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越前旅35 ~「現存天守」・攻略す!~

はじめに

私事ではございますが、
本日私「詞(Nori)」、ここ数日取り組んでいた
ブログの有料プランへの移行独自ドメインの取得
完了致しました!

次なる目標は「グーグルアドセンス」取得による
当ブログの収益化!

ゆくゆくは旅とそこで見聞きしたもののアウトプットに
全力を傾けるため、
そして皆さんがより見やすい環境をお届けするために、
精いっぱい取り組んで参る所存でございます!

今後とも当ブログの閲覧と応援のほど、
よろしくお願い致します!
丸岡城 21
全国でも数えるほど(12ヶ所)しかない
現存天守が残り、
日本100名城にも数えられている「北陸の名城」・
丸岡城

いよいよその「シンボル」となる、
天守へ登って参ります!
丸岡城 2-2
丸岡城天守を支える天守台は、
高さ約6.2m。

その築造方法は、
山地より切り出された石材を
自然のままに積み上げる、
野面積み(のづらづみ)というもの。

これは戦国末期、安土城豊臣大坂城など
城郭に石垣が構築され始めた初期に
使用された技法であり、
現存天守の中でも特に古風なものと
なっています。

天守自体は前回記事でも述べた通り
江戸時代前期・寛永年間(1624年~1644年頃)の築であり、
その頃には既に「打ち込み接ぎ(はぎ)」や
「切込み接ぎ」といった先進的な技術が
開発済み。

財政面や城の新規築城および改修を厳しく律した
「武家諸法度」の存在など理由はさまざまでしょうが、
柴田勝豊(しばた かつとよ)公の頃の石垣を
そのまま使ったとも考えられます。
丸岡城 25
貴重な「現存天守」として、
江戸時代のままの姿を今に留める
丸岡城天守ですが、
実は一度倒壊の憂き目に遭っています。

それが終戦間もない昭和23(1948)年に発生し、
福井平野を中心に多大な被害をもたらした災害・
福井地震

この時震源地の直上付近に位置していた丸岡城も
激震の影響をもろに受けてしまい、
各地の城郭建築を葬り去った戦災
生き抜いた天守も、成すすべなく
倒壊してしまいました。

しかし震災から3年後の昭和26(1951)年には
復元工事に着手し、
古材の80%を再利用する形で
ほぼ倒壊前そのままの姿へと復元

多くの人々の努力と熱意の甲斐あって、
さまざまな要因で侍の権威と財力の象徴たる
高塔が失われて行く中にありながら、
「現存天守」の一基としてその名を連ねています。
丸岡城 2-4
天守へ至る石段のたもとに置かれている
(しゃち)は、
福井地震以前に天守頂部を飾っていたもの。

元は木彫り銅板を張り付けたものが
使われていたそうですが、
昭和15(1940)年~同17(1942)年に施行された
修理工事の際、
折からの資材不足から瓦と同じ
笏谷石を彫ったものへと交換。

しかし震災の際に天守もろとも
地上へ落下してしまい、
破損した状態のままで保存されています。

鯱自体はその後の復元工事で元の
木彫銅板張り(もくちょうどうはんばり)に戻されて、
今も天守頂部で火伏(ひぶせ。火よけ)の任に
当たっています。
丸岡城 2-5
天守内部へ入る前に、石段側面にご注目!

天守の基部にスカートのように
取り付けられている部材は、
天守台と少し小さめに造られた天守の
隙間を埋める目的で設けられた、
腰庇(こしびさし)というもの。

丸岡城の天守台が自然石をそのまま積み上げた
野面積みという工法で築かれたことは
既に説明しましたが、

その中でも丸岡城天守台は
頂部に置かれた石材まで加工一切ナシ
積み上げた形となっているため、
限界まで建物を広げることが出来ず
石垣と建物の間に隙間が生じる形となっています。

そうして生じたの隙間から雨水が侵入して
建物を腐らせてしまうことの無いように
取り付けられたのがこの腰庇で、
梅雨時の連日の降雨(「お静の涙雨」)や
冬季の降雪から、
貴重な文化財を守り抜いています。
丸岡城 2-6
石段を上り切り、
いよいよ天守一階へ突入!

一階部分の広さは137㎡。
身舎(もや)と呼ばれる中央部分を
一間(約1.8m)幅の入側(いりがわ)、
もしくは武者走り(むしゃばしり)と呼ばれる通路が
取り巻いています。

中心部分には大小さまざまな柱が建てられ、
二層目(二・三階部分)を支持。

これは複数階を貫く通し柱
建物全体を支える太い柱・
心柱(しんばしら)を持たない
丸岡城ならではの工夫。
丸岡城 2-7
形も太さもさまざま、
手彫りの跡が残る手作り感満載
丸岡城の柱。

大城郭のような゛造形美″こそ無いものの、
「戦国」の気風を残すかのような
武骨な佇まいも、またイイ♪
丸岡城 2-8
既に徳川将軍家による統治体制が
確立した時代の築となる丸岡城天守ですが、
戦への備えも欠かしません。

