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越前旅29 ~特別名勝・諏訪館庭園と「上城戸」跡~

昨夜首都圏で発生した地震

東京都や埼玉県で最大震度5強を記録した
天災は、
さいわい大規模な被害には至らなかったものの、
首都圏各所で30人あまり(今朝の地点で)の
けが人を出したほか、

都内の日暮里と見沼代親水公園(みぬまだいしんすいこうえん)を
結ぶ新交通システム、日暮里・舎人ライナー
脱線したのを始め
首都圏を網羅する交通網を寸断

10年前の東日本大震災を想起させる
帰宅困難者の続出など、
改めて人の手では御し得ぬ自然災害の脅威
有事の際のインフラの脆さ(もろさ)を
露呈する形となりました。

近年首都直下型地震の発生が
危惧される中で頻発する、
東日本での地震災害

「もしもの時」に己の身を、
日々の暮らしを守れるか。

これは母なる大地からわれわれ人間への
挑戦状なのかも知れません。

※今回の、また先日青森県で発生した地震
被害に遭われた方々の、
一日も早いご回復をお祈り申し上げます。


長々と取り上げて参りました、
一乗谷朝倉氏遺跡散策も、
今回でお仕舞い
復原町並み 2
当時の町並みを再現した「復原町並」を
巡り終え、ご当地ドリンク&お菓子
しばしの休息を挟んでから、もう一息の探索へ!
一乗谷 4-1
まず向かったのは、「復原町並」の向かい側、
ただっ広~い草地のような場所。

ここは米津地区(よねづけんj・・・ちく)
と呼ばれた街区の跡で、一乗谷川右岸、
上城戸(かみきど)と朝倉館跡のちょうど中間付近という
重要な場所に位置。
一乗谷 4-2
平成19(2007)年度に実施された発掘調査では
他の地区同様土塁を巡らせた敷地内に
建物や井戸の痕跡が確認された他、
金属製品焼成に用いられた
の跡などが出土。

その他地区内からは日用品の他
金属製品の材料となる銅地金(どうちがね)や
金属を溶融させるのに使われる坩堝(るつぼ)、
溶融した金属を鋳型へと流し込む道具・
トリベ

日本刀を飾る装飾品・刀装具(とうそうぐ)を
造るためのなどが発掘されており、
この地区には朝倉氏お抱えの
金工師
(きんこうし。刀剣を装飾する金属製の
金具全般を制作する職人)が居住し、
役務(えきむ)に当たっていたと考えられています。
一乗谷 4-9
米津地区に残る、の跡。

黒く焦がされた地面が、
ここに在った施設の役割を物語っています。
一乗谷 4-3
朝倉氏の優れた土木技術を窺わせる、
水路の跡。

両岸は見事な石積みによって護られ、
「職人町」である「米津地区」と「朝倉館」周辺を
区切るように蛇行した後、
一乗谷川へと流入して行きます。
一乗谷 4-4
水路水源と思しき、
「米津地区」背後の高台。
その台上に築かれているのが・・・
一乗谷 4-5
特別名勝・諏訪館跡庭園
(すわやかたあとていえん)

諏訪館(すわやかた)は
朝倉氏五代・義景(よしかげ)公の側室・
小少将(こしょうしょう。「戦〇無双」シリーズの登場人物、
およびそのモデルとなった女性たちとは無関係)の
居館
であったと伝えられる場所で、

そこに築かれていた庭園
一乗谷に在る庭園の中でも最大規模を誇ります。
(義景公は政務をおろそかにするほど
小少将を溺愛していたとも言われており、
館や庭園の規模からも
その寵愛ぶりが窺えます。)
一乗谷 4-6
豊かな緑と満々と水を湛える
武骨ながらも巧みな計算の元に
組み合わされた石材が、
見事な調和を見せている「諏訪館跡庭園」。
一乗谷 4-7
中心部分は上下二段の構成とされ、
奥から流れ出た水流が人工のとして
へと流れ落ちるように
造成されています。

画面右手、もっとも大きな石材は、
高さ4m13cmにも及ぶ巨大なもの。

その傍らに植えられたヤマモミジ
樹齢100年ほど、戦国当時のものでは
ありません
が、
紅葉の時季になると周囲の情景と美しい調和を
見せてくれるとか。(もうすぐ見頃ですね♪)
一乗谷 4-8
諏訪館跡からは、「米津地区」が一望の下!

「義景公をたぶらかした」とも
「最期を共にした」とも伝えられる、
小少将。

「敗者の歴史」の常として
悪し様に語られた女性(ひと)は、
どのような思いで゛嫁ぎ先″の衰亡を
見守っていたのでしょうか・・・
一乗谷 4-10
「諏訪館跡」と「米津地区」から少し歩いた先、
谷筋を塞ぐように現れる構造物は、
北側(下流側)の下城戸(しもきど)と対をなす
城下町南方の防御施設・
上城戸(かみきど)の跡。

「下城戸」同様谷の狭まった最狭部に築かれ、
高さ5m、長さ105mに及ぶ
長大な土塁
さらに東西の山並み一乗谷川を味方とした
地形の利を生かし、

そこに城門を置くことによって
出入りする者を検め、軍勢の通行を妨げる
関門としての役割を果たしていました。

「下城戸」と異なり城門の痕跡は直接的には
残されてはいませんが、
画面奥側(西側)が一乗谷川に接していること、
手前側(東側)が山地に挟まれた平坦地
なっていることから、
この付近に「通行口」が構えられていたと思われます。
一乗谷 4-11
上城戸の前面に巡らされた、の跡。

