゛大正ロマン″・門司赤煉瓦プレイス! その3
- 2021/12/11
- 15:11
現在倉敷市のとある職場で働いている私ですが、
ワケあって操業停止状態に
陥ってしまい、
一時の暇(いとま)を頂いた状態と
なってしまっていおります。
(といっても見ての通りブログのネタは
モリモリ状態であり、
一方では「では旅へ!」とする
お金もないため、
こうして毎日書き綴る他はこれといって
為すことも無いのですが 笑)

そんな訳で、ここ数日は取り敢えず
普段土日に撮る機会の少ない
レア列車なんかを撮り歩きながら、
再開の時を待とうか・・・などと
考えている次第。

ブログの方では福岡県は北九州市門司区(もじく)、
JR門司駅スグのところに広がる
ビール工場の跡、
門司赤煉瓦プレイスを
散策中の私。
前回記事では旧事務棟を改装した展示施設・
門司麦酒煉瓦館
(もじビールれんがかん)に突入して、
この工場で造られていた、
戦前に姿を消した「幻のビール」・
サクラビール関連の展示を
見て参りました。
前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-448.html

ひと通り一階の展示品を見終えた後は、
二階へ!
その途上に通る木製階段は、
踏面(とうめん)にそれぞれケヤキの一枚板を、
簓桁(ささらげた。階段側面に取り付けられた板)に
一本木をまるごと使用した、貴重なもの。
復元に当たっては旧材をそのまま
再利用したそうですが、
重ねた歳月と長年の使用による
摩耗のせいか、
板は曲がり、簓桁も変形してしまっているそう。
(写真で見ても、手すりが歪んでしまって
いることが分かります)
左手に見える手すりの親柱上部には、
「サクラビール」のシンボルである
桜の花弁の木彫が施されている
こだわりよう。

二階に上がって最初の部屋は、
徹子の
ビール製造とリサイクルの部屋
鉱滓煉瓦(こうしれんが)に囲まれ、
小さなマントルピース(暖炉)が覗く
室内では・・・

ビールや

ビールが注ぎ込まれるアルミ缶
(の上に・・・)

ビール瓶の製造工程が、
パネルとともに原料や加工途上、もしくは
完成品の実物によって解説されています。

こちらは飲食店などではお馴染み、
たっぷりのビールが注ぎ込まれる
酒樽(さかだる)
(私も飲食店勤務時代、
格闘しながら取り替えていたなぁ・・・)
業務用に供されるビール容器(樽)には
昭和30年代までは木製のものが
使われていましたが、
内部に塗料を塗る必要があり、
その塗り替えと洗浄に手間が掛かったこと、
タガ(樽の外側に取り付けられた留め具)の
ゆるみに伴う補修などが
必要とされたことから、
それらの手間とコストを解消するための手段として、
内部にビール注出用のアルミ容器を仕込み、
外部に強化プラスチックを用いた
新たな酒樽が登場。
昭和40年代には現行の
ステンレス樽が登場し、
軽量化や耐久性の向上、
業務の効率化が促進されました。
(交換作業は大変だけどね!)

こちらでは、ビールびんやビール缶が
リサイクルされる
工程を紹介。
工場から出荷され、販売店から消費者へと
流通されたビール缶は、
分別後に回収され、スクラップに。
(分別はしっかりと!)
再処理工場へ運ばれた「缶の屍(しかばね)」は
高温を加えて再溶解され、
地金(じがね)の状態から缶材として
使用可能な状態に戻され、
青函トンネル製缶工場へ。

そうして蘇った缶は再び塗装や印刷、
ビールの注入が行われ、
各店舗・各家庭へと出荷されて行きます。
このサイクルを繰り返すことで
不要なゴミの発生を防ぎ、
地球環境の保全を図る、
という訳ですね。

もちろんこのサイクルはビール瓶にも
適用されており、
一本のびんに付き平均24回(年3回転、約8年)
再使用されるほか、
傷が付いたり、再利用に適さなくなったものは
選別後に破砕(はさい)され、
新たなカレット(びんの原料)として
再びサイクルに組み込まれて
行くこととなっています。

お次は「ビール製造とリサイクルの部屋」の
向かいにある、
交流サロンへ。
「社交場」を思わせる、
シャレた造りの室内には・・・

開拓使(かいたくし。明治維新後に
北海道の開発を担った官公庁であり、
サッポロビールのルーツ・
「開拓使麦酒醸造所」を設立した主でもある)を
象徴する赤い星・五稜星(ごりょうせい)が
刻まれた暖炉(マントルピース)や・・・

