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徳島旅8 ~「徳島市のシンボル」・眉山! その2~

眉山 10
ゴールデンウィークの旅模様を
綴っております、「徳島旅」編。

目下「徳島市のシンボル」、
徳島市街地西方に聳える景勝地・
眉山(びざん)山頂付近を散策中。


前回記事はコチラ
http://ac802tfk.com/blog-entry-494.html



眉山 2-2
最高地点290m(゛山頂″は277m)、
南北に細長く伸びた形
(上から見ると「眉毛」っぽい?)
となっている、眉山

その中でもポピュラーなのは
徳島市街地や紀伊水道
さらに淡路島紀伊半島まで望み得る
展望スポット・眉山ロープウェイ
山頂口展望台
(展望広場、画面右手)
・・・ですが!

この他にも山中にはさまざまな
施設や見どころが存在。

山頂周辺には徳島県最高峰の山・
剣山(つるぎさん)を遥拝した
剣山神社や、

遠く(現ミャマー)の地で戦死した
徳島出身の将兵たちを悼んで
建てられた白亜の塔、
平和記念塔パゴダ
などが所在。

また500mほど離れた場所に置かれた
洋風あずまや・ガゼボからは
北に吉野川流域阿讃山脈(あさんさんみゃく)、
南に小松島市や阿南市方面を望める他、

四季折々の植生咲き誇る花々が楽しめる
お花見広場

眉山に生息する鳥たちを
「ウォッチ」出来る
野鳥観察広場・園路など、
さまざまな楽しみ方が可能と
なっています♪

(お花見スポットとしても
人気なのだとか♪)
眉山 2-2
今回は時間の都合もあり、
山頂周辺のみの散策ですが、
目いっぱい楽しんで参りましょう!

「山頂口展望台」を離れて、
まずは゛山頂″部分の北側へ!
眉山 2-3
散策路(もしくは剣山神社参道)左手に
現れたのは、
明治天皇聖徳仰碑
(読みは「しょうとくぎょうひ」・・・かな?)

明治天皇によって公布され、
戦前日本の道徳教育の基幹となった
教育勅語(きょういくちょくご)

その40周年記念事業として
徳島県下の学生、青年団員、
消防団員、在郷軍人、
さらに一般市民までのべ十数万人(!)に及ぶ
勤労奉仕
徳島県民から募られた浄財によって、

2年の工期を経た昭和7(1932)年に
落成の日を迎えました。
(戦前の人々のエネルギー
スゴい!)
眉山 2-5
落成当時、記念碑上部には
あの日本海海戦連合艦隊の指揮を執った
偉大なる将帥・
東郷平八郎(とうごう へいはちろう)
元帥揮毫の碑面が、

下部には同じく日露戦争
陸軍を指揮して激烈なる旅順攻囲戦を戦い、
明治天皇崩御の際には凄絶な殉死を遂げた、
乃木希典(のぎ まれすけ)
将軍揮毫教育勅語銅板
掲げられていましたが、

盗難によって残らず消失
(けしからん!💢)

銅板消失後は荒れるに任されてしまって
いましたが、
明治100年を迎えた
昭和43(1968)年に、原型に近い形で
復興されました。

(「教育勅語」銅板を揮毫した乃木将軍は
記念事業発案前に鬼籍に入っておられる
ハズですが・・・(1912年死去)
あらかじめ用意されていたのか、
他所から持って来たのか・・・)
眉山 2-6
「明治天皇聖徳仰碑」そばに
天を衝かんばかりに
聳え立っているのは、
徳島新聞麾下で徳島県域のテレビ・
ラジオ放送を担う放送局、

四国放送の電波を送信するための
電波塔

他山頂付近にはNHK徳島放送局の
放送所も設置されています。
(もちろんデッカいアンテナ付き)
眉山 2-7
散策路の最奥、
眉山北東端に鎮座する、
剣山神社(つるぎさんじんじゃ)

徳島県西方、2市1町の間にまたがる
県下第一高峰
(四国では愛媛県・石鎚山
(いしづちさん。1,982)に次いで2番目)・
剣山(1,954.65m)を遥拝し、

剱山山上に鎮座するお宮・
剱山本宮をはじめ、
頂上及び奥宮の摂末社、
五百八十余社御分霊を祀るお社です。
眉山 2-8
境内設置の手水舎からは、
徳島市街と紀伊水道がチラリ。
(徳島城も見えてる!)
眉山 2-9
阿波踊りの発信拠点
(阿波おどり会館)を足下に置く、
眉山

