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越前旅41 ~北陸特急・しらさぎ その2~

しらさぎ 4
長い旅路を経て、とうとう訪れた福井県との別れ

温泉地の玄関口となっている
JR芦原温泉駅から
残り少ない「北陸特急」の一つ、
特急しらさぎに揺られ、
経由地となる「東海の都」・名古屋を目指しております。
(まだ県境は越えていないけどNe☆)
しらさぎ 24
11時10分、私を乗せた「しらさぎ6号」は、
敦賀駅6番線ホームを出発。

いよいよお隣・滋賀県を目指しての
山越えのスタートです!


この先の区間で注目して欲しいのが、
京都・大阪方面へ向かう上り列車の動き。

敦賀駅を出た列車はしばらく
若狭方面へ向かう小浜線(おばません)、
北陸本線下り線と並走した後、
笙の川(しょうのかわ)に差し掛かるあたりで
下り線と分岐して築堤上へ。
しらさぎ 2-3
「単線状態」になってから
円を描くように回り込んで下り線を
オーバークロスして、
山の中へと突き進んで行きます。
しらさぎ 2-2.5
イメージ図。

この付近の北陸本線上り線
通称鳩原(はつはら)ループ線
と呼ばれ、
ご覧の通り下り線をパスして
敦賀市郊外の衣掛山(きぬかけやま。標高181m)の
外周をぐるっと回って、南へ向かうルートが取られています。

昭和32(1957)年、北陸本線では
厳しい勾配と蒸気機関車から排出される
煤煙(ばいえん)に悩まされ、
時間も手間も掛かる柳ケ瀬経由のルートから、

長大トンネルを駆使しながらより直線的に、
より早く滋賀県―敦賀間の通り抜けが可能な、
塩津ルートへの付け替えが行われ、
6年後の同38(1963)年には念願の
複線電化が行われることとなりました。

しかしながら敦賀から京都方面へ向かう区間では
25‰(パーミル。1000m進むごとに25m上る)もの
標高差が生じてしまい、
当時の非力な鉄道車両では
登るのが難しい

そこで登坂に挑むこととなる上り線勾配を緩和し、
安全に登るために策定されたのが
この鳩原ループ線で、
半径500mの曲線を描き、円弧状に敷設された路線を登ることで、
勾配を10‰(1000m進むごとに10m登る)
程度にまで緩和することに成功しています。

(現代の進歩した車両ならば
25‰区間をクリアすることも可能でしょうが、
コストやらの事情から、再度付け替えるのは
現実的とは言えないでしょうね)

この「鳩原ループ線」を経由するため
上下線の間には所要時間に3分の差が
生じているそうですが、
珍しい体験が出来ていると思えば、
損な時間とは感じない・・・かな?(笑)
しらさぎ 2-4
そんな「鳩原ループ線」、
ぐるっと回っている途中で
遠ざかっているハズの敦賀市街が見えたり、
複線区間のハズなのに延々「単線状態」が
続いたりと、車窓的にもオモシロい。
しらさぎ 2-5
福井・滋賀県境に横たわる深坂トンネル(5,170m)を抜け、
8日ぶりとなる滋賀県の地へ!
(see you福井県!)

トンネルを抜けた先、
近江塩津駅(おうみしおつえき)の手前で
長浜・米原方面へ向かう北陸本線
京都・大阪方面へ通じる湖西線は分岐。

並走した状態で駅をパスし、その先で
北陸線は東へ、湖西線は西へと
大きく分かれて行きます。
しらさぎ 2-6
琵琶湖北方に広がる湖・
余呉湖(よごこ)付近を通行。

遠くには大戦の舞台となった
賤ケ岳(しずがたけ。標高421m)が
見えています。
湖北旅を思い出すなぁ・・・
しらさぎ 2-7
長浜駅の手前で、
こちらも名高い合戦が繰り広げられた姉川を横断。

こうしてみると、やはり近江(滋賀県)は
要衝の地だよなぁ・・・
しらさぎ 2-8
肥沃なる湖北平野を進行。
しらさぎ 2-9
滋賀県最高峰・伊吹山(いぶきやま。1,377m)は
この日は雲隠れ

半年お世話になった地なのですが、
見送ってもらえず(涙)
しらさぎ 2-10
芦原温泉駅を出ておよそ1時間20分。
折り返し地点となる米原駅(まいばらえき)
に到着!

