美観地区巡り13 ~大商家の「本拠」・大原本邸! その2~
- 2021/12/04
- 18:42
ついにやって来ました、
師走・12月!
世界を揺るがすコロナ禍の中でやって来た
2021年も、あとほんのひと月!
一年を振り返り、年末を迎える忙しき日々の中で、
あとどれだけの足跡を
この「情報の世界」に刻み付けられるのか・・・
目前に迫りくる「ネクストイヤー」を前に、
挑戦と試行錯誤の日々は続きます。
ここまでひと月ちょっとの間お届けしてきた
「美観地区巡り編」も、あと2回!
そのトリを飾るスポットとして、
私のイチ押し!
倉敷一の豪商・大原家が
住み処としていた豪邸・
大原本邸(旧大原家住宅)の
様子をお届けしております。
前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-444.html

前回は大原家の人々が日々の暮らしを
送った場所・主屋(おもや)を探索。
ここで暮らした人たちの姿や
理念、言葉、各方面の著名人たちとの
関わりに触れまして・・・

屋敷の奥へ。
そこに並ぶのは、
米など様々な物資を貯蔵していた、
8棟の土蔵
いずれも江戸~明治に掛けて建てられた
現存建築物であり、
そのどれもが主屋とともに
重要文化財に指定されています。
現在はそのうち隣り合う「中倉」「内中倉」の
2棟を改装の上で、
展示スペースやカフェとして公開中。
敷き詰められた石畳の両側に
趣ある倉が建ち並ぶさまは、
なんだか一つの町を観ているかのような心地に
捉われてしまいます。

公開されている土蔵群のうち、
まずは中倉を訪問!
「大原本邸 中倉」は石畳を少し進んだ先、
゛土蔵群″の中ほどに在る建物で、
外観は単一の建築物ながら、
内部を異なる二つの空間に区分。
(仕切りを設けることで、別々の用途に用いる狙いが
あったのでしょうか?)
現在はそのどちらも展示スペースとして
公開・活用されています。
展示スペースの一つ・「中倉1」は、
大原の歴史と名付けられた、
大原家の歴史を紹介したコーナー。
壁一面に大原家の年表が
貼り付けられ、
倉敷移住以来300年を超える大原家の足取りを
辿ることが出来ます。
続く中倉2は、
10年先が見えた人と名付けられた、
大原家7代・孫三郎氏を
紹介するスペース。
名称の由来は、事業の多角化や従業員の環境改善策を
推し進める孫三郎氏が、
政策に反対する社員や重役たちに語ったとされる、
事業に冒険はつきもの。
わしの目には十年先が見える
という名言から。
(カッコイイ~!)
世界に影を落とす不況の中、
来るべき未来を見据え、
積極的な施策と新規事業の開拓によって
一財閥を築き上げた、
敏腕経営者らしい発想と視点。

そんな「豪腕」・孫三郎氏を゛語る″品々には、
数々の功績を賞して与えられた勲章に、
彼の人となりを表す日記や手紙
(「恩人」・石井十次(いしい じゅうじ)氏へ
宛てたものもあります!)

「支援者」と「奨学生」の間柄であり、
ともに美術館(大原美術館)設立に邁進した
゛同士″である
児島虎次郎(こじま とらじろう)画伯から
孫三郎氏へ宛てた書簡など、さまざま!

こちらの資料は、
右から大正12(1923)年発行の
倉紡中央病院開院記念アルバム、
左下は大正15(1926)年の
倉敷絹織株式会社第一回報告
左上が昭和18(1943)年刊行、
「倉敷時報」310号の3点。
倉紡中央病院は、
現在倉敷市における医療の中心となっている、
倉敷中央病院の前身。
倉敷絹織は、
大手樹脂・繊維メーカー・クラレの
母体に当たる企業です。
左上の倉敷時報は
大正6(1917)年に創刊された
倉敷紡績の社内誌で、
現在ではクラボウグループ全体の
社内情報を取りまとめた社内誌・
ドウシンとなっています。
ここに展示された「310号」記事は、
昭和18(1943)年の
孫三郎氏の逝去を報じたもの。

生前孫三郎氏が着用していた、
シルクハット
政府による「富国強兵政策」の下で、
急速な゛近代化″が進められた時代。
一大財閥の主として出歩く機会の
多かったであろう孫三郎氏も、
服装には気を配られたことでしょう。

続いては「中倉」の隣にある、
内中倉へ!

