ブランド魚の産地へ
- 2017/12/19
- 15:07
関あじ・関さば
大分県を代表するといっても過言ではないブランド魚であり、
九州・大分県と四国・愛媛県の間を流れる豊後水道
(通称:早吸の瀬戸)に面した佐賀関(さがのせき)という
漁港で水揚げされることから、そう呼ばれています。
15kmほどの狭い幅と、太平洋と瀬戸内海の水流がぶつかり合うことで
産み出される潮流に揉まれた魚たちは身が引き締まり、
その味わいは格別。
故にブランド魚として珍重され、高値で取引されて
売買される代物なのです。
今回は関あじ・関さばを現地で味わうべく、
大分市の外れ、佐賀関へ向かいます。

JR幸崎駅(こうざきえき)
縁起の良い名前のこの駅が、
佐賀関への玄関口。このあたりもまだ大分市に当たるのですが、
大きな商業施設等も無く、のどかな雰囲気。
駅前からバスに乗り、目的地へ向かいます。

バスの車窓からは、海や沖を行き交う船が見えます。

海と山に挟まれた道を進み、
終点・佐賀関バス停に到着!
大分市役所の支所と市民の交流センターを兼ねる市民センター前の
交差点には、控えめに歓迎の意を示す看板が置かれています。

一見どこにでもある港町に見えますが、実は歴史スポット。
文久4(1864)年、長州藩が攘夷(外国人を追い払うこと)を決行すべく
アメリカ船に砲撃を加えたことに怒った西洋列強諸国は、
長州藩に対する報復を企図(後に実行され、四国艦隊下関砲撃事件として歴史に
残る事件となります)。
その計画を止める交渉役として派遣された幕吏・勝海舟(かつかいしゅう)
と、随行する坂本龍馬が長崎へ向かう途上、
ここから上陸した、そんな場所。

今は海岸は埋め立てられ、貨物船が貨物の積み下ろしをする岸壁。
かつては浜辺であったろうこの地点から、2人の傑物は
異国との交渉のために踏み出したのでしょう。

先ほどの看板の横から裏手の漁港まで続く、
関あじ関さば通り
商店街となっているこの通りにはかつて宿屋や
商家が建ち並び、


龍馬・海舟両名とゆかりの有る屋号が、看板として残されています。
現存していないのが、残念

龍馬と海舟が往路・復路でそれぞれ一泊した、徳応寺(とくおうじ)
当時の住職が二人の止宿を記録しており、名簿にもしっかりと
彼らの名が残されているそう。

徳応寺本堂。境内の建物は綺麗に修復されており、
往時を偲ぶのは、難しい。
町から次の場所まで移動、なのですが・・・バスもレンタサイクルも無い
不便なり。
ちょっとお高いですが、タクシー移動。

やって来たのは関崎海星館(せきざきかいせいかん)
大分市の東端・関崎に建つ展望・天体観測施設。
1階は隣接する灯台や付近の地形・地質等の紹介スペース、
土休日営業のカフェが有り、
2階には天体観測が可能な望遠鏡が設置されています。
天気に恵まれたこの日は、太陽の観測が出来たそう(私は見ていませんが)。

天体観測は機会を改めるとして、あたりを見回す。
別府湾・豊後水道・臼杵方面の海や山々が一望できる、
絶好のロケーション。

豊後水道。ここを関あじや関さばが泳ぎ回っています。
右に見える陸地はウミネコの飛来地として、またキャンプ場としても
知られる高島
奥は四国・愛媛県の佐田岬
容易に目視できるその距離、わずか14km。

海星館から散策路を下りた先に見えて来る、関崎灯台
稼動開始は20世紀の初年、明治34(1901)年
白亜に塗り籠められた鉄製の灯台は、大分県で一番最初に設置された物。
幅が狭く、急流渦巻く豊後水道の航行の安全が如何に重視されたかが
分かります。
なお内部は指定された公開日以外は非公開

敷地内には灯台の管理を行う灯台守の官舎跡が。
以前はここに灯台守が住んでいたのですが、長寿命・高効率の
LED灯の導入により、廃止。
今は建物の基礎が残ります。
佐賀関を訪れるまでは、「何も無い」というイメージを抱いていた私ですが、
史跡や海景色に感嘆。
やっぱり行ってなんぼの物ですね。
次回は海岸沿いの道を歩き、念願の関さば・関あじを
パクリ!
海景色と獲れたての味を堪能します。
それでは!

