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徳島旅4 ~「阿波のまんなか」・徳島城! その2~

今日正午ごろに発生した、
茨城県沖を震源とする地震

福島県福島市・いわき市で
最大震度5弱
その他震源域に近い茨城県や東北各地、
遠く新潟県まで至る広い地域で
揺れが観測されましたが、

幸いにして
大きな被害はナシ

とはいえ今回大きな揺れを観測した地域では
今年3月(最大震度6強)、
昨年2月(同じく6強)など
強い揺れが記録される
地震が頻発しており、

(今年3月の地震で新幹線が脱線した衝撃は、
忘れがたいものでした)

11年前の出来事もあって、
油断は禁物

遠隔地ゆえ有事のたびに
無事を祈ることしか出来ませんが、
被害地域の皆さまは
くれぐれもお気を付けて、
日々の生活をお送りくださいませ。



最後までチョコたっぷりなの如く、
タップリ内容の詰まった、
ゴールデンウィーク

その旅路の模様をお届けする
徳島旅
徳島城 4
人生初上陸の「阿波の国」に乗り込んで
まず向かったのは、
県都・徳島市の中心部に聳えていた、
阿波徳島藩25万7,000余石の本拠地・
徳島城!

藩政期の政治の中心であり、
徳島発展の礎となったこの場所から、
゛徳島散策″をスタートしました♪


前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-490.html


徳島城 19
「下乗橋」を渡り、
「大手門」跡を潜り抜け、
無事(?)城内へと゛侵入″を果たした私。

藩主やその家族が暮らし、
政務が執り行われた「御殿」の跡地、
家族連れや学生さん(かな?)たちの笑顔咲く
お花見広場
抜けて行くと・・・
徳島城 2-3
立派な御殿風建築が出現!

こちらの施設、現存御殿!・・・ではなく
徳島藩と藩主・蜂須賀家に関わる
歴史資料の収集保存、
展示公開を行う博物施設・
徳島城博物館

徳島城と徳島藩に関して
さらなる理解を深め得る、
大変興味深い施設ではありますが、
今回は時間の都合からパス

代わってその向かいに広がる
徳島城 2-1
旧徳島城表御殿庭園に、入園!

狭く不便な城山山上に代わって、
藩主やその家族の生活の場

また藩の要職に就く人物や
事務方、警護の兵などが詰めた
公の場という重要な位置付けにあった、
山麓の御殿

(現代に置き換えるのならば、
「役所」+「公邸」、
といったところでしょうか)

その中でも最奥に位置するこの大名庭園は、
「公」の場である表御殿と、
藩主にとっての「私的空間」である
中奥(なかおく)に面して築造されており、

日頃多忙な暮らしを送っていた
「お殿様」にとっては、
゛日常″を忘れることの出来る、
貴重な憩いの場
徳島城 2-4
そんな「非日常空間」を作り上げたのは、
織田家重臣・丹羽長秀(にわ ながひで)、
次いで天下人となった
豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)に仕え、
のちに浅野家家老にまで取り立てられた武将、
上田重安(うえだ しげやす)

宗箇(そうこ)の号でも知られる重安は、
作庭家として主君・浅野家の別邸、
縮景園(しゅくけいえん)や
「尾張名古屋のシンボル」・名古屋城
二の丸庭園を手掛けた他、

茶人としても
上田宗箇流開祖となるなど
多才を誇った人。

天下分け目・関ケ原の戦いでは
西軍に与して旧主・丹羽家に合力したものの、
友軍の敗北によって
所領は没収

剃髪(ていはつ)して自省の日々を
送っていましたが、
徳島城主・蜂須賀家政(はちすか いえまさ)公に
請われて客将として阿波に移住

その頃に家政公の依頼で
この庭園を手掛けた、とされています。

(多くの西軍武将所領を失い
処罰流転の生涯を送る中での
「異例」の厚遇

のちに大名家臣への復帰まで
許されている事実は、
彼の茶人、作庭家としての才が
高く評価されていたことの表れでは
ないでしょうか?)
徳島城 2-5
現在園内5024.79㎡、520坪の範囲が
国の名勝に指定されている、
旧徳島城表御殿庭園

その風景の半ばを占めるのは、
築山(つきやま)によって構成された、
泉水庭(せんすいてい)

心安らぐ穏やかな水面
豊かな緑の脇を固めるのは、
ここでも登場!

