皆さんは、「白虎隊」という名を、ご存じでしょうか?
慶応4(1868)年に起こった、戊辰戦争。
その緒戦たる鳥羽・伏見の戦いに敗れた会津藩は、
軍制を西洋式に改めると共に、部隊編成も見直し、
年齢別に玄武・青龍・朱雀・白虎の4隊に再編成しました。
白虎隊はそのうち最も年齢層が低く、16~17歳の少年たちに
よって構成されていました。
今回はそんな彼らの中の一部、
白虎士中二番隊に属する20名ほどを襲った、
悲劇の跡を辿ります。

この日の目的地へは、まちなか周遊バス・
あかべぇルートで

ここが今回の目的地・
飯盛山(いいもりやま)市街地を望む小高い山。その頂上付近は古墳となっており、
中腹には神社や、かつては寺も設けられていたそう。
そこへ至る道は整備され、両側には土産物屋が建ち並びます。

有料エスカレーターならば楽に中腹まで上がれますが、
ここは歩きます。
頑張る!!
見えて参りました・・・
白虎隊自刃19名の墓猪苗代方面での戦いに敗れ、飯盛山中へと逃れた士中二番隊の隊士たちは、
火煙に包まれた鶴ヶ城を望見し、城を、そして故国を守れなかった自責の念、
また虜囚の辱めを良しとせぬ武士の心意気から、城に別れを告げた後、
自刃。戦後、新政府軍によって公布された「会津人の亡骸を葬ってはならない」という触れにより
彼らの遺骸は長く放置されていましたが、
それを哀れに思った村人たちの手で、近隣の寺院に葬られました。
その後彼らが最期を遂げたこの地に移され、今では整備・拡張を経て
鎮魂の碑として建ち続けています。
周囲には他の戦地で闘死した隊士たちの墓や、男性とともに
故国守護のために戦った女性たちの慰霊碑も建てられています。
ここで豆知識。世間一般ではここで
白虎隊士皆が命を絶ったと
思われがちですが、実際には数百名ほどの部隊規模だったそう。
自刃隊士たちは、
ほんの一部です
少し離れた所に建つ、
飯沼貞雄(旧名・貞吉)墓。
飯盛山中に退いた隊士たちの一員で、自らも喉を突いて自害を試みましたが、
その場で逝くこと叶わず、山麓で倒れているところを飯沼家の女中に
救われ、自刃隊士
唯一の生存者となりました。
明治の世となってからは通信事業に従事しますが、仲間たちと死に別れ、
武士の本懐を遂げられなかった心中は、如何ばかりか。
今では因縁の地にて、共に眠りに就いています。
白虎隊殉難士慰霊塔ここから燃える城下を目撃した少年たちは、もはやこれまでと
腹を突き、首を切り、お互いに刺し違え、倒れていきました。
武士の魂に殉じ、若き命を散らした凄絶さ、結果として
城は落ちることなく健在であったことが、後世に語り継がれる
悲劇の要素なのでしょう。
余談ですが、実際にこの場で自刃したのは
17名(飯沼氏含む)。
後から飯盛山に辿り着いた1名と別の場所で命を絶った2名を合わせ、
自刃19士とされています。

慰霊碑の前からは、ご覧のように若松市街が一望出来ます。

この通り、鶴ヶ城も遠望出来ます。
白虎隊士たちに自刃を決意させた炎ですが、新政府軍の進軍を妨げ
城を守らんと、城下に火を点けた結果であったそう。
彼らが正確な情報を得られたならば・・・と思わずにはいられません。

白虎隊士自刃の地を巡り、次の見所へ。
不思議な形のこの建物は、旧・
正宗寺三匝堂(しょうそうじさんそうどう)
通称・
さざえ堂寛政8(1796)年、近隣の僧・郁堂和尚によって建立されました。
かつては隣接する神社の神宮寺の仏堂でしたが、神仏分離令により寺は廃止。
この建物のみが残ります。
面白いのはその構造。内部は上り・下り別々のスロープが設けられており、
一度も人とすれ違う事はありませんこのような造りは
世界唯一その文化的価値から、国の
重要文化財に指定されています。

広く世に流布されている通称の由来は、貝類のさざえの様に見える事から。
見れば見るほど不思議な造り。

登りのスロープを通って、最上部へ。
天井には、訪れた人が奉納したであろうお札がびっしり!
ここから折り返すこと無く、そのまま下りに入ります。

下りのスロープ。
寺院だった頃は壁に西国札所の三十三観音が祀られ、登り降りしながら
お参り出来る仕組みになっていました。

さざえ堂の下、神社の境内を流れる水の向こうにぽっかり空いた穴。
戸ノ口堰洞穴(とのくちぜきどうけつ)という
猪苗代湖畔から会津盆地へと水を引くための水路。
その全長は何と
31キロ傷付いた白虎隊士たちが退却の折り、潜り抜けて来た「道」でもあります。
彼らはこの山を遊び場としていたそうで、土地勘を頼りに、必死の思いで
ここへ逃げ延びたのでしょう。
さて、飯盛山中の探訪はここまで。
未来在る少年たちの悲劇と戦いの無情を思う一日は、
まだ続きます。
なおも重いテーマとなりますので、ご覧になる方は心構えを。
次回は飯盛山の麓。戊辰戦争(会津戦争)を軸にした展示を行う
資料館と、白虎隊出陣の地を巡ります。
それでは。

飯盛山から眺める会津の山並み。
ここを駆け巡った幼き日の隊士たちも、この光景を目にしたのでしょうか・・・