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2022 夏旅1 ~「赤穂義士の菩提寺」・花岳寺~

季節は、

昼間は依然残暑の残る日々ながら、
確実に早まりつつある日暮れ
次第に遅れ行く夜明け
深まる夜の涼やかさに、
季節が進みつつあるのを感じます。


さて、当ブログでは
長らく引きずっていた「徳島旅」編を
畳み終えたばかりですが、
ジャンジャンバリバリ進めて参りましょう!

春の大型連休
ゴールデンウィークから3ヶ月。
やって来ました、
夏休みィィィィィ!
阿波池田たばこ資料館 2-27
職種の特性上ちょっと長め、
今年2度目の「超・大型連休」
活かして向かいますは、
居住地・岡山県の東隣、

兵庫県西部・
播磨地方!(はりまちほう)

温暖な瀬戸内海に面し、
西国と畿内(きない。近畿地方)を結ぶ
交通の要所として、
さまざまな文化や景観が
形作られて来た地域。

今回は豊かな風土に育まれ、
伸びやかな文化と歴史を誇る播磨地域でも
特に見どころと逸話に彩られた二つの都市、
赤穂市(あこうし)と
姫路市(ひめじし)をピックアップ!

(諸事情により)3泊4日という限られた日程ながら、
それぞれの街の゛シンボル″として君臨した
二つの「城」を核として、
名高き物語ゆかりの地
景勝地

また各都市で展開されるグルメにも
精いっぱい迫って参りたいと思います!



8.17 Wednesday

てな訳で、ヤル気満タン!
元気・・・はあんまり眠れなかったので
微妙な感じで始まりました、
2022 夏旅!

夏らしく燦々とした太陽の下、
いざ出発!

・・・と行きたいところでしたが、
初日は一日雨予報

前向きに捉えれば近年続く恒例の酷暑
若干和らぐか・・・とも思えるが、
やっぱりお天道様にニッコリ笑いかけて欲しい!
なんて感じてしまうのが、
旅人の性か。
花岳寺 1
ともあれホテルの手配や予定の組み立ても
完了済!
「引き返す」などという選択肢など
無論あるハズもなく、
ひとまず岡山県から見慣れた(見飽きた)
黄色い電車で県境を越え
花岳寺 3
相生駅(あいおいえき)から
京阪神の゛主役″・223系
赤穂線へと折り返し、
やって来ました・・・
花岳寺 4
赤穂市!(あこうし)

兵庫県南西端、
「我が国」・岡山県との境界に位置する街で、
人口およそ44,700人。

市街地中央を街の「水瓶」たる
千種川(ちくさがわ)が流れ、
南は播磨灘に向かって開けており、
気候は温暖で日照状態良好な
瀬戸内海型気候

市域は大きく4つに分かれており、
有年(うね)地区を中心に
縄文~平安時代に掛けての
居住地跡が確認できる北部

千種川河口デルタ上に開け、
赤穂城を中心に開発・発展して来た
旧城下町

播磨灘に面し、
温暖な気候を生かした製塩業で栄えた
南部

「風待ちの港」として知られ、
趣ある町並みが残る
坂越地区(さこしちく)と、

それぞれ異なる個性と特徴を持った
街や地域が展開されています。
赤穂駅
中心市街地への玄関口となる
播州赤穂駅
(ばんしゅうあこうえき)は、
橋上駅舎(きょうじょうえきしゃ。
線路を跨ぐ形で駅舎が構えられた型式)を備えた
2面3線の駅設備。

京阪神地区を「特急顔負け」の
爆速で駆け抜ける゛特急キラー″・
新快速を含めた全列車が発着し、

その全てがこの駅を起点に
西は岡山方面、
東は姫路・三ノ宮・大阪へと向かう
始発・折り返し運用となっています。

かつての街の統治拠点・赤穂城
想起させる造りの駅舎には、
土産物店を兼ねた観光案内所などが入居。

駅西側には映画館や飲食店、
100円ショップなどのテナントが同居する
複合商業施設・プラット赤穂が、

反対の東側にはどこにでもある
ビジネスホテル・
東横インが隣接する等、

名実ともに赤穂市の
交通・生活の拠点としての役割を
果たしています!
花岳寺 5
ここ赤穂市を語る上で欠かせないのが、
江戸時代に大衆の間で人気を博した
人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)および
歌舞伎(かぶき)の演目のひとつ、
忠臣蔵(ちゅうしんぐら)

物語は江戸時代中期・元禄頃に
実際に起こった一大事、
通称赤穂事件
題材に設定・脚色されたものであり、

ここ赤穂はその事件の中心
立たされることとなった赤穂藩の
お膝元

市内には赤穂藩の居城であった赤穂城
赤穂藩の菩提寺・花岳寺(かがくじ)、
高名な「仇討ち」を主導した藩家老・
大石内蔵助良雄
(おおいしくらのすけ よしお)はじめ

