整備されるようになったのは、
明治42(1909)年に行われた
皇太子・嘉仁親王(よしひとしんのう。のちの大正天皇)の
北陸行啓がキッカケ。
貴人の福井市来訪を記念して3万円
(現在の貨幣価値で12万円・・・ホントに!?
安すぎない!?)の資金と
1,5000人もの福井市民の奉仕作業によって、
2カ月の工期で公園化が達成されました。
山中には千五百年以上の歴史を持つ古社・
足羽神社(あすわじんじゃ)や
古来よりの埋葬地となって来た古墳群、
越前開拓に大きな貢献を果たしたと言われる
継体天皇(けいたいてんのう)の像
といった名所や、
ミニ動物園、福井市自然史博物館といった
文化・レジャー施設も充実。
また山中各所には今でも茶屋やカフェ、
食事処が点在しており、
散策の休憩や食事を目当てに
立ち寄ることも可能となっています。

そんな足羽山散策の第一歩は、
ここ愛宕坂(あたござか)から。
足羽山の登り口のひとつで、
山麓北側と山上にある゛千古の社″・
足羽神社(あすわじんじゃ)付近を直結。
石段はすべて独特の質感と光沢を放つ
笏谷石で葺かれており、
道沿いに点在する家屋や
橘曙覧(たちばなのあけみ)記念文学館、
愛宕坂茶道美術館などの建築物・
文化施設と織りなす景観は美しく、
山上へとアクセスする登り口であるとともに、
足羽山一帯を彩る名所のひとつとなっています。
「愛宕坂」の名は、越前統治を任された柴田勝家公が
朝倉氏の本拠であった一乗谷(いちじょうだに)から
愛宕大権現社(あたごだいごんげんしゃ。
現在は足羽神社に合祀)を
足羽山中へと遷座したことに由来。

石段から緩斜面に至るまで、
すべて笏谷石で葺かれた愛宕坂。
福井城山里口御門の回でも説明しましたが、
笏谷石は足羽山から採掘されていた
火山礫凝灰岩(かざんれきぎょうかいがん)という
火山岩で、全体に青みを帯び、
水にぬれるとその色が
鮮やかに浮かび上がるという
特性を持っています。
その石質はやわらかくて加工しやすく、
色調にも優れていることから
福井では古くより生活に利用されて来たほか、
江戸時代には特産品として海路・
北前船にて東北・北海道まで
日本海側を中心とした広い範囲に運ばれ、
石塔、石廟や石仏などの建造物の他、
生活用品としても幅広く利用されていたそう。
愛宕坂自体元々は自然のままの
坂道であったそうですが、
江戸時代以降足羽神社への参拝客で
賑わいを見せる中で
急勾配で雨が降ると
ぬかるみやすいという問題が
浮上したことから、
文政11(1828)年に地元の豪商・
松岡吉兵衛(まつおか きちべえ)が
私財を投じて、
石階段が整備されました。
(一時コンクリート舗装とされましたが、
平成12(2004)年に元の石段へと戻されています)

上り始めて少しのところで見えてくる建物は、
幕末の歌人・国学者、
橘曙覧(たちばなのあけみ)を
顕彰する文化施設、
橘曙覧記念文学館
「愛宕坂」の再整備と同じ平成12(2004)年に開館し、
名君・松平春嶽公も高く評したという
曙覧の事績を紹介した展示や、
関連資料の閲覧が出来るそう。
またこの場所は曙覧が九年(もしくは三年)を過ごした住居・
黄金舎(こがねのや)の跡とされており、
それもこの「愛宕坂」傍が顕彰の地とされている
由縁ともなっています。

「橘曙覧記念文学館」付近の眺め。
石畳と連なる屋根が織りなす景観が、美しい♪

時折平坦地や緩斜面を挟みながら、
石段が続きます。

ちょっと横道(横坂)へ逸れてみると・・・


ちょっとイイ眺め!


咲き誇るアジサイを横目に上って行くと・・・

市街地一望の絶景ポイントに到達!
ここでちょっとひと休み。

開けた視界からは、建設中の北陸新幹線高架や
並走する北陸本線の橋梁

電波塔が目立つ福井県警察本部庁舎

先ほど渡った「幸橋」などが望めます♪
(「キーボくん」が居る!)