こちらは「中倉」と違って空間を区切らず、
出入り口も一箇所に限定された構造。
(改装に当たって「仕切り」を取り払った
可能性もアリ?)
ただし内部は出入り口の延長線上を境に
二つに区分されており、
向かって右側(写真手前側)が
哲学する経営者と題して、
大原家8代当主・
總一郎氏を紹介。
一方左手(写真奥)は大変な読書家であった
總一郎氏の書斎をイメージした
カフェスペース・ブックカフェとして、
ガラス棚に収められた2,000冊にも及ぶ
蔵書の鑑賞や、
オリジナルコーヒーとデザートが楽しめる、
「寛ぎの空間」となっています!

まずは總一郎氏の人となりに迫る、
哲学する経営者コーナーへ!
「由緒正しい商人(あきんど)」として
大原家の名跡を継ぎ、
事業の継続と発展、
日本の、世界の役に立つ新技術の開発に
力を尽くした總一郎氏。
その一方では
大量の蔵書を抱える読書家として、
また「鳥類観察」、「民藝」、「音楽鑑賞」など
幅広いジャンルに精通した、
趣味人としての一面も
持ち合わせていました。
こちらのガラスケースに収められた
双眼鏡とカメラは、
それらの中でも特に好んでいた
鳥類観察のために
所有されていたもの。

その隣には、将棋の駒も。

音楽鑑賞も、總一郎氏の趣味の一つ。
昭和20年代末(1950年代中頃)に作られた
こちらのモノローラル(モノラル)
レコードプレーヤーは、
同様の機材が奏でる音質に惚れ込んだ
總一郎氏が、
オーディオ評論家・高城重躬(たかじょう しげみ)氏に
特注で製作を依頼したものだそう。
音楽機材に対する、
總一郎氏のこだわりを感じます。

總一郎氏の経営者としての先見性を示す資料が、
昭和41(1966)年に起草された、
日本万国博への一提案
という文書。
4年後(1970年)にアジア初にして日本初の
国際博覧会として開催が予定されていた、
日本万国博覧会(大阪万博)
に向けて總一郎氏が一石を投じたものであり、
・音の方向性
・音の縁近性
・音の流動性
を生かす新しい音楽会場
をテーマとして
多面体音楽堂の建設を提言した、
大変エポックメーキングなものとなっていたようです。
(中身も見てみたい! ><)
冊子内にはこの提案に感銘を受けた
建築士・浦辺鎮太郎(うらべ しずたろう。
「倉敷アイビースクエア」の設計担当者)氏による
想像図も寄稿されており、
總一郎氏が抱いた構想の画期的かつ先進的な様が
窺えます。
(実現しなかったのが、残念!)

経歴に父・孫三郎氏ほどの゛華″は
ないものの、
確かに受け継いだ「将来を見通す目」と
「経営理念」の持ち主であった、總一郎氏。
そんな彼の理念と哲学が詰まった空間が、
「内中倉」奥に広がるブックカフェ
その後背に設けられた
ガラスで保護された本棚には、
生前總一郎氏が所有していた
2,000冊にも及ぶ蔵書が
展示されています!

