井原deお花見!5 ~桜を観て、「偉人の筆跡」を訪ねる~
- 2022/05/02
- 19:40
本日5月2日は、
GW谷間の日
職場によっては今日一日のみ「出勤」して、
明日からまた「3連休」という方も
多いのではないでしょうか。
(私は祝日のない製造業ならでは、
長~い12連休のため、
今日もゆるりと過ごしております)
明日から年4度のボーナスタイム・
GWも後半戦に突入!
徐々に「通常営業」の足音が
迫りくる中ではありますが、
「旅の真っ最中!」という方も、
「3連休」でお出掛けを計画されている方も、
ウキウキ、ワクワクの大型連休、
感染症対策にも気を付けながら、
目いっぱい楽しんで参りましょう!

今月初めに訪れた岡山県きっての桜の名所・
井原堤(いばらづつみ)で
゛お花見″中の私。
前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-486.html

全長2kmほどの堤防の3分の1ほどに架かる
大正橋を過ぎ、
満開を迎えた桜のトンネルを歩きます。

つい゛上″に目が行きがちな桜並木ですが、
春の彩りは足下にも!
元気な色を咲かせるタンポポや


宝石のように輝くムスカリ

純白のユキヤナギなどが、
桜との美麗なコンツェルトを奏でます♪

花見客でにぎわう、桜のトンネル。
例年ならば、なお多くの人出が
見られるのでしょうが・・・

小田川の向こうに、2本目の橋が
見えて来ました!

川辺に下りて、
間近に小田川の水流を眺める。

桜とのコントラストが、
お見事♪

井原堤の中ほどに架かる桜橋は、
長さ100メートルほど。
車両通行不可、
徒歩でのみ渡ることの出来る
人道橋となっています。

橋の上からは、名前通り一目で
一面の桜を鑑賞可能♪
河原ではテントを広げ、
BBQに興じる人たちの姿も!
(いいなぁ~!)

下流側はこんな感じ。
私が歩いて来た桜のトンネルが、
下流に向かって伸びて行きます。

桜橋付近から先、上流に掛けては
両岸に桜並木が広がり、
華やかさはさらにパワーアップ!
橋を渡った先でも、
心ゆくまで桜鑑賞が楽しめます♪

青空をバックに佇む石碑は、
井原出身の詩人・
落合習軒(おちあい しゅうけん)氏の
詠まれた漢詩をを元に、
昭和44(1969)年、
井原市文化協会によって建立されたもの。
一面に咲き誇る井原の桜や
それを取り巻く山々、
間を泳ぎ回る魚などの郷里の情景が、
情感たっぷりに詠い込まれています♪

石碑付近の眺め。
左手に下りれば小田川畔、
右手は無料駐車場も備えた公園・
桜橋公園へと出られます。
(遊具に興じる子供たちの笑い声に、
なんだか和む♪)


両岸に広がる、桜の壁。
実に美しい光景です♪

このあたりで井原堤散策は終了!
「とある場所」を目指して、移動します!

桜のトンネルを遠目に
左岸の堤防上を歩き、
のどかな風景の中を進むこと15分。

とある学校の前に辿り着きました。
ここは興譲館高等学校
(こうじょうかんこうとうがっこう)
゛黒船来航″によって
江戸の泰平が大きく揺るがされていた
嘉永6(1853)年、
西江原(現在の井原市周辺域)の庶民に
高度な教育を施すことを目的として、
この地を治めていた一橋徳川家の代官、
ならびに有志によって設立された
歴史ある学校(私立高校)。
開校に際して芳井村
(よしいむら。現在の井原市芳井町)で
教育者として名を上げていた儒学者・
阪谷朗盧(さかたに ろうろ)を
初代館長として招き、
「郡中教諭所」として開校。
開学から10年ほど経った頃には、
水戸藩校・弘道館(こうどうかん)、
萩藩校・明倫館(めいりんかん)と並び
天下三館と称されるほどとなったとか。
(現在でもこの地域を代表する
教育機関であり続けている他、
陸上部(特に女子)は全国高校駅伝
2回優勝、
日本代表選手を輩出するレベルなのだそう)