「展望スポット」の向かい側、
小さなお堂に収められているのは、
「愛宕坂」を石段として整備した
松岡吉兵衛(まつおか きちべえ)さんの像。
(表情と首の角度が、ちょっと怖い 汗)
趣ある情景と安全な交通路をつくり出して
下さったことに感謝して、お参り。

ここから緑に包まれた石段と参道を
潜って・・・

足羽神社(あすわじんじゃ)に到着!
「足羽神社」は越前最古、
千五百年を超える歴史を持つ、
大変由緒のある古社。
御祭神は皇統26代・継体天皇(けいたいてんのう)と、
大宮地之霊(おおみやちのみたま)と称される
生井神(いくいのかみ)、福井神(ふくいのかみ)、
綱長井神(つなながいのかみ)、
阿須波神(あすはのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)の
五柱(いつはしら)の神々。
その創始は継体帝がまだ即位する前、
男大迹王(おおとのみこ)と呼ばれていた頃。
沼地が多く、居住や農業に適さぬ越前の
窮状を嘆いた男大迹王は、
足羽山に土地を占って社殿を建て、
大宮地之霊を奉斎。
それから治水事業や三国港の開港、
舟運の整備や産業の興隆に努められ、
越前開闢(かいびゃく)の主と
讃えられることとなりました。
その後第25代・武烈天皇(ぶれつてんのう)が崩御
(ほうぎょ。天皇、皇帝、国王等の君主や、
太皇太后、皇太后、皇后などの死亡を表す)。
武烈帝に子が居なかったため
天皇の座が空位となると、
大臣たちの合議の結果男大迹王を
次期天皇として御迎えすることとなりました。
(・・・本当だろうか?)
こうして越前を離れることになった継体帝ですが、
この地への思慕と残された人々を思う心から
自らこの国の守り神となることを誓い、
御生霊(みいきたま)をこの宮に鎮め、
娘である馬来田皇女(まくだのひめみこ)を
斎主(さいしゅ。祭祀の中心となる人物。
仏教での僧侶、キリスト教の牧師に相当)に任じて、
畿内(近畿)へと旅立たれたという。
以来福井地域の、また越前そのものの祖神として
この地に鎮座し、
中・近世には朝倉氏や越前松平家といった
大名家からも篤い崇敬を集めて、
近代化を迎えた今でも変わらず多くの人が訪れる、
由緒と御神徳に篤いお社となっています。

「越前国一之宮」・氣比神宮にも劣らぬ古社への参拝。
厳かな気持ちで、お浄め。

こちらが足羽神社拝殿。
包み込むような緑との調和が、美しい。

拝殿内部。
この向こうに継体帝と大宮地之霊五柱、
計六柱の神々が御座します。
御神徳は継体天皇が
産業開発興隆、商売繫盛
工事安全、子授け、安産、子孫繁栄
大宮地之霊のうち
生井神(いくいのかみ)、福井神(ふくいのかみ)、
綱長井神(つなながいのかみ)が
井戸や水に徳があり、
阿須波神(あすわのかみ)は
足場や旅行、交通、工事安全、
波比岐神(はひきのかみ)は
門、人の出入りの守護、災難除け
となっています。
複数の神様を祀るだけあって、カバー範囲も広い!

拝殿前でどっしりと根を張り、枝を巡らせているのは、
シダレザクラ
樹齢約370年、福井市の天然記念物にも
指定されている古木で、
古くから「足羽さんのしだれざくら」として
崇敬を集めて来た霊木でもあるそうな。
春になれば、天を覆わんばかりの
桜色のカーテンが見られることでしょう♪

足羽山散策、まだまだ続きます♪
参考:足羽山と周辺エリアのポータルサイト 足羽山へ行こう
Wikipedia
前回記事
越前旅20 ~幕末福井の傑物たち~
足羽神社
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愛宕坂口バス停下車 徒歩約7分
福井鉄道福武線 足羽山公園口駅下車
徒歩約10分