fc2ブログ

記事一覧

戦跡に触れて

前回は「悲劇の地」、飯盛山を巡りましたが、
戦いの痕跡を辿る行路は、続きます。

IMG_2739.png
飯盛山麓に建つ、白虎隊記念館
昭和31(1956)年、会津出身の弁護士、故・早川喜代次(はやかわ きよじ)氏によって、
会津藩や白虎隊の悲劇を伝える場として開設されました。
館内には白虎隊士や会津藩士たち、あるいは会津へ救援に訪れた他藩の
人々の遺品、攻め手の新政府軍重鎮の品等が展示されています。
どれも「お宝」と呼べる貴重な物ばかり。
あの新選組局長・近藤勇愛用の鉢金(はちがね。頭に鉢巻とともに巻き付け、
頭部を保護した金属)や、大山巌(西郷隆盛の従兄弟)、明治の元勲・山県有朋直筆の書、
両軍で使われた銃砲等、充実のラインナップ。
その中でも特に惹かれたのが、白虎隊士(自刃19士とは別行動)が戦闘中、および
その前後を詳細に綴った手紙。
白虎隊の動向と顛末が詳細に記述されており、資料としては一級と言えるでしょう。
2階には白虎隊自刃の図が飾られており、
戦いの無情と悲痛な最期を描き出しています。
IMG_2740.png
お昼ご飯は、参道横のお土産屋さんで山菜そば
麺は柔らかく、出汁は薄口。
料理はもちろんお店の方たちも温かく、こたつに入れてくださったり、
熱いお茶のサービスや次の目的地への近道を教えてくれ、
感謝感激!
IMG_2742.png
住宅街を縫う狭い路地を通ってすぐのところで出たのは、
旧・滝沢本陣
会津藩政時代、参勤交代で藩主の隊列が江戸へ向かう際、
あるいは藩祖・保科正之公を祀る猪苗代の土津神社(はにつじんじゃ)へ
参詣する際には、
この先の滝沢峠越えに挑む必要が有りました。
そこで藩主の休息所として、そして正装への衣替えの場として、
1673~1680年頃に本陣が設けられました。
戊辰戦争の際には国境を越えんとする新政府軍を迎え撃つための
本営が置かれ、白虎隊もここから出陣して行きました。
IMG_2743.png
本陣前の通り。自刃19士たちも、ここから帰ることの無い戦地へ
赴いたのでしょう・・・
IMG_2762.png
本陣母屋
その響きとは裏腹な、素朴な造り。
普段はこの地の庄屋が生活の場としていたと聞いて、納得。
IMG_2747.png
母屋内部も、やはり武士の利用した施設というよりは、
農家のような趣。
IMG_2750.png
「本陣」らしくなるのは、母屋の最奥。
藩主の休息所・御座之間と、その手前の
御次の間
他所の本陣と比べて簡素な設えなのは、質素を旨とした会津藩の気質故でしょうか?
IMG_2749.png
江戸初期に京都・伏見奉行を務め、茶道を始め和歌・書・陶芸など多才を
発揮した武将・小堀遠州の流れを汲む遠州流の庭園。
目の行き届く範囲に、草木や庭石がバランス良く配置されています。
京都で激動の渦に巻き込まれ、「朝敵」とされながらも故国防衛に挑む
松平容保(まつだいら かたもり)公も、
この庭を眺めたのでしょうか。
IMG_2756.png
こちらは藩主が体を流した風呂場
雪隠(せっちん。トイレ)と共に、そのまま保存されています。

ここ滝沢本陣にも、戦争の痕跡は残されています。
IMG_2751.png
御座の間の周囲には、弾痕や・・・
IMG_2754.png
刀傷(矢印部分)が。
これはここで戦闘が行われた訳ではなく、
会津藩兵が鶴ヶ城へ退いた後に進駐して来た薩摩藩兵が、
試し切りや銃火器の試射をした際に出来たものだそう。
優勢に立つ者達の、驕った様子が浮かぶようです。

戦いが生んだ悲劇と、現実に触れた1日。
1月という短い時間が会津に残した傷を見て、感じたこと。
戦争が時に物語を産み、人類の進歩をも促してきたのも、また事実。
しかしいかに取り繕おうとも、傷付くのは踏み荒らされる大地であり、
そこに住まう人々、あるいは前線で砲火に
その身を晒す兵士である
ということ。
それを実体験し得ぬ時代に生かされていることを、幸せに思います。

さて、シリアスはここまで!一瞬の閃光の如き1週間を綴った会津紀行も、
終わりが見えて参りました。
次回は会津が産んだ傑物、千円札でお馴染み、「医聖」・野口英世が
若き日々を送った路地を訪ねます。
それでは!

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。