そんな歴史と伝統を誇りとする
「学び舎」を訪ねたそのお目当ては、
こちらの校門
世間一般でイメージするような
「The・校門」とは異なる
やけに古風な出で立ちですが、
それもそのハズ、
179年前、開校当時から
そのまま残っているという
大変貴重な代物!(スゴい!)
県指定史跡の肩書きにも納得の、
文化的価値の高い建築物ですが、
この建物をさらに価値あるモノとしているのが・・・

校名が大書された、軒下の扁額。
実はコレ、明治~大正期を代表する実業家として
数々の事業を興し、
日本の近代化と産業の興隆に
大きな役割を果たした偉人
(昨年の大〇ドラマ・
晴天を衝けの主人公でもある)、
渋沢栄一(しぶさわ えいいち)の
揮毫(きごう)によるもの。

拡大してみた。
実は栄一氏と初代館長・朗盧の間には
栄一氏が江原領主・一橋家に仕えていた縁から
交流があったそうで、
1926年に興譲館高校が
学校法人となった際には、
朗盧の子息・芳郎
(よしろう。大蔵大臣(現在の財務大臣)・
東京市長(現都知事)・貴族院(参議院の前身)議員
などを務めた、スゴイ人!)氏に請われて
相談役を引き受ける間柄だったそう。
この扁額は明治天皇の崩御と
「大正」への改元が間近に迫った
明治45(1912)年に揮毫されたもので、
年月とともに栄一氏のサインと押印が
ハッキリと残されています。(スゴイ!)

敷地外からは、
校門同様県指定史跡となっている
書斎付きの講堂と

館祖・阪谷朗盧手植えのものと伝わる
紅梅も確認!

紅梅はすでに見頃を過ぎてはいましたが、
一部の花は校門を潜る生徒たちを
見守るかのごとく、
可憐に咲き誇っておりました。
(学べ、若人!)
参考:学校法人 興譲館高等学校
日本商工会議所 ビジネス情報サイト・
「日商 Assist Biz」
興譲館高校 渋沢栄一書扁額
〒715-0006
岡山県井原市西江原町2257−1
アクセス
車
山陽自動車道 笠岡ICから 約15分
公共交通機関
井原鉄道井原駅から 徒歩約20分
井笠バス 笠岡-山王口-井原線で所要約5分
井原バスセンター下車 徒歩約15分
PS
明日から旅に出ま~す!(*^▽^*)
(一週間後に、またお会いしましょう!)
GW谷間の日
職場によっては今日一日のみ「出勤」して、
明日からまた「3連休」という方も
多いのではないでしょうか。
(私は祝日のない製造業ならでは、
長~い12連休のため、
今日もゆるりと過ごしております)
明日から年4度のボーナスタイム・
GWも後半戦に突入!
徐々に「通常営業」の足音が
迫りくる中ではありますが、
「旅の真っ最中!」という方も、
「3連休」でお出掛けを計画されている方も、
ウキウキ、ワクワクの大型連休、
感染症対策にも気を付けながら、
目いっぱい楽しんで参りましょう!

今月初めに訪れた岡山県きっての桜の名所・
井原堤(いばらづつみ)で
゛お花見″中の私。
前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-486.html

全長2kmほどの堤防の3分の1ほどに架かる
大正橋を過ぎ、
満開を迎えた桜のトンネルを歩きます。

つい゛上″に目が行きがちな桜並木ですが、
春の彩りは足下にも!
元気な色を咲かせるタンポポや


宝石のように輝くムスカリ

純白のユキヤナギなどが、
桜との美麗なコンツェルトを奏でます♪

花見客でにぎわう、桜のトンネル。
例年ならば、なお多くの人出が
見られるのでしょうが・・・

小田川の向こうに、2本目の橋が
見えて来ました!

川辺に下りて、
間近に小田川の水流を眺める。

桜とのコントラストが、
お見事♪

井原堤の中ほどに架かる桜橋は、
長さ100メートルほど。
車両通行不可、
徒歩でのみ渡ることの出来る
人道橋となっています。

橋の上からは、名前通り一目で
一面の桜を鑑賞可能♪
河原ではテントを広げ、
BBQに興じる人たちの姿も!
(いいなぁ~!)