う~み~は~広い~な~大きい~な~
大分県を代表するといっても過言ではないブランド魚であり、
九州・大分県と四国・愛媛県の間を流れる豊後水道
(通称:早吸の瀬戸)に面した佐賀関(さがのせき)という
漁港で水揚げされることから、そう呼ばれています。
15kmほどの狭い幅と、太平洋と瀬戸内海の水流がぶつかり合うことで
産み出される潮流に揉まれた魚たちは身が引き締まり、
その味わいは格別。
故にブランド魚として珍重され、高値で取引されて
売買される代物なのです。
今回は関あじ・関さばを現地で味わうべく、
大分市の外れ、佐賀関へ向かいます。

JR幸崎駅(こうざきえき)
縁起の良い名前のこの駅が、
佐賀関への玄関口。このあたりもまだ大分市に当たるのですが、
大きな商業施設等も無く、のどかな雰囲気。
駅前からバスに乗り、目的地へ向かいます。

バスの車窓からは、海や沖を行き交う船が見えます。

海と山に挟まれた道を進み、
終点・佐賀関バス停に到着!
大分市役所の支所と市民の交流センターを兼ねる市民センター前の
交差点には、控えめに歓迎の意を示す看板が置かれています。

一見どこにでもある港町に見えますが、実は歴史スポット。
文久4(1864)年、長州藩が攘夷(外国人を追い払うこと)を決行すべく
アメリカ船に砲撃を加えたことに怒った西洋列強諸国は、
長州藩に対する報復を企図(後に実行され、四国艦隊下関砲撃事件として歴史に
残る事件となります)。
その計画を止める交渉役として派遣された幕吏・勝海舟(かつかいしゅう)
と、随行する坂本龍馬が長崎へ向かう途上、
ここから上陸した、そんな場所。

今は海岸は埋め立てられ、貨物船が貨物の積み下ろしをする岸壁。
かつては浜辺であったろうこの地点から、2人の傑物は
異国との交渉のために踏み出したのでしょう。

先ほどの看板の横から裏手の漁港まで続く、
関あじ関さば通り
商店街となっているこの通りにはかつて宿屋や
商家が建ち並び、


龍馬・海舟両名とゆかりの有る屋号が、看板として残されています。
現存していないのが、残念

龍馬と海舟が往路・復路でそれぞれ一泊した、徳応寺(とくおうじ)
当時の住職が二人の止宿を記録しており、名簿にもしっかりと
彼らの名が残されているそう。

徳応寺本堂。境内の建物は綺麗に修復されており、
往時を偲ぶのは、難しい。
町から次の場所まで移動、なのですが・・・バスもレンタサイクルも無い
不便なり。
ちょっとお高いですが、タクシー移動。

やって来たのは関崎海星館(せきざきかいせいかん)
大分市の東端・関崎に建つ展望・天体観測施設。
1階は隣接する灯台や付近の地形・地質等の紹介スペース、
土休日営業のカフェが有り、
2階には天体観測が可能な望遠鏡が設置されています。
天気に恵まれたこの日は、太陽の観測が出来たそう(私は見ていませんが)。

天体観測は機会を改めるとして、あたりを見回す。
別府湾・豊後水道・臼杵方面の海や山々が一望できる、
絶好のロケーション。

豊後水道。ここを関あじや関さばが泳ぎ回っています。
右に見える陸地はウミネコの飛来地として、またキャンプ場としても
知られる高島
奥は四国・愛媛県の佐田岬
容易に目視できるその距離、わずか14km。

海星館から散策路を下りた先に見えて来る、関崎灯台
稼動開始は20世紀の初年、明治34(1901)年
白亜に塗り籠められた鉄製の灯台は、大分県で一番最初に設置された物。
幅が狭く、急流渦巻く豊後水道の航行の安全が如何に重視されたかが
分かります。
なお内部は指定された公開日以外は非公開

敷地内には灯台の管理を行う灯台守の官舎跡が。
以前はここに灯台守が住んでいたのですが、長寿命・高効率の
LED灯の導入により、廃止。
今は建物の基礎が残ります。
佐賀関を訪れるまでは、「何も無い」というイメージを抱いていた私ですが、
史跡や海景色に感嘆。
やっぱり行ってなんぼの物ですね。
次回は海岸沿いの道を歩き、念願の関さば・関あじを
パクリ!
海景色と獲れたての味を堪能します。
それでは!

う~み~は~広い~な~大きい~な~