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大物を生んだ、小さな通り

城下町・飫肥探索、第2回。
今回は飫肥城大手門へと真っすぐ繋がる
大手門通りを歩きます。
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飫肥城にほど近い通りの両側には、武家屋敷の面影を残す
石垣が続きます。ここももちろん重要伝統的建造物群保存地区
範囲内。
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この通りに入ってすぐの右手に建つ石碑。
もちろんただの石碑に非ず、この場所に建てられたことにはちゃんと意味があります。
実はここ、日英同盟締結や日露戦争の講和条約、不平等条約の撤廃等、
近代化と国力の充実を推し進める明治政府に於いて、
西洋諸国との折衝に心血を注いだ外交官・小村寿太郎(こむら じゅたろう)
生誕の地
幕末の安政2(1855)年にここで生を享けた寿太郎少年は、
商社の社長を務めていた父・小村寛(こむら ひろし)が破産するまでの
日々を送りました。
その際慣れ親しんだ土地は隣接する屋敷を所有していた山本家の物となりますが、寿太郎候の
縁者でもあった彼らの寄付により、顕彰の場が残されました。
ちなみに石碑の揮毫(きごう)の為に筆を執ったのは、日露戦争の英傑、
東郷平八郎元帥だそう。
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若き日の寿太郎少年。なかなかのイケメンぶり。
その生涯に於いて多大なる功績を上げた彼は、晩年には
侯爵位を賜る「功労者」となりました。
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小村寿太郎生誕の地に隣り合うようにして構えられた、
旧山本猪平家(きゅうやまもといへいけ)
明治40年(1907)年、飫肥の実業家・山本猪平(やまもと いへい)に
よって建てられた邸宅で、明治時代の飫肥商人の屋敷をほぼそのまま残す貴重な遺構。
かつてはここに小村家の屋敷が建っていたことでしょう。
ちなみに家主・猪平は寿太郎候の一つ年下に当たり、幼馴染のような間柄だった、
とも言われています。
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門を入ったところで拝観料(大人1人200円)を支払い、玄関へ。
足下を固めるのは敷石では無く、幾何学模様が印象的な陶器のタイル
長年の使用でくたびれているものもありますが、
主人のセンスと洒落っ気を感じます。
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内部は思いの他シンプル。そして、広い
画像の部屋の他にもいくつもの部屋が重なり合い、主屋の端から反対側を
見通すことが出来ないほど。
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装飾性は強くは無いものの、時折こんな遊び心溢れる
細工が施されています。
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中庭の向こう、離れを改装して設けられた飫肥古道具館
内部は個人より寄贈されたコレクションが展示されており・・・
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土間には壺が、
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座敷には磁器やガラス製の食器等、骨董品がいっぱい!
驚きの光景に圧倒されます。
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大手門通りから一歩入ると、そこにも味の有る小道。
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道の脇を流れる水路の一部では、優美に泳ぎ回るの姿。
なお、覗き込むと人が餌をくれると期待を抱いて鯉軍団が押し寄せて来ます。
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お昼ご飯は飫肥城の近く、江戸時代築の蔵を改装して営業中の
おび天 蔵
飫肥名物・おび天を豊富に取り揃えたお店。
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こちらが店舗の奥、食事処で頂いたおび天定食(松)1360円なり。
目玉のおび天はもちろんのこと、厚焼き玉子やむかでのり(海藻の味噌漬け)、
かに巻き汁(かにのすり身入りの味噌汁)など、飫肥の味がてんこ盛り!
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画像左上が、おび天
魚のすり身に豆腐、黒砂糖、味噌を混ぜ合わせ、手の平で形を整えてから
揚げる天ぷら
焦げ茶色の色合いは、黒砂糖が入っている為。
濃厚な味わいながらもヘルシーな一品。
先の「おびの茶屋」のそれよりも甘味の強い厚焼き玉子や
しその葉を挟み、香りと風味を楽しめる蒲鉾なども
出色のおいしさ!

偉人生誕の地を目にし、飫肥の旨味をまるごと平らげたお昼時。
満足、満腹の町歩きとなりました。
さて、次回は飫肥藩政の中枢・飫肥城へ。
驚きの光景に遭遇します。それでは!




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プロフィール

詞-Nori-

Author:詞-Nori-
旅行系ブロガー。
趣味は旅行、町歩き、食べ歩き、
鉄道等々。

目下地元・福岡県に戻り、
次なる行動に向けて準備中。