その中身は、経営者として欠かせない「バイブル」で
あったであろう経済学の書籍から

彼が好んだ鳥類や自然関連のもの

正岡子規(まさおか しき)や志賀直哉(しが なおや)、
夏目漱石(なつめ そうせき)、
武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ)ら
文人たちの作品

これまた氏が好んだ民藝(みんげい)関連

さまざまな時代・ジャンルの音楽書籍

哲学書に至るまで、
圧倒的な幅広さと所蔵数を誇ります!
(これら書籍の「主」であった總一郎氏は、
凄まじい知識量と
懐の深さを持ち合わせた人物だったのでしょう)
なおこの「ブックカフェ」では、
總一郎氏の蔵書の一部と同一の書籍が
用意されており、
それを実際に読むことも可能と
なっています!
總一郎氏の「世界」に触れてみたい!
という方は是非!
実際に書籍を手に取り、
その一ページに飛び込んでみてはいかがでしょうか?

ひと通り展示物を見終えた後は、
こちらの「カフェスペース」で一休み!

丸テーブルに組み合わされているのは、
実際に大原家で使用されていた
英国製のアンティーク椅子・
ウィンザーチェアー
座面は倉敷産い草に取り替えられているものの、
「大原家の人々が腰掛けたのと同じ椅子に
座っている」のだと考えると、
なんだか胸熱!

そんな「大原家のアンティーク椅子」に
座りながら頂くのは、
コーヒーとデザートのセット(800円)。

デザートは米粉を用いた生地に、
さまざまな果実のペーストや
洋酒、はちみつなどを混ぜ合わせて作られた、
フルーツケーキ
米粉独特の「パサついた」食感の中に、
オレンジ、パイナップル、チェリーなどの
果実がもたらす様々な味わい、
そこへ混ぜ込まれた洋酒、はちみつが
深みと落ち着きを与える、
複合スイーツに仕上がっていました♪
香り高く、まろやかな味が楽しめる
コーヒーも、
とっても美味しく頂けました♪

次回は「大原本邸」の最奥に位置し、
素敵な庭園が拝める離れ座敷へ!
「美観地区巡り編」も、締め括りです!
参考:語らい座 大原本邸 公式ホームページ
Wikipedia
師走・12月!
世界を揺るがすコロナ禍の中でやって来た
2021年も、あとほんのひと月!
一年を振り返り、年末を迎える忙しき日々の中で、
あとどれだけの足跡を
この「情報の世界」に刻み付けられるのか・・・
目前に迫りくる「ネクストイヤー」を前に、
挑戦と試行錯誤の日々は続きます。
ここまでひと月ちょっとの間お届けしてきた
「美観地区巡り編」も、あと2回!
そのトリを飾るスポットとして、
私のイチ押し!
倉敷一の豪商・大原家が
住み処としていた豪邸・
大原本邸(旧大原家住宅)の
様子をお届けしております。
前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-444.html

前回は大原家の人々が日々の暮らしを
送った場所・主屋(おもや)を探索。
ここで暮らした人たちの姿や
理念、言葉、各方面の著名人たちとの
関わりに触れまして・・・

屋敷の奥へ。
そこに並ぶのは、
米など様々な物資を貯蔵していた、
8棟の土蔵
いずれも江戸~明治に掛けて建てられた
現存建築物であり、
そのどれもが主屋とともに
重要文化財に指定されています。
現在はそのうち隣り合う「中倉」「内中倉」の
2棟を改装の上で、
展示スペースやカフェとして公開中。
敷き詰められた石畳の両側に
趣ある倉が建ち並ぶさまは、
なんだか一つの町を観ているかのような心地に
捉われてしまいます。

