゛大正ロマン″・門司赤煉瓦プレイス! その2
- 2021/12/10
- 10:41
「近代国家」としての歩みを始め、
国策としての学校教育が幕を開けて以来、
(国民性もあってか)平均的・画一的な
教育の施行に基づく
社会の゛潤滑油″たるべき
人材の育成に重きが置かれて来た、
我が国日本。
かつての近代化からの富国強兵の時代、
そして戦災から立ち上がるエネルギーを必要とした
高度経済成長の時代、
国を、社会を前進させるための「公策」として
それは確かに(良し悪しはあれど)
機能していました。
しかしバブル崩壊以後
経済政策・経済活動が滞り、
高度な多様化と情報化の時代を
迎えるに当たり、
それはもはや過去の産物へと
成り下がり、
国が、社会が「志」を失うとともに
中身とエネルギーを持ち合わずに
形骸化の一途を
辿りつつあるように思えます。
近頃では教育の現場も゛人を育てる″ことを
放棄してしまったか、
常軌を逸した行動に走る
未成熟な大人も増加。
「平均的な教育」が育てるべき人材から
考える能力を奪った結果、
「狡猾な知恵者」たちが甘いリンゴを独占し、
奪われる者がただ奪われるだけの
誤った社会の醸成と、
最先端の分野・技術で他国に後れを取り、
国全体での技術や゛創造力″の底上げが
なされていない現状へと
繋がっているようにも思えます。
「教育の画一化」によって育てられた人材が
社会へ飛躍し、
国を押し上げていた時代は
もはや過去のもの
教育機関は(あるいは教育者は)その
原点へと今一度回帰し、
゛現状維持″ではない、゛今″と゛未来″を担うべき
人材と社会の醸成と、
本来あるべき教育の模索へと
大きく舵を切るべきではないでしょうか?
・・・序文が長くなりました。
(このような思考へ至る衝撃的な出来事が
あったもので)

前回記事より福岡県から岡山県へ移住する前の
゛立ち寄り観光″、
JR門司駅(もじえき)前に鎮座する
元ビール工場を再利用した施設・
門司赤煉瓦プレイスを
ご紹介しております!
前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-447.html

一部店舗を除いて原則非公開となっている
醸造棟に代わって訪れるのは、
そのお隣に建つ門司麦酒煉瓦館
(もじビールれんがかん)
大正2(1913)年の帝国麦酒(ビール)創業時に
事務棟として建てられた建築物で、
建物全体に鉱滓煉瓦
(こうさいれんが。金属を製錬する際に
排出された゛滓(かす)″に、
生石灰 ・水を加えて成形されたレンガ)を使用。
左右対称、垂直方向の線が強調されたデザインは
ドイツ・ゴシック様式と呼ばれるもので、
醸造棟の華やかな色合いとは対照的な
茶色がかった色合いが、
独特な雰囲気を醸し出しています。

建物を構成するレンガ壁は、
建築様式に則り
短辺のレンガのみで積み上げた、
ドイツ積みと呼ばれる方式で
構築されています。
お隣、長辺と短辺のレンガを交互に積む
イギリス積みで構成された醸造棟とは、
この点でも明確な「差別化」が
図られているようです。

それでは、建物内へと入って参りましょう!

玄関を入った先は、
椅子とテーブルが並べられた
フリースペースのような空間。
外壁同様部屋を取り囲むように立ち上がる
鉱滓煉瓦の壁が、
なんとも言えないレトロな雰囲気を
醸し出しています♪
この先、一階の大部分と二階全体を使った
展示スペースは、
受付を経由しての有料ゾーンとなります。

受付で「観覧料(大人100円)」を支払い、
展示スペースへ進入!

一階展示室の中央部分、
受付から進んだ正面に置かれているのは、
当初この工場で作られていた銘柄・
サクラビールの
ショーウインドウを再現したもの。

大正2(1913)年にこの地で産声を上げた
サクラビールは、
モダンガール(モガ)を起用した
デザイン性の高いポスター、
びんに施された優れたラベルデザインも相まって
国内外から人気を博し、
最盛期には国内3位、
約9%のシェアを
獲得することに成功。
東京・銀座や大阪・道頓堀といった
目抜き通りにも看板が設置されるほどの
人気と知名度を得ていたようです。