外に向かって開かれた格子窓
丸岡城 2-9
壁に空けられた狭間(さま)からは、
外にうごめく敵兵を弓や鉄砲で狙い撃ち!
丸岡城 2-10
出入り口のある東面を除く三方には、
出窓の付いた石落
(いしおとし。石垣に取り付いた敵兵に
熱湯などを浴びせかける防御設備)が
設けられ、
実戦的な造りとなっているのが分かります!
丸岡城 2-11
一階中央に置かれた、
江戸時代の丸岡城を再現した復元模型
丸岡城 2-12
東西に伸びた丘陵上に築かれ、
二段の郭で構成された、
丸岡城本丸

その主要施設はすべて西丸に護られた
西側の郭に集中しており、
城の「象徴」となる天守を中心に、
その周囲に櫓や土塀を配置。

正面入口となる石橋門
通路と防御施設を兼ねた櫓門として、
側方に水の手櫓を置くことで、
西丸から攻め込んで来る敵兵を
迎え撃つ構えとなっていました。

天守の隣接地には本丸御殿
築かれていますが、
あくまで戦時の御座所としての役割が
期待されたものであり、

戦の心配が無くなった江戸時代には、
藩主の住まい・政庁としての役目は専ら
山麓の二の丸御殿が担っていたものと思われます。

一方主だった施設が無く
貴重品が収められた宝蔵(ほうぞう)を除いて
ただっ広い広場となっている東側ですが、

普段は塞がれ、戦時にのみ通行が可能とされる
埋門(うずみもん)や不明門(あかずのもん)から
東丸側方へ下り、裏門から城外へと脱出するための
搦手(からめて)としての運用が
想定されていたことでしょう。
丸岡城 2-13
一階をひと通り見終えたところで、
二階へ!

丸岡城天守内の階段は
ご覧の通りの急角度で、
一階から二階への階段が65度
二階から三階に掛けては67度にも達します。

これは平時の利便性よりも
一度に多数の敵兵が通行することを妨げ、
登りづらくさせることを重視した、
敵兵に対する嫌がらせ

もちろん現代の「バリアフリー性」など
全く考慮されていない代物であり、
上り下りの際には健常な足腰細心の注意
必要とします。
丸岡城 2-14
階段上がって二階へ。

二階の広さは一階の三分の一ほどの、
約43㎡。
室内も一階のような入側(武者走り)を廃した
シンプルな造り。

室内中央や四隅の柱はすべてこの階だけ
ものであり、
一階部分を土台としてこの階のみの重量を
支える構造となっています。
丸岡城 2-16
この階で特徴的なのが、
南北に一つずつ設けられた出部屋(でべや)

外に対して窓が開かれ、
十数人ほどが詰められそうなこの空間は、
天守台に迫る敵を狙撃して
天守内を登って来る敵を迎え撃つための、
詰所として機能したものと思われます。
丸岡城 2-15
二階の一角に置かれたパネルは、
お家騒動後の越前松平家に
附家老として遣わされ、
のちに丸岡藩初代藩主となった
本多成重(ほんだ なりしげ。画面左)公と、

その父で徳川家康に仕え、
気性の荒さと剛勇から
鬼作左(おにさくざ)の異名を取った、
本多重次(ほんだ しげつぐ)公を描いたもの。

重次公が天正3(1575)年に長篠の戦いの陣中から
夫人に宛てて書いた
一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせの一文は、
日本一短い手紙として
丸岡の地に伝えられ、
天守そばには「一筆啓上碑」が建立されています。
(文中の「お仙」とは、幼少時の成重公のこと)


二階からまた急角度(67度)の階段を上り・・・
丸岡城 2-17
天守最上階・三階に到達!
(敵将、討ち取ったり~! 笑)

三階は二階と同じ広さ43㎡。
中央に二本と四隅に柱を配する造りも同様で、
天井部分は骨組みがむき出しの
極めてシンプルな装い。

外部に対しては四方に窓を開き、
その外周に廻縁(まわりえん)を配置。
外壁は柱を見せた真壁(しんかべ)づくり
なっています。


そんな天守最上階からは・・・
丸岡城 2-20
建設中の北陸新幹線
丸岡城 2-21
周囲の山並み
丸岡城 2-22

丸岡城 2-23

丸岡城 2-24
福井平野や丸岡の町を望む、
秀景が楽しめます♪
丸岡城 2-18
注意深く覗き込んでみれば、
この天守の特徴である
笏谷石で葺かれた屋根瓦や
丸岡城 2-19
鬼瓦の様子も丸わかり!
丸岡城 2-25
平和な時代の建物でありながら、
「戦国」の気風を残した建築様式、
最上階からの眺めが楽しめた
「現存十二天守」・丸岡城天守。

威風堂々たる姿を目とレンズに焼き付け、
丘を下ります!

参考:丸岡城 公式サイト
    KamaAkeの全国城めぐり
    Wikipedia

前回記事
越前旅34 ~「現存天守十二城」・丸岡城~

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。