前回は歴史に残る争乱の遠因ともなった
要塞・島原城を訪ねましたが、今回は
その近く、江戸時代そのままの風情を留める
武家屋敷を歩きます。
昼食を摂った「姫松屋」からちょっと歩いて・・・

やって参りました、
武家屋敷街!江戸時代はこのあたり一帯が中・下級武士の住む区画で、
家同士を区切る垣根も無く隣の家が丸見えだったこと、
鉄砲を扱う徒士の居住地であったことから、
鉄砲町と
呼ばれていました。
(上級武士の住まいは、島原城内に取り込まれていたそう)
道の真ん中を流れる水路は2km上流から引いて来たもので、
生活用水、飲用水としても用いられていた清流。
この路地に沿って3軒の武家屋敷が保存されており、
江戸時代そのままの風情を味わうことが出来ます。

道の両側を固める石垣は、安永4(1775)年に当時の藩主の命によって
設けられました。
石材には雲仙火山から産出された
溶岩が用いられ、
上部には泥棒が入れない様、小石が積まれています。

武家屋敷一軒目は、
鳥田邸(とりたてい)
松平家家臣として丹波国(京都府北部)福知山から島原へ移転し、
地方の代官や物書を生業としていました。
道沿いの家々は、ここも含め90坪ごとに区切られ、
藁葺きの母屋の他、各家庭に果樹が植えられていたそうな。

中に入ってまず目を惹いたのは、座敷に並べられた
雛人形
現在島原市内では
島原城下雛めぐりと題し、
市内各所での雛人形の展示、期間限定スイーツや食事の提供、
人間ひな行列行進(来月3日開催)といった企画やイベントを開催中。
艶やかな雛人形たちを眺めに島原へ行くのも、また一興。
なお開催期間は
来月25日(日曜日)までとなっています。

3軒の保存家屋では、人形によって当時の人々の暮らしが再現されています。
ここ鳥田さん家では、家族揃ってのお食事中。
実は私、子供の頃にここへ来ているのですが、それから20年近く。
彼らは今も変わること無く
食べ続けています(笑)
残る2軒へ行く前に、ちょっと寄り道。

整備された庭園の脇に建つ・・・
武家屋敷休憩所「江戸」の空気を感じながら休めるスペースの他、
島原名物のおやつも販売されています。
島原城下雛めぐりとも連携し、
期間限定スイーツもラインナップ!

ここで頂いたのが、島原名物part2、
かんざらし適温に冷やした白玉に、砂糖・ハチミツ等から成るシロップを
かけて食べる、という
島原のおやつ食べやすいサイズに整えられた白玉は、ひんやり、もちもち。
シロップは甘さはあるものの、「くどさ」は感じられず、
一滴残さず完食!
「甘いのはちょっと・・・」という方でも、抵抗無く楽しめそうな
一品でした!

2軒目は門構えが立派な・・・
山本邸(武家屋敷休憩所から撮影)
建物自体は明治元(1868)年と比較的新しいものの、
この区画では唯一となっている門構えは、島原藩最後の藩主・
松平忠和(まつだいら ただかず、
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の実弟)公より許しを得た
特別なもの。
鉄砲町に住みながらも、山本家5代・茂親氏以降は
藩の要職に就いていたという。

そんなお屋敷は、さっきの鳥田邸よりも凝った造り。
欄間を見上げてみれば、こんな遊び心も。

山本家では、居間にてお母さん(もしくはおばあさん?)が裁縫に勤しみ、
子供たちは遊びに興じている様子。

一方家主であるお父さんは、奥座敷にて勉学の真っ最中。
めくりかけの書物には、「孟子(中国の儒学者)」の文字が。

思いの他開放的な造りの台所。
高く組まれた天井から、藁葺き屋根の構造が分かります。

武家屋敷3軒目は、
篠塚邸こちらも松平家臣として、福知山からお引越し。
代々順右衛門(じゅんうえもん)を名乗り、地方官である郡方祐筆(こおりかたゆうひつ、
いわゆる書記)や代官を務めました。

こちらは親子が机を挟んでのご対面。
手習いか、もしくは遊びの最中でしょうか?
先ほどの山本邸には及びませんが、こちらも障子の上に
付けられた飾りや・・・

整えられた中庭に、家主のこだわりが見えるよう。

再度路地を眺めて。
時が止まったかのような光景を、是非とも守り継いで欲しいものです!
城下町・島原に触れた一日。
時代は下り文化・生活は移れども、そこかしこに残る
「江戸」の香りに、不思議な安心感を覚えてしまう、
これも日本人故の感傷なのでしょうか。
次回の予定はまだ決まっていませんが、今度は
雲仙地獄にでも行ってみましょうか。
それでは!

雲仙雪景色(2月12日撮影)