当時のサクラビールを紹介した資料。
Aの写真は「帝国麦酒」を立ち上げた神戸の財閥・
鈴木商店の2代目社長・
鈴木よねさん。
Bは当時のサクラビールのラベル。
Cは明治45(1912)年の工場起工に際して
執り行われた、
地鎮祭(じちんさい)の様子。
Dは帝国麦酒の絵はがきと、工場内の様子。
Eはモダンガール(モガ)を起用した
サクラビールのポスター。
デザインは当時人気を博していた画家・
北野恒富(きたの つねとみ)画伯によるもの。

完成した製品を搬送するために使われた
木箱
箱のフタは中央に大きくサクラのマークが描かれ、
ブランドイメージをアピール。
その周りには現在と逆の「右書き」で、
「登録商標」、「サクラビール」、
「帝国麦酒株式会社醸造」と記されています。

サクラビールの酒瓶とグラス。
シンプルながらも華やかなイラストと、
字体にまでこだわった表記が
とってもオシャレ♪
(人気銘柄となったのも、頷ける!)

当時使われていた看板やトレー。
左側のトレーは表面にサクラビールのラベルが
ペイントされ、
外周に細やかな装飾が施されるなど、
特段のこだわりが感じられます♪

サクラビール関連の展示に混ざって置かれた、
エビスビールの酒瓶。
その片方は・・・

遭遇率数百分の一!
恵比寿さまの背後のカゴにも
縁起物のタイが入れられた、
ラッキーヱビス!
(初めて実物を見た!)
展示室内に置かれたモニターでは・・・




ビールの製造から出荷までのプロセスを紹介!

当時の製造工場(赤煉瓦プレイス)は
海岸線(現在の国道199号線)に面して
建てられており、
その立地を生かして海・陸双方での
素早い出荷が可能となっていました。
(これもサクラビールが比較的短期間で
広く流通した一因と言えるでしょう。
土地選び、大事!)

「帝国麦酒本社工場」操業当時の様子を
再現した、復元模型。
大正2(1913)年の操業開始以降、
サクラビールの人気と需要の拡大に伴い
順次増築・拡張された工場敷地は、
大正9(1920)年頃には敷地面積
1万5,000坪、
建物は8,900坪、
北九州地域一の工業地帯として発展を続ける
大里(だいり)地区でも最大級の工場に
挙げられるまでに成長を果たしました。
その工場敷地には現存する建築物の他、
ビールの素となる麦芽(ばくが)を造るための
製麦場(せいばくじょう)、
出来上がったビールの瓶詰めや
箱詰めが行われた(多分)
製品場などの施設が
確認できます。

大理石とタイル、金属で構築された
格調高い暖炉のそばには・・・

サッポロビール九州工場時代に
実際に使われていた、
麦汁(ばくじゅう)ろ過機
(粉砕した麦芽を「もろみ」を造って糖化させ、
さらに゛こし″て麦汁にするための機械)の
カラン(注出口)
年季の入った造りと錆び具合からすると、
工場創業当時から使われていたものでしょうか?

ガラスケース内にズラリと並べられた、
サクラビールの海外向け製品のラベル。

大正3(1914)年に「人類史上初の世界大戦」・
第一次世界大戦が勃発すると、
ヨーロッパからアジア地域への
ビールの販路が途絶
そのためサクラビールも国内外での需要が急増し、
近隣諸国のみでなく北米、
インド、タイ、アフリカにまで販路を拡大。
大正5(1916)年にはパナマで開催された
「平和国際博覧会」で金賞を受賞するなど、
国際的にも高い評価を獲得して行きました。

こちらはボルネオ島
(インドネシア・マレーシア・ブルネイ領)
向けに製造された、
ボルネオビールのラベル。
ブランド名に合わせて、トレードマークの「サクラ」も
「象と牛」に変更されています。
こういった国・地域に合わせた
ブランド展開もまた、
「サクラブランド」が人気を博した
要因と言えるでしょうね。

