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美観地区巡り8 ~倉敷地域の総鎮守・阿智神社~

古来、自然を敬い、そこに宿った神々を
崇め奉って来た、日本人

国を建て、それを大きくしようとする過程の中で
生み出された八百万の神々
(やおよろずのかみがみ)の概念は、
信ずる、信じないを別として
われわれの心に深く根差しています。

そんな神々の中でも身近な存在と
言えるものの一つが、
地域を守護する鎮守の社
(ちんじゅのやしろ)

その土地の人物や逸話に端を発し、
天地を、人を、邑(むら)から町へと
発展して行く過程を見守って来た、
地域の守り神

今回は海辺に開かれた「邑」から
「天領」、そして「近代都市」へと
変化を続ける倉敷市を古より
見守り続けている、
鎮守の社へごあいさつ!

社へ至る路地(みち)と境内の様子、
そこから眺める倉敷市街地の風景と、
境内に残された古代の息吹を
お届けいたします!


前回記事はコチラ


美観地区撮り歩き 2-1
倉敷川沿いで「水運の町」として
物資の集積地、近代産業の拠点として
発展を遂げ、
今も趣ある町並みが残された、
「倉敷美観地区」。

その風雅な町の東北方向、
鶴形山(つるがたやま)と呼ばれる
小高い丘陵(標高43m)上に
鎮座しているのが・・・
阿智神社 1
「倉敷の総鎮守」・
阿智神社!(あちじんじゃ)

古代、「阿知潟(あちがた)」、
もしくは「吉備の穴海(きびのあなうみ)」と称される
内海が広がっていた、現在の倉敷市域。

そこへ応神天皇20年(291)年頃に来着したのが、
阿知使主(あちのおみ)とその子都加使主(つかのおみ)に
率いられた渡来人(とらいじん)たち。

「和人」に帰化するに当たって
帰属意識を明らかにせんとした彼らは、
この地に倭国古来の磐座(いわくら)や
磐境(いわさか)を置くとともに、

彼らが持ち込んだ中国の鶴亀の逸話に基づいた
神仙蓬莱思想(しんせんほうらいしそう)や、
陰陽思想(おんみょうしそう)と融合した
境内地を築きました。

(これが現在の「阿智神社」創始の
元と思われます。)
阿智神社 2
やがて神仏習合(しんぶつしゅうごう。
平安以降登場・定着した仏教の仏と
神道の神を同一とする思想)によって
妙見宮(みょうけんぐう)と
称されるようになった同社は、

長らく西麓の寺院・観龍寺(かんりゅうじ)の
境内社として奉斎された後、
文禄3(1594)年に現在地へと遷座

戦国末期~江戸時代には
阿知潟」跡に広がっていた干潟
順次干拓されて行くとともに、
「天領」となった倉敷は
物資の集積地・商業の町として発展。

その過程で当社でも社殿の造営と再建が
進められて行きました。

明治に入ると新政府により
神仏分離令が発せられ、
現社名へと改名。

明治43年(1910)年に阿知潟神社以下
近在12社を合祀
昭和17(1942)年には県社
列せられ、
今日においても倉敷鎮守の社として
篤い崇敬を集めています。
阿智神社 3
鳥居を潜ってスグのところに鎮められた、
「神の依り代」として祀られた巨石・
磐座(いわくら)

「阿知一族」によって築かれた、
「和漢混合」の祭祀の名残りでしょうか?

傍らに建てられた祠には、
「八百万」の神々きっての
知恵と見識を備えた神
(「天の岩戸開き」の計を巡らせた
神様でもあります)であり、

明治期に阿智神社へ合祀された
旧阿知潟神社の御祭神・
八意思兼神
(やどころおもいかねのかみ)が
祀られています。
阿智神社 4
お寺(観龍寺の一部かな?)の
傍を通り・・・
阿智神社 5
二の鳥居(かな?)を突破!
阿智神社 6
木立の間をすり抜けて・・・
阿智神社 7
江戸中期・宝暦2(1752)年に建てられた、
随身門(ずいしんもん)の前へ!
阿智神社 8
階段下の手水(ちょうず)で手口を浄め、
いざ神前へ!
阿智神社 9
随身門を潜った先、
鳥が翼を広げるかの如く屋根を広げた
ゆったりとした造りの建物が、
参拝客が御神体を拝むための建物・
拝殿(バイデンはいでん)

江戸前期・天和2(1682)年の築です。

この先の本殿に
多妃理毘売命(たぎりひめのみこと)、
市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)、
田寸津比売命(たぎつひめのみこと)の、
いわゆる宗像三女神
(むなかたさんじょしん)が奉斎されています。

この地へのごあいさつと平穏無事を祈って、
二礼二拍手一礼。
阿智神社 10
参拝を終えた後は、
拝殿西側に建てられた
絵馬殿(えまでん)へ。
阿智神社 11
下から見上げた「絵馬殿」は、こんな感じ。