城の石垣にも使われている
阿波地方特産の石材・
阿波の青石!
(緑色片岩 りょくしょくへんがん)
徳島城 2-6
独特の模様と質感、
青みがかった色彩を持った石材が
庭園各所や池を渡る石橋などに配され、
荒々しくも優美な景観を醸成!
徳島城 2-7
かつての「御殿」の面影を偲ばせる、
徳島城博物館との相性も、
バッチリです!
徳島城 2-8
庭園のもう一方は、水を用いず
砂と石組みで山海(川)の風景を表現した、
枯山水!(かれさんすい)
徳島城 2-9
豊かな水に緑が映える「泉水庭」との対比、
水面に波紋が広がるような、
砂紋の表現が、お見事!
(ここでも「阿波の青石」が、大活躍!)
徳島城 2-10
庭園内に散りばめられた石材には、
400年を経てもなお残る、
「矢穴」(石材を割り出すために必要な、
「矢」を打ち込むための穴)の痕。
徳島城 2-11
園内最奥部に設けられた築山
観音山(かんおんやま)からの眺め。

かつての藩主もこの場所に立ち、
城内を見回していたのでしょうか・・・
徳島城 2-12
「枯山水」部分の中央、
巨大な石材を丸ごと用いた
石橋の表面には・・・
徳島城 2-13
なにやら割られたような痕跡が。

これは初代藩主・蜂須賀至鎮
(はちすか よししげ。
徳島城を築いた家政公の長男)公が
踏み割ってしまった
跡なのだとか。

これほど巨大で分厚い石材を
踏み割ってしまうとは・・・
至鎮公、一体どんな肥満体
人物だったのでしょう。



旧徳島城表御殿庭園を出た後は、
城跡(徳島中央公園)西方の
SL展示場を目指して、テクテク。
徳島城 2-14
その途中で見つけたのは、
徳島城の築城主・
蜂須賀家政公の銅像

のちに天下人となる羽柴(豊臣)秀吉股肱の臣・
゛小六″こと蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)の
次男として生を享けた家政公は、

中国征伐山崎の戦い
賤ケ岳の戦い紀州征伐など、
主だった合戦に参陣し、
主君の覇業に大いに貢献

天正13(1585)年、
四国征伐の功により父・正勝に
阿波一国が与えられましたが、
主の傍に仕えることを望んだ正勝公が
これを拒んだため、

代わって嫡子・家政公が阿波国主として
入封を果たすこととなりました。
(父・正勝は家政公の阿波入封と同年に、
大坂(大阪)にて逝去)
徳島城 2-15
翌天正14(1586)年に
阿波国へと入った家政公は、
中世的な山城である一宮城から
より発展性のある平地に城を移すことを望み、

渭山(いのやま。現在の城山)山中に
築かれていた渭山城
山麓に在った寺島城を合わせ、
二城を拡張・改修する形で
徳島城を築城

以後この地が藩政の中心地として
発展・継承されて行くこととなりました。

名実ともに「阿波の主」となった
家政公は、
居城と城下町の整備に努める傍ら
産業の興隆にも着手。

新たに
阿波国に取り入れるとともに、
各地へと喧伝。

特に質の優れた藍染め
阿波藍(あわあい)とも称され、
現在まで高く評価される徳島を代表する
一大工芸品にまで成長。

また毎年多数の参観者を呼ぶ
夏の風物詩阿波踊り
家政公の治世下で誕生したと言われており、
その功績はまさに徳島の創造主
と言い得る偉大なものとなっています。
徳島城 2-16
そんな大人物の目の前では、
猫ちゃんがのんびりお昼寝の真っ最中。
(まさか・・・家政公の生まれ変わり!?)
徳島城 2-17
家政公像に「ございさつ」して
さらに奥へと進んで行くと、
なにやらのようなものを発見!