下流側はこんな感じ。
私が歩いて来た桜のトンネルが、
下流に向かって伸びて行きます。

桜橋付近から先、上流に掛けては
両岸に桜並木が広がり、
華やかさはさらにパワーアップ!
橋を渡った先でも、
心ゆくまで桜鑑賞が楽しめます♪

青空をバックに佇む石碑は、
井原出身の詩人・
落合習軒(おちあい しゅうけん)氏の
詠まれた漢詩をを元に、
昭和44(1969)年、
井原市文化協会によって建立されたもの。
一面に咲き誇る井原の桜や
それを取り巻く山々、
間を泳ぎ回る魚などの郷里の情景が、
情感たっぷりに詠い込まれています♪

石碑付近の眺め。
左手に下りれば小田川畔、
右手は無料駐車場も備えた公園・
桜橋公園へと出られます。
(遊具に興じる子供たちの笑い声に、
なんだか和む♪)


両岸に広がる、桜の壁。
実に美しい光景です♪

このあたりで井原堤散策は終了!
「とある場所」を目指して、移動します!

桜のトンネルを遠目に
左岸の堤防上を歩き、
のどかな風景の中を進むこと15分。

とある学校の前に辿り着きました。
ここは興譲館高等学校
(こうじょうかんこうとうがっこう)
゛黒船来航″によって
江戸の泰平が大きく揺るがされていた
嘉永6(1853)年、
西江原(現在の井原市周辺域)の庶民に
高度な教育を施すことを目的として、
この地を治めていた一橋徳川家の代官、
ならびに有志によって設立された
歴史ある学校(私立高校)。
開校に際して芳井村
(よしいむら。現在の井原市芳井町)で
教育者として名を上げていた儒学者・
阪谷朗盧(さかたに ろうろ)を
初代館長として招き、
「郡中教諭所」として開校。
開学から10年ほど経った頃には、
水戸藩校・弘道館(こうどうかん)、
萩藩校・明倫館(めいりんかん)と並び
天下三館と称されるほどとなったとか。
(現在でもこの地域を代表する
教育機関であり続けている他、
陸上部(特に女子)は全国高校駅伝
2回優勝、
日本代表選手を輩出するレベルなのだそう)

そんな歴史と伝統を誇りとする
「学び舎」を訪ねたそのお目当ては、
こちらの校門
世間一般でイメージするような
「The・校門」とは異なる
やけに古風な出で立ちですが、
それもそのハズ、
179年前、開校当時から
そのまま残っているという
大変貴重な代物!(スゴい!)
県指定史跡の肩書きにも納得の、
文化的価値の高い建築物ですが、
この建物をさらに価値あるモノとしているのが・・・

校名が大書された、軒下の扁額。
実はコレ、明治~大正期を代表する実業家として
数々の事業を興し、
日本の近代化と産業の興隆に
大きな役割を果たした偉人
(昨年の大〇ドラマ・
晴天を衝けの主人公でもある)、
渋沢栄一(しぶさわ えいいち)の
揮毫(きごう)によるもの。

拡大してみた。
実は栄一氏と初代館長・朗盧の間には
栄一氏が江原領主・一橋家に仕えていた縁から
交流があったそうで、
1926年に興譲館高校が
学校法人となった際には、
朗盧の子息・芳郎
(よしろう。大蔵大臣(現在の財務大臣)・
東京市長(現都知事)・貴族院(参議院の前身)議員
などを務めた、スゴイ人!)氏に請われて
相談役を引き受ける間柄だったそう。
この扁額は明治天皇の崩御と
「大正」への改元が間近に迫った
明治45(1912)年に揮毫されたもので、
年月とともに栄一氏のサインと押印が
ハッキリと残されています。(スゴイ!)

敷地外からは、
校門同様県指定史跡となっている
書斎付きの講堂と

館祖・阪谷朗盧手植えのものと伝わる
紅梅も確認!

紅梅はすでに見頃を過ぎてはいましたが、
一部の花は校門を潜る生徒たちを
見守るかのごとく、
可憐に咲き誇っておりました。
(学べ、若人!)
参考:学校法人 興譲館高等学校
日本商工会議所 ビジネス情報サイト・
「日商 Assist Biz」
興譲館高校 渋沢栄一書扁額
〒715-0006
岡山県井原市西江原町2257−1
アクセス
車
山陽自動車道 笠岡ICから 約15分
公共交通機関
井原鉄道井原駅から 徒歩約20分
井笠バス 笠岡-山王口-井原線で所要約5分
井原バスセンター下車 徒歩約15分
PS
明日から旅に出ま~す!(*^▽^*)
(一週間後に、またお会いしましょう!)