主君の「仇討ち」を為した
四十七士の住居跡などが点在する、
まさに忠臣蔵のふるさと!
花岳寺 6
そんな「忠臣蔵の街」・
赤穂の玄関口である播州赤穂駅では、
こんなところや・・・
花岳寺 7
こんなところでも、
「忠臣蔵」を猛アピール!
花岳寺 8
駅前広場に建てられているのは、
赤穂藩浅野家家老にして
「四十七士」の筆頭・
大石内蔵助良雄
(おおいしくらのすけ よしお)の銅像!
花岳寺 9
吉良邸討ち入りの場面を描いたのでしょう。
勇ましく采を揮うその姿からは、
主君の汚名を雪がんとする決意
仇討ちへと至る苦悩と労苦

さまざまな感情が渦巻く様が
見えるよう。

(「主の城」・赤穂城を向いて
建てられているのも、
ポイント高い!)

こんな感じで「忠臣蔵」全開
播州赤穂駅から、
雨の赤穂街歩きに、いざ「出陣」!
花岳寺 10
駅の正面から伸びる、
これまた「忠臣蔵」全開の
お城通りは、

「街の玄関」・播州赤穂駅
技師たちの「心の拠り所」・
赤穂城を直結する、
赤穂市中心部のメインストリート

整備された歩道に沿って建てられた
「四十七士」のレリーフが、
凛々しく来訪者を迎え入れてくれます!
花岳寺 14
通り沿いには「城下町・赤穂」を
偲ばせる、
こんなスポットも!
花岳寺 13
赤穂の街は瀬戸内海に近く、
その立地から藩財政を潤す
塩田の開発
可能とした一方、

塩水が湧出することから
地下水を利用出来ないという
問題点がありました。

そこで開発されたのが、
赤穂藩上水道

元和2(1616)年、
当時赤穂を統治していた池田氏の代官・
垂水半左衛門(たるみ はんざえもん)さん
指揮の下で掘削された上水道は、

城下町の約7km上流に当たる
現在の千種川(ちくさがわ)から取水し、
専用の導水路を経て
城下町へと流される仕組みが取られ、

赤穂藩士が住まう侍屋敷だけでなく
町家区画にも井戸が設けられる等、
身分を問わず
生活に欠かすことの出来ない
に困ってしまわぬよう
便宜が図られました。

こうして整備された上水道
お江戸の神田上水(かんだじょうすい)や
備後(広島県東部)の福山上水と並び、
日本三水道の一つに挙げられる
名水となっています。
花岳寺 11
「お城通り」をもう少し進んだところで
行き当たるのは、
息継井戸(いきつぎいど)

先ほどご紹介した「赤穂藩上水道」
その一部でもある井戸は、

元禄14(1701)年3月、
江戸城松の廊下にて
赤穂藩主・浅野内匠頭長矩
(あさのたくみのかみ ながのり)が
吉良上野介義央(きらこうずけのすけ よしひさ)に
手傷を負わせた
いわゆる松の廊下事件が発生した際、

赤穂城にて留守を預かる藩家老・
大石内蔵助に急を知らせるため
はるばる江戸から早駕籠(はやかご)に乗って
駆け付けた、

早見藤左衛門(はやみ とおざえもん)と
萱野三平(かやの さんぺい)の両名が、
登城の前にここで喉を潤した
伝わる場所。
花岳寺 12
井戸自体は
現在も使用可能な様子。

隣には音声ガイドも設置されており、
井戸についてや「赤穂事件」にまつわる
解説・逸話等を聴くことが出来ます。

(早見藤左衛門
後に四十七士の義盟に加わり、
無事本懐を遂げたのち自刃

萱野三平もまた義盟に名を連ねたものの、
旧主への忠義父母への孝心
狭間となり、
計画決行の前に自ら自刃して果てました。)
花岳寺 15
井戸の隣にデカデカと立っているのは、
義士あんどん
からくり時計

平成23(2011)年に
赤穂市制60周年を記念して建てられた
モニュメントで、
9:00~20:00の毎正時になると
音楽とともに中ほどに設けられた扉が開き、

忠臣蔵の名場面を再現した
人形たちが躍り出るのだそう。

(この天気の中、
足を止めて観る人は
果たしているのだろうか・・・)
花岳寺 16
「息継井戸」の前から「お城通り」を外れ、
住宅街の中へと分け入って行くと、
最初の目的地・
花岳寺(かがくじ)に到着!

江戸時代の正保2(1645)年、
赤穂藩の開祖・
浅野長直(あさの ながなお。
内匠頭長矩公の祖父)公によって
建立された寺院で、
山号は台雲山

赤穂事件後は浅野家はじめ
永井家・森家といった歴代赤穂藩主の
菩提寺となり、

境内には各大名家歴代藩主の墓地の他、
「悲劇の藩主」・長矩公と赤穂義士たちの墓所
赤穂義士たちにまつわる品物を展示した
宝物館義士木造堂などが建立され、

忠臣蔵の聖地とも言える
場所となっています。
花岳寺 17
境内への入口となる山門は、
元は赤穂城の西惣門(にしそうもん)で
あったもの。

(残念ながら城の一部ではなく
城下町の出入り口
仕切る役割であった様子)

明治6(1873)年に城が廃城となった際、
当時の住職・仙珪和尚によって
購入され、
この場所へと移築されました。

門は前後計4本の柱に
前方の「鏡柱」上部に
冠木(歌舞伎かぶき)を渡した
高麗門(こうらいもん)という
形式で建てられており、

木材は(つが)を用い、
屋根は本瓦葺き

ところどころ加工部材の継ぎ足し
行われてはいるものの、
城郭建築を留める遺物として、
また藩政時代の城や城下町の姿を伝える
貴重な現存建築として、

赤穂市の有形文化財
指定されています。
花岳寺 18
山門をくぐった先に広がる
御寺の境内は、とっても広々!