公開されている土蔵群のうち、
まずは中倉を訪問!
「大原本邸 中倉」は石畳を少し進んだ先、
゛土蔵群″の中ほどに在る建物で、
外観は単一の建築物ながら、
内部を異なる二つの空間に区分。
(仕切りを設けることで、別々の用途に用いる狙いが
あったのでしょうか?)
現在はそのどちらも展示スペースとして
公開・活用されています。
展示スペースの一つ・「中倉1」は、
大原の歴史と名付けられた、
大原家の歴史を紹介したコーナー。
壁一面に大原家の年表が
貼り付けられ、
倉敷移住以来300年を超える大原家の足取りを
辿ることが出来ます。
続く中倉2は、
10年先が見えた人と名付けられた、
大原家7代・孫三郎氏を
紹介するスペース。
名称の由来は、事業の多角化や従業員の環境改善策を
推し進める孫三郎氏が、
政策に反対する社員や重役たちに語ったとされる、
事業に冒険はつきもの。
わしの目には十年先が見える
という名言から。
(カッコイイ~!)
世界に影を落とす不況の中、
来るべき未来を見据え、
積極的な施策と新規事業の開拓によって
一財閥を築き上げた、
敏腕経営者らしい発想と視点。

そんな「豪腕」・孫三郎氏を゛語る″品々には、
数々の功績を賞して与えられた勲章に、
彼の人となりを表す日記や手紙
(「恩人」・石井十次(いしい じゅうじ)氏へ
宛てたものもあります!)

「支援者」と「奨学生」の間柄であり、
ともに美術館(大原美術館)設立に邁進した
゛同士″である
児島虎次郎(こじま とらじろう)画伯から
孫三郎氏へ宛てた書簡など、さまざま!

こちらの資料は、
右から大正12(1923)年発行の
倉紡中央病院開院記念アルバム、
左下は大正15(1926)年の
倉敷絹織株式会社第一回報告
左上が昭和18(1943)年刊行、
「倉敷時報」310号の3点。
倉紡中央病院は、
現在倉敷市における医療の中心となっている、
倉敷中央病院の前身。
倉敷絹織は、
大手樹脂・繊維メーカー・クラレの
母体に当たる企業です。
左上の倉敷時報は
大正6(1917)年に創刊された
倉敷紡績の社内誌で、
現在ではクラボウグループ全体の
社内情報を取りまとめた社内誌・
ドウシンとなっています。
ここに展示された「310号」記事は、
昭和18(1943)年の
孫三郎氏の逝去を報じたもの。

生前孫三郎氏が着用していた、
シルクハット
政府による「富国強兵政策」の下で、
急速な゛近代化″が進められた時代。
一大財閥の主として出歩く機会の
多かったであろう孫三郎氏も、
服装には気を配られたことでしょう。

続いては「中倉」の隣にある、
内中倉へ!

こちらは「中倉」と違って空間を区切らず、
出入り口も一箇所に限定された構造。
(改装に当たって「仕切り」を取り払った
可能性もアリ?)
ただし内部は出入り口の延長線上を境に
二つに区分されており、
向かって右側(写真手前側)が
哲学する経営者と題して、
大原家8代当主・
總一郎氏を紹介。
一方左手(写真奥)は大変な読書家であった
總一郎氏の書斎をイメージした
カフェスペース・ブックカフェとして、
ガラス棚に収められた2,000冊にも及ぶ
蔵書の鑑賞や、
オリジナルコーヒーとデザートが楽しめる、
「寛ぎの空間」となっています!

まずは總一郎氏の人となりに迫る、
哲学する経営者コーナーへ!
「由緒正しい商人(あきんど)」として
大原家の名跡を継ぎ、
事業の継続と発展、
日本の、世界の役に立つ新技術の開発に
力を尽くした總一郎氏。
その一方では
大量の蔵書を抱える読書家として、
また「鳥類観察」、「民藝」、「音楽鑑賞」など
幅広いジャンルに精通した、
趣味人としての一面も
持ち合わせていました。
こちらのガラスケースに収められた
双眼鏡とカメラは、
それらの中でも特に好んでいた
鳥類観察のために
所有されていたもの。