五稜星の形に配置された、照明器具が!
この五稜星は現在のサッポロビールが使用する
社章の元ともなっており、
明治以来の伝統を重んじる同社の社風と、
内装へのこだわりが感じられます。
(サクラビール時代は、
また違った造りとなっていたのでしょうか・・・)
照明器具の向こうに見える天井は、
細かな装飾を施した鉄板を組み合わせ、
その上から塗装を行うという
手間の掛かったもの。
このような装飾板は
現在製造されていないそうで、
大変貴重にして珍重な遺物となっています。
復元に際して一旦天井から取り外した上で
当時の色合いに復旧したそうですが、
錆(さび)によって穴が開いてしまった
場所もあるのだとか。
文化財としてだけでなく建築学的にも
大変貴重な造りでしょうから、
出来るだけ長く、良い状態を
保って行って欲しいものです。
(管理団体さん、ファイト!)

そんな「工場時代」の面影を色濃く残した
「交流サロン」ですが、
室内に置かれた棚には・・・

古伊万里(こいまり)や有田焼(!)で作られた
ビアジョッキや・・・

備前焼(びぜんやき)のカップなど、
お宝ザクザク状態!
(これでビールやお酒を飲めば、
気持ちイイだろうなぁ~!)

お次は高~い天井広がる開放的な空間・
浪漫展望室(ろまんてんぼうしつ)へ!
(逆光のため、見づらい画像となっております💦
ご容赦ください)
玄関のちょうど真上
に位置する
細長い部屋からは・・・

「サクラビール」の出荷を援けていた、
関門海峡の眺め!
(窓に防護ネットが張られているのもあって、
名前通りの「展望」は楽しめない 笑)

ここで気になるのは、
何もない壁面に「ど〇でもドア」のごとく
浮かんでいる扉
これはかつて「展望台」として使われた
3階があった名残りで、
展望施設が取り払われた今でも
(恐らく)屋上へ出るための扉と、
床材を取り付けていた跡だけが
中空に取り残されています。
(残せばよかったのに・・・)

続いてはサクラビール~サッポロビールへと至る
変遷を辿った、
「昭和・平成浪漫の部屋」へ!
「門司赤煉瓦プレイス編」も、大詰めです!
参考:W-wallet 建築用語と用語の詳細解説
Wikipedia
ワケあって操業停止状態に
陥ってしまい、
一時の暇(いとま)を頂いた状態と
なってしまっていおります。
(といっても見ての通りブログのネタは
モリモリ状態であり、
一方では「では旅へ!」とする
お金もないため、
こうして毎日書き綴る他はこれといって
為すことも無いのですが 笑)

そんな訳で、ここ数日は取り敢えず
普段土日に撮る機会の少ない
レア列車なんかを撮り歩きながら、
再開の時を待とうか・・・などと
考えている次第。

ブログの方では福岡県は北九州市門司区(もじく)、
JR門司駅スグのところに広がる
ビール工場の跡、
門司赤煉瓦プレイスを
散策中の私。
前回記事では旧事務棟を改装した展示施設・
門司麦酒煉瓦館
(もじビールれんがかん)に突入して、
この工場で造られていた、
戦前に姿を消した「幻のビール」・
サクラビール関連の展示を
見て参りました。
前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-448.html

ひと通り一階の展示品を見終えた後は、
二階へ!
その途上に通る木製階段は、
踏面(とうめん)にそれぞれケヤキの一枚板を、
簓桁(ささらげた。階段側面に取り付けられた板)に
一本木をまるごと使用した、貴重なもの。
復元に当たっては旧材をそのまま
再利用したそうですが、
重ねた歳月と長年の使用による
摩耗のせいか、
板は曲がり、簓桁も変形してしまっているそう。
(写真で見ても、手すりが歪んでしまって
いることが分かります)
左手に見える手すりの親柱上部には、
「サクラビール」のシンボルである
桜の花弁の木彫が施されている
こだわりよう。

二階に上がって最初の部屋は、
ビール製造とリサイクルの部屋
鉱滓煉瓦(こうしれんが)に囲まれ、
小さなマントルピース(暖炉)が覗く
室内では・・・

ビールや

ビールが注ぎ込まれるアルミ缶
(の上に・・・)

