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美観地区巡り12 ~大商家の「本拠」・大原本邸! その1~

先週終幕を迎えました、
2021年日本プロ野球の頂点を決める決戦・
日本シリーズ!

ともに前年最下位からのリーグ優勝
ヤクルトスワローズ6年ぶり
オリックスバファローズに至っては
前身のブルーウェーブ時代以来
25年ぶりの日本シリーズ進出、

さらに両者の対戦となると共に鬼籍に
入ってしまわれた、
仰木彬(おおぎ あきら)、野村克也(のむら かつや)
両監督が率いた1995年以来という、
大変フレッシュなカードとなりました。

いずれも並々ならぬ決意の下
挑んだであろう決戦は、
6戦中5戦一点差以内
サヨナラ決着1延長戦1という
大接戦

一昨日行われた第6戦でも、
どちらに転ぶか分からない熱戦
延長12回まで続いた末に、

6年前にソフトバンクホークスを相手に涙を呑んだ
スワローズの代打・川端慎吾(かわばた しんご)選手の
しぶとい決勝打で勝敗が決まるという、
頂上決戦に相応しい素晴らしい戦いでした!
(やっぱり日本シリーズはこうでなくっちゃ!)

近鉄バファローズ(懐かしい・・・涙)を破って以来
20年ぶり6度目の日本一
おめでとうございます!



さて、コチラ先月末より綴りはじめました
「美観地区巡り編」も、
そろそろクライマックス


前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-443.html


大原美術館 4
前回は美観地区屈指の観光スポット、
「世界的名画」が集う
大原美術館を堪能しましたが、
今回も引き続き゛大原家″ゆかりのスポットへ!
大原本邸 2
美観地区を潤す倉敷川を渡って、
反対側にあります、
大原本邸(旧大原家住宅)へ!
大原本邸 1
大原本邸は、
これまでも散々述べた通り、
倉敷の発展に大きな役割を果たして来た
この街きっての大商家・大原家
代々住み処としていた大邸宅

主な建物は大原家3代・金基(かねもと)の頃、
寛政7(1795)年より建築が始められ、
以後必要に応じて増改築を施工。
明治中期には現在の形が整いました。

現在では倉敷の伝統的町家の形態を留める
貴重な建造物として、
主屋・離れ座敷・倉8棟の計10棟が現存。

そのすべてが「旧大原家住宅」として
国の重要文化財に指定されています。
大原本邸 4
「倉敷町家」の筆頭格とも言える、
大原本邸。

倉敷窓倉敷格子など、
先日ご紹介した「料理旅館 鶴形(つるがた)」同様、
その特徴がふんだんに詰め込まれています!

詳細はコチラ
大原本邸 5
現在は語らい座 大原本邸として、
歴史的・文化的価値の高いこの場所を通して、
人と人、人と地域を結ぶ場とすることを
目標としている、大原本邸
(および管理責任者である、
「公益財団法人 有隣会」)。

入口とその先に広がる空間を仕切る
「のれん」には、
素敵なメッセージが刻まれています♪

こののれんを潜ると・・・
大原本邸 6
「土間」として使われていた空間
いっぱいに広がる、
たくさんの言葉たち

ここに並ぶのは、近代の大原家当主、
5代・壮平(そうへい)、
6代・孝四郎(こうしろう)、
7代・孫三郎(まごさぶろう)、
8代・總一郎(そういちろう)の各氏が
子どもや親しい人たちに語り聞かせた言葉。
大原本邸 7
大原家の、そしてその大黒柱を務めた人たちの、
思想と人柄を伝える言葉の数々が、
ふりそそぐ言葉のタイトル通りに
雨のごとく身を、心を叩きます。
大原本邸 8
次の空間に立てられているのは、
つみあがる必然
大原本邸 9
まるで樹木のごとく地面から立ち上がり、
幹を伸ばし、枝葉を広げたオブジェに
刻まれているのは、
歴代大原家当主やそれに関わった人々の、
立体相関図(樹)

