訪問者リストを見て、定期的に当ブログを覗いて下さっている人を
見ると、私も人に支えられているのだなぁ・・・と
嬉しくなってしまう、「西のノリ」です。
さて、前回は意外な所で(失礼)見つけた偉人の足跡と
海景色を楽しみましたが、今回はその続き。
「関崎海星館」からは、まっすぐ港へ帰るコースと
港の反対側、漁港の方へと抜けるコースが
あるのですが、折角なのでタクシーで来た時とは
異なるルートを選択。
漁港までのおよそ6・5kmを
歩くことと
致しましょう。

県道とは言いながら、時に車のすれ違いがやっと、という狭い道を
歩きます。しかしながら、道沿いに見える景色は
ぴか一!途中、気になる看板を見つけたので、寄り道。その先には・・・

こんな物が!
これは
豊予要塞跡、そしてその要たる
砲台の跡です。
第1次世界大戦に於ける軍事技術の進歩を見た軍部は、
沿岸警備の観点から
海洋砲台構築要領を策定。
豊予海峡警備のため、高島・佐田岬・鶴見崎・関崎に砲台の設置を決定しました。
その一端を成すのが、ここ。
この洞穴のような場所は、砲塔を据えた跡なのでしょうか。

ここに設置されていた、
45式15センチ加農砲(カノン砲)
戦前にはここに砲兵科の兵員が詰め、海峡を行き交う船舶の
監視に当たっていたのでしょう。

こちら、黒い砂浜が広がる、
黒ヶ浜(くろがはま)

黒さの秘密は、浜のそこら中に散らばる
蛇紋岩(じゃもんがん)
この岩石に含まれる磁鉄鉱(砂鉄の成分)によって、
このような色が付くのだとか。
見た目硬そうで、裸足で歩くと痛そうな気がする。

特徴的な浜辺は、
日本の渚百選にも選出されています。
(なんか逆光が強くて、変な感じになっちゃってます)

黒ヶ浜から
高島を望む。
引っ切り無しに船が通り、ここが海上交通の要所であることを実感します。

時折切り通しのような場所を抜けていきます。

注連縄が渡され、社が設けられた大小2つの岩は、
ビシャゴ岩「神代の昔、この付近を皇統の始祖・
神武天皇の一行が通りがかったところ、
船が進まなくなってしまった。海中を覗いてみると一匹の大タコが国生みの神・
イザナギノミコトが落とした御剣を守護しているのが見えた。
そこで神武帝は、
黒砂(いさご)と
真砂(まさご)という海人の姉妹に御剣を大タコより受け取るように命じた。
姉・黒砂が御剣を受け取り、妹・真砂が姉から剣を引き継いで神武帝に
献上したものの、二人共に息を引き取ってしまった。
それでも二人は神武帝の夢の中に現れ、航路の安全を守護することを誓った」という
逸話が残っています。
この二つの岩は死を賭して主命に尽くし、死後海の守護神となった
姉妹の魂の表れであり、彼女たちを海神として崇める海に生きる
人々の信仰の結晶でも有るのでしょう。

別角度から。何だか伊勢の
二見浦(ふたみがうら)を思い出す光景(3月の記事参照)。

黒が在るならば・・・ということで、こちら
白ヶ浜(しろがはま)
黒ヶ浜とは隣り合わせとなっており、色の異なる浜が接しているのは、
全国的にも珍しいそうな。

この通り、黒ヶ浜とは全く砂石の質が違います。
二つの砂浜、黒と白という名称。
あるいは先ほどのビシャゴ岩の逸話とも、関わりがあるのかも知れません。

周囲には海の家や公衆トイレなどが使われていない状態で置かれています。
今は寂れた光景ですが、夏が来れば行楽客にとっての「楽園」と
なることでしょう。

歩き始めて2時間ほど。出発地点とは反対側に広がる
佐賀関漁港に到達しました!
腹減った~

という訳で漁港の傍に店を構える食事処、
関の漁場に
入店!夫婦経営の素朴な店内と、漁港を眺める立地が素敵です。

きたきたきたぁ~!
待望の
関あじ・関さばですよ奥さん!(誰に言ってんだ感)
2種の刺し盛りが付いた定食は、ブランド魚だけあって2500円と、
ちょっとお高め。しかし付属するつみれ汁や漬物、和え物のいずれも
満足出来得る物。

メインの関あじ(右側)と関さば(左側)。
地元漁師の手で一本釣りされた魚はいけすに入れられた後、
活けじめという、神経抜きを施してから脊髄を切断、血抜きをしてから
氷を入れた海水に浸ける、という手間の掛かる処理を施してから
市場に出されます。これが鮮度の秘密だとか。
口に運んでみると、触れ込み通りの引き締まった身、
ほのかに感じられる甘みがたまりません!
足を運んだ甲斐があった、というもの。

さあ、市街地へ帰るとしましょうか。
初めは交通の便の悪さに難渋したものの、
終わってみれば待ちかねた海の幸、そして
豊かな自然と、存分に楽しめた一日となりました。
皆さんも是非、「現地」の味を食べに、佐賀関まで
足を伸ばしてみてはいかがでしょうか?
それでは!

白ヶ浜沖に浮かぶ、
蔦島(つたじま)
外洋の波から漁港を守る、重要な存在。