ビール瓶の製造工程が、
パネルとともに原料や加工途上、もしくは
完成品の実物によって解説されています。

こちらは飲食店などではお馴染み、
たっぷりのビールが注ぎ込まれる
酒樽(さかだる)
(私も飲食店勤務時代、
格闘しながら取り替えていたなぁ・・・)
業務用に供されるビール容器(樽)には
昭和30年代までは木製のものが
使われていましたが、
内部に塗料を塗る必要があり、
その塗り替えと洗浄に手間が掛かったこと、
タガ(樽の外側に取り付けられた留め具)の
ゆるみに伴う補修などが
必要とされたことから、
それらの手間とコストを解消するための手段として、
内部にビール注出用のアルミ容器を仕込み、
外部に強化プラスチックを用いた
新たな酒樽が登場。
昭和40年代には現行の
ステンレス樽が登場し、
軽量化や耐久性の向上、
業務の効率化が促進されました。
(交換作業は大変だけどね!)

こちらでは、ビールびんやビール缶が
リサイクルされる
工程を紹介。
工場から出荷され、販売店から消費者へと
流通されたビール缶は、
分別後に回収され、スクラップに。
(分別はしっかりと!)
再処理工場へ運ばれた「缶の屍(しかばね)」は
高温を加えて再溶解され、
地金(じがね)の状態から缶材として
使用可能な状態に戻され、

そうして蘇った缶は再び塗装や印刷、
ビールの注入が行われ、
各店舗・各家庭へと出荷されて行きます。
このサイクルを繰り返すことで
不要なゴミの発生を防ぎ、
地球環境の保全を図る、
という訳ですね。

もちろんこのサイクルはビール瓶にも
適用されており、
一本のびんに付き平均24回(年3回転、約8年)
再使用されるほか、
傷が付いたり、再利用に適さなくなったものは
選別後に破砕(はさい)され、
新たなカレット(びんの原料)として
再びサイクルに組み込まれて
行くこととなっています。

お次は「ビール製造とリサイクルの部屋」の
向かいにある、
交流サロンへ。
「社交場」を思わせる、
シャレた造りの室内には・・・

開拓使(かいたくし。明治維新後に
北海道の開発を担った官公庁であり、
サッポロビールのルーツ・
「開拓使麦酒醸造所」を設立した主でもある)を
象徴する赤い星・五稜星(ごりょうせい)が
刻まれた暖炉(マントルピース)や・・・

五稜星の形に配置された、照明器具が!
この五稜星は現在のサッポロビールが使用する
社章の元ともなっており、
明治以来の伝統を重んじる同社の社風と、
内装へのこだわりが感じられます。
(サクラビール時代は、
また違った造りとなっていたのでしょうか・・・)
照明器具の向こうに見える天井は、
細かな装飾を施した鉄板を組み合わせ、
その上から塗装を行うという
手間の掛かったもの。
このような装飾板は
現在製造されていないそうで、
大変貴重にして珍重な遺物となっています。
復元に際して一旦天井から取り外した上で
当時の色合いに復旧したそうですが、
錆(さび)によって穴が開いてしまった
場所もあるのだとか。
文化財としてだけでなく建築学的にも
大変貴重な造りでしょうから、
出来るだけ長く、良い状態を
保って行って欲しいものです。
(管理団体さん、ファイト!)

そんな「工場時代」の面影を色濃く残した
「交流サロン」ですが、
室内に置かれた棚には・・・

古伊万里(こいまり)や有田焼(!)で作られた
ビアジョッキや・・・

備前焼(びぜんやき)のカップなど、
お宝ザクザク状態!
(これでビールやお酒を飲めば、
気持ちイイだろうなぁ~!)

お次は高~い天井広がる開放的な空間・
浪漫展望室(ろまんてんぼうしつ)へ!
(逆光のため、見づらい画像となっております💦
ご容赦ください)
玄関のちょうど真上

細長い部屋からは・・・

「サクラビール」の出荷を援けていた、
関門海峡の眺め!
(窓に防護ネットが張られているのもあって、
名前通りの「展望」は楽しめない 笑)

ここで気になるのは、
何もない壁面に「ど〇でもドア」のごとく
浮かんでいる扉
これはかつて「展望台」として使われた
3階があった名残りで、
展望施設が取り払われた今でも
(恐らく)屋上へ出るための扉と、
床材を取り付けていた跡だけが
中空に取り残されています。
(残せばよかったのに・・・)

続いてはサクラビール~サッポロビールへと至る
変遷を辿った、
「昭和・平成浪漫の部屋」へ!
「門司赤煉瓦プレイス編」も、大詰めです!
参考:W-wallet 建築用語と用語の詳細解説
Wikipedia