大原家の当主たちをに、
彼らを支え、協力した人々を
枝葉に例え、その関係性を立体的に、
分かりやすく伝えています。
大原本邸 10
」の部分に刻まれた、近代の大原家当主たち。

6代当主・孝四郎(こうしろう)は
岡山藩士の三男として生を享けた後、
岡山市内の商家へ養子入り。

さらに当時倉敷村(現・倉敷市)の庄屋を務めていた
大原家5代・壮平に男子がいなかったため、
大原家へと養子入りすることとなりました。

儒学者・森田節斎(もりた せっさい)らに
教えを受け、
学問の他に絵・書にも通じるという
文の人でもあった、孝四郎。

養父・壮平の後を継いで6代当主の座に就くと、
生まれ持った商才と壮平からの
手ほどきの甲斐あって、
大原家のさらなる伸長に貢献。

さらに時代が゛近代化″の時を迎えると、
倉敷紡績所(現・クラボウ)と倉敷銀行の
初代頭取に就任し、
大原家を近代資産家へと
転身させることに成功しました。

明治39(1906)年に自らが設立した
両社の社長、および頭取を退いた後、
同43(1910)年に死去
享年76。
大原本邸 11
そしてこちらが、「美観地区巡り編」中に
たびたびその名が登場している、
7代・孫三郎(まごさぶろう)

のちに大財閥を築き上げ、
近代日本を代表する資産家の一人となる
人ですが、
若い頃はヤンチャ三昧の日々を送り、

現在の貨幣価値で1億円にも及ぶ
借金をこしらえ、
東京専門学校(現・早稲田大学)を中退の末、
倉敷で父・孝四郎より謹慎を命じられるほど
だったとか。
(若かりし頃を写したと思われる写真からも、
その゛ヤンチャ″な性格が窺えるよう 笑)

ところがその謹慎生活中に
「児童福祉の父」と称される
慈善事業家・石井十次(いしい じゅうじ)と
出会うと、その心根は一変。

父が社長を務める倉敷紡績所に入社、
のちに社長となると、
従業員の労働・生活環境の改善
職場内教育の実施を断行。

また父より受け継いだ事業を
拡大させるだけでなく、
倉敷絹織(現・クラレ)、中国合同銀行(中国銀行の前身)、
中国水力電気会社(中国電力の前身)の立ち上げなど、
次々と新事業にも着手して行きます。

また石井十次の影響から
慈善事業にも熱心であり、
地元の子弟を対象とした
奨学会(しょうがくかい)の設立、
キリスト教会での日曜講演の実施、
数百億円(!)にも上る孤児院への支援など、
積極的な活動を展開しました。

さらにさらに!
三つの研究所の開設
私立倉敷商業補習学校(現・県立倉敷商業高校)の設立
「奨学会」の生徒でもあった
児島虎次郎(こじま とらじろう)と連携しての
大原美術館の創立など
多角的な事業を展開し、

一大企業体・大原財閥
築き上げました。
(スゲ~!)

引退後の昭和18(1943)年、
自宅(大原本邸)にて死去
享年62。


隣に写っている妻の
壽惠子(すえこ)夫人。

彼女もまた「アララギ派」に属する
女流歌人であったそうで、
夫婦そろって才気に溢れた
家庭であったことでしょう。
大原本邸 12
さらに時代は下り、えらくハイカラな服装に
身を包んでいるのが、
8代当主・總一郎(そういちろう)
(奥さん美人!)

こちらは父と違って順調に学歴を重ね、
倉敷絹織(現クラレ)に入社。

そこからこれまた順調に出世を重ねて、
倉敷絹織社長、のち倉敷紡績社長も兼務。

父から受け継いだ事業の維持と発展に
務める傍ら、
物価庁(昭和27・1952年廃止)次長、
関西経済連合会常任理事など、
主要機関の要職も兼任します。

そんな「正統後継者」・總一郎の功績は、
倉敷絹織における技術開発

昭和14(1939)年に登場した合成繊維・
ビナロンに目を付けた總一郎は、
戦後すぐに京都大学教授・
桜田一郎(さくらだ いちろう)、
大日本紡績(現・ユニチカ)の川上博(かわかみ ひろし)
らとともに研究開発に着手。

