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゛悲劇の宰相″のふるさとへ ~旧犬養家住宅~

まだ「年明け」が昨日のことのように思える
新年・睦月(むつき)も早々と過ぎ去り、
寒さ厳しい2月・如月(きさらぎ)へ。

月変わり早々歳を重ねたことも
相まって、
時の目まぐるしさに瞠目(どうもく)する
思いでございます。

そんな「時の移ろい」を感じる
゛如月″一発目の記事は、
岡山県岡山市西端、
庭瀬(にわせ)地域からお届け!

昭和初期、激動の時代の中で
「武力による変革」を望んだ青年将校たちの
凶弾によって命を落とした、
岡山出身のとある偉人の住まいを訪ね、

その生涯と生き様、
彼を落命せしめた事件の概要に
迫ります!

1.31 Monday
犬養毅旧宅 1
空いっぱいのに包まれた、
「令和4年睦月」最終日のこの日。

晴天を味方に最寄駅から
黄色い電車に揺られ
犬養毅旧宅 2
岡山市西方、倉敷市との境にほど近い、
庭瀬駅へ!
犬養毅旧宅 3
黄色い電車行き交う駅から
゛昭和の香り″漂う通りを抜け、
古い路地へ入って進むこと、
30分ほど・・・
犬養毅旧宅 4
青々と茂る木立小川のせせらぎに包まれた、
一軒の古民家の前へ!

「県都」の市域内とは思えぬ、
゛別世界″のような静けさに包まれた屋敷の、
かつての主の名は・・・
犬養毅旧宅 5
犬養毅(いぬかい つよし)

日本が「近代国家」への道を模索していた
明治~昭和初期の政界において
主役級の活躍を見せ、
ついには国政のかじ取り役たる
内閣総理大臣にまで上り詰めながら、

戦前日本を揺るがせた大事件・
五・一五事件で、
過激化した海軍将校たちの放った銃弾
命を奪われた、悲劇の宰相

(その際に残した言葉を簡潔にまとめた
話せばわかるの語は、
あまりにも有名)

存命中には第一回衆議院議員選挙から
五・一五事件で亡くなるまで、
岡山県第三選挙区から
連続19回当選という、
抜群の実績。

議員としては近代日本における憲政の確立と、
明治維新以来政府の中枢を占めていた
藩閥の排除
政党政治の樹立に大きな役割を果たし、
憲政の神様とも称された、

岡山の偉人
(岡山県初の総理大臣でもある)
犬養毅旧宅 7
この地に残る旧犬養家住宅は、
そんな犬養翁が産声を上げた
いわゆる生家

犬養家は、(嘘か真か)「四道将軍」として
吉備(きび)の地に遣わされた
吉備津彦命(きびつひこのみこと。
吉備津神社、ならびに吉備津彦神社の御祭神)の
随身武士としてこの地に住まい、

以来土地の大庄屋郡奉行を務めた、
名士の家系。

犬養翁は(記録上の)10代当主・
源左衛門(げんざえもん)の次男・
仙次郎(せんじろう)として
ここで生を受けました。
犬養毅旧宅 23
住まいの中心となる主屋
江戸時代、正徳年間(1711~1716年頃)の築で、
和小屋という造り。

屋根は瓦葺きを主体に、
居室部分を二段構えの
錣葺き(しころぶき)とすることで、
重厚感と風格を持たせています。

室内は式台(しきだい。玄関と座敷の間に設けられた、
板敷きの空間)が構えられ、
座敷には付書院(つけしょいん)が
整備される等、

「庄屋」の住まいでありながら
武家屋敷に準じた
造りとなっているのが特徴的。

現在では犬養家の手を離れて
岡山県による保存・管理が行われている他、
昭和53(1978)年には現存する主屋
隣接する土蔵が、

国の重要文化財指定を受けています。
犬養毅旧宅 9
主屋に入って最初に現れるのは、
縦長く伸びた土間

出入り口調理場を兼ねた
空間には・・・
犬養毅旧宅 10
調理に使われた(かまど)や
食器・酒器
犬養毅旧宅 12
石臼などが残されています。
犬養毅旧宅 12.5
文政末(1830年頃)~天保(1831~45年)頃の
犬養家住宅の様子を描いた、
旧犬養家家相図(かそうず)の
展示パネル。

そのうち赤で囲った部分現存部分で、
その他の建築物や敷地の一部は
現在では失われてしまっています。

絵図では数基の土蔵や離れ座敷
家人が控える伴部屋(ともべや)などが
確認出来る他、

主屋部分も土間が現在の
倍程度にまで伸び、
二畳間や三畳半の部屋、
浴室などが設けられていたことが
分かります。

(明治以降に犬養家の人々によって
取り壊されてしまったのでしょうか・・・)
犬養毅旧宅 13
主屋左側、式台玄関が置かれた
「上端」と呼ばれる板敷きの部屋から
室内へ上がると、