その隣には、将棋の駒も。

音楽鑑賞も、總一郎氏の趣味の一つ。
昭和20年代末(1950年代中頃)に作られた
こちらのモノローラル(モノラル)
レコードプレーヤーは、
同様の機材が奏でる音質に惚れ込んだ
總一郎氏が、
オーディオ評論家・高城重躬(たかじょう しげみ)氏に
特注で製作を依頼したものだそう。
音楽機材に対する、
總一郎氏のこだわりを感じます。

總一郎氏の経営者としての先見性を示す資料が、
昭和41(1966)年に起草された、
日本万国博への一提案
という文書。
4年後(1970年)にアジア初にして日本初の
国際博覧会として開催が予定されていた、
日本万国博覧会(大阪万博)
に向けて總一郎氏が一石を投じたものであり、
・音の方向性
・音の縁近性
・音の流動性
を生かす新しい音楽会場
をテーマとして
多面体音楽堂の建設を提言した、
大変エポックメーキングなものとなっていたようです。
(中身も見てみたい! ><)
冊子内にはこの提案に感銘を受けた
建築士・浦辺鎮太郎(うらべ しずたろう。
「倉敷アイビースクエア」の設計担当者)氏による
想像図も寄稿されており、
總一郎氏が抱いた構想の画期的かつ先進的な様が
窺えます。
(実現しなかったのが、残念!)

経歴に父・孫三郎氏ほどの゛華″は
ないものの、
確かに受け継いだ「将来を見通す目」と
「経営理念」の持ち主であった、總一郎氏。
そんな彼の理念と哲学が詰まった空間が、
「内中倉」奥に広がるブックカフェ
その後背に設けられた
ガラスで保護された本棚には、
生前總一郎氏が所有していた
2,000冊にも及ぶ蔵書が
展示されています!

その中身は、経営者として欠かせない「バイブル」で
あったであろう経済学の書籍から

彼が好んだ鳥類や自然関連のもの

正岡子規(まさおか しき)や志賀直哉(しが なおや)、
夏目漱石(なつめ そうせき)、
武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ)ら
文人たちの作品

これまた氏が好んだ民藝(みんげい)関連

さまざまな時代・ジャンルの音楽書籍

哲学書に至るまで、
圧倒的な幅広さと所蔵数を誇ります!
(これら書籍の「主」であった總一郎氏は、
凄まじい知識量と
懐の深さを持ち合わせた人物だったのでしょう)
なおこの「ブックカフェ」では、
總一郎氏の蔵書の一部と同一の書籍が
用意されており、
それを実際に読むことも可能と
なっています!
總一郎氏の「世界」に触れてみたい!
という方は是非!
実際に書籍を手に取り、
その一ページに飛び込んでみてはいかがでしょうか?

ひと通り展示物を見終えた後は、
こちらの「カフェスペース」で一休み!

丸テーブルに組み合わされているのは、
実際に大原家で使用されていた
英国製のアンティーク椅子・
ウィンザーチェアー
座面は倉敷産い草に取り替えられているものの、
「大原家の人々が腰掛けたのと同じ椅子に
座っている」のだと考えると、
なんだか胸熱!

そんな「大原家のアンティーク椅子」に
座りながら頂くのは、
コーヒーとデザートのセット(800円)。

デザートは米粉を用いた生地に、
さまざまな果実のペーストや
洋酒、はちみつなどを混ぜ合わせて作られた、
フルーツケーキ
米粉独特の「パサついた」食感の中に、
オレンジ、パイナップル、チェリーなどの
果実がもたらす様々な味わい、
そこへ混ぜ込まれた洋酒、はちみつが
深みと落ち着きを与える、
複合スイーツに仕上がっていました♪
香り高く、まろやかな味が楽しめる
コーヒーも、
とっても美味しく頂けました♪

次回は「大原本邸」の最奥に位置し、
素敵な庭園が拝める離れ座敷へ!
「美観地区巡り編」も、締め括りです!
参考:語らい座 大原本邸 公式ホームページ
Wikipedia