光の天守が夜風を払う
- 2018/01/12
- 14:48
アートを求める市内探索。
大分県立美術館(OPAM)を出た後は
夜になるのを待ち、再び市街地へ繰り出します。

駅から歩いて10分ほど・・・

光に照らされ浮かび上がっているのは、府内城(ふないじょう)
別名は大分城、荷揚城。
築城は慶長2(1597)年、あの石田三成の義弟・福原長尭(ふくはら ながたか。
直高とも)により着工。しかし長尭は軍監として出征した朝鮮出兵で
義兄・三成ともども加藤清正・福島正則ら武断派の恨みを買った上、
領内統治の内実を徳川家康に咎められ所領没収の憂き目に遭い、
跡に入った早川長敏(はやかわ ながとし)は
関が原の戦いで西軍に組したことで改易
戦後に豊後へ移封となった竹中重利(たけなか しげとし)の元で
ようやく築城工事が再開され、着工から5年後の慶長7(1602)年に
完成を見ることとなりました。
竹中氏によって今の大分市街の礎となる城下町も整備され、日根野氏を経て
徳川譜代の松平氏2万石の城として明治維新まで存続していきます。

現在は二之丸と本丸跡が大分城址公園として整備されています。
その南側、正面入り口に当たる大手門からいざ入城!
実はこの城、かつては4層から成り、世界遺産・姫路城と同等規模の
天守を有していたのですが、寛保3(1743)年に発生した大火により消失
以後再建されることは無く、天守台を残すのみなのですが・・・

なんと、光の天守が出現!
これは昨年2月に大分市が策定した「大分城址公園整備・活用基本計画」の
一環として高さ28m、横25m、縦23mの仮想天守を建てた上で
照明7万個から成るイルミネーションを取り付け、
城址公園のPRを行おう、というもの。
来月14日までの毎日見られます!

近くで見ると、多数の鉄骨が組み上げられ、周囲を
電飾がびっしりと取り巻いています。

現存する天守台はこちら。
ド派手な「仮想天守」には負けますが、照明にしっかりとした
石組みが浮かび上がります。
以前は上に登ることも出来たのですが、今後天守台の調査が
行われるそうで、現在は立ち入ることは出来ません。

ここからは歩いて城の裏側へ。
右手に見える櫓は人質櫓と言って、
江戸時代から城内に残る2つの櫓の一つ。
大火の後、幕末の文久元(1861)年に再建されました。

右手の細長いスペースは、水堀に面した帯曲輪(おびぐるわ)という
土手。かつては塀が築かれ、城の防備の一端を担っていました。
左に見えるのは川のようですが、実は堀の跡
かつての地図と比べると大幅に縮小されていますが、
水辺には当時の物と思しき石垣が残ります。

「仮想天守」を遠望。う~ん、キレイだ

東之丸二階櫓と仮想天守

平櫓跡(なぜか二階櫓が建っています)。
奥には着到櫓、右手には天守に次ぐ大きさを誇った、
三階櫓の石垣が設けられています。
なお、塀と宗門櫓(しゅうもんやぐら、現存建築物の一つ)は
修理中。
「今だけ」見られる天守に酔った一夜。
城跡の調査・整備が進めば、いずれは天守の再建にも
至るでしょうか。
そうなれば周辺の観光地に流れがちな観光客の
誘引にも繋がるはず。
大分市や関係する方々の頑張りに期待したい所です!
さて、私「西のノリ」、明日から3泊4日の行程で
宮崎県は日南地域へ行って参ります!
ベストシーズンこそ外れますが、海景色や
海産物、その他宮崎ならではのグルメ・
街並みを楽しみたいと思います。
それでは!
大分県立美術館(OPAM)を出た後は
夜になるのを待ち、再び市街地へ繰り出します。

駅から歩いて10分ほど・・・

光に照らされ浮かび上がっているのは、府内城(ふないじょう)
別名は大分城、荷揚城。
築城は慶長2(1597)年、あの石田三成の義弟・福原長尭(ふくはら ながたか。
直高とも)により着工。しかし長尭は軍監として出征した朝鮮出兵で
義兄・三成ともども加藤清正・福島正則ら武断派の恨みを買った上、
領内統治の内実を徳川家康に咎められ所領没収の憂き目に遭い、
跡に入った早川長敏(はやかわ ながとし)は
関が原の戦いで西軍に組したことで改易
戦後に豊後へ移封となった竹中重利(たけなか しげとし)の元で
ようやく築城工事が再開され、着工から5年後の慶長7(1602)年に
完成を見ることとなりました。
竹中氏によって今の大分市街の礎となる城下町も整備され、日根野氏を経て
徳川譜代の松平氏2万石の城として明治維新まで存続していきます。

現在は二之丸と本丸跡が大分城址公園として整備されています。
その南側、正面入り口に当たる大手門からいざ入城!
実はこの城、かつては4層から成り、世界遺産・姫路城と同等規模の
天守を有していたのですが、寛保3(1743)年に発生した大火により消失
以後再建されることは無く、天守台を残すのみなのですが・・・

なんと、光の天守が出現!
これは昨年2月に大分市が策定した「大分城址公園整備・活用基本計画」の
一環として高さ28m、横25m、縦23mの仮想天守を建てた上で
照明7万個から成るイルミネーションを取り付け、
城址公園のPRを行おう、というもの。
来月14日までの毎日見られます!

近くで見ると、多数の鉄骨が組み上げられ、周囲を
電飾がびっしりと取り巻いています。

現存する天守台はこちら。
ド派手な「仮想天守」には負けますが、照明にしっかりとした
石組みが浮かび上がります。
以前は上に登ることも出来たのですが、今後天守台の調査が
行われるそうで、現在は立ち入ることは出来ません。

ここからは歩いて城の裏側へ。
右手に見える櫓は人質櫓と言って、
江戸時代から城内に残る2つの櫓の一つ。
大火の後、幕末の文久元(1861)年に再建されました。

右手の細長いスペースは、水堀に面した帯曲輪(おびぐるわ)という
土手。かつては塀が築かれ、城の防備の一端を担っていました。
左に見えるのは川のようですが、実は堀の跡
かつての地図と比べると大幅に縮小されていますが、
水辺には当時の物と思しき石垣が残ります。

「仮想天守」を遠望。う~ん、キレイだ

東之丸二階櫓と仮想天守

平櫓跡(なぜか二階櫓が建っています)。
奥には着到櫓、右手には天守に次ぐ大きさを誇った、
三階櫓の石垣が設けられています。
なお、塀と宗門櫓(しゅうもんやぐら、現存建築物の一つ)は
修理中。
「今だけ」見られる天守に酔った一夜。
城跡の調査・整備が進めば、いずれは天守の再建にも
至るでしょうか。
そうなれば周辺の観光地に流れがちな観光客の
誘引にも繋がるはず。
大分市や関係する方々の頑張りに期待したい所です!
さて、私「西のノリ」、明日から3泊4日の行程で
宮崎県は日南地域へ行って参ります!
ベストシーズンこそ外れますが、海景色や
海産物、その他宮崎ならではのグルメ・
街並みを楽しみたいと思います。
それでは!