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山城と城下町を歩く2 ~「天空の城」・備中松山城!~

とうとう2021年も、残すところあと2日!

皆さん、年越しの用意は整いましたか~?
大掃除に断捨離、門松におせち料理・・・
私ですか?
共同生活(シェアハウス)なので、
特にすることはありません(笑)

のんびり過ごす人、仕事を納めても
忙しく動き回る人、
「日常」の中で新年を迎える人・・・

それぞれの「年の瀬」があるとは思いますが、
どなたさまも良い大晦日、
良い新年が迎えられますように。



さて、ようやく最新の出来事
追いついて参りました、当ブログ。
前回より今月上旬、臨時休業期間中に決行した、
岡山県高梁市(たかはしし)探訪の模様を
お届けしております。


前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-461.html


備中松山 24
標高430m、臥牛山(がぎゅうさん)
山上に広がる山城・
備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)を
目指しての、プチ登山

その大体8合目
標高290m付近に設けられた、
鞴峠(ふいごとうげ)まで
辿り着きました!

ここから先はマイカー侵入禁止
駐車場に車を停め、
歩いてお城にアクセスしなければなりません。
(麓から登ってきた私には
関係ありませんが 笑)
備中松山城 2-1
つづら折りの山道を登り、
チラリと覗く景色を楽しみながら・・・
備中松山城 2-3
ラストスパート!


「登山口」から登り始めて、
およそ50分・・・
備中松山城 2-4
木々の向こうから、
勇壮な石垣群が出現!

間違いありません、遥か山麓から目指して
登って来た目的地・
備中松山城、到着です!
備中松山城 2-5
城の起源は鎌倉時代の延応2(1240)年、
有漢郷(うかんごう。現・高梁市有漢町)の地頭・
秋庭重信(あきば しげのぶ)が
臥牛山の一峰・大松山(現在の城地とは異なる)に
砦を築いたことに始まる。

その後幾度かの城主の変遷とともに
順次城郭の整備と拡張が進められ、
永禄4(1561)年には「安芸(あき)の梟雄(きょうゆう)」・
毛利元就(もうり もとなり)の支援を受けた
三村家親(みむら いえちか)が入城。

以後しばらくは城と周辺地域の支配権は
三村氏のものとなりました。

元亀3(1572)年、三村氏と仲が悪い
備前の宇喜多氏(うきたし)と
毛利氏との間で和睦が成立すると、

家親の子・三村元親(みむら もとちか)は
両者の合一を嫌い、
東方に大勢力を築いていた
織田信長を頼って、蜂起

以後備中一円の城々を巡って、
三村氏と宇喜多・毛利連合軍との間で
備中兵乱と称される
激戦が展開。

この時期には備中松山城も臥牛山一帯
一大要塞と化するほどに
強化されていましたが、
毛利氏の攻勢によって落城
城主・元親は自刃して果てました。
備中松山城 2-19
三村氏滅亡後は毛利氏の支配下となっていた、
備中松山城。

関ヶ原の戦い西軍に付いた毛利氏が
防長二ヶ国への大減封を食らうと、
備中一円は幕府の直轄領となり、

その統治を担う奉行として
小堀正次(まさつぐ)・政一(まさかず。遠州)
父子が入国。

小堀氏の国替え後は備中松山藩が立藩し、
池田氏(播磨国主・池田氏分家)、
水谷氏と変遷。

水谷氏の頃に天守や二重櫓(ともに現存)、
大手門などの主要施設が完成しています。

水谷氏が後嗣不在により改易(かいえき)と
なってからは、一時播州赤穂藩・浅野氏
(あの内匠頭長矩の頃)預かりを経て、
再度大名家が変遷。

延享元(1744)年に板倉氏が入封すると
ようやく藩主の座が安定し、
以後7代を重ねて明治維新を迎えることと
なりました。
備中松山城 2-22
明治になって不要となった城が
次々解体・払い下げの憂き目に遭う中で、
標高400mを超える高地に存在していた
備中松山城は、

その存在すらも忘れ去られた
放置プレイ状態
荒れ果て、朽ち行くままとなってしまいます。
備中松山城 2-23
そんな中、高梁中学校に歴史教諭として
赴任していた信野友春(しなの ともはる)氏は、
城地の測量や辛うじて残っていた
天守などの建築物の構造・寸法などを
調査・収集。

これが「備中松山城及(および)其(その)城下」
として刊行されると、
これをきっかけに保存運動がスタート。

廃城後50年あまりを経て、
ようやく「天空の城」は
日の目を浴びることとなりました。
備中松山城 2-24
昭和14(1939)年には官民一体となった
昭和の大修理が決行。

天守などの解体修理に際して、
建材となる木材は多くが城の在る
臥牛山から切り出されましたが、
木材を始め石材、瓦などは全て
人力によって運搬。

2万枚にもおよぶ屋根瓦は、
地元の小・中学生による
奉仕運動によって
運搬されたそう。

こうして地元の方を始めとする「有志の力」によって
蘇った備中松山城は、
今なお「町のシンボル」として、
貴重な「現存天守十二城」の一つとして、
天上400mに聳え立っています。
備中松山城 2-6
近年のエピソードとして挙げられるのが、
平成28(2016)年に放送された大河ドラマ・
真田丸への出演

カックイイ~音楽とともに
オープニングに登場したのは、
CG加工による演出が加えられた、
備中松山城の姿
(放送当時、初見でわかった!(ドヤッ!)

なんでも「険しい山上に佇む城の姿が、
強者に抗う真田のイメージと重なった
がための採用だったとか。
(なぜ「真田の城」だった上田城ではないのか、
と突っ込むのは無粋であろう)
備中松山城 2-7
それでは、城内へ゛侵攻″して参りましょう!