初代徳島駅舎(かな?)をイメージした、
SL展示場と呼ばれる
スペースに置かれているのは・・・
徳島城 2-18
本物の蒸気機関車(SL)
8620形68692号機

8620形は今から100年ほど前(!)、
大正3(1914)年~昭和4(1929)年に掛けて
672両が製造された、
戦前を代表する蒸気機関車の一つ。

(「最古の現役機」として稼働する、
JR九州所属の58654号機が著名)

保存機の68692号機
その553機目として
大正12(1923)年に日立製作所にて落成。

新潟県・長岡機関庫
(現・長岡車両センター)に新製配置された後、
松山機関区(現・松山運転所)を経て
小松島市に在った徳島気動車区(現・徳島運転所)
小松島支区に転属。

転属後は徳島⇔小松島間(小松島線)の運用を
主体に活躍していましたが、
鉄道技術の進歩無煙化の流れには逆らえず、
昭和44(1969)年7月22日の運行を最後に、
引退

翌昭和45(1970)年1月付で廃車
なりましたが、
長年徳島の地を駆け抜けた同形式の
消滅を惜しんだ徳島市の働きかけにより、
同年11月に国鉄より同機が
無償貸与される形で保存が決定。

かつて駆け抜けた鉄路にほど近い
この場所で、
静かに余生を送っています。
徳島城 2-19
68692号機スペック。

8620形テンダー式と呼ばれる
テンダー(炭水車。機関車を駆動させるために必要な
石炭を搭載した運搬車両)を連結したタイプの
機関車で、

直径1.60mの動輪を3つ備えた
C形の軸配置となっています。
(動輪が「3つ」付いているため、「C形」。
後発の「C57形」や「C62形」なども
「C形」に区分されます)

・全長 16.765m
・全幅 2.581m
・全高 3.785m
・運転整備重量
(石炭・水等を搭載した状態での重量)
82.33t
・馬力 650馬力
・最高速度 90km/h
・石炭積載量 6t
・水槽容量 120㎥

製造から廃車までの46年間で、
地球約79周分に当たる
約3,176万9,000km
走破しました。(スゴい!)
徳島城 2-20
ボイラー部分。

内部空間手前側、火室(かしつ)と呼ばれる
小部屋で燃焼された石炭から、
熱~いが発生。

その煙が煙管(えんかん)という
ボイラー内を循環する管を通ることで
温められた蒸気となり、

「蒸気ドーム」、「主蒸気管(しゅじょうきかん)を通して
シリンダーへと伝達。

シリンダー内で圧縮された蒸気が
ピストンと動輪に直結された
主連棒(しゅれんぼう)を動かし、
三基の動輪を回す、
という仕組み。
徳島城 2-21
ガチガチの金網越しではありますが、
運転室を覗くことも出来ます♪
徳島城 2-22
車体後部・テンダー側から。

やり過ぎでは?と思うほど厳重に、
ガードが固められています(笑)


今ほど鉄道に電気
利用されていなかった時代、
一見単純にも思える仕組みで
これほどの車両を動かした、
技術者たちの知恵と工夫

誰もが振り向く轟音
天地を切り裂く汽笛の音色
龍の如くを吐き、
ガムシャラに大地を駆けるその姿・・・

漆黒の車体たっぷりの浪漫
詰めこまれているからこそ、
SL一工業製品を超えた
存在であり続けているのかも知れません。
徳島城 3-1
「阿波の中心」・徳島城!

いよいよその中枢部へと向かいます!


参考:デゴイチよく走る!機関車データベース
    中日新聞 鉄な゛ヒロヤス″の鉄道小咄
    東武鉄道公式ホームページ 「TOBU Kids」
    Wikipedia


旧徳島城表御殿庭園

〒770-0852
徳島県徳島市徳島町城内1−9

開園時間
9:00~17:00
(最終入園16:30)

入園料
大人:50円
小人:30円
(安イッ!)

休園日
毎週月曜日(祝日の場合は開園
祝日の翌日
(日曜日・祝日と重なる場合は開園
年末年始(12月28日~1月4日)

アクセス

徳島自動車道 徳島ICより 約10分
神戸淡路鳴門自動車道または
高松自動車道 鳴門ICより 約20分

駐車場
東側駐車場:89台
4月1日~9月30日
8:30~21:00まで
10月1日~3月31日
8:30~18:00まで
大型バス3台まで駐車可
要予約 TEL:088-655-9037)

西・南側駐車場:116台
平日 8:00~21:00
土日祝 7:30~21:00
マイクロバス4台まで駐車可
要予約 TEL:088-654-5350)

※駐車場利用料金はいずれも有料

公共交通機関
JR徳島駅より 徒歩約10分


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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。