昭和25(1950)年に見事商品化
成功しました。
(この「ビナロン」は今でも工業用資材や衣類、
寝具など、私たちの暮らしに
欠かせない素材として活用されているそうです)

また昭和40(1965)年には
世界初となる人工皮革(じんこうひかく)・
クラリーノを開発。

この「クラリーノ」もまた、
ランドセル・靴・手袋・衣類・インテリア等、
暮らしの隅々まで浸透しているそう。

また父祖の地であり家門の「本拠地」でもある
倉敷地域の発展にも力を尽くし、
「全国二番目の民藝館(みんげいかん)」・
倉敷民藝館倉敷考古館
高梁川流域連盟といった
文化施設や地域互助会を設立した他、

「大原美術館」の整備と拡張にも
力を注ぎました。

昭和43(1968)年死去。享年59歳。
大原本邸 13
「大原家の人々」の周りには、
彼らと関わり、協力し合った人々の顔。

一番の゛ビッグネーム″は、
明治~大正期の政界をリードした「大人物」・
大隈重信(おおくま しげのぶ)
大原本邸 14
孫三郎氏と関わり深く、
「大原美術館」設立に大きな役割を果たした、
児島虎次郎画伯。
大原本邸 15
「大原美術館」拡張時の作品の寄贈や
富山県富山市・旧森家住宅を買い取った際の
木版画の製作など、

總一郎氏と関わりのあった版画家・
棟方志功(むなかた しこう)氏。


この他「民藝運動」を起こした思想家・
柳宗悦(やなぎ むねよし)氏ら
そうそうたる面々が並んでおり、
「大原家」の力が方々にまで及んでいたことが
窺えます。
大原本邸 16
「つみあがる必然」の向こうも、またまた土間

(どうやら「主屋」では土間のみ
展示スペースとして公開されているようで、
「みせのま(店の間)」、「いま(居間)」、
「だいどころ(台所)」といった居住スペースは、
非公開の様子)
大原本邸 17

大原本邸 18
「だいどころ(台所)」に接するこの空間には、
米を炊き上げるための
(かまど)が設けられています。
大原本邸 19
その゛竈″の背後、「だいどころ」との間を仕切る
障子に、なにやら映像と文字が!
大原本邸 20
こちらの展示はこの家でと名付けられており、
7代・孫三郎氏と壽惠子(すえこ)夫人が
長男・總一郎青年に宛てた手紙
現代訳とともに映し出されています。

その文中には遠方で学生生活を送る
總一郎青年に゛次期当主″として
分別ある行動を求めるとともに、
゛父として″、゛母として″我が子を
おもんばかる「愛情」が、
節々に感じられます。

(特に「ヤンチャな」青年時代を送った
孫三郎氏は、
我が子が同じ道を辿らないか、
気が気でなかったことでしょう)
大原本邸 22

大原本邸 21
「この家で」の先では、
「だいどころ」がチラ見え♪
大原本邸 2-1
主屋を見終え、8棟の土蔵群へと
向かいます!

参考:語らい座 大原本邸
    株式会社クラレ 公式ホームページ
    コトバンク
    Wikipedia



大原本邸(旧大原家住宅)

〒710-0046
倉敷市中央1丁目2-1

開館時間
9:00~17:00
(最終入場16:30)
※混雑時は入館制限をする場合アリ

休館日
月曜日・年末年始
※祝日・振替休日の月曜日は開館

入館料
大人・・・一般500円 団体400円
高校生以下・・・一般400円 団体200円
※未就学児は無料
※団体は20名以上が対象

お問い合わせ
TEL (086)434‐6277
FAX (086)434‐6244
MAIL info@oharahontei.jp

アクセス

山陽自動車道 倉敷I.Cより 約20分
瀬戸中央自動車道 早島I.Cより 約20分
※敷地内に駐車場はありません
近隣の駐車場をご利用ください。

公共交通機関
JR倉敷駅から 徒歩約15分
路線バス各線
「大原美術館前」バス停下車 徒歩約2分

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。