シャレた造りの天井を見上げ、
趣ある木製の階段を上がって
2階へと向かいます!
参考:門司赤煉瓦プレイス 公式ホームページ
INTERIOR BOOK
Wikipedia
コトバンク
門司麦酒煉瓦館
北九州市門司区大里本町3-6-1
営業時間
9:00~17:00
休業日
12月29日~翌1月3日まで
観覧料
個人
大人 100円 中学生以下 50円
団体(30名以上)
大人 80円 中学生以下 40円
※その他各種減免措置アリ。
詳しくは公式ホームページを
ご参照のこと。
お問い合わせ
TEL 093-382-1717
アクセス
車
北九州高速道路・大里(だいり)ICより 約5分
門司港レトロより 約3分
JR小倉駅(北口)より
国道199号線経由で約13分
駐車場
普通車 148台 大型車 10台
一日の利用料 500円
観光バス 1,000円
公共交通機関
JR門司駅(北口)より 徒歩約3分
国策としての学校教育が幕を開けて以来、
(国民性もあってか)平均的・画一的な
教育の施行に基づく
社会の゛潤滑油″たるべき
人材の育成に重きが置かれて来た、
我が国日本。
かつての近代化からの富国強兵の時代、
そして戦災から立ち上がるエネルギーを必要とした
高度経済成長の時代、
国を、社会を前進させるための「公策」として
それは確かに(良し悪しはあれど)
機能していました。
しかしバブル崩壊以後
経済政策・経済活動が滞り、
高度な多様化と情報化の時代を
迎えるに当たり、
それはもはや過去の産物へと
成り下がり、
国が、社会が「志」を失うとともに
中身とエネルギーを持ち合わずに
形骸化の一途を
辿りつつあるように思えます。
近頃では教育の現場も゛人を育てる″ことを
放棄してしまったか、
常軌を逸した行動に走る
未成熟な大人も増加。
「平均的な教育」が育てるべき人材から
考える能力を奪った結果、
「狡猾な知恵者」たちが甘いリンゴを独占し、
奪われる者がただ奪われるだけの
誤った社会の醸成と、
最先端の分野・技術で他国に後れを取り、
国全体での技術や゛創造力″の底上げが
なされていない現状へと
繋がっているようにも思えます。
「教育の画一化」によって育てられた人材が
社会へ飛躍し、
国を押し上げていた時代は
もはや過去のもの
教育機関は(あるいは教育者は)その
原点へと今一度回帰し、
゛現状維持″ではない、゛今″と゛未来″を担うべき
人材と社会の醸成と、
本来あるべき教育の模索へと
大きく舵を切るべきではないでしょうか?
・・・序文が長くなりました。
(このような思考へ至る衝撃的な出来事が
あったもので)

前回記事より福岡県から岡山県へ移住する前の
゛立ち寄り観光″、
JR門司駅(もじえき)前に鎮座する
元ビール工場を再利用した施設・
門司赤煉瓦プレイスを
ご紹介しております!
前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-447.html

一部店舗を除いて原則非公開となっている
醸造棟に代わって訪れるのは、
そのお隣に建つ門司麦酒煉瓦館
(もじビールれんがかん)
大正2(1913)年の帝国麦酒(ビール)創業時に
事務棟として建てられた建築物で、
建物全体に鉱滓煉瓦
(こうさいれんが。金属を製錬する際に
排出された゛滓(かす)″に、
生石灰 ・水を加えて成形されたレンガ)を使用。
左右対称、垂直方向の線が強調されたデザインは
ドイツ・ゴシック様式と呼ばれるもので、
醸造棟の華やかな色合いとは対照的な
茶色がかった色合いが、
独特な雰囲気を醸し出しています。

建物を構成するレンガ壁は、
建築様式に則り
短辺のレンガのみで積み上げた、
ドイツ積みと呼ばれる方式で
構築されています。
お隣、長辺と短辺のレンガを交互に積む
イギリス積みで構成された醸造棟とは、
この点でも明確な「差別化」が
図られているようです。

それでは、建物内へと入って参りましょう!

玄関を入った先は、
椅子とテーブルが並べられた
フリースペースのような空間。
外壁同様部屋を取り囲むように立ち上がる
鉱滓煉瓦の壁が、
なんとも言えないレトロな雰囲気を
醸し出しています♪
この先、一階の大部分と二階全体を使った
展示スペースは、
受付を経由しての有料ゾーンとなります。

受付で「観覧料(大人100円)」を支払い、
展示スペースへ進入!

一階展示室の中央部分、
受付から進んだ正面に置かれているのは、
当初この工場で作られていた銘柄・
サクラビールの
ショーウインドウを再現したもの。

大正2(1913)年にこの地で産声を上げた
サクラビールは、
モダンガール(モガ)を起用した
デザイン性の高いポスター、
びんに施された優れたラベルデザインも相まって
国内外から人気を博し、
最盛期には国内3位、
約9%のシェアを
獲得することに成功。
東京・銀座や大阪・道頓堀といった
目抜き通りにも看板が設置されるほどの
人気と知名度を得ていたようです。

当時のサクラビールを紹介した資料。
Aの写真は「帝国麦酒」を立ち上げた神戸の財閥・
鈴木商店の2代目社長・
鈴木よねさん。
Bは当時のサクラビールのラベル。
Cは明治45(1912)年の工場起工に際して
執り行われた、
地鎮祭(じちんさい)の様子。
Dは帝国麦酒の絵はがきと、工場内の様子。
Eはモダンガール(モガ)を起用した
サクラビールのポスター。
デザインは当時人気を博していた画家・
北野恒富(きたの つねとみ)画伯によるもの。