中の間、その奥に座敷と、
畳敷きの空間が続きます。

ここが犬養家の人々が寛ぎの時を過ごした、
「犬養家住宅」の主要部分
犬養毅旧宅 14
土地の「名士」の住まいに相応しく、
「中の間」と「座敷」の間に付けられた
欄間(らんま)には、

花鳥人物などが
彫り込まれています。
(赤外線で解析しなければわからないほど
あせてしまっていますが 笑)
犬養毅旧宅 15
主屋の最奥に広がる座敷には・・・
犬養毅旧宅 16
犬養家の゛家格″を感じさせる、
武家屋敷風の付書院が。
犬養毅旧宅 17
付書院に掛けられた掛け軸。
流麗ながらも力強さに溢れた書は・・・
犬養毅旧宅 18
なんと犬養毅本人によるもの!

(犬養翁は得意としたの他
刀剣や書に欠かせない文房四宝
(すずり・墨・筆・紙のこと)などに広く精通しており、
「木堂(ぼくどう)」や「木翁(ぼくおう)」、
「白林遯叟(はくりんとんそう)」などの号を持つ
文化人でもありました)
犬養毅旧宅 19
座敷の裏側には、庭園が広がっています。

犬養翁も幼少期、あるいは政務の合間に
郷里に帰った時には、
ここから「晴の国」の陽射し
たっぷり浴びる庭を眺めては、
物思いに耽っていたのでしょうか・・・
犬養毅旧宅 20
続いては「主屋」右手側へ。

「上端」と対をなすように設けられたスペースは、
犬養家の人々が食事を摂った
台所
犬養毅旧宅 20.5
ここで犬養翁(&少年)も
家族団らんの時を過ごしたかと思うと、
なんだか感慨深い。
犬養毅旧宅 21
「台所」の先は、九畳ほどの部屋(寝室?)と、
その奥には家財道具をしまうための
納戸(なんど)が続いています。
犬養毅旧宅 22
主屋北西は、土蔵に続く
蔵前と呼ばれる空間。

隣接する土蔵
残念ながら非公開となっていますが、
こちらも現存建築として
重要文化財に指定されています。
犬養毅旧宅 8
敷地内より湧き出していた井戸

幼き日の毅少年も、
ここから水を汲みだすことが
あったかも知れません。
(それとも家人の仕事?)
犬養毅旧宅 8.5
敷地北側、「納屋(なや)」などが建ち並んでいた場所に
建てられているのは、
現存建築・・・ではなく

犬養翁の「号」から名を取った公共施設・
木堂塾(ぼくどうじゅく)

現存建築との調和を重んじた
和様の造りの館内には、
茶室や二間の座敷が設けられ、

文化的な学習・研究会、
講座、集いの場としての
利用が可能となっています。
(今のご時世では、
そういった゛集まり″の催行は
難しいでしょうが)
犬養毅旧宅 6
「木堂塾」横に佇むのは、
犬養翁がこよなく愛したカエデ科の樹木・
ハナノキ

現在植えられているのは
平成20(2018)年に
長野県木曽郡大桑村の個人から
贈られたもので、

かつて犬養翁が別荘とした
長野県富士見町(ふじみちょう)・
白林荘(はくりんそう)に植えられていたものと
同じ親木から
育てられたものだとか。

春には「ハナノキ」の由来となっている
赤色の花咲き、
秋にはカエデ科らしく燃え立つ紅に染まるそうで、
その色彩の変化もまた、

晩年には憂き世を避けるようになっていた
犬養翁の、
お気に召したのかも知れません。

(そんな人物が最終的に天皇に次ぐ(当時)
゛政治の執行者″の地位に就けられ、
国の腐敗の象徴」として
青年将校たちに害されたのは、
皮肉な限り)
犬養毅旧宅 23
「歴史人」の息づかいが感じられるような、
静かな佇まい。

「近代日本を揺るがす大事件」から、
90年。
主を喪い、未曽有の戦火を経てなお、
変わらずこの地に在り続けています。


参考:犬養家旧宅 解説パネル
    犬養木堂記念館 パンフレット


旧犬養家住宅

〒701-0161
岡山県岡山市北区川入102−1

開館時間
9:00~17:00
(最終入館16:30)

休館日
火曜日(祝・休日は開館)
祝日の翌日(土・日の場合は開館)
年末年始(12月28日~翌1月4日)

入館料
無料

交通アクセス
山陽自動車道岡山ICから 約25分
岡山自動車道総社ICから 約20分

駐車場
普通車 23台
バス 2台

公共交通機関
JR庭瀬駅から 徒歩約25分
タクシーで約5分

JR岡山駅から
岡電バス両備バス
「旧2号線」乗車(所要約35分)
庭瀬本町バス停下車 徒歩約15分

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。