現在では半ば干上がってしまっていますが、
往時は下城戸同様豊かに水を湛え
西側を流れる一乗谷川とともに
「防壁」の役目を果たしていたことでしょう。
復原町並 2-19
町の「主」・朝倉氏の滅亡から、
今年で448年。

「戦いのため」に築かれた防塁は、
戦火から遠ざかり穏やかに流れる時の中で、
ゆっくりとその身を横たえています。
(せっかくだから土塁に登りたい
と思ったのですが、
文化財保護のためか、安全上の理由か、
とされていました。残念!)
一乗谷 4-12
谷を駆け下る、一乗谷川の流れ。
一乗谷 4-13
一乗谷を離れる前に、もう一箇所寄り道。

先ほどの「米津地区」同様真っ青な芝生が広がる
この場所は、
朝倉氏「最後の当主」・義景公のいとこに当たり、
朝倉一族の中でも宗家に次いで
高い地位に在った武将・
朝倉景鏡(あさくら かげあきら)の屋敷跡。

「戦国大名」・朝倉氏の4代目当主・
朝倉孝景(あさくら たかかげ。2人目の方)の弟で、
大野郡(現在の大野市一帯)の領主であった
朝倉景高(あさくら かげたか。ややこしい名だな・・・笑)の
子として生まれた景鏡。

「孝景2号」と不和であった父に代わって
大野郡司を継いで一族筆頭の地位に就くと、

当主・義景公の名代として
永禄7(1564)年の加賀一向一揆征伐
元亀元(1570)年の金ケ崎の戦いの際の
織田軍追撃、同年の志賀の陣などの合戦に
朝倉軍の総大将として参陣。

しかしながら父に続いて宗家当主(義景公)との
関係が悪化し、
織田軍の攻勢によって朝倉氏の旗色が悪くなると、
合戦の連続による疲労を理由に
出陣を拒否

(仕方なく)陣頭指揮を執って
浅井氏救援に向かった義景公が
刀根坂(とねざか)の戦いで敗れて
織田軍が越前へとなだれ込むと、
景鏡は自らの所領である大野郡への
撤退を進言。

義景公はこの進言を受け入れ、
再起を図って大野郡へと退きますが、
ここで景鏡がまさかの裏切り

200の手勢に囲まれた義景公は自刃を遂げ、
「一族の裏切り」という形で
越前朝倉氏100年の歴史は
終焉を迎えました。

戦後景鏡は義景公の首級(しゅきゅう)と
義景公の母・高徳院(こうとくいん)、
さらに義景公の妻子や近習(きんじゅう)らの身柄を
進駐して来た織田信長に差し出し、
降伏

これが許され名を土橋信鏡(つちはし のぶあきら。
居城であった「土橋城」から姓を、
新たな主君となった信長から「信」の字を拝領)と改めて
引き続き大野郡を治めることとなりましたが、

朝倉氏滅亡から一年後の元亀2(1574)年、
越前統治を任された朝倉氏の元家臣・
桂田長俊(かつらだ ながとし)に不満を抱いた
朝倉旧臣たちを中心として
越前一向一揆(えちぜんいっこういっき)が勃発すると、
大野郡にも2万の一揆勢が侵攻。

形勢不利と見た信鏡は現在の勝山市に在る古刹・
平泉寺(へいせんじ)へと退きますがここも囲まれ、
最期はわずか3騎で敵中へと駆け入り、
壮絶な討死を遂げました。
一乗谷 4-14
一族衆を束ねる「筆頭」という地位にありながら
宗家を裏切り、(家族や家臣たちのためとはいえ)
因果応報ともいえる最期を遂げた景鏡。

今に残るその屋敷跡は「一族筆頭」に相応しい規模で、
5,000㎡という敷地面積は
朝倉氏当主が暮らした朝倉館に次ぐ
大きなもの。
一乗谷 4-15
敷地内や周囲からは礎石建物や土塁
などの跡が検出されている他、

土地を守る「氏神様」に工事の安全と
家門の繁栄を願うための祭礼に用いられた
地鎮具(じちんぐ)や、
銅製の仏花瓶(ぶっけびょう。
仏前に花を活けるのに用いられる花瓶)を納めた
越前焼小壺

天目茶碗(てんもくぢゃわん)や一節切
(ひとよぎり。尺八の一種)などが出土しており、
屋敷の主やその家族が
経済的・文化的に恵まれた
暮らしを送っていたことが窺えます。
一乗谷 4-16
屋敷の周囲に巡らされていた、防御施設の跡。

凸状の部分が土塁の跡、
凹面部分がの跡となります。
一乗谷 17
越前の地に根差した大名家、
その繁栄と衰亡の歴史に想い巡らせた一日。

「平面復原地区」を横目に川沿いを下り、
「下城戸」跡から゛町″の外へ。
一乗谷 4-17
一乗谷駅から単行でやって来た
キハ120(一般塗色)に乗り込み、
福井市街へと戻ります。

参考:刀剣の専門サイト・バーチャル刀剣博物館
刀剣ワールド
    戦国武将列伝Ω
    長谷工アーベスト
    Wikipedia

前回記事
越前旅28 ~復原町並・町家群~

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。