完成した製品を搬送するために使われた
木箱
箱のフタは中央に大きくサクラのマークが描かれ、
ブランドイメージをアピール。
その周りには現在と逆の「右書き」で、
「登録商標」、「サクラビール」、
「帝国麦酒株式会社醸造」と記されています。

サクラビールの酒瓶とグラス。
シンプルながらも華やかなイラストと、
字体にまでこだわった表記が
とってもオシャレ♪
(人気銘柄となったのも、頷ける!)

当時使われていた看板やトレー。
左側のトレーは表面にサクラビールのラベルが
ペイントされ、
外周に細やかな装飾が施されるなど、
特段のこだわりが感じられます♪

サクラビール関連の展示に混ざって置かれた、
エビスビールの酒瓶。
その片方は・・・

遭遇率数百分の一!
恵比寿さまの背後のカゴにも
縁起物のタイが入れられた、
ラッキーヱビス!
(初めて実物を見た!)
展示室内に置かれたモニターでは・・・




ビールの製造から出荷までのプロセスを紹介!

当時の製造工場(赤煉瓦プレイス)は
海岸線(現在の国道199号線)に面して
建てられており、
その立地を生かして海・陸双方での
素早い出荷が可能となっていました。
(これもサクラビールが比較的短期間で
広く流通した一因と言えるでしょう。
土地選び、大事!)

「帝国麦酒本社工場」操業当時の様子を
再現した、復元模型。
大正2(1913)年の操業開始以降、
サクラビールの人気と需要の拡大に伴い
順次増築・拡張された工場敷地は、
大正9(1920)年頃には敷地面積
1万5,000坪、
建物は8,900坪、
北九州地域一の工業地帯として発展を続ける
大里(だいり)地区でも最大級の工場に
挙げられるまでに成長を果たしました。
その工場敷地には現存する建築物の他、
ビールの素となる麦芽(ばくが)を造るための
製麦場(せいばくじょう)、
出来上がったビールの瓶詰めや
箱詰めが行われた(多分)
製品場などの施設が
確認できます。

大理石とタイル、金属で構築された
格調高い暖炉のそばには・・・

サッポロビール九州工場時代に
実際に使われていた、
麦汁(ばくじゅう)ろ過機
(粉砕した麦芽を「もろみ」を造って糖化させ、
さらに゛こし″て麦汁にするための機械)の
カラン(注出口)
年季の入った造りと錆び具合からすると、
工場創業当時から使われていたものでしょうか?

ガラスケース内にズラリと並べられた、
サクラビールの海外向け製品のラベル。

大正3(1914)年に「人類史上初の世界大戦」・
第一次世界大戦が勃発すると、
ヨーロッパからアジア地域への
ビールの販路が途絶
そのためサクラビールも国内外での需要が急増し、
近隣諸国のみでなく北米、
インド、タイ、アフリカにまで販路を拡大。
大正5(1916)年にはパナマで開催された
「平和国際博覧会」で金賞を受賞するなど、
国際的にも高い評価を獲得して行きました。

こちらはボルネオ島
(インドネシア・マレーシア・ブルネイ領)
向けに製造された、
ボルネオビールのラベル。
ブランド名に合わせて、トレードマークの「サクラ」も
「象と牛」に変更されています。
こういった国・地域に合わせた
ブランド展開もまた、
「サクラブランド」が人気を博した
要因と言えるでしょうね。

シャレた造りの天井を見上げ、
趣ある木製の階段を上がって
2階へと向かいます!
参考:門司赤煉瓦プレイス 公式ホームページ
INTERIOR BOOK
Wikipedia
コトバンク
門司麦酒煉瓦館
北九州市門司区大里本町3-6-1
営業時間
9:00~17:00
休業日
12月29日~翌1月3日まで
観覧料
個人
大人 100円 中学生以下 50円
団体(30名以上)
大人 80円 中学生以下 40円
※その他各種減免措置アリ。
詳しくは公式ホームページを
ご参照のこと。
お問い合わせ
TEL 093-382-1717
アクセス
車
北九州高速道路・大里(だいり)ICより 約5分
門司港レトロより 約3分
JR小倉駅(北口)より
国道199号線経由で約13分
駐車場
普通車 148台 大型車 10台
一日の利用料 500円
観光バス 1,000円
公共交通機関
JR門司駅(北口)より 徒歩約3分