滋賀県東部、JR西日本JR東海の二社が交わる
境界駅であり、
在来線と東海道新幹線の乗り換え駅ともなる
交通の要所
(ここで大半の乗客が新幹線へと流れ、
車内は一気にガラガラに 笑)

越前から駆け続けてきた北陸本線もここで終点となり、
この先は終点・名古屋を目指し、
JR東海管轄東海道本線へと入ります。

ここでJR西日本からJR東海への
乗務員交代が行われる他・・・
しらさぎ 2-10.5
米原駅周辺がこのような
配線となっているため、
ここで「しらさぎ号」はスイッチバックする形で
方向転換

これら諸々の準備のため、
米原駅では7分の停車時間が設けられています。
(加えて「しらさぎ号」の名古屋発便では
需要に合わせて付属編成(3両)の
増結・解結が行われることもあり、
そのための長時間停車でもあります)
しらさぎ 7
ここまで先頭で北陸路を駆けてきた
貫通型先頭車も、ここから先の東海区間では
編成後端に回ります。
しらさぎ 2-12
11時52分、米原駅を発車。
コロナ禍真っ只中で需要も見込めないため、
この日の「しらさぎ号」では
北陸区間での付属編成の増結はナシ
6両編成のまま東海区間へと進みます。

左手に東海道新幹線の高架を眺めながら、
先ほど走って来た北陸本線をオーバークロス。
しらさぎ 2-13
前方から山並みが迫って来ました。

今度は滋賀・岐阜県境を越える山越えへ!
しらさぎ 2-14
この山越え区間で見どころとなるのが、
慶長5(1600)年に天下分け目の大合戦
舞台となった、関ケ原

東海道本線歴史の大転換点の跡を
南西(大谷吉継陣所跡付近)から東へと
抜けて行きます。

車窓右手には、「裏切り者」・
小早川秀秋(こばやかわ ひであき)が
陣を敷いていた、松尾山(292m)
しらさぎ 2-15
山越えを終え、大垣駅を出た列車は、
濃尾平野(のうびへいや)を潤す河川群・
木曽三川(きそさんせん)越えへ。

揖斐川(いびがわ。撮影失敗!>‐<)に続いて
長良川(ながらがわ。写真)を渡る。
しらさぎ 2-16
12時26分、岐阜県都の玄関・
岐阜駅に到着!

岐阜駅では下呂温泉や高山、
白川郷などの観光地を抱える
飛騨地方へ向かう路線・
高山本線が分岐。

またすぐソバには中京圏でJRと熾烈な争いを
繰り広げる赤い電車の拠点・
名鉄岐阜駅が所在しています。

林立するビルの向こう、
三角形の山容が美しい金華山
(きんかさん。標高329m)の頂上には・・・
しらさぎ 2-17
織田信長が居城としていた、岐阜城の姿!
しらさぎ 2-18
岐阜市街を抜け、「木曽三川」最後の一つ・
木曽川(きそがわ)を横断。

この先は一宮市(いちのみやし)。
早くも愛知県へと入りました!
しらさぎ 2-19
12時36分、
尾張一宮駅(おわりいちのみやえき)発車。

その先で車窓左手に見えて来る
広大なヤードは、
JR貨物稲沢貨物駅
しらさぎ 2-20
清洲駅(きよすえき)通過後左手には、
織田信長が初期の居城としていた、
清洲城!

・・・と思うかもしれませんが、
現在の゛城″および天守は平成元(1989)年に
旧・清洲町の町制100年を記念して建てられた、
模擬天守
(もぎてんしゅ。天守の存在が確認されなかった城に
建てられた、「天守風建築」)

実際の城跡は真っ赤大手橋を渡って反対側で、
現在ではわずかに土塁石垣が確認できる程度
なのだとか。
(「清洲城」と聞くと、子どもの頃に観た大河ドラマ・
「葵 徳川三代」で故・蟹江敬三(かにえ けいぞう)さんが
熱演されていた豊臣恩顧の武将・
福島正則(ふくしま まさのり)公を思い出す)
しらさぎ 2-21
いよいよ名古屋市中心部が近づいて来ました!

庄内川(しょうないがわ)を渡り、
赤い電車が隣に並べば、
名古屋駅はもう目の前!
しらさぎ 2-22
12時48分、「しらさぎ6号」は
東海地方最大のターミナル・
名古屋駅に到着!

始発駅・金沢からは3時間キッカリ、
乗車した芦原温泉駅から2時間24分の
鉄路はこれにて終了!

乗客を降ろした681系回送列車となって、
車両基地へと引き揚げます。
(この時危うくキャリーバッグを車内に
置き忘れるところだった💦危なかった💦)
ひのとり 1
福井県北部から197.5km。
やって参りました、中京・名古屋!

しかし旅路はまだ中継点
お次は「日本最大の私鉄」が送り出す
新兵器に乗車して行きますよ~!

参考:湖北地域情報誌 びわ湖からみ~な 144号
    攻城団

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越前旅40 ~北陸特急・しらさぎ その1~

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。