まず立ちはだかるのは、
城の「正面入口」となる
大手門(おおてもん)

備中松山城の大手門は、
東側から登り来て城へと到達する
登城道に合わせるように、
入口を「東向き」に配置。

さらにその内側への通路を
一旦「南」に曲げることで、軍勢の直進を妨げ、
城兵側からの迎撃の機会を増やす、
枡形構造が形成されています。

写真手前に見える礎石上には
梁間(横幅)十間(約18メートル)、
桁行(奥行き)二間(約3.6メートル)の
櫓門が構えられ、

通行口と防御施設を兼ねた造りと
なっていました。
備中松山城 2-8
大手門脇から聳える石垣

自然の地形を活かし、
元から存在していた岩盤をも
石垣の一部として取り込んだ、
配置の妙が光ります!
備中松山城 2-9
櫓門へと至る通路の上にも、
折り重なるような石垣の連なり。
備中松山城 2-10
備中松山城の石垣は、
野面積み(のづらづみ)

「石垣の城」成立初期に用いられた
構築技法で、
自然石をそのまま積み上げたために
隙間が目立つものの、排水性に優れているため、
見た目以上に丈夫な構造をしています。

これらは全て石材の゛個性″や゛相性″、
石垣全体の゛バランス″を見極めた
職人の経験と勘が為せる業であり、

備中松山城の近世城郭化に際して、
高度な建築技法が用いられていたことを
示しています。
備中松山城 2-11
大手門から伸びる通路は、
ご覧のように一旦「南」へと進路を変え、
画面奥で再度「西」へと転進しています。

これもまた軍勢の直進を妨げる工夫のうちで、
この間に左手の櫓門、
さらに右手の三の丸に置かれた
「足軽番所」や「土塀」からも、

城兵側の苛烈な抵抗
あったことでしょう。
備中松山城 2-12
「二の平櫓」跡から振り返って。

石垣の連なりが、実に美しい・・・
備中松山城 2-13
「大手門」を抜けた先で注目して欲しいのが、
こちらの土塀
備中松山城 2-14
城外側に対する防衛線の一角をなし、
「三の平櫓」と接続していた
三の平櫓東土塀
(さんのひらやぐらひがしどべい)と呼ばれる塀は、

一見地味ながら本丸の天守・二重櫓と並ぶ
現存建築の一つ。

備中松山城の建築技法を示し、
重要文化財にも指定されている、
大変貴重な遺物です。
(みんな、スルーせずにじっくり見ようね♪)
備中松山城 2-15
敵兵を狙撃するための穴・
狭間(さま)も、
しっかりと開けられています。

縦に長いのは、矢を射掛けるための
矢狭間(YAZAWAやざま)
備中松山城 2-16
ぐるっと回り込むように通路を進むと、
城の外周を固めた曲輪・
三の丸の中央部へ!
備中松山城 2-17
三の丸の平坦部分には、
防御施設と兵士たちの「詰所」を兼ねた
足軽番所や、上番所が置かれていました。
備中松山城 2-25
三の丸から二の丸へ至る石段。

左手には「四の平櫓」と
「御膳棚」(ごぜんだな。調理場と思われる)、
右手には馬の飼育や調練を行うための空間・
「厩曲輪(うまやぐるわ)」が広がっていました。

ここを抜けて行くと・・・
備中松山城 2-18
二の丸、到達!

城内でも最も空間が取られた
広々とした曲輪からは、
天守を始めとする
本丸の建造物群を一望!

備中松山城を象徴する、
「シンボリックな」眺めです!
備中松山城 2-19
下から見上げた「五の平櫓」と、天守!
備中松山城 2-20
本丸東南隅に建てられた、
五の平櫓

「本丸南御門」、「六の平櫓(写真左奥)」とともに
本丸入口を固めていた防御施設の一つで、
それら二つと「本丸東御門」、
「腕木御門」などとともに、
平成9(1997)年に復元されました。
備中松山城 2-21
券売所で入館料(大人500円)を払って
前を向くと、
「本丸東御門」越しに天守の姿!


参考:備中松山城 公式ホームページ


備中松山城

〒716-0004
岡山県高梁市内山下1

公開時間
4月~9月 9:00~17:30
10月~3月 9:00~16:30
(本丸・天守への゛入城″は、
閉城30分前まで)

休城日
12月29日~1月3日

入館料
個人
大人 500円
小・中学校 200円
団体割引
30人以上1割引
100人以上2割引
(・・・100人も入るのだろうか?)
※城下町の各観光施設との、
共通券アリ

お問い合わせ
(一社)高梁市観光協会
TEL 0866-21-0461
備中松山城管理事務所
TEL 0866-22-1487
高梁市教育委員会
TEL 0866-21-1516
高梁市観光課
TEL 0866-21-0217

アクセス

岡山自動車道 賀陽ICから 約23分

駐車場
ふいご峠駐車場
収容台数14台 天守まで徒歩約20分
城まちステーション(山麓部分)
収容台数110台 天守まで徒歩約50分

※繁忙期には「城見橋公園」から
「ふいご峠駐車場」まで
登城整理バス運行
※登城整理バス運行中は、
「城見橋公園」から「ふいご峠駐車場」までの
自家用車の通行は不可

公共交通機関
JR備中高梁駅から 徒歩約1時間
タクシーで約15分
高梁バスセンター(備中高梁駅スグ横)から
高梁市内循環バス(所要約7分)
松山城登山口バス停下車 徒歩約40分

よいお年を~!(^-^)/

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。