崖上にあって、多数の柱を組み合わせた、
京都・清水寺(きよみずでら)の「舞台」のような
懸造(かけづくり)となっています。
阿智神社 10.5
名前通り参拝者たちの願いが書き込まれた
絵馬を奉納するために整備された
建物からは・・・
阿智神社 13
「美観地区」や市街地を一望する、イイ眺め♪



ここからは、境内をぐるっと一巡して
参りましょう!
阿智神社 14
拝殿後方に控えるのが、
「宗像三女神」を奉斎した本殿

江戸中期、寛延2(1750)年に
再建されました。

細やかな装飾が施された造りには、
日光建築の影響が窺えるそう。
阿智神社 15
「阿知一族」による祭祀の痕跡が
色濃く残された、阿智神社境内。

本殿を取り囲むように磐座(いわくら)や
磐境(いわさか)、
多数の石組(いしぐみ。「いわぐみ」とも)が
配置されています。

鶴が翼を広げたかのような形の
羽石(はねいし)もその一つで、

本殿西側には古代中国神仙蓬莱思想
(しんせんほうらいしそう)※に基づき、
「長寿」の象徴とされるを象った石が
並べられています。

※神仙蓬莱思想
しんせんほうらいしそう。不老長寿の人間、
いわゆる「仙人」の実在を信じ、
みずからも「仙術」によって仙人たらんと
願った、古代中国の思想。

中国初の統一王朝を築いた
(しん)の始皇帝(しこうてい)も
ドはまりしていたとか。
阿智神社 16
「羽石」の前には、
鶴の頭のような鶴頭石
阿智神社 17
鶴を表した「鶴石組」の隣には、
゛万年生きる″とされるを象った、
亀石組(かめいしぐみ)

この石はが頭をもたげる様を表した、
亀頭石
阿智神社 18
亀の甲羅を象った、
亀甲石(きっこういし)も
状態良く残されています。
阿智神社 19
境内北西に建てられた社は、
摂末社の一つ・荒神社
(こうじんじゃ)

素戔嗚尊(すさのおのみこと)・
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ。
いわゆる「お稲荷さま」)・
高竈神(たかおかみのかみ)・
闇竈神(くらおかみのかみ)の
四柱の神々が合祀されています。

素戔嗚尊の荒魂
(あらたま。神様の魂が活性化し、
荒々しい力を示した状態)を
お祀りしていることが、その名の由来。
阿智神社 20
「荒神社」の反対側に並ぶ、
城山稲荷神社
(しろやまいなりじんじゃ)と
菅原神社(すがわらじんじゃ)

城山稲荷神社」は
倉稲魂命(うかのみたまのみこと。
「お稲荷さま」。「荒神社」に祀られた
宇迦之御魂神と同一)を、

菅原神社は学問の神・「天神さま」こと
菅原道真(すがわらの みちざね)公の他、
日本武尊(やまとたけるのみこと)、
大物主命(おおものぬしのみこと)、
猿田彦神(さるたひこのかみ)を合祀。

また「荒神社」との間には、
古代祭祀の名残りを留める
磐座(いわくら)が広がっています。
阿智神社 21
本殿東側に高々と聳え立つ高木(こうぼく)は、
東南アジア原産、
ツバキ科に属する中高木・
木斛(もっこく)

阿智神社境内ではもっとも長寿の木だそうで、
生長の遅さからこのような大木に育つのは
珍しいそう。

その花言葉は「人情家」で、
情愛を「持つ濃く」と読める(無理やり気味?笑)
ことから、
縁結びの木として
大切にされているのだとか。
阿智神社 22
境内北西端、
草木や竹垣に囲まれた一角は、
日の本」の象徴である太陽
太陽神」たる日本の最高神・
天照大神(あまてらすおおかみ)を祀る
伊勢神宮(いせじんぐう)、

さらに天皇陛下が御座す遥か彼方、
東京(あるいは京都?)の皇居を望む、
東方遥拝所(ようはいじょ)

日本を象徴する自然の事象や神様(神社)、
人物をいっぺんに拝める、
と~ってもありがたい場所!
阿智神社 23
倉敷市内の戦没者を祀った
「倉敷護國神社(ごこくじんじゃ)」との間にも、
巨石を祀った磐座(いわくら)が
鎮座しています。
美観地区撮り歩き 2-1
倉敷地域の創生と成り立ちを感じた、
「総鎮守・阿智神社」参拝。

お参りを終えた後は、
再び「美観地区歩き」へ、
レッツゴー!

参考:阿智神社 公式ホームページ
    寺社巡りドットコム
    コトバンク


倉敷総鎮守・阿智神社

参拝時間
一日通して参拝可

授与所受付時間
8:30~17:00

祈祷受付時間
9:00~16:00

お問い合わせ
〒 710-0054
TEL 086-425-4898
FAX 086-427-9230

アクセス

山陽自動車道 倉敷I.Cより 約15分
瀬戸中央自動車道 早島I.Cより 約15分

公共交通機関
JR倉敷駅から 徒歩15分
両備バス31系統・C1系統(所要約1分)
元町バス停下車 徒歩約3分

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。