お手洗いの案内表示も、
阿波踊り仕様♪
眉山 2-12
山頂付近に置かれた
一等三角点
(地図の作成等に必要な、
測量の基準となる目印)

眉山山頂は北緯34度4分1秒、
東経134度32分16秒に
位置しています。
眉山 2-10
続いては「一等三角点」の背後に聳える、
東南アジア風の建築様式と
白亜の彩色が印象的な、
平和記念塔パゴダへ。
眉山 2-11
眉山山上でも一際目立つ仏塔は、
昭和33(1958)年の建立。

徳島県より出征に出て、
遠く(現ミャマー)の地で散華した
将兵たちを思い、平和を願う「記念碑」として、

徳島出身の元軍人たちによって組織された
徳島県ビルマ会によって
建てられました。

ミャマーの旧都・ヤンゴンの
シュエダゴン・パゴダを模して
造られた塔は、高さ25m

これは国内に在るパゴダとしては
最大級のものだそう。

その最上層には当時のミャマー
ウ・ヌービルマ首相より贈られた
仏舎利(ぶっしゃり。お釈迦さまの遺骨)が
収められ、落成に当たって4,000名もの人々が
゛練り供養″を行ったそう。

現在では「徳島県ビルマ会」より
同県仏教会へと移管された上で、
「平和の塔」として眉山上に
立ち続けています。

眉山 2-13
パゴダ入口。

内部は資料館(有料)のようになっており
眉山 2-14

眉山 2-15
戦没者の遺品や
眉山 2-17

眉山 2-18
当時の写真
眉山 2-19

眉山 2-20
戦場や兵士たちの様子を描いた
絵画などを、
戦況を解説したパネル等とともに紹介。
眉山 2-21
螺旋階段を上がると、
2階には平和を祈念した
ビルマの鐘
観音菩薩像が、

最上層となる3階には
殉国英霊たちを祀る聖碑
戦没者の遺骨とともに、
釈迦の遺骨・仏舎利
(ぶっしゃり)が奉安されておりました。

遠く離れた南洋の地で、
銃弾に、あるいは病に斃れて行った
人々の安寧を祈り、合掌。

(「仏舎利」を収めた厨子の写真は撮ったものの、
国のために身命を投げ出した
方々の安息と、
現地で感じた眠る人たちの゛思念″が
籠もったかのような異様な゛胸苦しさ″を思い、
ここでの投稿は控えさせていただきます。)
眉山 2-22
1階に戻って目にした、
日本海軍艦艇の沈没海域
示したパネル。
眉山 2-23
開戦前、米英に次ぐ「海軍国」として
威容を誇っていた、日本海軍

しかし各地で繰り広げられた戦いで、
あまりにも有名な「不沈艦」
大和をはじめ・・・
眉山 2-24

眉山 2-25
主力艦だけでも300隻を超える
艦艇が沈没
(これに沿岸警備に当たった海防艦や
輸送船などを含めると、
その数はさらに膨れ上がります)

戦闘による打撃
窮乏した物資不足も相まって、
その栄華は見る影もなく崩壊

敗戦時にはまともに動ける艦さえ
わずか
という状態であったそう。

戦後行われた海底調査によって
一部の著名な艦は
発見された事例もありますが、

その多くは英霊たちを載せたまま、
誰に知られることもなく、
今も眠りに就いているものと思われます。
(合掌)
眉山 2-26
「平和記念塔パゴダ」を出て、
眼前に広がる徳島市街を一望。
眉山 2-27
こうして人が集い、
賑わう街の光景を目にすることが
出来るのも、

国を護らんと奮闘して下さった、
英霊たちの犠牲があればこそ、
かも知れませんね。

(無論我欲のために連合国との開戦に
踏み切り、
数多の国民、太平洋地域の人々、
連合国軍兵士らを巻き込んだ連中に
擁護の余地などありませんが)


参考:神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識
    各所解説パネル


平和記念塔パゴダ

〒770-0908
徳島県徳島市眉山町茂助ケ原9

開塔時間
10:00~16:00

開塔日
日曜・祝日
(そうだったのか!)

入塔料
個人
一般(高校・大学生以上) 200円
小・中学生 100円
団体
一般(高校・大学生以上) 100円
小・中学生 50円

お問い合わせ
社団法人 徳島県仏教会
TEL 088-653-1030

アクセス

徳島自動車道徳島ICから 約25分
眉山山頂駐車場から 徒歩5分

公共交通機関
JR徳島駅から 徒歩約10分
「眉山ロープウェイ」乗車 山頂駅下車スグ

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。