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県都・岡山を歩く6 ~名勝・後楽園!その4~

ロマンスカー
ロマンスカーVSE、引退

先日小田急電鉄のダイヤ改正とともに
発表された、
衝撃的なニュース。

平成17(2005)年、
当時落ち込みつつあった箱根観光、
および小田急のシンボルである
特急・ロマンスカーの人気回復を期し、
一編成30億円(だったかな?)を投じて
開発・製造された、

小田急、およびロマンスカーの
広告塔

設計を起こすに当たって、
車両デザインに外部デザイナーとして
「岡部憲明アーキテクチャーネットワーク」代表・
岡部憲明(おかべ のりあき)氏を起用し、
大胆なイメージチェンジを模索。

また乗り心地を向上させるための
車体傾斜システム
アルミダブルスキン構造の採用、

ロマンスカーの伝統であった
連接台車(通常車体両端に台車を取り付ける
「ボギー台車」と異なり、
車両間に台車を履かせる形態)の継承等、

伝統と革新を両立した大胆なコンセプトと
ホワイトをベースとした優雅なデザインで、
ロマンスカーここにあり!」を印象付ける
こととなりました。

しかしながらデビューから15年が経過し
車両更新を検討する中で、
車両の構造、特に車体傾斜装置の
更新が困難となることが
判明したため、

通常30年前後が寿命とされる
鉄道(在来線)車両としては
極めて短命に終わることが
確定してしまいました()

通勤・観光路線として機能する
小田急小田原線および箱根登山鉄道線でも
後継・70000形(GSE)をも凌ぐ
際立つ存在感を放っていた同車。

今後は来年3月に定期運用を終了
イベント列車等に使用された後、
検査期限が切れる再来年(2023年)秋をもって
完全引退となる予定だそう。

現在は関東とは縁遠い身であり
一度も乗車の機会なくお別れとなりそうなのが
実に残念ですが、
鉄道ファンや沿線の人々に強い印象を
刻み付けた同車の残り少ない活躍を、
遠方より静かに見守りたいと思います。


さて、折からの「臨時休業」を追い風に
急ピッチで進めて参った
「県都・岡山を歩く」編も、
今回ではや最終回
後楽園 3-20
引き続き岡山市街東方、
岡山城後背に広がる大名庭園・
後楽園(こうらくえん)を
巡って参ります!


前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-455.html


円窓から庭園の眺めお茶菓子が楽しめる
「廉池軒(れんちけん)」を後にして、
「正門」に近い園内南側(ただし別ルート)へ!
後楽園 4-1
散策路右手に見えてくる重厚な造りの建物は、
延養亭(えんようてい)

ここ「後楽園」における藩主の居間として建てられた
重要な施設でしたが、
岡山大空襲」の際に焼失

戦後の昭和35(1960)年に
当時第一級の木材と技術を用いて、
築庭当時そのままの間取りで
復元されました。
(残念ながら内部拝観は出来ない模様)
後楽園 4-3
隣に建てられた詠唱栄唱の間
(えいしょうのま)は、
能舞台に接し、
能の鑑賞接待の場として使われた建物。

作庭とともに建てられ、
綱政(つなまさ)公の子・
継政(つぐまさ)公の頃に改築

岡山大空襲の際に鶴鳴館(かくめいかん)や
延養亭とともに焼失してしまいましたが、
周囲の建築物とともに継政公の改築後の姿へと
復元されました。

作庭の主綱政公は大変な
能好きであったそうで、
時に舞台を開放して家臣や領民にも
鑑賞を勧めた他、
自ら演者を務めることもあったそう。

(サービス精神に溢れた、
゛名君″ならではなエピソード♪)
後楽園 4-4
「延養亭」および「栄唱の間」・「能舞台」の
前面に広がる
花葉の池(かようのいけ)は、
園内を流れる曲水終着点の一つ。
後楽園 4-5
池上には、「一天四海(いってんしかい。
「天下の全て」の意)」と称される(ハス)が、
鮮やかな花弁を咲かせています♪
後楽園 4-6
複雑に屈曲した木橋
栄唱橋(えいしょうばし)を渡る。
後楽園 4-7
栄唱橋」を抜けた先に佇立する
大立石(おおだていし)は、
元禄4(1691)年に綱政公の命で運び込まれた、
巨大な庭石

