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゛大正ロマン″・門司赤煉瓦プレイス! その1~

12月8日

今から80年前の昭和16(1941)年、
日本アメリカ太平洋を挟んで激突した、
太平洋戦争が幕を開けた日。

゛結果として″ハワイ・オアフ島に置かれていた
米太平洋艦隊大打撃を与えた
「奇襲攻撃」は、
その後アジア・太平洋地域の広い範囲を
戦火の渦へと巻きこみながら、

日本本土を含めた各地に戦いの爪痕を残し、
破滅的被害をもたらす全面戦争
火ぶたを切ることとなりました。

あれから80年。
今日の日本に流れる平穏な日々は、
数多流れた血の犠牲の上に
築かれたもの。

今や゛遠い記憶″となりつつある
戦火の記憶を忘れず、
次代へ、明日の日々へと繋げていく・・・
それがバトンを託された、
゛今″を生きる我々に課せられた役割なのでしょう。


南洋に斃れ、焦土と化した国土に積み上げられた、
幾千、幾万の魂の平穏を願って。



前回記事にて「美観地区巡り編」を
しまい終えたということで、
今回より新章突入!

私が現在岡山県南部の街、
倉敷市にて日々の暮らしを送っているのは
これまで幾度か触れてきた通りですが、
今回からはお引越し前の立ち寄り観光
しまして、

福岡県は北九州市、門司区(もじく)に在ります、
門司赤煉瓦(あかれんが)プレイス
の模様を、数回に分けてお届け致します!



前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-446.html



7.30 Friday

とうとうやって参りました、
岡山県へのお引越しの日!

必要な物資の発送も身の回りの品の整理も
前日までに済ませ、
昼過ぎの電車で福岡二大都市の一つ・
北九州市へ!
門司赤煉瓦プレイス 2
今回降り立ったのは、「北九州地域の玄関口」・
小倉(こくら)北区の小倉駅ではなく
お隣・門司(もじ)区の主要駅の一つ、
門司駅

昭和17(1942)年の関門トンネル開通に合わせて
「大里(だいり)駅」から改称の上移設され、
以来本州(下関)と九州を繋ぐ
鉄路の玄関口として
重大な使命を担って来た、
縁の下の力持ち

華やかさでは近隣の小倉駅
文化財の駅」・門司港駅には劣るものの、
普通・快速列車の他、
門司港駅から発着する
特急列車(「きらめき」号、「かもめ」号)も停車。

また関門トンネルを通って
本州⇔九州の連絡を担う直通列車
この駅の前後で電流の切り替えを行うなど、
列車運行上においても重要な位置づけに在る
駅と言えるでしょう。

(ここで寝台特急(ブルートレイン)
機関車付け替えが行われていた時代が、
懐かしい・・・ 泣)
門司赤煉瓦プレイス 16
また付近にはかつて本州へと渡海するための
拠点として設けられた
長崎街道の宿場町・
大里(だいり)宿が置かれており、

このことからもこの地域が
交通の要所として重要視されていたことが
分かります。
門司赤煉瓦プレイス 3
そんな門司駅ですが、
が迫る狭隘(きょうあい)な地形に
設けられている(というより、土地が限られている)
ため、
西口(大里赤煉瓦タウン口)を出てから
数百メートル歩けば・・・
門司赤煉瓦プレイス 4

門司赤煉瓦プレイス 5
目の前にはドドンと、関門海峡
(かんもんかいきょう)の眺め!
門司赤煉瓦プレイス 6
過去記事でも触れた通り、
最大1km未満
最も狭いところでは600mほどという
大変狭い水路となっている、関門海峡

海辺に立って見回してみれば、
その最狭部に架設された道路橋・
関門橋
門司赤煉瓦プレイス 7
対岸・山口県下関市(しものせきし)の街並みが、
目視できる距離で確認出来ます!

