fc2ブログ

記事一覧

会津の空に白鶴が舞う

会津から帰着して、早1週間。
しかし、我が筆は止まるところを知らず!
てな訳で、今日も書き綴って参ります。
IMG_2526.png
11月20日、会津5日目。
まずは喜多方から移動、会津若松までの区間列車です。
車両は国鉄時代の標準型気動車・キハ40形
只見線や磐越西線で使用される気動車には地域独自の塗装が
採用されており、キハ40はこのカラーリング。
IMG_2527.png
車内には昔ながらの対面式クロスシート。
現代っ子にとっては「相席」に成りやすいのが難ですが、
空席が出ることも多いローカル線では、
車窓を眺めるにはもってこい。

15分ほどで会津若松着。
改札前の1番ホームでは、
IMG_2528.png
巨大あかべぇや・・・
IMG_2529.png
会津地方のキャラクターたちがお出迎え!
IMG_2531.png
市内観光には、こちらの周遊バスが便利。
料金は210円均一で、フリーパス500¥も購入可。
2つのルートがあり、どちらも30分間隔で運行されています。
そのうちの一つ、反時計回りに観光名所を巡るハイカラさんルート
まず向かったのは・・・
IMG_2532.png
若松城!
別称・鶴ヶ城。地元ではこちらの方が呼び名として定着しているそうな。
会津若松のランドマークにして、あいづっこの心の拠り所。
市内の観光スポットとして、ここほどイメージしやすい場所は無いのでは
ないでしょうか?
IMG_2535.png
築城は文禄2(1593)年。
時の天下人・豊臣秀吉の命により会津42万石の国主として入封となった名将・
蒲生氏郷(がもう うじさと)の手による。
氏郷はまだ戦乱の気風残る奥州(東北地方)への備えとして
大規模な城郭を築くとともに城下町を整備し、「黒川」と呼ばれていた
この地の名を「若松」と改めました。
つまり街の名付け親
残念ながら氏郷公は齢40にして病死してしまいますが、
その後上杉→蒲生(氏郷の子・秀行)→加藤と城主の変遷を経て、
江戸幕府3代将軍・徳川家光の異母弟・保科正之(ほしな まさゆき)
祖とする松平氏の所領となり、幕末を迎えます。
IMG_2538.png
城の正面入り口・大手門跡の桝形。
実は鶴ヶ城は一度地震による被害を受けており、
現在に残る城郭は震災後に加藤嘉明(かとう よしあきら/よしあき)
その子・明成(あきなり)によって再整備されたもの。
この桝形も、その際に築かれた物です。
IMG_2624.png
堅牢にして巨大な石垣が、城の規模と会津藩の権威・
重要性を示しています。
IMG_2547.png

IMG_2549.png
城内には、紅葉がまだ残ります。
なんとも鮮やかな、色のコントラスト。
IMG_2554.png
さあ、見えて参りました・・・
IMG_2580.png
城のシンボル・天守です!
蒲生時代は今よりも高い、7重という壮大な造りでしたが
慶長16(1611)年の会津地震で倒壊
加藤氏の時代に5層に改めた上で再建されました。
幕末の戊辰戦争では新政府軍の苛烈な攻撃をも
耐え抜きましたが、戦後に廃城・解体。
現在の天守は明治初期の古写真を基に昭和40(1965)年に復元されたもの。
復元時から長い間黒い瓦が葺かれていましたが、平成23(2011)年の改修に際し、
当時の赤瓦を載せた姿が再現されました。
城郭建築の瓦としては珍しい色合いですが、これは冬の冷え込みや凍結への対策として、
表面に釉薬(ゆうやく。陶磁器の表面をガラス質にコーティングする薬品で、
汚れや水分が沁み込むのを防ぐ)が塗られているため。
IMG_2569.png
内部は4層目までが資料館、5層目が展望台となっています。
各種展示の中で目を引いたのは、幕末~戊辰戦争期の資料の充実ぶり。
会津戦争とも呼ばれるこの地での戦いが、
会津の人々に及ぼした影響の大きさが伺えます。
IMG_2582.png
最上階・展望台からの眺め。あいにく雲隠れ中ですが、名峰・磐梯山や・・・
IMG_2592.png
鶴ヶ城内はもちろん、会津若松の街が一望の下。
良い眺めだぁ~
IMG_2595.png
こちらは天守と周囲の櫓や門を繋ぐ長大な平櫓の中。
走り長屋と呼ばれています。
IMG_2599.png
櫓内では、城兵が敵を迎え撃つ様子が再現されています。
この設備は石落としと言って、
床の一部が開くことで、そこから石や熱湯等を押し寄せる敵兵に落とす、
というもの。
IMG_2600.png
こちらは狭間(さま)
壁の一部に小さな穴が開けられており、そこから矢や鉄砲を
撃ち掛けます。鉄砲用は鉄砲狭間(てっぽうざま)、弓矢用は矢狭間(やざま)とも。
どちらも喰らったら痛そう
IMG_2558.png
本丸への出入口・鉄門(くろがねもん)
天守とともに再建された城門です。
門そのものが堅い造りですが、周囲を囲む走り長屋と合わせ、
寄せ手を迎え撃つ構えとなっています。
IMG_2564.png
扉の表面には鉄板が張られています。
この工夫が名前の由来。これにより弓矢・鉄砲をも弾きます。
IMG_2565.png
走り長屋の先に在るのは、干飯櫓(ほしいいやぐら)
干飯とは、米を蒸してから干すことによって作られた非常食。
戦時の携帯食でもありました。
本丸内の二重櫓では最も大きな物ですが、その名が示す通り
食料貯蔵庫としての役割を帯びていました。
無論実戦への備えも万全!
IMG_2572.png
城に於ける政治の中心・本丸御殿の跡は、広~い芝生と化しています。
奥に見えるのは、茶室・麟閣。
IMG_2610.png
本丸の一角に設置された、荒城の月碑
荒城(こうじょう)の月、と言えば豊後国(大分県)の岡城
著名ですが、作詞した詩人・土井晩翠(どい ばんすい)曰く、
故郷・仙台の仙台城(青葉城)と、ここ鶴ヶ城(当時は廃城跡であり、荒廃していた)を
イメージして作詞したそうで、その縁で昭和21(1946)年に詩碑が建てられました。

街のシンボルとして、ひいては会津のシンボルとして、今なお人々の心に生き続ける
鶴ヶ城。
幾多の変遷と激しい戦争を経ても落ちなかった城として、
これからも守り継いで、あるいは語り伝えて欲しいものです。
次回は城内に残る茶室・麟閣と、会津藩主の別邸として
美しい庭園を今に残す御薬園(おやくえん)をレポートします。
束の間の晴れ間に浮かび上がる情景を、お楽しみに!
それでは!
IMG_2602.png
近くで見る天守は、迫力満点!!

コメント

No title

おはようございます。

牛しゃぶすきめしは名の通り、すき焼きのお肉をご飯の上に乗っけましたてきな料理で美味しかったです。


お城も間近で見ると迫力ありますよね~

私の近辺だと名古屋城の金のしゃちほこが有名ですね。

幕末は昔、齧ってまして、新選組の土方歳三が好きでした、最後まで義に生きたというイメージが強いです。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。