一個の花崗岩九十数個に分割して
運搬した後、
元の形に組み上げたものだそうで、

慈眼堂(じげんどう)の烏帽子岩(えぼしいわ)同様
作庭に携わった石工たちの、
技術の高さが窺えます。
後楽園 4-9
園内南東、「二色が岡(にしきがおか)」と呼ばれる
木立広がる丘陵の中に
ひっそり佇む建物は、
茂松庵(もしょうあん)

築庭当時、この付近には山桜(かえで)、
などが植えられ、
四季折々の眺めが楽しめたことから、
庵も花葉軒(波動拳かようけん)と
称されていました。

明治時代、庭園の管理が岡山県へ移譲された際に
「茂松庵」と名が変えられましたが、
付近の建築物とともに戦災で焼失

戦後、園内で最初の復元建築として
蘇りました。
(こちらも残念ながら・・・略)
後楽園 4-10
同じく園内南東、「二色が岡」内に現れる
階段状の構造物は、
藩主が岡山城から旭川を渡って
直接園内を訪れる際に用いた船着き場・
御舟入(おふないり)の跡。
後楽園 4-11
藩政時代、御舟入から続く庭園南面には
藩主とその許しを得た者のみが出入り可能
御成御門(おなりごもん)と呼ばれる
格式高い門が築かれており、

「御舟入」から上陸した藩主は、
この「御成御門」を通って
園内へと足を踏み入れていました。

1800年代には御舟入に
水が入らなくなったことから
門の位置も変更、

門が使われなくなった明治以降はに覆われ、
大正時代には旭川沿いに
散策路が設けられたことから
埋没してしまっていたそう。

この場所に出土している
雁木(がんぎ。階段)は、
「御舟入」運用当時の姿を示す
貴重な遺構となっています。


園内をひと通り巡り終え、
「南門(岡山城口)」から退出!
ああ、楽しかった♪
後楽園 4-12
大正時代築の「散歩道」へ出てみると、
旭川越し修復工事準備中の、
岡山城天守の姿!
後楽園 4-13
岡山藩池田家31万5,000石の
威光
を示した楼閣(復元建築ですが)が、
「晴れの国」の陽光に煌めく✨
後楽園 4-14
天守が建つ本丸「本段」の隣、
「表向」に残る、月見櫓(つきみやぐら)
後楽園 4-15
実にほれぼれする眺めです♪
後楽園 4-16
時刻はお昼時
腹を満たすために立ち寄ったのは、
散歩道の両側に店舗スペースを展開する、
城見茶屋(しろみぢゃや)
後楽園 4-17
旭川越しの天守を望む
「絶景スペース」で頂くのは・・・
後楽園 4-18
岡山県南部・浅口市(あさくちし)は
鴨方町(かもがたちょう)を中心に
作られている特産物・
手延べうどん!
後楽園 4-19
仕込みに刃物を使わず
職人の手で30時間に亘って
熟成と延ばしが繰り返された麺は、

強いコシと豊かな弾力を帯び、
歯ごたえタップリ!


これを「ざるうどん」のあっさりとした
めんつゆに潜らせ、
付属のおろししょうがを混ぜれば、
風味と清涼感がアップ!

夏にピッタリ、「備の国のシンボル」を
眺めるのにピッタリな「岡山グルメ」、
堪能しました♪
後楽園 4-20
しばし「城見茶屋」からの眺めを楽しんだ後、
間もなく゛覆い″に包まれる天守に別れを告げ
後楽園 4-21
岡山駅から、倉敷市への電車移動!

お隣・倉敷市での
新生活がスタートしました♪


参考:岡山後楽園 公式ホームページ
    東洋経済オンライン
    かも川手延素麺株式会社
    晴れの国゛岡山″の魅力を発信! HAREnote
    Wikipedia


城見茶屋

岡山県岡山市北区後楽園1-7

営業時間
10:30~17:00

定休日
不定休

お問い合わせ
086-272-2920

アクセス

山陽自動車道岡山ICから 約25分
※お越しの際は後楽園、
もしくは付近の駐車場をご利用ください。

公共交通機関
JR岡山駅(東口)から 徒歩約24分

岡山電気軌道(岡山市電)東山線乗車(所要約4分)
城下駅下車 徒歩約8分

宇野バス ネオ瀬戸線・四御神線・250号線(所要約4分)
表町入口バス停下車 徒歩約9分

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。