(手前には、「宮本武蔵(みやもと むさし)と
佐々木小次郎(ささき こじろう)の決闘
」で有名な、
巌流島(がんりゅうじま。正式名は船島(ふなしま)も!)
門司赤煉瓦プレイス 8
そんな狭隘な水域でありながら、
瀬戸内海日本海を繋ぐ
重要な交通路ともなっている、関門海峡
門司赤煉瓦プレイス 9
わずかな幅の間を、さまざまなサイズ、
用途の船が通行して行きます!
(さすがに自衛艦は来なかった)



そんな感じでしばし海風に当たりながら
リフレッシュ!
海辺から門司駅方面へ引き返した先に
見えて来るのが・・・
門司赤煉瓦プレイス 10
今回の「テーマ」となる施設・
門司赤煉瓦プレイス!
門司赤レンガプレイス 1
海の香″漂う門司駅前でも
一際目立った存在感を放つ洋風建築群は、
大正2(1913)年の築。

明治末頃、門司市(現・北九州市門司区)では
九州初となるビール工場設立の機運が
高まっていたものの、
資金調達の苦戦から早くも
頓挫寸前に陥ってしまいます。

そこへ救いの手を差し伸べたのが、
神戸を拠点に西日本、さらに関門地域へと
商圏を拡大しつつあった新興財閥・
鈴木商店

その支援を受け、明治45(1912)年に
帝国麦酒(ビール)株式会社
設立され、
大正2(1913)年に大里の地に
九州初ビール工場を建設。
同年より醸造が開始されました。

(これが現在の門司赤煉瓦プレイス
原点となります)
門司赤煉瓦プレイス 12
当時の様子を再現した復元模型。


サクラビールの名で
製造・流通が開始された
メイド・イン・九州」のビールは
順調に販路と販売数を拡大し、

最盛期には国内外へと出荷されて
国内シェアの約9%国内第3位
という人気銘柄の地位を獲得するに至ります。
(昭和4・1929年には「桜麦酒(株)」に社名変更)

しかしその「サクラビール」も
戦時統制下大合併によって、
消滅

戦後の混乱を経て昭和39(1964)年には
サッポロビールの傘下となり、
サッポロビール門司工場」、
のち「九州工場」として、
ビール製造が続けられました。

工場竣工から87年を経た平成12(2000)年、
「九州工場」が大分県日田市へ移されるのに伴い、
この地でのビール製造は終了

敷地および建物はとされましたが、
JR門司駅前、大里(だいり)海岸と合わせた
再整備事業の一環として
工場施設の保存・活用が図られることとなり、
修復工事ののち平成17(2005)年より
一般開放を開始。

同19(2007)年には
国の登録有形文化財
認定されています。
門司赤煉瓦プレイス 13
現在旧工場施設のうち、
ビールを醸造していた醸造棟(じょうぞうとう)、
門司赤煉瓦プレイス 11
事務所として使われていた
門司麦酒煉瓦館
(もじビールれんがかん)、
門司赤煉瓦プレイス 15
写真館として再利用されている
旧組合棟
門司赤煉瓦プレイス 14
各種イベントや会合等に用いられる施設・
赤煉瓦交流館となっている倉庫の、
4施設・5棟の建造物が保存・再利用されている、
門司赤煉瓦プレイス
門司赤レンガプレイス 1
まずは最も大きく、目立つ建物である
醸造棟を拝観したいところでしたが、
一部が店舗として再利用されているのを除き、
年2回の公開日以外
非公開外観保存のみだそう。

ビール工場の「肝」といえる施設だけに、
内部を覗けないのは、残念!
門司赤煉瓦プレイス 2-1
てな訳で、隣に建つ「旧事務棟」を改装した
展示施設・門司煉瓦麦酒館
向かいます!
(続きは次回記事にて♪)

参考:門司赤煉瓦プレイス 公式ホームページ


門司赤煉瓦プレイス

〒800-0063
北九州市門司区大里本町 3-11-1

営業時間
店舗・施設によって異なる

定休日
店舗・施設(以下略)

お問い合わせ
門司赤煉瓦倶楽部
TEL 093-372-0962 
FAX 093-863-0665

アクセス

北九州高速道路・大里(だいり)ICより 約5分
門司港レトロより 約3分
JR小倉駅(北口)より
国道199号線経由で約13分

駐車場
普通車 148台 大型車 10台
一日の利用料 500円

公共交通機関
JR門司駅(北口)より 徒歩約3分

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。