御本尊を祀る本堂を中心に、
堂宇(どうう)や庫裏
(くり。僧侶の生活空間)などが
連なります。
花岳寺 21
本堂正面、ゆったり枝葉を広げているのは、
大石名残の松
(おおいしなごりのまつ)

元禄14(1701)年、
江戸城松の廊下での刃傷事件により
浅野家がお家断絶となった後、
その残務処理に当たった家老・
大石内蔵助。

ことが済み、赤穂を立ち去るその時、
内蔵助は大石家重代の墓地が置かれた
ここ花岳寺に詣で、
この松の下で名残りを惜しんだ
という逸話から、
その名が付けられています。

なお内蔵助在藩当時の松は
残念ながら戦前の昭和2(1927)年に
枯れてしまい、
現在植わっているのは2代目
「名残の松」

樹齢310年を数えた初代「名残の松」
切り株は、
境内千手堂にて大切に
保管されています。
花岳寺 22
「二代目大石名残の松」の傍らには、
陸軍大将にして、
第33代内閣総理大臣などを歴任した、
林銑十郎(はやし せんじゅうろう)書による
標石も残されています。

主君への忠義を貫き、
勇名を残した「赤穂義士」
彼らの存在は、天皇を戴き、
国のため戦わんとした軍人たちにとっても
崇敬の対象であったことでしょう。
花岳寺 19
「名残の松」右手(本堂から見て左手)
に建てられている、
鐘楼(しょうろう)

ここに納められている鐘は
鳴らずの鐘と呼ばれ、
刃傷事件の翌年、
元禄15(1702)年末に義士たちが本懐を遂げ、
自刃を為したとの知らせが赤穂の町に
届いた際、

彼らの死を悲しんだ町民が繰り返し
この鐘を撞き
結果音が出なくなってしまった
という由来の持ち主。
花岳寺 20
2代藩主・浅野長友(あさの ながとも)公により
寄進された鐘は、
事件から90年あまりを経た
寛政9(1797)年に再改鋳され、

「義士との所縁」により
戦時中の金属供出も免れて
現在に至っているそうで、

「鳴らない筈の鐘が鳴る」ことから
赤穂七不思議の一つにも
数えられているのだとか。

(まあ作り直した訳だから
鳴るのは当たり前なのだが、
そこをツッコむのは野暮というものだろう)
花岳寺 23
建ち並ぶ堂宇の中枢となる
花岳寺本堂は、
宝暦8(1758)年の再建。

堂内にはご本尊となる
千手観音像(せんじゅかんのんぞう)が
奉安されているのですが、
ココの見どころとなるのが・・・
花岳寺 24
外陣(げじん)天井に描かれた
巨大な天井画
竹に虎

画いたのは幕末赤穂の画家・
法橋義信(ほっきょう よしのぶ。
周得、探雲斎とも)

幼少より大坂(大阪)に出て土佐派の画人・
佐野竜雲に付いて画を学び、
長じて後は周文(しゅうぶん。雪舟の師)・
雪舟(せっしゅう。水墨画の大家)らを範として、

没後には雪舟を凌ぐとまで
賛美された才の持ち主。
花岳寺 25
ほとんど墨で描かれたような
シンプルな色彩ながら、
凄まじいまでの力強さとたくましさ
感じる画風。

特に目をひん剥き、
油断なく牙と爪を光らせるの姿は、
今にも飛び掛からんばかり
迫力と威圧感を覚えます。

この画は安政元(1854)年
(日米和親条約締結の年!)
寅年に五月節句の幟(のぼり)として
納められたもので、

花岳寺開山時の禅師
三百回忌を記念して、
義信のひ孫に当たる人物より
寄贈されたのだそう。

(それまでは個人所有だったということ。
スゴいお宝だ・・・)
花岳寺 26
高名なお寺には大体居ます。
仏弟子の一人にして
十六羅漢(じゅうろくらかん)・
賓頭盧尊者
(びんずるそんじゃ)
花岳寺 27
「赤穂義士お雛様キャット」に
見送られながら、お寺の奥、
赤穂義士たちの墓所へと
向かいます!


参考:花岳寺
    赤穂市 公式ホームページ
    犬山城を楽しむためのウェブサイト
    赤穂観光 AKO FEEL TIME
    赤穂市の名所旧跡

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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。